ショートケーキは半分こで。〜記憶を失った御曹司は強気な秘書を愛す〜

森本イチカ

9-1

「只今戻りました」


 お菓子を買うお使いに外に出ていた羽美は秘書室で事務作業をしていた安藤に声をかけた。海斗はたまたま席を外していたらしく、姿が見えない。同じ空間にいるはずなのに、羽美は浮かれてつい海斗の姿を探してしまう。 


 海斗と一緒に雨に降られた日、海斗の記憶は戻っていなかった。何が海斗の感情を刺激したのかはわからない。あの日の強い雨なのか、激しい痛みを伴う頭痛なのか、それともあの写真か――


 けれどそのおかげなのか、念願の海斗の恋人になることができたのだ。常に表情筋を意識していないと嬉しさがこみ上げてきて口元がふるふるのゼリーのように緩んでしまう。


「おかえり〜どうだった? 凄い並んでたでしょう?」
「安藤さんの言う通り凄い並んでましたよ〜。買えなかったらどうしようってヒヤヒヤものでした。このお店の豆大福そんなに人気なんですね。これはどちらの取引先様のお気に入りなんですか?」


 羽美はコートを脱ぎながら安藤を見た。


「ん〜、そんなことより大倉さんにお客様が来てるから来客室に行ってくれる? その豆大福持って」
「え? 私にお客様ですか?」
「そう、早く行ってあげて。大倉さんのことお待ちかねよ」


 パチンと安藤はウインクをし豆大福を羽美に押し付けると、「早く」と背中を押し出された。安藤に急かされたので羽美は訳も分からず豆大福を持って急いで来客室に向かう。誰だろうか? 羽美が本郷不動産で働いていることを知っているのは両親くらいだ。会社まで会いに来る人物など全く想像がつかない。


 秘書室のすぐ隣にある来客室。コンコンとノックをし「失礼いたします」と羽美は扉を開けた。


「え、会長……?」


 驚きで身体が一瞬で冷凍されたように硬直した。思わず手に持っていた豆大福を箱ごと落としそうなり、羽美はぎゅっと力を入れて防いだ。


 会社資料でしか見たことのなかった本郷不動産の会長が目の前のソファーに座っている。白髪を綺麗に短く整えキリッと印象深い眉に鋭い目つき。まるで値踏みされているようにジロリと見られ、羽美はハッと我に返り慌てて挨拶をした。


「お、おまたせしてすいません。九月から社長の秘書として勤めさせて頂いています大倉羽美と申します。この度はご挨拶が遅れてしまい申し訳ございません」


 羽美は豆大福を近くの棚の上に置き、名刺を取り出し会長に恐る恐る差し出した。それを見て会長は「頂戴する」と落ち着きのある低い声で羽美の名刺を手に取った。羽美の名刺を凝視している。会長の隣に座っている婦人は奥さんだろうか? 羽美の記憶にある海斗の母親とは全く違う人物だ。長い髪を綺麗に後ろで纏めゴールドのバレッタで纏め上げている。胸元には花のブローチがキラリと光っており気品に溢れた女性だ。けれどなんだか不安そうに眉尻をさげ、羽美の様子を伺っているように見えた。


「大倉さん、座って」


 会長の落ち着いた低い声が部屋にひびく。


「はい、失礼します」


 緊張で身体が強張る。何を言われるのだろうか。秘書として役に立っていないとか? 解雇するとか? 思いがけていなかった急展開に思考回路がマイナスなことしか考えない。


「君は、大倉羽美くん、だよね?」
「はい、そうです」


 会長は額に手を当て、はぁと重い溜息をつき、婦人は大きく目を見開いた。なにか不穏な空気を感じとり羽美は手に汗をかきはじめる。


(や、やっぱりクビとか!?)


「君は、どこまで知っているんだい? どうしてこの会社にきたんだ? まさかとは思うが海斗のことを調べてここまで来たんじゃないだろうね?」


 会長は意味深に羽美を見つめながら両膝に肘をつき手の上に顎を乗せた。何か探られていることは羽美でも分かる。


「あの、それはどういった意味でしょうか?」


 会長の迫力に震えそうになる声を振り絞る。会長の言っている意味がほぼ理解できるようなものではなかった。この会社に来たのはたまたま就職活動していただけで、海斗がここにいることは知らなかった。というよりも一つ疑問が浮かんだ。海斗を調べて来たと言っていたが、どういうことだろうか。


「だからそれはだな――」


 会長の声がバンっと勢いよく開いた扉の音に掻き消された。


(へっ!?)


 羽美は驚いて肩をビクッと跳ねさせる。


「おい、親父! 勝手に大倉を連れ出すなよ!」


 明らかに怒っている海斗がドスドスと勢いよく向かい会長の前に立った。会長は「ちっ」と残念そうな顔をし、隣に座っている婦人は怒っている海斗を見てオロオロしている。


 このカオスな急展開はなに!?


「おお、海斗。もう来ちゃったのか。今日は大倉さんに用があるから海斗は仕事に戻りなさい」


 シッシッと猫をでも追い払いように細目で会長は手で海斗を追い払う。


「大倉に何のようだ?」


 負けじと海斗も会長に食らいついた。


「新しい秘書を見ておきたくてね。おーい安藤君、海斗を頼む」


 会長はドアの外に向かって声を出すと安藤が「はーい」と顔を出し「おい、やめろっ」と拒む海斗を引きずりながら部屋を出てく。


(す、すごい……)


 安藤の腕力に羽美は呆然と見届けることしか出来なかった。


「すまないね。話を戻そうか」
「あ、はい……」


 何もなかったかのように会長は話し始める。本当何事だったのだろうか。ハリケーンが通って場を荒らしていくような一瞬の出来事だった。

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