ショートケーキは半分こで。〜記憶を失った御曹司は強気な秘書を愛す〜

森本イチカ

8-2

 海斗が動けるようになった頃には雨も小ぶりになっていた。それでも長時間雨に打たれていたので二人共下着までびしょ濡れで、スーツは水が絞れるほど。羽美は高級車のシートを濡らすことに大変心が痛んだが寒さもあってか海斗の顔色が悪いので早く帰って着替えることを優先させた。海斗を助手席に乗せ、羽美は運転席に座る。


「社長、ここからだと私の家のほうが近いのでうちで一旦着替えましょう。適当に大きめの服を出しますから」


 エンジンを掛けながら海斗に話しかけると「あぁ、ありがとう」と力ない声で返事が返ってきた。


 運転しながらもチラチラと海斗の様子を見ていたが少しずつ落ち着きを取り戻したようだ。無理やり飲ませた痛み止めが聞いたのか、小さく丸まっていた背中が少しだけ伸びていた。


(はっ……今更だけど私ずいぶん大胆なことをっ。ききききキスしちゃってるじゃないの! あぁそうだ、部屋だって片してないしっ)


 やってしまったぁと思いながらも羽美のアパートについてしまっていた。脳内パニックに至りながらも、海斗が風邪を引くより、自分の散らかった部屋を見られる方がましだと腹を括り、羽美はアパートの鍵穴に鍵を刺した。


「き、汚いですがどうぞ。すぐにお風呂の準備しますから温まってくださいね!」


 玄関ドアを開け、羽美は海斗を招き入れる。


「大倉、ここに住んでるのか?」


 眉間にシワを寄せ、海斗は立ち止まったまま家の中に入ろうとしない。


「そ、そうですけど」
「セキュリティーが甘すぎるだろう。これじゃあ危険すぎる」


 海斗は額に手をあて、さらに顔をしかめた。


「き、危険ですか? 確かに築年数は古いですけど部屋の中はリノベーションされてて綺麗ですよ。まぁマンションとかみたいなセキュリティーはないですけど、私はただの一般人なので問題ありませんよ」


 羽美のアパートは築三十五年の木造二階建てアパートだ。白い外壁は苔で汚れてしまっていてオンボロ感が出ているけれど内装は五年前にリノベーションしたのでキレイな方だと思う。確かに海斗の言う通りセキュリティー面は防犯カメラもないし甘いと思うが今まで住んでいて困ったことなどなかったのであまり気にしていなかった。


 海斗は顎に手を添えなにか考え事をしたまま立ち止まっていて動かない。こっちは気が動転しながらも腹をくくって部屋に海斗を上げようとしているのに。埒が明かないので羽美は海斗の背中を押して家の中に押し込んだ。


「社長、玄関で靴下だけは脱いじゃってください。今タオル持ってきますから、そしたらお風呂場に直行ですよ!」
「ん、分かった。悪いな」


 羽美のアパートの間取りはワンルームなので玄関から部屋がすぐ見え、洗面所も入ってすぐのところにある。羽美は急いでタオルを取りにいき洗面所で濡れたストッキングだけ脱いで玄関に戻った。


「社長? どうなさいまし――っ」


 海斗がびしょ濡れになった靴下をぶらりと持ちながら目線は一枚の写真立てに釘付けだった。玄関の靴箱の上に飾ってあった幼い頃の羽美と海斗のツーショット写真だ。小学校の運動会で撮った写真。その写真を海斗は大きく目を見開いて見ていた。羽美は慌てて海斗の元に掛けより写真立てを衝動的にバタンと倒す。


「社長! さぁ足を拭いて早く入ってください。風邪を引きますよ!」
「お前、この写真……」


 羽美は海斗の言葉を遮り「早く早く」と背中を押した。


「使い方はごく一般的なお風呂ですから。後でタオルと服を用意しておくのでよく温まってくださいね。風邪でも引いたら大変です」


 羽美は洗面所を出ようと海斗に背を向けた瞬間腕を掴まれた。


「大倉が先に入れ、風邪引くだろう」
「いえ、私より社長です! ちゃんと温まってくださいね!」


 羽美は掴まれた腕を振り払いバタンと洗面所のドアを閉めた。


(やっちゃったよ……)


 はぁと静かにため息をつき羽美は両手で顔を覆った。


 海斗に昔の写真を見られてしまった。その写真を見て何を思っただろう。自分だと気がついたか、それともよく似た人だと思ったか、あるいは何も思っていないか。それはそれでちょっとショックだ。


「どりあえず、なにか服を用意しないと……」


 羽美は自分の身体をタオルで拭き、メンズサイズのパーカーを取り出した。ダボッとしていると楽なので普段メンズサイズを部屋着にするのだが、まさか役に立つ時が来るとは。それでも背の高い海斗には小さいだろうがスーツが乾くまでは我慢してもらおう。羽美はパーカーを持ち、洗面所へ向かった。


「社長、着替えここに置いておきますね。その、ズボンは流石にサイズが合わないと思うのでスーツが乾くまではタオルでも巻いててください」


 浴室に向かって話しかけるとガラッと勢いよく扉が開いた。海斗は全裸なのに恥ずかしげもなく、少し怒ったような顔で羽美を真っ直ぐ見てくる。


「しゃ、社長!? みみみみ見えてますから!」


 羽美はぱっと顔を逸した。いくら一回だけ見ているとはいえ男の裸は見慣れたものではないし、なにより恥ずかしい。


 あたふた顔を逸らす羽美の腕を海斗は掴みぐいっと自分の方へ引き寄せた。


「社長!?」
「あの写真、あの男は誰だ?」


 声に棘がある。引き寄せられていて海斗の顔が見えない。けれど握られた腕が痛くて海斗が怒っていることは一目瞭然だ。


「あ、あれは私の小学生の頃の幼馴染です」


 羽美は視線を下にずらし小さく答えた。


「……最初の頃言ってた初恋の相手、か?」


 隠し通すのは無理だろうと感じた羽美は素直に「そうです」と言った。


「腹が立つ」
「へ……?」


 太くて、低い声。海斗の思わぬ発言に驚き羽美はガッと勢いよく顔をあげた。まさかとは思うが写真に映っていた男の子が自分だとは気がついていない?


 海斗の綺麗な顔が歪んでいる。泣くのを我慢しているような顔だった。


「お前が初恋の相手と俺を間違えたことは知ってるし、ずっと好きだった男が俺に似てるんだと改めて思うと腹が立ってくる。今、大倉が好きなやつは誰だ? 本当に俺なのか? 初恋の相手に似てるから好きになったとかだったら俺は――」


 だんだんと声が荒くなってくる海斗の言葉を羽美は遮った。


「私は! 貴方のことが好きなんです。今の本郷さんが大好きなのっ」


 羽美はぎゅっと海斗に抱きついた。子供の頃から海斗のことが大好きで、大人になって少し性格が変わった海斗のことも大好きで、とにかくどんな海斗も大好きだと伝えたい。


「本郷さんが大好き……」


 羽美は下から海斗を見つめ上げた。海斗の表情は少し穏やかになり大きな手がこめかみから頬に向かって降りてくる。


「悪い、ちょっと冷静でいられない」


 磁石のように唇が引き合った。


「ふっ……んぅ……」


 バタンと浴室のドアが締まり羽美の鼻から抜ける甘い声が浴室に響く。


「俺も、大倉のことが好きだ」


 羽美は驚き、大きく目を見開いた。海斗の真っ直ぐな黒目が羽美を射抜き、心臓の高鳴りが激しく動き出す。


「え……? 本当、ですか? だってまだ約束の三ヶ月じゃ……んぅっ」


 あれこれ聞き出してしまう羽美の口を海斗が塞いだ。全てを吸い取られてしまいそうな情熱的なキスに身体の全てを溶かされてしまいそうになる。羽美は立っていることが精一杯で海斗にしがみついた。


「っはぁ、……本郷さん、さっきの言葉本当ですか? 私、ずっと貴方の隣にいていいんですか?」


 キスで艶めいた唇から確信を持てる答えを求めてしまう。羽美は海斗にしがみつきながら海斗の瞳をじぃっと見つめた。いつもならすぐにプイッと顔を逸してしまう海斗だが今は違う。羽美をしっかりと見つめ続け、瞳の中に羽美を閉じ込めていた。


「あぁ、本当だ。お前には降参だよ。あっという間に俺の気持ちかっさらっていきやがって」
 海斗は濡れている前髪を掻き上げて小さく笑みを溢した。
「っ、はっ、う、嬉しくて、ごめんなさい、ちょっと涙が止まりませ、ん」


 羽美は海斗の胸元に顔を埋めてボロボロと涙を流した。今まで何度も何度も流してきた涙だが、今日の涙はとっておきのキラキラ希望が満ち溢れた嬉し涙だ。


「ははっ、お前泣きすぎ。そんなに嬉しかったのか?」


 笑う海斗に羽美は泣きながらもキッと海斗を睨みつける。


「当たり前じゃないですか! 私がどれだけ貴方のことが好きだと思います!? 人生掛けて貴方のことを守りたいんですよ! 大好きなんですよっ、大好き! 大好きなんですぅっ、うっ」


 海斗は力強く羽美を抱きしめた。


「お前泣きすぎ。大げさだな。でも、俺も好きだよ。お前がずっと隣に居て欲しい」


 耳元で愛の言葉を囁かれ、羽美の涙はなかなか止まることが出来ない。今日の天気雨のように勢いを増していくばかりだ。


「なぁ、今日の予定もうなしに出来ないか? 今すぐに大倉のことが抱きたい」


 耳朶を嵌まれながら甘い声を流し込まれ、羽美は泣きながらもこくんと頷いた。


「顔も鼻も真っ赤にして、本当可愛いな」


 海斗は羽美の涙を手の甲で拭いながら、満足げに羽美のスーツを脱がしていく。濡れて肌にひたりと着いていたシャツからは羽美の下着が透けてしまっていた。


 海斗は口元に手をやりしっかりと羽美の姿を見ている。


「なっ、見ないでください」


 羽美は両手で胸元を急いで隠した。


「なんで? 綺麗だからもっと見せて」


 海斗は軽々と羽美の両手を開き透けたシャツの上から胸を掴んだ。


「ベットまでと思ったけどもう無理だわ。ここで抱く」


 海斗の大きな手が羽美の身体を這う。甘い痺れが身体を開かせ羽美は海斗を甘い蜜に絡ませ受け入れていた。

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