ショートケーキは半分こで。〜記憶を失った御曹司は強気な秘書を愛す〜
8-1
真っ白な雲がくっきりと綺麗なスカイブルーの空に映えている。季節も十一月になりコートを羽織らないと外回りは肌寒いと感じる日が多くなった。
K街の新規事業や、その他複数の案件が同時進行していることもあり、社長の海斗はいつも多忙だ。
多忙すぎて、海斗のお見合い予定まであっという間に残り一ヶ月となってしまった。けれど、最近は海斗との関係がうまくいっているような気がして、ついつい顔が緩んでしまう自分がいる。
忙しく、取引先の都合にも合わせて土日出勤も多かった海斗に合わせて丸一日デートなどは出来なかったものの、何度か仕事終わりに一緒に食事に行き二人でたくさんのデザートを半分個にして食べてきた。「美味しいな」「美味しいですね」を繰り返すこの些細な日常がたとえ今付き合っていないとしても、とても幸せに羽美は感じていた。
けれど、それと背中合わせに、自分と一緒にいることでまた頭痛を引き起こすかもしれないと少し怖気突きそうになったことも何度もあった。
以前の高級料亭で羽美が目の前にした海斗の頭痛。食事中、もし、またここで海斗が頭痛に襲われてしまったらどうしよう。そう不安になって海斗のことをチラッと見ると、何も気にせずに目の前にあるデザートを目を細めて美味しそう頬張る海斗が視界に映った。その嬉しそうな笑顔の姿を見るとホッと身体が軽くなる。海斗の笑顔一つで羽美の不安な気持ちは一気にふわっと軽くなり、たんぽぽの綿毛のように不安はどこかへ飛んでいってしまうのだ。
この笑顔をずっと私が守りたい。子供の頃も同じことを思った。大人になった今も海斗のこの笑顔を隣でずっと守っていきたい。そう何度も何度も強く再確認させられた。
「運転しずらくないか?」
海斗の不安げな声が左耳から聞こえてくる。
「大丈夫ですよ。社長はほら、K街の資料の再確認をしちゃってください。以前勤めていた会社では常に私が運転してましたので運転には自信ありますのでご安心を」
「ならいいけど。疲れたら代わるからな」
「ありがとうございます」
羽美は海斗の心遣いが嬉しくて笑みをこぼした。
いつもの無口な運転手が風邪を引いて今日は休みのためアクアマリンの香りが漂う海斗の車で移動することになったのだ。いい香りでつい大きく鼻から息を吸ってしまうほど羽美はこの匂いが気に入っている。爽やかな海のような香り。
「社長、もう少しで着きます」
今日の目的地は羽美と海斗の生まれ育ったK街だ。前回訪れた後、土地のリサーチが済み、もう一度確認のために羽美と海斗は足を運んでいる。
「ん。資料によるとやっぱり近年のあの辺りでは一軒家の貸し物件が人気が高いみたいだな。独身よりファミリー層がこの街は多いんだろう」
助手席に座っている海斗はタブレットを開きK街資料を開いた。
「そうですね。やはり子どもがいる家庭に人気みたいですね。リサーチの結果からも家を建てたいけれどお金を貯金中でまだ建てられない、でもアパートだと二階に住んでしまうとドスドス煩いと近所迷惑になってしまう、と色々あげられていました」
羽美は真っ直ぐ前を向きながら事前確認してあった資料の内容を思い出す。
「ん、じゃあやっぱり土地も広いし一軒家の貸し物件を何軒か建てる方向で検討を進めていこう。今日は近隣の環境調査にもう一度確認をすればいいんだよな?」
海斗はバックミラー越しに羽美を見た。羽美は視線に気づきコクンと頷く。
「はい。土地の最終確認をしましたら地盤調査もろもろと、建築士に図面を依頼する予定となっております」
「了解」
羽美は車のブレーキを踏みゆっくりとスピードを落としていく。二人の生まれ育ったK街は田舎で周りは緑が多く、今回の土地も周りにポツポツと一軒家が建っているくらいで静かな場所だ。
羽美は道路の端に車を停め、羽美と海斗は車から降りる。羽美はキョロキョロと周りを確認し顔見知りが居なかったことに安堵した。もし知り合いにでも会ってしまったら説明するのが大変だ。ましてや海斗のことを覚えている人だったら尚更ややこしいことになるだろう。毎回この街に来る時は神経を研ぎ澄まさなければいけない。さっさと確認して帰るのが一番いい。羽美は海斗を急かさせる。
「社長、早く確認して会社に戻りましょう。この後も違う案件がつまってますから」
実際のところこの後の予定は大きな案件はなく書類確認くらいなのだが、少しでも不安リスクを減らしたい羽美は急ぎましょうアピールをした。
「ん、そうだな。じゃあ資料通り周りの確認に行こう」
歩き出した海斗の一歩後ろを歩きながら羽美は最新の注意を払い、当たりを見回した。正直言って土地の確認は羽美にとってはここは地元で何度も通ったことのある道なのできちんと見なくても把握はしている。羽美は周りを見ることよりも人が現れないか、そちらばかり気にしていた。
「今の所この資料通りだな。問題はなさそうだ」
「そうですねっ!」
海斗は手に持っているタブレットと周りを交互に見ながら歩き進める。
「大倉」
海斗が急に止まったので周りばかりを気にしていた羽美は勢いよく海斗の背中に激突した。
「うわぁっ、きゅ、急に止まらないでくださいよ!」
羽美はぶつかった鼻を押さえながら海斗を見た。
「さっきから鬼みたいな形相でキョロキョロしてるけど何か問題点でもありそうなのか?」
海斗は眉を下げて心配そうに羽美の顔を覗き込んだ。羽美は慌てて持っていたタブレットを胸の前で握りしめる。
(ううっ、か、顔が近いっ。かっこよすぎるっ)
なかなか話し出さない羽美に海斗はますます距離を詰めた。
「もももも問題点は特に見当たらないと私も思いますっ!」
「そっ、ならいいけど」
海斗は納得したのかまた歩き出した。その一歩後ろを羽美はついていく。海斗の背中を見て、しみじみと本当に大きくなったなぁと考え深い。昔は羽美よりも海斗の方が背が低く、華奢だった。それなのに大人になった今の海斗の後ろ姿は背中も大きくて抱きしめるとすごくガッシリとしていて意外と筋肉質だ。いつかこの背中が小さく震えだしたら、しっかりと包み込んで守ってあげたい。もしかしたら思い出した時、自分を拒否される可能性だってある。嘘つきと罵倒されるかもしれない。それでも、隣で自分が海斗を守りたい。羽美は海斗の背中を力強くじぃっと見つめた。
「なぁ、なんか凄い見られてるような気がするんだけど」
海斗が後ろを振り返り羽美を見た。
「そ、そうですか? ん、雨?」
頬にポツンと冷たさを感じた。天気予報では雨の予報ではなかったのだが急に降り出した。空は青く晴れているので天気雨だろう。ポツポツと小ぶりですぐに止みそうだ。
「天気雨か、珍しいな。この程度ならすぐに止むだろ」
海斗は手のひらを出し、ポツンと小さくのった雨粒を見る。
「そうですね、後少しですし早く見てしまいましょう」
羽美は濡れて壊れては大変なのでタブレットを鞄にしまい、海斗のもっていたタブレット もすっと海斗の手から抜き取り鞄にしまった。
「あぁ、悪いな。持ってもらっちゃって」
「いえ、壊れたら大変ですから。でも、なんだか止みそうにないというより、強くなってきてませんか?」
雨粒は最初よりも大きさが増してしるような気がする。頬に当たる粒が少し強さを感じた。
「そうだな、濡れて大倉が風邪でも引いたら大変だし一旦車に戻るか」
「いえ、私は身体が強んで大丈夫です。私より社長が風邪を引いたら大変ですのでそうしましょう。車はあちらです」
くるっと羽美が身体を反転させた瞬間、ザザーっと水圧を最大にしたシャワーのような雨が勢いよく降ってきたのだ。
「社長、急ぎましょう! こっちです!」
海斗が濡れたら大変だと羽美は海斗の手を取り車に向かって走り出した。
雨に打たれながら走り、小さい時のことをふと思い出した。小学校一年生のときの帰り道、今日みたいに天気雨が急に振りずぶ濡れで家まで帰ったら案の定海斗は次の日熱を出して休んだのだ。
「社長後少しです!」
「大倉っ、ちょっと待って……」
海斗の腕を引いていた羽美の腕がなにか引っかかったように重くなり、海斗の弱々しい声に驚いて振り返ると海斗は顔を歪めて頭を抑えていた。
「社長!? 頭痛ですか!?」
羽美が足を止めると海斗はその場に膝から壊れるように崩れ落ちた。両手で後頭部を押さえ、苦しそうな声が噛み締めている唇の隙間から漏れている。羽美は急いで鞄の中から痛み止めとミネラルウォーターを取り出した。
「大丈夫ですからね! 今薬を出しましたから。飲みましょう」
羽美は痛みを堪えている海斗の背中を擦りながら薬を差し出すが、海斗はぎゅっと目を瞑っているからかなかなか薬に手を出さない。
「……女の子……走っててっ……っう――」
「社長、大丈夫ですか!? 社長!」
苦しそうに海斗はなにか呟いたが雨の音で聞こえづらい。羽美は背中を擦り続けながら顔を近づけた。
「っあぁ――!」
雨音の中に海斗のうめき声が飲み込まれていく。さっきまで大きいと思っていた背中が小刻みに震えだした。
(海斗っ……どうしよう……)
羽美は手に握りしめていた痛み止めを自分の口の中に放り込み水も口の中に含んだ。痛みに戦い震えている海斗の顔を両手で無理やり上げて唇を押し当てる。驚いた海斗が目を開け、羽美は舌で唇をこじ開け薬を海斗の口の中に流し込んだ。ゴクンと海斗の喉仏が動き飲み込んだことを確認した羽美は唇を離した瞬間海斗を全身で抱きしめた。
「っはぁ……大丈夫、大丈夫。私がちゃんと居ますから。大丈夫ですよ、時期に薬も効いてきます。ちゃんと息を吸って、そう、大丈夫ですよ」
羽美は呪文のように大丈夫を繰り返した。今まで見てきた中で一番苦しそうだ。なにか呟いていたし、もしかしたらなにか思い出したのかもしれない。正直自分も怖かった。海斗が痛みに堪えながら何を思い出したのか怖くて聞けない。自分にも大丈夫と言い聞かせるように羽美は震える海斗の背中を落ち着くまで抱きしめ続けた。
K街の新規事業や、その他複数の案件が同時進行していることもあり、社長の海斗はいつも多忙だ。
多忙すぎて、海斗のお見合い予定まであっという間に残り一ヶ月となってしまった。けれど、最近は海斗との関係がうまくいっているような気がして、ついつい顔が緩んでしまう自分がいる。
忙しく、取引先の都合にも合わせて土日出勤も多かった海斗に合わせて丸一日デートなどは出来なかったものの、何度か仕事終わりに一緒に食事に行き二人でたくさんのデザートを半分個にして食べてきた。「美味しいな」「美味しいですね」を繰り返すこの些細な日常がたとえ今付き合っていないとしても、とても幸せに羽美は感じていた。
けれど、それと背中合わせに、自分と一緒にいることでまた頭痛を引き起こすかもしれないと少し怖気突きそうになったことも何度もあった。
以前の高級料亭で羽美が目の前にした海斗の頭痛。食事中、もし、またここで海斗が頭痛に襲われてしまったらどうしよう。そう不安になって海斗のことをチラッと見ると、何も気にせずに目の前にあるデザートを目を細めて美味しそう頬張る海斗が視界に映った。その嬉しそうな笑顔の姿を見るとホッと身体が軽くなる。海斗の笑顔一つで羽美の不安な気持ちは一気にふわっと軽くなり、たんぽぽの綿毛のように不安はどこかへ飛んでいってしまうのだ。
この笑顔をずっと私が守りたい。子供の頃も同じことを思った。大人になった今も海斗のこの笑顔を隣でずっと守っていきたい。そう何度も何度も強く再確認させられた。
「運転しずらくないか?」
海斗の不安げな声が左耳から聞こえてくる。
「大丈夫ですよ。社長はほら、K街の資料の再確認をしちゃってください。以前勤めていた会社では常に私が運転してましたので運転には自信ありますのでご安心を」
「ならいいけど。疲れたら代わるからな」
「ありがとうございます」
羽美は海斗の心遣いが嬉しくて笑みをこぼした。
いつもの無口な運転手が風邪を引いて今日は休みのためアクアマリンの香りが漂う海斗の車で移動することになったのだ。いい香りでつい大きく鼻から息を吸ってしまうほど羽美はこの匂いが気に入っている。爽やかな海のような香り。
「社長、もう少しで着きます」
今日の目的地は羽美と海斗の生まれ育ったK街だ。前回訪れた後、土地のリサーチが済み、もう一度確認のために羽美と海斗は足を運んでいる。
「ん。資料によるとやっぱり近年のあの辺りでは一軒家の貸し物件が人気が高いみたいだな。独身よりファミリー層がこの街は多いんだろう」
助手席に座っている海斗はタブレットを開きK街資料を開いた。
「そうですね。やはり子どもがいる家庭に人気みたいですね。リサーチの結果からも家を建てたいけれどお金を貯金中でまだ建てられない、でもアパートだと二階に住んでしまうとドスドス煩いと近所迷惑になってしまう、と色々あげられていました」
羽美は真っ直ぐ前を向きながら事前確認してあった資料の内容を思い出す。
「ん、じゃあやっぱり土地も広いし一軒家の貸し物件を何軒か建てる方向で検討を進めていこう。今日は近隣の環境調査にもう一度確認をすればいいんだよな?」
海斗はバックミラー越しに羽美を見た。羽美は視線に気づきコクンと頷く。
「はい。土地の最終確認をしましたら地盤調査もろもろと、建築士に図面を依頼する予定となっております」
「了解」
羽美は車のブレーキを踏みゆっくりとスピードを落としていく。二人の生まれ育ったK街は田舎で周りは緑が多く、今回の土地も周りにポツポツと一軒家が建っているくらいで静かな場所だ。
羽美は道路の端に車を停め、羽美と海斗は車から降りる。羽美はキョロキョロと周りを確認し顔見知りが居なかったことに安堵した。もし知り合いにでも会ってしまったら説明するのが大変だ。ましてや海斗のことを覚えている人だったら尚更ややこしいことになるだろう。毎回この街に来る時は神経を研ぎ澄まさなければいけない。さっさと確認して帰るのが一番いい。羽美は海斗を急かさせる。
「社長、早く確認して会社に戻りましょう。この後も違う案件がつまってますから」
実際のところこの後の予定は大きな案件はなく書類確認くらいなのだが、少しでも不安リスクを減らしたい羽美は急ぎましょうアピールをした。
「ん、そうだな。じゃあ資料通り周りの確認に行こう」
歩き出した海斗の一歩後ろを歩きながら羽美は最新の注意を払い、当たりを見回した。正直言って土地の確認は羽美にとってはここは地元で何度も通ったことのある道なのできちんと見なくても把握はしている。羽美は周りを見ることよりも人が現れないか、そちらばかり気にしていた。
「今の所この資料通りだな。問題はなさそうだ」
「そうですねっ!」
海斗は手に持っているタブレットと周りを交互に見ながら歩き進める。
「大倉」
海斗が急に止まったので周りばかりを気にしていた羽美は勢いよく海斗の背中に激突した。
「うわぁっ、きゅ、急に止まらないでくださいよ!」
羽美はぶつかった鼻を押さえながら海斗を見た。
「さっきから鬼みたいな形相でキョロキョロしてるけど何か問題点でもありそうなのか?」
海斗は眉を下げて心配そうに羽美の顔を覗き込んだ。羽美は慌てて持っていたタブレットを胸の前で握りしめる。
(ううっ、か、顔が近いっ。かっこよすぎるっ)
なかなか話し出さない羽美に海斗はますます距離を詰めた。
「もももも問題点は特に見当たらないと私も思いますっ!」
「そっ、ならいいけど」
海斗は納得したのかまた歩き出した。その一歩後ろを羽美はついていく。海斗の背中を見て、しみじみと本当に大きくなったなぁと考え深い。昔は羽美よりも海斗の方が背が低く、華奢だった。それなのに大人になった今の海斗の後ろ姿は背中も大きくて抱きしめるとすごくガッシリとしていて意外と筋肉質だ。いつかこの背中が小さく震えだしたら、しっかりと包み込んで守ってあげたい。もしかしたら思い出した時、自分を拒否される可能性だってある。嘘つきと罵倒されるかもしれない。それでも、隣で自分が海斗を守りたい。羽美は海斗の背中を力強くじぃっと見つめた。
「なぁ、なんか凄い見られてるような気がするんだけど」
海斗が後ろを振り返り羽美を見た。
「そ、そうですか? ん、雨?」
頬にポツンと冷たさを感じた。天気予報では雨の予報ではなかったのだが急に降り出した。空は青く晴れているので天気雨だろう。ポツポツと小ぶりですぐに止みそうだ。
「天気雨か、珍しいな。この程度ならすぐに止むだろ」
海斗は手のひらを出し、ポツンと小さくのった雨粒を見る。
「そうですね、後少しですし早く見てしまいましょう」
羽美は濡れて壊れては大変なのでタブレットを鞄にしまい、海斗のもっていたタブレット もすっと海斗の手から抜き取り鞄にしまった。
「あぁ、悪いな。持ってもらっちゃって」
「いえ、壊れたら大変ですから。でも、なんだか止みそうにないというより、強くなってきてませんか?」
雨粒は最初よりも大きさが増してしるような気がする。頬に当たる粒が少し強さを感じた。
「そうだな、濡れて大倉が風邪でも引いたら大変だし一旦車に戻るか」
「いえ、私は身体が強んで大丈夫です。私より社長が風邪を引いたら大変ですのでそうしましょう。車はあちらです」
くるっと羽美が身体を反転させた瞬間、ザザーっと水圧を最大にしたシャワーのような雨が勢いよく降ってきたのだ。
「社長、急ぎましょう! こっちです!」
海斗が濡れたら大変だと羽美は海斗の手を取り車に向かって走り出した。
雨に打たれながら走り、小さい時のことをふと思い出した。小学校一年生のときの帰り道、今日みたいに天気雨が急に振りずぶ濡れで家まで帰ったら案の定海斗は次の日熱を出して休んだのだ。
「社長後少しです!」
「大倉っ、ちょっと待って……」
海斗の腕を引いていた羽美の腕がなにか引っかかったように重くなり、海斗の弱々しい声に驚いて振り返ると海斗は顔を歪めて頭を抑えていた。
「社長!? 頭痛ですか!?」
羽美が足を止めると海斗はその場に膝から壊れるように崩れ落ちた。両手で後頭部を押さえ、苦しそうな声が噛み締めている唇の隙間から漏れている。羽美は急いで鞄の中から痛み止めとミネラルウォーターを取り出した。
「大丈夫ですからね! 今薬を出しましたから。飲みましょう」
羽美は痛みを堪えている海斗の背中を擦りながら薬を差し出すが、海斗はぎゅっと目を瞑っているからかなかなか薬に手を出さない。
「……女の子……走っててっ……っう――」
「社長、大丈夫ですか!? 社長!」
苦しそうに海斗はなにか呟いたが雨の音で聞こえづらい。羽美は背中を擦り続けながら顔を近づけた。
「っあぁ――!」
雨音の中に海斗のうめき声が飲み込まれていく。さっきまで大きいと思っていた背中が小刻みに震えだした。
(海斗っ……どうしよう……)
羽美は手に握りしめていた痛み止めを自分の口の中に放り込み水も口の中に含んだ。痛みに戦い震えている海斗の顔を両手で無理やり上げて唇を押し当てる。驚いた海斗が目を開け、羽美は舌で唇をこじ開け薬を海斗の口の中に流し込んだ。ゴクンと海斗の喉仏が動き飲み込んだことを確認した羽美は唇を離した瞬間海斗を全身で抱きしめた。
「っはぁ……大丈夫、大丈夫。私がちゃんと居ますから。大丈夫ですよ、時期に薬も効いてきます。ちゃんと息を吸って、そう、大丈夫ですよ」
羽美は呪文のように大丈夫を繰り返した。今まで見てきた中で一番苦しそうだ。なにか呟いていたし、もしかしたらなにか思い出したのかもしれない。正直自分も怖かった。海斗が痛みに堪えながら何を思い出したのか怖くて聞けない。自分にも大丈夫と言い聞かせるように羽美は震える海斗の背中を落ち着くまで抱きしめ続けた。
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