ショートケーキは半分こで。〜記憶を失った御曹司は強気な秘書を愛す〜

森本イチカ

3-6

「記憶がなくなるほどの大事故だったんですか?」


 震えそうになる声をなんとか制御し、本郷に問う。


「うーん、どうなんだろ。あんまり父は当時の事故のこと詳しく教えてくれないんだ。まぁ思い出そうとすると身体が拒否反応起こすのか頭痛がしてね、多分そのことを知ってるから言わないんだと思う。もういい歳した大人なんだから気を遣わなくてもいいんだけどね。思い出したら思い出したで別になんとも思わないだろうし。だから大倉さんもそんな深刻そうな顔をしないで、楽しく食べようよ。ね?」


 本郷はナイフとフォークを持ち無邪気に笑う。


――あぁ、そっくりだ。


 自分より他人の心配ばかりして。幼い頃の海斗にそっくりな無邪気すぎる笑顔がぐっと胸に突き刺さった。


「そ、そうですね! でもその前に御手洗にちょっと失礼します。先にどんどん食べててください」


 席を立ち上がった羽美に本郷は「まっすぐ進んで右側にあるよ」と教えてくれた。コクリと頷いて羽美は足早に進む。早く、早くしないと溢れ出てくる涙が今にもこぼれ落ちて誰かに見られてしまう。カツカツカツとヒールの音がどんどん早く、強くなる。


「うぅっ……かいとぉ……」


 勢いよく個室に逃げ込み口元を両手で塞いだ。溢れ出す涙は壊れた蛇口のようにどんどん流れ出てくる。足の力が抜けずるずるとドアを背にしてしゃがみ込んだ。


 ずっとずっと会いたかった。一番最初に本郷が海斗だと思った時、あれはやっぱり似ているだけじゃなく、海斗本人だったからこんなにも彼に強く惹かれたのだろうか。でも本郷は全く自分のことを覚えていない。彼にとって過去は思い出したくないものなのかも知れない。


 思い出しそうになると頭痛がすると言っていた。確かに海斗はあの頃母親に虐待を受けていた。そのことを思い出したくなくて身体が記憶を拒否しているのかもしれない。きっと身体が必死で自己防衛をしているのだ。


「私のことも、覚えて、ない、なんてっ……」


 過去の記憶として羽美のことも一切覚えていない。すごく悲しいと思ってしまった。自分はこの十七年間どうしても、どうやっても海斗のことが忘れられなかったのに。彼は一切自分の事を覚えてはいない。自分の事も思い出したくない過去として記憶が戻らないのだろうか。もしそうだとしたら、その事実をすんなりと受け入れられる自信は全くない。


「っは……うっ……」


 羽美は必死で両手で口を押さえ、泣き声を押し殺した。


 父が、と本郷が言っていたが海斗の母親はシングルマザーだったはずだ。離婚した父親が現れて海斗を引き取ってくれたのだろうか? 聞きたいこと知りたいことが山程ある。けれどそれを聞くということはきっと本郷を過去の記憶で苦しめてしまうのかもしれない。そう思うと胸が苦しくてきっと自分は何も聞けないだろう。


「ふっ……か、いとなんだよね……生きててよかった……」


 一度は羽美の探している中嶋海斗ではなく本郷海斗という別人だと思ったがこれだけのピースが当てはまっているのだ。もう彼は羽美の探し求めていた海斗としか思えない。ただ最後のワンピースだけがしっかりと当てはまらない。


 本郷が中嶋海斗という決定的な証拠がないのだ。本人に聞いても記憶がないのだから自分は本郷海斗だと言うだろう。それに無理に思い出してほしくない。痛い思いを、辛い思いをして欲しくない。けれど決定的な海斗だという証拠が欲しいと思う矛盾が羽美を悩ませた。


(……そういえば、海斗の背中、三角形になったホクロがあったんだ)


 昔、家からこっそり持ち出した湿布を痣でいっぱいの海斗の背中に泣くのを我慢しながら張ったことがあった。その時、肩甲骨の下の方に三角形にならぶホクロがあったのだ。海斗自身も自分の背中だからなかなか見ることはなくその日に海斗もホクロがあることを知った。


(ホクロ……ホクロを確認したい……)


 羽美は決心した。今日、本郷の背中のホクロを確認する、と。そして最後のピースを埋めてやると意気込んだ。


 いつまでも泣いていられない。ぐっとヒールのかかとに力をいれて羽美は立ちあがる。


 個室を出て化粧室の鏡で自分の顔を見ると悲惨な状態だった。泣きました、とわかりやすいほど目は真っ赤に充血し、マスカラは目の周りに落ちていて、黒い点々を顔中に散らしている。


「こ、これは酷すぎる」


 ハンカチを濡らし少しでも目の腫れを抑えようとしたが、あまり変わらなかった。余りにも待たせすぎているので諦めて綺麗にマスカラだけ拭き取り化粧を軽く直して本郷のもとへ戻ると「え……どうしたの!?」と驚かれてしまった。無理はない。目が赤く不自然に充血しているのだから。それでも羽美は必死の言い訳をした。


「お化粧直しをしようとしてマスカラを塗ろうと思ったら勢い余って目の中に突き刺しちゃったんです。すごい痛かったですよ〜」


 苦し紛れの言い訳に本郷は「おっちょこちょいですね」なんて笑ってくれた。


「ははっ、そうなんです。私おっちょこちょいなんですよ。でも仕事は別ですから! 一生懸命やらさせて頂きます!」


 羽美は無理にテンションを上げる。表面上はなんとかつくれているだろうが頭の中は海斗のホクロを確認することでいっぱいで、パンクしそうな勢いだ。


「うん、良い意気込みです。今日は大倉さんの秘書就任のお祝いですから、じゃんじゃん食べてじゃんじゃん飲みましょうね」
「ありがとうございますっ! たくさん食べちゃいますよっ!」
「いいね。大倉さんがたくさん食べてくれれば私もたくさんケーキが食べられるし、一石二鳥ですね」


 さらりとずる賢い発言をした本郷は目を細めて笑った。それにつられて羽美も笑う。少しだけ曇っていた空が晴れたようだ。


 二人共楽しみにしていたデザートが運ばれてきた。本郷も待ち切れないとわかりやすく顔に出ていて、その表情が可愛くてつい写真におさめたくなるほど。母性本能をくすぐらるとはこういった気持ちなのだろうか。


 最初にオーダーしてあったのでシェアされた状態で運ばれてきたデザートはシャインマスカットのタルトと季節のフルーツを使ったジェラートジュレ。今の時期は林檎らしい。ジェラートの中にも目に見えるくらい大きな果肉が入ってるのが分かる。


「どっちもおいしそうですね。大倉さんはどっちから食べます?」
「ん〜、溶けちゃうといけないのでジェラートからにします」
「じゃあ、私もそうします」


 スプーンを持って本郷は羽美を見た。


「私に合わせないで本郷さんの食べたい方から食べてくださいっ」
「ん、私もこっちからがいいんです。一緒に食べて美味しいねって言いたくないですか?」
「それは……言いたいですね」


 少し返事に戸惑った。言いたいに決まっている。美味しいねって二人で同じものを分けて食べる喜びを羽美はよく知っているから。


「でしょう。じゃあ、頂きます」


 本郷はニコニコ羽美を見つめていてなかなか食べようとしない。


「た、食べないんですか?」


 視線に耐えきれず羽美はぱっと横に顔を逸らした。


「ん? 大倉さんに毒見してもらってから食べようかなって」
「ど、毒見って!」
「ははっ、お店の人に失礼ですよね」


 羽美は思わず顔を上げて視線を戻してしまった。ケラケラと笑っている本郷と目が合う。
 どうしよう、言いたい。貴方はきっと私がずっと探している海斗本人だと思います、と。


(あぁ、だめだめ。そんな事言えるわけない。言ったら本郷さんを苦しめてしまうかもしれないし、まだ確証もないんだから)


 頭を抱えて頭痛に耐える彼の姿なんて見たくない。小さい頃あれだけ痛みに堪えていたんだ。もう痛みを彼に与えたくない。


「もう! 先に食べますよっ。……ん〜〜〜さっぱりしてて凄い美味しいです」


 ジェラートと一緒に林檎のジュレも一緒に食べるとまた違った食感が楽しめた。美味しい美味しいと食べる羽美を見て本郷もやっとスプーンを口に運んだ。


「んっ、美味しいですね!」
「ですよね。私はもうタルトも食べちゃいますよ?」
「もちろんどうぞ先に食べちゃってください。大倉さんの反応を見てから私も食べますから」
「また、人を毒見みたいに言って〜」


 羽美は笑いながらタルトにフォークを刺す。さっくりと一口サイズに切り口の中に入れるとシャインマスカットのフレッシュさとカスタードの相性が抜群だ。美味しくてフォークが止まらない。ちらりと本郷の方に視線を向けるとニコニコ口角を上げてタルトを楽しんでいた。  


「どっちもデザートも絶品でしたね。やっぱり大倉さんと一緒だからなんですかね」


 二人共ぺろりとデザートを食べ終え、本郷はスタッフにクレジットカードを渡しながら満足そうに微笑んだ。 


 期待してしまうような甘い言葉に羽美の心臓は高鳴るばかり。


 貴方と食べるとコンビニの安いショートケーキでも世界で一番美味しく感じるのよ。そう言いたくて堪らない気持ちになる。


「また、一緒にシェアしましょう。いくらでも毒見しますよ」


 なんてふざけたことを言いながら店を出た。風が少し肌寒いと感じる冷たさがありがたいと思えた。火照り、沸騰しそうな頭を少し冷やしてくれたから。

コメント

コメントを書く

「恋愛」の人気作品

書籍化作品