ショートケーキは半分こで。〜記憶を失った御曹司は強気な秘書を愛す〜

森本イチカ

3-2

 羽美は今、目の前に映し出されている状況に困惑し、頭が真っ白になっていた。


 アパート近くの最寄り駅から五駅進んだN駅の近くにある大きなビル。ビルの横には大きな看板に本郷不動産と黒い太字で立派に記されている。この辺じゃ最も大きいと言われている不動産会社が運良く社長側近の秘書を募集していたのだ。その中途採用の面接に羽美は来たのだが、今、羽美の目の前には昨日一緒にショートケーキを半分個した男性がキリッとした鋭い表情で羽美のことを睨みつけるように見ていた。


 本郷海斗、代表取締役社長とプレートに記されている。


(ほほほほ本郷さんってここの社長さんだったの!?)


 これはもう神様が昨日の彼と引き合わてくれた運命なのかと舞い上がりそうになったが、それはほんの一瞬で現実に引き戻された。本郷の視線が突き刺すように冷たく、昨日とは別人のような顔つきに少し恐怖さえ感じてしまう。


 面接からの緊張からなのか、目の前に本郷がいきなり現れた驚きからなのか、本郷の視線が氷のように冷たいと感じるその恐怖からなのかわからない。訳のわからない感情に脳も身体も痺れて羽美は手足を震わせていた。


 羽美は食べられる寸前の子羊のようにプルプルと身体を震わせパイプ椅子に座っている。対して本郷海斗、代表取締役と書かれたプレートが置いてあるテーブルに足を組んで座っている本郷は動揺している様子が微塵もない。本郷の隣に座っているショートパーマの女性。安藤と記されている社員証を首からかけた女性がニコニコ笑っているからか余計に本郷の心無い冷たい表情が引き立っている。


 今、自分の目の前にいる人はいったい誰なんだろうか――


「へ……?」


 やってしまった、と羽美は本郷不動産を出て頭を抱えた。会社の前じゃなかったら道路に崩れ落ちていたかもしれない。そのくらい今絶望的にやってしまった感で身体が覆い尽くされていた。


 羽美はいつの間にか会社の外にいる。面接の内容をまったく覚えていない。何を質問されたのか、自分がなんて答えたのか少しも思い出せないのだ。


「コレは、終わったわ……」


 面接、絶対落ちた。ズーンと腰が重くなり、高いところに無理やり立たされたように足下がひゅうと感覚が薄れていく。


(絶望的だわ……運命というより、昨日たまたま出会った女が次の日面接に来たとかストーカーかよって思われちゃうかも! どうしよう、最悪すぎる……)


 追い打ちをかけるように最悪なパターンの未来しか考えられず、羽美はううっと呻きをあげて結局その場に崩れ落ちた。


「あぁ、これからどうしよう。絶賛ニートの継続……ケーキ……は高いから我慢して。なにか、なにか糖分摂取しよう……」


 ずっと道端に崩れ落ちているはけにはいかない。ぐっと重い石のような腰を上げて棒のように硬い足を無理やり動かした。


 いつも通りなにか糖分を接種して元気をだそう。羽美は駅に向かいながらなにか甘いものを探すことにした。ケーキ屋はスルーして、カフェはなんだか入るのも面倒くさい、とりあえずこの緊張で乾ききってしまった喉を潤したく一番近くのコンビニでミルクたっぷりのカフェオレを一本購入した。コンビニを出てすぐにストローをプスリと差し込みじゅうっと吸い込む。


「……普通」


 不味くもなければ美味しくもない。ただただ乾いた喉を潤してくれただけで、甘いものを飲んでもまったく元気が出なかった。それほどにさっきの状況の反動が大きいと言うことだ。


「今自分から連絡したらストーカー扱いされて嫌いにらなれちゃうかなぁ。君、昨日のケーキ屋で会ったのも仕組んだことだったの? とか言われちゃったりして!?」


 盛大な独り言にコンビニに入っていく人に変な人を見る目でみられた。でもそんなのは気にならない。羽美が気になるのは彼、本郷海斗のことだけだ。いや、面接のことも気になるけど、面接は多分落ちた。なんて質疑応答したのか全く覚えていないなんて、こんな失態初めてだ。また就活しなおさなければならない。


(仕事は時間はかかるかもしれないけれど探せばきっと見つかる。た、多分……でも彼との接点はなかなか見つけられないだろうなぁ)


 なんだかもう会うことが出来ないような気がした。そう考えるとぐっと胸の上らへんが苦しくなり、ツンっと鼻の奥が熱く痛んだ。


 今だって海斗の事が好き。そのはずなのに、何故か本郷に会えなくなると思うと胸が痛む。


「とりあえず、帰って今後の事を考えないと」


 また職安かぁ、と思いつつも仕事も恋も諦めたくない。羽美は残っていたカフェオレを一気に吸い上げ、ゴミ箱に捨てた。


「くよくよしたってしょうがないよね!」


 電車時刻を調べるべく面接時から電源を切っていたスマートフォンを再起動させると着信が入っていた。一瞬彼かなと思ったがしっかりと本郷海斗と登録してあるので違う。


「誰だろ……?」


 登録もしていない携帯番号からの着信。普段ならかけ直すことはないが、もし会社関係だったらと思い、羽美はリダイアルボタンを押す。
 耳に響くコール音は三回目で途切れた。


「もしもし?」


 あ――


「あっ、もしもし。お電話に出れずに申し訳ございませんでした。先程お電話頂いた大倉です」
「あぁ、大倉さん?」


 聞き覚えのある声で心臓が派手に高鳴っている。


「本郷不動産の本郷ですけれど、先程の面接の合否の連絡の電話をさせていただきました。今、お時間大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫です!!!」


 電話の相手が本郷だと思っていなかった羽美は思いがけない電話の相手にぴんっと背筋を伸ばした。


「大倉さんを正式採用させていただきますので、木曜日から出勤できますか? 今はお仕事をなさっていないと伺っていましたので。その時に事務的手続きなどをしたいと思います」
「あ、ありがとうございます! も、木曜日からで大丈夫です! よろしくお願い致します! ありがとうございます!」


 羽美は電話越しに頭を直角に勢いよく何度も下げた。


「ははっ、元気があっていいですね。では木曜日からよろしくお願いしますね」
「はいっ! よろしくお願い致します!」


 電話を切り、しばらく放心状態だった。心臓だけがバクバクと動き、身体は脱力している。


(受かった……?)


 頬を抓ると痛い。


「あ〜っ、嬉しい! これで本郷さんとの接点も無くならないし、ニートも脱出できたし! でも、なんだか完璧に業務連絡みたいな感じで寂しかったな……って仕事なんだから当たり前だよね!」


 羽美は胸の前でスマートフォンを握りしめてその場でタンタンと踊り出しそうな勢いで足踏みをした。


 その時、抱えているスマートフォンがまた大きな黒電話の音を鳴らした。

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