ショートケーキは半分こで。〜記憶を失った御曹司は強気な秘書を愛す〜

森本イチカ

プロローグ1-1

 夕方の五時でも夏の五時とはまるで世界が違うように感じる。冬は日が落ちるのが早い。すでにあたりは闇に飲み込まれる寸前のように黒くなり始めていた。


 寒くてかじかむ小さな手を差し伸ばしながら鼻を真っ赤にした大倉羽美おおくらうみ中嶋海斗なかじまかいとの震える小さな手を握りしめる。そしてすぅっと大きく息を吸い、全身全霊で海斗に言葉をぶつけた。


「海斗、一緒に駆け落ちしよう!」


 夜になりかけた空にキーンと響くほどの大きな声。小学五年生の口から駆け落ちだなんて言葉が出てきてしまうほど、羽美は海斗とこの苦しい場所から逃げ出したいと思っていたのだ。羽美は縮こまる海斗の手をギュッと握り直して自分に引き寄せ、もう一度大きく息を吸った。


「よし! 海斗、行くよ!」


 なんの屈折もない、ひたすら真っすぐな眼差しで、覚悟を決めたように言い切った羽美は海斗の手を引いて一気に走り出した。


 行き先も、なにも決めていない行きあたりばったりの小学生の駆け落ちに、周りの大人が聞いたらきっと「子供のお遊びね」と、あざ笑うだろう。けれど自分たちは本気だった。今の現状をどうにか変えたくてこの選択肢を羽美は選んだのだ。


 ただただ真っ直ぐに走っては羽美と海斗はお互いの顔を見合わせて思いっきり笑い合う。息を切らして途中途中休憩しながらも決して繋いだ手はしっかりと離さずに、はぁはぁと息を切らし肩を大きく揺らした。


 なにもない田舎道。お金もない、頼れる人も誰も居ない。羽美と海斗はひたすら走ってなるべく遠くに逃げようと足を必死で動かした。


「はぁはぁ……もっと遠くに行きたけどちょっと疲れたから、休憩しよっか」


 真冬だというのに全力で走り続けていたからか、羽美の額には夜の少ない街灯に照らされて汗がうすら輝いていた。


「うん。ごめんね、羽美」


 息を切らしながら海斗は申し訳無さそうに小さな口を開いて羽美に頭を下げる。海斗の頬をツーっと光る雫が流れ落ち羽美はドキリとした。


 まさか海斗、泣いてるの?


 顔をあげた海斗の瞳には涙の後はなく、額から流れ落ちた汗だと分かり羽美はほっとした。


「海斗、疲れたから少しあるこっか」
「うん。ごめん」


 海の防波堤沿いにゆっくりと歩きながら二人は息を整え、羽美はしょんぼりと俯く海斗の頭をコツンと軽く叩いた。羽美よりも十センチほど小さい背丈の海斗は驚いたようで顔を上げ、羽美はしっかりと海斗の目を見つめ口を開く。


「バカ! なにに対してのごめんなの? 私が海斗と一緒にいたくて駆け落ちしようって言い出したんだから海斗が謝ることなんて一つも無いんだよ? それに、こんなふうに海斗を虐める大人は……親だとしても私は嫌い。ごめんね、海斗のお母さんのこと悪く言って」


 言葉に出した途端、感情が溢れ出すように身体の中がキュウーっと締め付けられるように熱くなる。ここで、ここで泣いたら海斗はもっと自分を責めてしまう。羽美はギュッと奥歯を噛み締めた。


 ――海斗は私が守ってみせる。


 羽美は海斗の寒さで冷たくなった頬にある痣を優しく撫でた。赤黒く腫れた頬は痛々しく、長袖の裾からちらりと見える腕にも同じような色が見えたのだ。羽美はきゅっと心を痛めた。自分は見るだけでもこんなに痛いのに、実際に自分の親から暴力を受けている海斗は物凄く痛いはずだ。


「んーん。ありがとう羽美。心配してくれて」
「当たり前だよ。海斗のこと大切だもん。大好きだもん」
「僕も羽美のことが大好きだよ」


 大人からしたら小学五年生の恋愛なんてただのお遊び程度に思われているかもしれないが羽美と海斗は本気でお互いのことが大好きだった。海斗が傷つけられていることに気づいた羽美は居ても経ってもいれずに大人に助けを求めたこともある。海斗の母親にやめてくださいと直にお願いしたが「そんなことするはずないでしょう」と言い逃れされてしまい、自分の母親にも相談したが「他所様の家庭問題だから」と真剣に受け止めてもらえなかった。そうなったらもう自分が海斗を守る、そう思った羽美は居ても立っても居られずに街を飛び出したが、お金もない小学生二人には街から少し離れた海まで走ってくるのが限界だった。自分が守ると誓って街を飛び出したのに、海斗に好きと言われ励まされ、嬉しさとともに自分の力の無さに肩を落とした。羽美の瞳に潮風が刺激し、堪えていた涙が溢れそうになる。羽美は更にギリッと両奥歯を噛み締めて堪えた。

コメント

  • ホワイトチョコレート

    小学生でもこういう考えは持つだろうし、どこか応援したくなる自分もいます!

    1
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