恋と遺伝子~相性98%のおためし同居生活~
芽生えた気持ち(2)
「実のところ、眠れなくなってから、もう十五年以上経つんだ」
「そんなに、ですか……?」
「ああ、原因はわかっている。高校の時、母が亡くなったんだ。眠れなくなったのは、それが原因だ」
「え……」
啓さんの母親は昔から体が弱く、寝込む事が度々あったという。そのせいかどうかは分からないが、精神的にも弱い部分があり、最終的には身も心も弱っていったとか。
「亡くなられたのは病気が原因ですか?」
「いや、体は弱かったが特別病名があるわけではなくてな。最後は単純に鬱だったんだ。完全に心が病んでしまったんだろう」
「それって……」
「自殺だった」
それは、彼がいつものように寝て起きたときの出来事だったという。
目が覚めたら、また嫌なことが起こるんじゃないか。それがトラウマで、今でも眠りにつくのが怖いのだと、自嘲気味に笑った。
「大の大人がかっこ悪いだろ」
「いえ、そんな……でも、どうして……」
「母が病んだのは父のせいなんだ」
啓さんの父親は昔、教育関連の小さな会社を営んでいたという。しかし事業は徐々に拡大し、多忙な日々を送るようになった。
「始めはおそらく母の治療費の為に一生懸命働いてたんだ。幼いころは、そんなに裕福ではなかったから。だが……」
事業が軌道に乗り、大きくなればなるほど、次第に家族を顧みなくなった。そして仲良かった家族関係も徐々に崩壊していったらしい。
「母は父がいないと駄目な人だったから、壊れてしまった。そんな時に、父と部下の不倫疑惑が浮上して……」
それが引き金となって、啓さんの母親は亡くなった。最期は首吊り自殺だったらしい。
実際、啓さんの父親が本当に不倫をしていたのかは明らかになっていない。彼は、「父はそんな人ではないと思う」とだけ憶測を述べた。
「それからだ、眠れなくなったのは。眠ると悪夢を見るようになってな。大人になった今でもたまに見るんだ。朝起きたら、母が亡くなっていた光景が」
彼にとって辛い記憶を、忘れたい記憶を、何度も夢に見るというのはどれほど辛いことだろうか。私には到底想像できないけれど、相当辛かっただろう。
「ちなみにお父様は、その後は……?」
「父は戦意喪失したように引きこもってしまった。父のせいで母は亡くなったのに、おかしな話だろう。いや、自分のせいだと思ったから余計にだったのかもな」
結局会社の経営は他人に任せ、今は一人ひっそりとどこかで暮らしているとのこと。
だから啓さんにとって、父親の話は触れられたくなかったのだと納得がいった。
「それから父と連絡などは一切とってない。俺は大学に進学したから、生活費や学費などだけ毎月送られてきていたけどな」
「そうですか……」
「本当は父が家族を大事に思っていたことも、母の死の後に深く反省していたことも、考えれば分かることだが……まだ俺にはないんだ。真実を知る勇気も、そんな父を許す自信も。会って、普通に話すこともできるかどうか」
そこまで話し、彼は一呼吸おく。そして決意を固めるように、天井を見上げた。
「父のことがあって、俺は大事な人は作らないと決めた。恋人も家族も」
「……だから恋愛はしないって仰ったんですか?」
「ああ。会社が大事である以上、俺も父と同じようになってしまうんじゃないかと、怖くなったんだ。実際に今だって自分を顧みることすらできていないからな」
やっと啓さんの本心が聞けて、ひとつの謎が解き明かされる。
同時に、こんなに重たいものを背負っていたのかと思うと、胸が締め付けられ、無意識に彼の手を握っていた。
「……悪いな。朝からこんな重い話。反応しづらいよな」
「いえ……話してくれてありがとうございます。でも私……」
彼はあくまで気にしないようにしてくれているが、何と声をかけていいか分からず、言葉を詰まらせる。悩んだ末に、私にできることを思い出した。
「眠りたいときはいつでも言ってください。あの、この関係が終わっても、必要があれば協力しますから……」
啓さんは一瞬目を丸くしたが、すぐに穏やかな顔で笑みをこぼす。
「さすがにそこまで君を縛る気はない。……でも、ありがとな」
慈しむかのように、私の頭を優しく撫でる。
無言のまま数秒目が合うと、啓さんとの距離が数センチ縮まった。
「キス、してもいいか?」
「えっ」
「今、すごくしたくなった」
「っ……。今更聞かないでください……」
今まで何度キスを交わしたと思っているのか。それに、断ってもどうせ彼はする。
私の気持ちを察したのか「そうだな」と笑い、啓さんの唇が近づいてきた。
これまで何度か交わした、強引なキスでも、濃厚なキスでもない。一度だけ優しく口づけ、そっと唇を食むと、余韻を残して離れていく。
「もうひと眠りするか」
「……はい」
今のキスに、どんな意味があったのだろうか。そんな野暮なことは聞けないけれど。
啓さんが目を閉じた後で、そっと自分の唇に触れる。
目の前で再び眠りについた彼を見て、私の中でひとつの気持ちが芽生えた。
私では力不足かもしれないけれど、他の誰でもなく、この人の力になりたい――
その気持ちを言葉にしたら彼は「ありがとう。でも大丈夫だ」とでも言って、やんわりと拒否するに違いない。
だから決して口には出さない。私たちの関係は、あと少しで終わるのだから――。
「そんなに、ですか……?」
「ああ、原因はわかっている。高校の時、母が亡くなったんだ。眠れなくなったのは、それが原因だ」
「え……」
啓さんの母親は昔から体が弱く、寝込む事が度々あったという。そのせいかどうかは分からないが、精神的にも弱い部分があり、最終的には身も心も弱っていったとか。
「亡くなられたのは病気が原因ですか?」
「いや、体は弱かったが特別病名があるわけではなくてな。最後は単純に鬱だったんだ。完全に心が病んでしまったんだろう」
「それって……」
「自殺だった」
それは、彼がいつものように寝て起きたときの出来事だったという。
目が覚めたら、また嫌なことが起こるんじゃないか。それがトラウマで、今でも眠りにつくのが怖いのだと、自嘲気味に笑った。
「大の大人がかっこ悪いだろ」
「いえ、そんな……でも、どうして……」
「母が病んだのは父のせいなんだ」
啓さんの父親は昔、教育関連の小さな会社を営んでいたという。しかし事業は徐々に拡大し、多忙な日々を送るようになった。
「始めはおそらく母の治療費の為に一生懸命働いてたんだ。幼いころは、そんなに裕福ではなかったから。だが……」
事業が軌道に乗り、大きくなればなるほど、次第に家族を顧みなくなった。そして仲良かった家族関係も徐々に崩壊していったらしい。
「母は父がいないと駄目な人だったから、壊れてしまった。そんな時に、父と部下の不倫疑惑が浮上して……」
それが引き金となって、啓さんの母親は亡くなった。最期は首吊り自殺だったらしい。
実際、啓さんの父親が本当に不倫をしていたのかは明らかになっていない。彼は、「父はそんな人ではないと思う」とだけ憶測を述べた。
「それからだ、眠れなくなったのは。眠ると悪夢を見るようになってな。大人になった今でもたまに見るんだ。朝起きたら、母が亡くなっていた光景が」
彼にとって辛い記憶を、忘れたい記憶を、何度も夢に見るというのはどれほど辛いことだろうか。私には到底想像できないけれど、相当辛かっただろう。
「ちなみにお父様は、その後は……?」
「父は戦意喪失したように引きこもってしまった。父のせいで母は亡くなったのに、おかしな話だろう。いや、自分のせいだと思ったから余計にだったのかもな」
結局会社の経営は他人に任せ、今は一人ひっそりとどこかで暮らしているとのこと。
だから啓さんにとって、父親の話は触れられたくなかったのだと納得がいった。
「それから父と連絡などは一切とってない。俺は大学に進学したから、生活費や学費などだけ毎月送られてきていたけどな」
「そうですか……」
「本当は父が家族を大事に思っていたことも、母の死の後に深く反省していたことも、考えれば分かることだが……まだ俺にはないんだ。真実を知る勇気も、そんな父を許す自信も。会って、普通に話すこともできるかどうか」
そこまで話し、彼は一呼吸おく。そして決意を固めるように、天井を見上げた。
「父のことがあって、俺は大事な人は作らないと決めた。恋人も家族も」
「……だから恋愛はしないって仰ったんですか?」
「ああ。会社が大事である以上、俺も父と同じようになってしまうんじゃないかと、怖くなったんだ。実際に今だって自分を顧みることすらできていないからな」
やっと啓さんの本心が聞けて、ひとつの謎が解き明かされる。
同時に、こんなに重たいものを背負っていたのかと思うと、胸が締め付けられ、無意識に彼の手を握っていた。
「……悪いな。朝からこんな重い話。反応しづらいよな」
「いえ……話してくれてありがとうございます。でも私……」
彼はあくまで気にしないようにしてくれているが、何と声をかけていいか分からず、言葉を詰まらせる。悩んだ末に、私にできることを思い出した。
「眠りたいときはいつでも言ってください。あの、この関係が終わっても、必要があれば協力しますから……」
啓さんは一瞬目を丸くしたが、すぐに穏やかな顔で笑みをこぼす。
「さすがにそこまで君を縛る気はない。……でも、ありがとな」
慈しむかのように、私の頭を優しく撫でる。
無言のまま数秒目が合うと、啓さんとの距離が数センチ縮まった。
「キス、してもいいか?」
「えっ」
「今、すごくしたくなった」
「っ……。今更聞かないでください……」
今まで何度キスを交わしたと思っているのか。それに、断ってもどうせ彼はする。
私の気持ちを察したのか「そうだな」と笑い、啓さんの唇が近づいてきた。
これまで何度か交わした、強引なキスでも、濃厚なキスでもない。一度だけ優しく口づけ、そっと唇を食むと、余韻を残して離れていく。
「もうひと眠りするか」
「……はい」
今のキスに、どんな意味があったのだろうか。そんな野暮なことは聞けないけれど。
啓さんが目を閉じた後で、そっと自分の唇に触れる。
目の前で再び眠りについた彼を見て、私の中でひとつの気持ちが芽生えた。
私では力不足かもしれないけれど、他の誰でもなく、この人の力になりたい――
その気持ちを言葉にしたら彼は「ありがとう。でも大丈夫だ」とでも言って、やんわりと拒否するに違いない。
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