恋と遺伝子~相性98%のおためし同居生活~

寧子さくら

無表情の裏側(2)

 茜ちゃんとの話は尽きず、気付けば長居してしまったことに気付く。彼女は名残惜しそうに「もう帰るの?」と言ったけれど、病人なので気を使った。
 茜ちゃんに別れを告げた後で病院の受付まで降りると、鞄の中でスマートフォンが震える。メッセージを開くと七滝さんから。まだ病院にいるかと聞かれた為、疑問に思いながらも帰るところだと返事をする。
 送信ボタンを押したところで、前から近づいてくる影に足を止めた。 

「え……」

 目の前には、今にも泣きそうな顔をして小さくなっている支店長。
 社長との話を終えて、また病院へ戻ってきたのだろうか。彼は私を見て、いきなり頭を下げた。

「ひ、姫松さんごめんなさい……! 僕、謝りたくて」
「ここで待ってたんですか?」
「ストーカーじゃないよ? さっき谷地さんの病室を覗いたらまだいたから……そのうち帰るかなと思って、待ってたんだ」

 話の内容はなんとなく想像できたけれど、敢えてこちらからは聞かずに支店長の言葉を待つ。

「あの、その、社長とのこと、騙すようなことをして本当にごめんなさい……今、社長の家にいるんだもんね。さっき諸々聞いたんだ……」
「……何で、本当のこと言ってくれなかったんですか?」

 どう考えても後からバレてしまうことなのに。支店長は少し躊躇ったあとで、俯きながら口を開いた。

「じ、実はね……もし姫松さんを説得してくれたら、支店の予算も増やしてくれるし後々人員二名も補充してくれるっていうから……」
「えっ」
「社長はあくまで姫松さんの意向を一番にって言ってくれたんだけどね。ほら、姫松さんは頑張ってくれてたけど、うち結構売上も厳しくて……」
「私、今回の件断っても問題なかったんですか……?」

 そういえば、あの日社長にもそう言われた気がする。

「もちろんだよぉ。だって、社長と一緒に暮らすなんて、さすがに気使うでしょ? だから社長も無理に、とは言わなかったんだけどね。つい、ごめんね……」

 深く反省するように、支店長が肩を落とす。
 先日、社長は私に「自分が無茶苦茶な内示を出したからだ」と言っていた。支店長が自分に不利な嘘をつく必要もなければ、今言っていることはすべて本当に違いない。
 だとしたら、社長は支店長を庇ってあんなことを言ったのかもしれない。
 でも、どうして……?

「それでね、今更だけど姫松さんが望むなら、試験の件僕からちゃんと話すから……どうかな?」
「それは……」

 確かに、改めて支店長から話してもらったほうが早いだろう。だけど、なぜかそれではいけない気がして、首を振った。

「いえ、私から話します。週末にお返事する約束をしているので」
「いいの……?」
「はい。でも、もう騙すような真似、しないでください……。谷地さんにも、支店の他のみんなにも」
「も、もちろん……! 約束するから! 本当に、本当にごめんなさい……!」
「わ、わかりました……。もう大丈夫ですから」

 この世の終わりかのような声で謝る支店長に、周囲の目が気になって仕方ない。私は何も悪いことをしていないのに、まるで私が泣かせているかのようだ。
 泣き崩れる彼を、なぜか私が宥めてから、病院を後にした。

 病院を出ると、近くに黒塗りの車が止まっている。高級そうな車を横目に通り過ぎようとすると、車の窓が開き、社長が顔を出した。

「乗って行かないか」
「社長……! どうしてここに……」
「これから東京に戻るところだ。一緒に帰った方が都合がいいだろう」
「あ、ありがとうございます」

 どうやら先ほど七滝さんから連絡が来たのは、私の帰宅時間を確認してのことだったらしい。
 せっかく待ってもらっていたのに断る理由などなく、お言葉に甘えて車に乗り込んだ。

 東京へ戻る社内の中、お互いに話すこともなく沈黙が流れる。運転席のほうへ視線を向けると、ミラー越しに七滝さんと目が合い思わず逸らしてしまった。
 気まずさに耐えかね、今日の出来事について尋ねてみることにする。

「あの、なぜ病院にいらっしゃったのでしょうか……」
「昨夜、君のいた支店から谷地さんが倒れた連絡があったからだ。それで彼女の見舞いに」
「しかし、なぜ社長が直々に……」

 支店の一カウンセラーの見舞いに、わざわざ社長が出向くなど聞いたことがない。けれど彼は、なんてことないといった風に答えた。

「支店長に話があったついでだ。それに、今回のことは俺の管理不足が原因で起きた事故だからな」
「労働時間の虚偽の件でしょうか……? あの、一体何が……」
「……まあ後から知るか。そのままの意味だ。君のいた支店は労働時間について虚偽の報告をして、従業員に既定時間を超えた残業をさせていた」

 どうやら支店長が時間を誤魔化して本社に報告していたとのこと。
 言われてみれば、サービス残業は暗黙の了解で、思い当たる節はたくさんあった。今回茜ちゃんが倒れたことでその件が明るみに出てしまい、問題が発覚したらしい。

「君も被害者だろう。先月までは支店にいたのだから」

 本当に被害者なのだろうか。私も薄々気付きながらも了承していたのに。

「……あの、支店長はどうなるのでしょうか?」
「これから決定する。まだ詳しいことを調べられてないからな。ただ、少なくとも異動にはなるだろう。最悪の場合処分もやむを得ない」
「そう、ですか……」

 きっと、良くて異動だけでおさまったとしても、降格などもさせられるのだろう。社長の表情からは読み取れないけれど、これが会社にとっても大きな問題であることは想像ができた。
 良かれと思って、頼まれるまま働いていた私も同罪だ。それでも咎められるのが怖くて、この件についてはきつく口を閉じてしまった。

「もうひとつ、よろしいでしょうか。先ほど支店長から、私の異動の条件を伺ったのですが……」

 あくまで騙したのは支店長の判断であり、社長は私の意思を尊重してくれていた。その話をすべて聞いたと伝えた上で、なぜ「無茶苦茶な内示を出した」と嘘をついたのかと理由を尋ねる。
 すると彼は、少し間をおいた後で小さく息をつく。

「君はあの支店長の下で働いてた期間が長いだろう。しかも慕っていたのではないか」
「はい。とても良くしてもらってました」
「……そんな相手に騙されただなんて、思いたくないだろう」
「え……」
「まさか、彼から本当のことを言うとは思ってはいなかったが。正直なんだな」

 つまり、私を傷つけないために嘘をついたというのか。
 意外な理由に呆気に取られてしまう。冷たく見えるのに、こういうところは社員思いで優しくて……。私にはまだ彼のことがよく分からない。
 けれどひとつだけ確信できたことがある。彼はきっと悪いひとではない。
 東京までの道中。それ以上会話は弾まなかったけれど、不思議と先ほどまでの気まずさは消えていたのだった。

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