恋と遺伝子~相性98%のおためし同居生活~

寧子さくら

新生活は社長宅にて(3)

「それで、その試験というのは……?」

 この状況から、答えはなんとなく想像がついた。けれど社長の口からちゃんと聞く必要があると思い、言葉を待つ。
 彼はコーヒーをひと口飲んだあとで、私を見た。
 先日と同じ、どこか冷たくて透き通った瞳が私を射貫く。

「実際に社内で遺伝子検査を行い、相性が良い男女に二週間一緒に生活してもらうことだ」

 その後で、容姿の好みから普段の趣味趣向、互いの相性をチェックし、結果をできるだけ数値化する。その上で検証する予定だと、彼は説明してくれた。

「相性の高い社員同士をマッチングさせることも考えたが、この企画は社内でもまだ公にしていなくてな。誰にでも簡単に頼めるわけでもない」
「……だから、社長自ら、といことでしょうか?」
「ああ、そうだ。以前健康診断の際に、遺伝子検査を行わせてもらった」
「あ……」

 以前疑問に思った、唾液検査のことを思い出す。あれは健康診断の項目ではなく、会社のものだったのだ。できるだけ怪しまれずに、社員全員の遺伝子検査を行う為に。
 よく考えれば、後の診断結果に唾液検査の項目などなかった。

「それで俺と一番相性が良かった君に声をかけさせてもらったんだ。もちろん、このことは社内でも一部の人間しか知らないから、他言しないように」

 私と社長が……。

「……承知しました。ですが、なぜ支店長は説明してくださらなかったのでしょうか……」

 社長と暮らすだなんて、そんな大切なことを。こんなこと、社長に聞いても分かることではないのに。
 考えを巡らせていると、彼は私を見つめていた視線を逸らした。

「……言い方は悪いが、君の支店長は君を騙したのかもしれないな。この契約書、一枚目だけを見てサインしたんじゃないか?」
「はい……いただいたのは、一枚だけでしたから……」

 支店長は気が弱くて頼りがいこそない人だったけれど、とても良い人だった。
 何かあれば親身に相談に乗ってくれるし、いつだって気遣ってくれた。
 だからこそ、今回のことはショックでならない。

「どうして……」
「いくら会社の為とはいえ、無茶苦茶な内示だったからな。こちらから、どうにかできないかと圧をかけたせいもあるだろう」

 もしそうならば、気の弱い支店長のことだ。クビにされるかも等と恐れて、私を無理に説得させてもおかしくない。
 どちらにしろ既に住んでいた部屋を引き渡し、東京へ出てきてしまったのだから、今更簡単に戻ることはできないだろうけど。

「今回は事情が事情だから、君が知らなかったというのなら仕方ない。早急に新しく住む部屋を手配する」
「もしその場合は元の支店に戻るのでしょうか……?」
「いや、本社勤務への異動は変わらない。確かに今回の異動は試験がきっかけではあるが、君の能力が高いことには変わりない。東京にだって相談所の支店はあるからな」
「恐れります……」

 一瞬、試験のためだけに異動になったのかと不安がよぎったが、私自身の能力を認めてくれたことにほっとする。

「だが、もし君が嫌でなければ協力を頼みたい。会社の為にも適切な協力者が必要なんだ」

 これが仕事である以上は、そう言われると断れない自分がいた。
 けれど、さすがに二つ返事で頷くことはできず俯いてしまう。
 しばしの沈黙が流れた後、一番先に口を開いたのは傍で控えていた七滝さんだった。

「恐れながら社長。姫松さんもすぐの決断は難しいかと思われます。部屋の手配にも少々時間がかかりますから、ひとまず彼女が問題なければ次の休みまで返事を待つのはいかがでしょうか」

 社長とは違う、温かみのある声。
 七滝さんは提案を終えると、こちらを見た。

「姫松さんも今日はお疲れでしょうし、明日から本社での仕事もあります。もしどうしてもここを出たいと仰るのなら、今晩は至急ホテルを手配させていただきますので、新居の用意ができ次第移るという形にはなりますがいかがでしょう?」

 にっこりと微笑まれると、到底嫌とは言えず小さく頷く。

「そういうことでしたら……ひとまず次の休みまで」

 本社での仕事は、基本的には暦通り。少なくとも五日間はここで過ごすことになるけれど、これが今の妥協案かもしれない。

「わかった。それでいい。俺の部屋以外は自由に使ってもらって構わない。あとは七滝に案内してもらってくれ」
「はい……」
「それじゃあ俺は出かけるから、あとは頼む」

 七滝さんに告げ、社長が立ち上がる。

「あ、あの!」

 リビングを出ていこうとするところを、思わず引き止めてしまった。

「どうした?」
「えっと、ちなみに……私と社長の相性って、どれくらいだったんでしょうか?」

 全従業員の中で、私との相性が一番良いというのなら、気になってしまう。他社のサービスやマッチングアプリなどでも、そこまで極端に高い数値は出ないらしいけれど。
 社長は一瞬間を空け、私に背を向けた。

「……九十八パーセントだ」

 九十八……!?

 聞き間違えだろうか。彼は数値だけを言い残し、リビングのドアが閉まる。
 がらんとしたリビングに残された私は、あまりの驚異的な数値に、しばらく言葉を失ったままだった。

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