恋と遺伝子~相性98%のおためし同居生活~

寧子さくら

出会いは突然に(3)

「ならば話は早い。本社事業本部の企画チームに来ないか」
「本社って、私がでしょうか?」

 というか、「話が早い」とは一体どういう意味なのか。全く脈絡を感じられない。

「ああ。これまでの経験を活かして、Fatumを中心に婚活事業のサービス企画に携わってほしい。カウンセラーの仕事はできなくなってしまうが、今より給料も上げられるし、君にとってもいいキャリアアップになるんじゃないか」
「企画……」

 思ってもみなかった異動の話に、まだ頭がついていかない。けれどこれが嬉しい誘いであることはわかった。私の能力を認めてくれた上で提案をしてくれているのだと。
 ただ本社は東京。今いる関東郊外の支店からは通うのは難しいだろう。
 私の心配を読み取ったのか、社長はさらに言葉を続ける。

「もちろん引っ越しの費用など諸々は会社が負担する。異動のタイミングも支店の事情に合わせてで構わないが、なるべく早く来てほしい」
「あ……」
「何か質問はあるか?」

 急なことにもはや質問だらけだ。けれど今社長にすべてを投げかけることはできない。
 事務的な話は支店長に聞くとして、浮かんだ疑問は……。

「異動の話と先ほどの恋人の話は何か関係があるんでしょうか……?」
「……悪いが、詳しい話は君の上司から聞いてほしい。私はすぐ本社に戻らなきゃいけないんだ」
「っ、承知しました」
「話は以上だ」

 私の質問には一切答えず淡々と告げると、すべての話を終えたのか社長が立ち上がる。そして支店長に「見送りはいい」と、ドアの方へと向かった。
 一社員の異動の話に、わざわざ社長が支店まで顔を出すのだろうか。それに、先ほどから緊張している支店長の様子も気になる。
 けれどそれ以上聞くことができない雰囲気に耐えていると、ドアに手をかけた社長がもう一度振り返った。

「今回の話、最悪断ってもらっても構わない」
「えっ」
「……だが、会社としては受けてもらえると助かる。だから、よく考えて欲しい」

 社長は最後にそう言い残し、足早に来客室を後にする。
 彼が去っていったあと、緊張の糸が切れたのか、一気に肩の力が抜けるのを感じた。

「き、緊張した……」

 ドアが閉まってからしばらく。支店長が一度ドアを開けて社長が消えたことを確認する。そのあとで、今にも泣きそうな顔で私に近寄ってきた。

「姫松さんお疲れ様……! ちょ、ちょっと怖かったよね……? 僕も社長にお目にかかることなんて、滅多にないからさ……」

 何度も思っているが、緊張するのは私の方だ。どうして支店長の方ががそこまで緊張しているのかと突っ込みたかったけれど、今は別のことが気になって仕方がない。

「あの、さっきの何だったんですか? 恋人とかいろいろ……」
「え!? あ、うん……。ちなみに姫松さん、本社異動についてはどうかな?」
「どうって……そもそも異動に拒否権とかあるんですか……? さっき社長もよく考えてって仰ってましたけど……」

「あ、うんそうだよね! ただ意見だけ聞いておきたいな~と思って。社長もそういう意味で言ったんだと思うよ!?」

 正直、思ってもない異動に、まだ上手く言葉が出てこないのが本音だ。
 ただ、非常にありがたい話ということだけはわかっていた。

「カウンセラーの仕事は好きですし、引っ越しとかは正直面倒ですけど……期待にこたえたいなって気持ちはあります」
「そっか。うんうん、よかったよ! 行くべきだよ! 姫松さんいなくなったら、うちの支店としても痛手ではあるけどね」

 嬉しいのか悲しいのか、それともどちらもなのか。支店長はせわしなく、何度もうんうんと頷いた。
 私はそんなことよりも気になることが多すぎて、先ほど聞けなかった疑問を一つずつひも解いていく。

「あの、何でわざわざ社長がいらっしゃったんですか?」
「ええと、社長がぜひ姫松さんに会っておきたいと仰ってね」
「私なんかにわざわざ……? それに、さっきも言いましたけど恋人とかの件って……」
「え!? ああ、ほら引っ越すことになったら遠距離恋愛になったりするから気を使ってくれたんじゃないかな」
「はあ……そんなことあります?」

 いや、普通に考えてありえない。
 自問自答しながらも、やはり支店長には違和感しかない。

「支店長、私に何か隠してません……?」

 思い切って尋ねてみるけれど、彼は「なにもないよ!」と言い切ってみせる。そのあとで、一枚の用紙を取り出した。

「これ、今回の異動にあたって雇用契約書にサインをしてほしいんだ」
「え?」
「ほ、ほら社長も仰ってたけど給料だって変わるし。引っ越しとか伴うでしょ? 会社としても費用とか出すし、諸々手続きも必要で、ね……」

 本社と支店は職種が違うため、また雇用契約が違うのだろうか。私も正社員の身ではあるのに。
 半信半疑で目を通すけれど、確かに契約書の内容は入社当初に見たような、労働に関する記載がされてある。実際はもっと簡易的な気がするけれど。

 そして――

「え!? こ、このお給料間違ってません……?」

 賃金欄に記載されている金額に目を丸くする。月給は数万円上がった程度だが、何やら特別賞与とやらがつけられている。それが、軽く年二回あるボーナスの倍近く。
 本社というのはこんなに貰えるのか。それとも東京だからだろうか。
 さすがに記載ミスだと思われたが、支店長はあっさりと否定した。

「合ってるよ! そのように聞いてるから。ほら、大抜擢だから特別賞与ってことじゃないかな!?」
「それにしても……」
「それにさ! こんないい条件は滅多にないと思うから、ぜひ僕からも勧めたいんだ。姫松さんが本社異動になったら、上司としても鼻が高いし、ね?」
「そう、ですか」

 時計を見ると、もうすぐ次の会員との約束が迫っている。
 ひとまず後で返事をするとだけ伝え、足早にデスクへと戻った。

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