僕が彼女に執着心を持った時

白河 てまり

日常

 それから僕達は、映子さんが卒業するまでの時間を惜しむように、美術室で2人密かに過ごした。
 彼女は人目があるところでは僕を、原元先生、と器用に言い換えていたし、僕は柏木さん、と呼んだ。
 僕らに疑いの目が向けられることはない。

 それでも、もどかしい。
 彼女を抱きしめたい、キスがしたい、彼女に面と向かっては赤面してしまい言えないような事だってしたい。

 僕らが唯一触れる事を許されるのは、部活動で遅くなった彼女を家へ送るまでの車内で、人目を憚り手を繋ぐ時くらいだった。
 暗幕で覆い隠された美術準備室なら、少しくらい大丈夫では、とも思ったが、危険な橋は渡らないに越したことはない。

 それから僕らは、初めてのケンカも経験した。

 映子さんがクラスの男子生徒と下校している姿を見かけた僕が嫉妬心に駆られ、翌日、いつも通り暗幕で隠された美術準備室に2人分のお弁当を持って現れた彼女に、詰め寄る。

 準備室の黒い革張りのソファに座る彼女の隣に僕も腰掛け、昨日の夜気になって寝付けず、一晩考えたセリフを口にする。
「昨日、一緒に帰ってたの、誰?」
 もっと優しくさりげなく聞こうと思っていたのに、口調にはトゲがはらんでいた。

「え、宮下くんのこと? 一緒に帰った訳じゃないですよ。たまたま下駄箱で会って、校門で別れました」
 彼女は事も無げに言った。
 そんな彼女の態度に、自分の大人気なさがより浮き彫りになって、僕はいじけてしまいぶっきらぼうに言う。
「なら、宮下くんと付き合えば。
 僕なんて、一緒に学校どころか街を歩くこともできないし。
 年の近い子と付き合ったら、自由に恋愛できて楽しいんじゃないの」
 本心ではない。ただ、悔しかったのだ。
 強がって口にした直後、僕は早くも後悔をし始めていた。
 彼女は困りも焦りもせず、大きな目を更に真ん丸にして、僕の顔を不思議そうに覗きこむ。
「なんで、そんな意地悪言うんですか?
 いつものおおらかで優しい薫さんじゃないですね?」
「怒った僕は好きじゃないってこと?
 なら僕より優しくて怒らない、大人の余裕がある人と付き合えばいいじゃないか」
 唇は後悔した気持ちとは裏腹な言葉を紡いでしまう。
 ここまで言って初めて、彼女の顔に困惑の色が出る。
「どうしたんですか? 薫さんらしくないですよ?」
 彼女はそう言い終えると、悲しそうな顔をした。
 彼女にそんな顔をさせてしまった事に、胸が痛む。
 僕は彼女の顔を見ず、下を向いて伝える。
「ごめん。悲しませたり、困らせたかった訳じゃない。
 ただ、昨日、宮下くんとの姿を見て、嫉妬した。悔しかった。僕も映子さんと同い年だったら、堂々と一緒に歩けるのにって。
 いつか、映子さん、僕のことなんて一瞬の気の迷いだったって気付いて、同年代の男の子に取られちゃうんじゃないかって、いつか僕から離れちゃうんじゃないかって、不安で夜も眠れなくて……」
 不安を口にすると現実味が増し、胸が潰されそうになった。潰れる前に、僕の涙腺が決壊した。
 考えないようにしていたが、ずっと心の隅に、クモの巣のように巣くっていた事だった。
 そんな僕を、彼女は両手で優しく抱き締めて言う。
「薫さん、泣かないで。私は絶対に薫さんから離れない。約束する。大好きだから。大切に想ってるから。気の迷いなんかじゃない」
 彼女が僕の頭を優しく撫でてくれる。
 僕は彼女の首もとを飾る赤いリボンに、顔を押し当てた。
 彼女の掌意外のぬくもりを感じられたのは、あの夏の花火の日以来だった。

 初めてのケンカをしてから2週間後のクリスマスイヴ、終業式を終えて美術室にやってきた彼女に、僕は指輪を送った。
 ガチめの値段のものだ。清水に相談したら、女子高生に送るものではないと、流石の清水もそれにはドン引きしていた。
 それでも彼女は受けとることに躊躇はしたが、とても喜んでくれた。
 その日彼女が焼いてきてくれたチョコレートケーキを2人で食べてる時に、映子さんから手袋を貰った。
 その手袋は大切に使わせてもらっている。

 僕らの日常を尻目に、時は刻々と過ぎていった。


 そんな2人のささやかな逢瀬の日々も、明日で終わりだ。
 映子さんは明日、卒業式を迎える。

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