僕が彼女に執着心を持った時

白河 てまり

夏休み

 家に帰り、ベッドに勢いよくうつ伏せで突っ伏すと、どっと疲れが押し寄せてきた。
 映子さんと出会ってからの出来事が走馬灯のように浮かぶ。
「好きになっちゃったのに……」
 苦しい胸の内から、思わず呟く。

 彼女はとても可愛い。でもその可愛さの中には、未成年的な部分も含まれているのだろうか。
 今から思い返せば、とてもしっかりしていた。
 今日の生徒総会で、「原元先生も遅れるなよ~」と軽口を叩く生徒や、飴玉をガリガリ噛んで、「ごめ~ん」とお茶らける生徒達とは違う、映子さんは立ち振る舞いも、言動も、どこか大人びた雰囲気を持っていた。
 そりゃ、惚れるさ……。先生ったって、所詮はしがない一人の男性だもんな、と自分を慰める。

 正直なところ、保健室で、このままこっそり隠れて連絡を取り続けたり、デートを重ねて行っても良かったんじゃないか、彼女は今年で卒業するのだ、と、そんな黒い心もあった。
 けれど、やはり未成年はだめだよな、と思い直す。
 責任問題にもなるし、もし何かあった時にやり玉に挙げられる彼女を想うと、心が苦しかった。
 しかし頭では理解していても人間の心は複雑で、このまま何事もなかったようにいつもの日常に戻ればいい、という想いと、彼女を好きだ、諦めたくない、彼女にも僕を諦めてほしくない、という相容れない想いを同時に抱えてしまう。

 夏休みが近づいても、僕達は互いに連絡を取ることはなかったし、校舎ですれ違う事もなかった。
 彼女と知り合う前の日常に戻った。今までこれが当たり前だったのに、急に色褪せた日々に感じる。
 時折、カタカナのコの字型の校舎のコの底辺の1階の美術室から3年生の教室がある対面の校舎の3階を眺めたが、そもそも彼女が何組かも知らなかった事に気付いた。
 彼女から連絡がない事にほっとしている自分と、酷くさみしく思う自分がいた。

 彼女は今頃何をしているのだろう。
 僕の事なんて、あっさり忘れてしまったのだろうか。
 彼女は今、どんな気持ちで過ごしているのだろう。


 学校はすぐに夏休みに入った。生徒達とはしばしのお別れだ。
 僕は数日前に、教師お決まりの、「あんまりハメを外し過ぎるなよ」という言葉で、1学期を締めくくった。

 美術部の兼部と言う名の幽霊部員5人の生徒達に、夏休みの部活動計画表を渡してあったけれど、もうすぐ僕の展覧会が近いので、僕が根を詰めて油絵の作品作成に取り掛かると知っている幽霊部員たちは、僕が作品に集中できるように気を遣ってか、あまり部活動に参加しない方向らしい。
 運動部なんかは夏の大会で引退が多いが、僕の高校の文系部は、3年生で推薦入学確定の余裕がある者は、卒業ギリギリまで部活動を満喫する。
 美術部にはサッカー部と兼任してくれた3年生の男子生徒が一人いて、僕は、兼部してくれたことにとても感謝している。
 彼らがいなかったら、美術部は存続できなかっただろう。

 8月に突入し、蝉の鳴き声と日差しが最高潮に達した頃、僕は職員室に備品発注表を貰いに向かった。
 職員室は夏休みもあってかガランとしていて、人もまばらだ。
 備品発注表が入っている、職員室の奥のグレーの棚の前に来た時、声を掛けられた。
「原元先生! 丁度良いところに!」
 確か……秋山先生だったか。3年生の担任で40代女性の先生で、顧問は女子バレー部だっただろうか。ショートカットが涼し気だ。
 しかしあまり接点はない。
「秋山先生、どうされましたか?」
 僕は内心ひやりとしていた。もしかしたら顔が引きつっていたかもしれない。あまり接点のない先生に話しかけられると、何か仕出かしてしまったか、と考えてしまうのだ。
「うちのクラスの生徒が、美術部に入部したいって言ってるんです。次の部活動から、参加させることは可能ですか? その時、入部届を持っていくそうです」
 意外にも、僕は特にやらかしていなかったようだ。それどころか、良い知らせだった。
「ありがとうございます。部員数少ないので、助かります。次の部活は明日の13時からですよ。お待ちしてます!」
 僕は朗らかに答えた。
「ありがとうございます。伝えておきます」
 秋山先生は笑顔で颯爽とその場を後にした。

 発注表を取り出し、意気揚々と職員室を後にする。
 まあ、3年生ということは、推薦入試で余裕がある高校生活最後に部活動を楽しんでおこう、といった心づもりだろう。歓迎しよう。
 幽霊部員たちが気を利かして僕を一人にしてくれるのには大変感謝していたが、たまに寂しく思う時もあった。楽しめればいい。
 電気が付いていなくても日差しで明るい廊下に蝉の声がこだまして、祝福してくれているように感じた。

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