オフラインで打ち合わせ 〜真面目な神絵師との適切な距離感〜

穂祥 舞

10 二軒目②

 小山内はいやらしいというよりは、うっとりした表情になる。おっぱい好きだな、この人。一応女である自分の前で開けっ広げになっている辺り、酔っているのだろうと思う。乾杯して水割りに口をつけてから、ずっと気になっていたことを問うてみる。
「ヒロさん、おっぱいの話が出たから訊きたいんですけど……」
「はいはい」
「……エッチな構図の絵を描く時って、ご自分もその……ムラムラ来たりしますか?」
 玲の質問に、小山内はほとんど無いです、と即答した。あまりに迷いなく言うので、肩透かしを受けた気分である。
「そんな余裕が無いんですよ、男女の手足のベストな位置をシミュレーションとかするのに必死で……そんな気分になって書いてるんですか?」
「あ、私も今はほとんどありません」
 当初はさすがに書きながら照れたり、かつての自分の経験が脳裏にちらついたりしたものだったが、今は小山内と同様に、上手く伝えることしか考えていない。よく考えると、それも色気の無い話である。
「あ、でも、主人公たちの気持ちが近づく過程を描くのは楽しいですよ、気持ちが近づいて、触れ合いたいと思うところとか」
「そうですよね、女性向けは特に、ベッドに入るまでが大事ですからね、キュンキュンさせる? ですか?」
 小山内がわずかにキュンキュンという言葉のトーンを上げたのが面白くて、玲は笑った。
「これからも読者をキュンキュンさせましょうね」
「はい」
 ふと玲は、横並びで座っているにもかかわらず、小山内が自分のほうに身体ごと向いていることに気づく。子どものころに隣の家にいた、人懐っこい柴犬を思い出す。その犬は玲が学校から帰る時間を覚えていたのか、足音で気づいたのか、今となっては分からないが、隣家の前を通るとき、雨の日以外はおすわりをして自分を待っていた。
 小山内の、そんな柴犬を彷彿とさせる微笑ましい様子は悪くないのだが、ずっと見つめられているようで少し落ち着かないので、声をかけてみる。
「……テーブル席のほうが良かったですか?」
「え? あっ、右耳の聴力が良くないんですよ、それで右側に座られると話が聞こえないことがあって」
 玲は驚いて立ち上がる。どうして先に言わないのだ。グラスを持って指示する。
「ヒロさんこっち来てください」
「あ、え……はい」
 小山内は案外素直に立ち上がり、自分のグラスを持って玲の座っていた椅子に移動した。そして小さく、ありがとう、と言った。玲も腰を落ち着けたが、小山内が口許を緩めて奇妙なことを口走る。
「あ、玲さんの温もり……」
「……何言ってるんですか、ヒロさん酔ってるでしょ」
 玲はついつっけんどんな言い方をしてしまった。こういうからかいには慣れていない。小山内が目を丸くしたので、詫びの言葉が玲の口から出そうになったが、彼は全く意に介していないように続きの言葉を吐く。
「そういう塩っぽい感じも良いですね、玲さん大好き」
「ええっと、そういう冗談は……」
 玲はたしなめる意味で言った。恋人がいるのなら、その人に申し訳ないと思った。しかし小山内は、玲の気持ちとリンクしないところで次の言葉を発した。
「俺が耳が悪いと言って直ぐに場所を代わってくれた人は久し振りです」
 玲は別の意味で眉をひそめた。当たり前のことをしただけなのに、この人の周囲にいるのはそんな気遣いも無い人ばかりなのか。玲の胸の内を読んだかのように、小山内は続ける。
「左は何ともないんです、だから補聴器も使いません……それでまず気づかれないんですよ、言ったとしてもそうなの? ってことも多いし」
「でも実際聞こえにくいんですよね?」
「はい、ここみたいな場所でちゃんと相手の話を聞きたいときはさっきみたいな姿勢になってしまいます」
 小山内は笑顔で話すが、何とも言えない気分になった。天井の高いこのバーは、人の話し声が大きく反響して、結構賑わいがある。こういう場所では、人の声が聞き取りにくいのかもしれない。障害を持っているとは言えなくても、本人は不便を感じているのだから、気を遣って然るべきではないかと思うのだが。

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