おとぎの店の白雪姫【新装版】

ゆちば

第24話 おばあちゃんの家出

 ある土曜日、嵐は突然にやって来た。


 カランカランカラーンッとドアベルが大きな音を立てたかと思うと、ましろのよく知った人物が突撃してきたのだ。


「はぁ~、やっと着いた! 都会の道はややこしくて困るわね!」


 ふぅふぅ言いながら巨大な旅行かばんを引きずっているのは、ましろのおばあちゃんでりんごおじさんのお母さん──、白雪海子しらゆきうみこだ。ツバの広い帽子にサングラス、上品な花柄のワンピースを着ていて、いつもの動きやすい服装とはだいぶん違うけれど、確かにおばあちゃんだ。


「おばあちゃん⁈」
「母さん⁈」


 ましろとりんごおじさんの声が重なって、お店の中に響いた。


「家出して来たわよ!」


 どーんっと、入り口で仁王立ちをして叫ぶおばあちゃんに、ましろはしばらく反応できなかった。そして数秒後。


「いっ、家出ぇぇぇぇっ⁈」


 思わず目が飛び出そうになった。




 ***
 ランチの時間が終わってから、おばあちゃんは「どっこいしょ」とお店の席に腰かけた。


「あ~、疲れた。電車の乗り継ぎはしんどいし、凛悟の店はなかなか見つからないし。店の立地、悪いんじゃないの?」


 ましろがアイスコーヒーを出すと、おばあちゃんはおいしそうにごくごくと飲んでいる。田舎からの長旅にぐったりした様子だ。


「母さん、お店の立地は気にかけてくれなくていいですから、家出について話してください」
「まったく。凛悟はせっかちね。そんなんだから結婚できないのよ」
「僕は割と落ち着いた方ですけどね。そんな嫌味を聞きたいんじゃなくて、父さんと何があったかを教えてほしいんです」


 りんごおじさんは困った顔で、おばあちゃんの正面に座っている。ましろはその隣に座って、アリス君は、家族水入らずを邪魔しない様にとバックヤードに引っ込んだ。


「おじいちゃんとおばあちゃん、こないだ遊びに行った時は、仲良しだったのに」


 ましろは、なかなか口を開かないおばあちゃんより先にしゃべった。
 先月、ましろとりんごおじさんが田舎に行った時は、ささいな言い争いこそあっても、二人は仲良くアイスクリームを作って食べていたのだ。


「だから、ちょっと信じられないんだけど」
「ましろ。おじいちゃんは、やってはいけないことをしたの。それはもう、許せないことをね」
「何⁈ もしかして、浮気⁈ 犯罪⁈」


 ましろが緊張するなか、おばあちゃんはグッと言葉をためて言った。


「結婚記念日を忘れたのよ!」


 おばあちゃんは、ダンッとテーブルを叩いて怒っていたけれど、正直「なぁんだ」と思ってしまった。


 おじいちゃんが、罪を犯していなくてよかった……。


「父さんが犯罪を犯していなくてよかったです」
「凛悟! あんたねぇ! 私にとっての結婚記念日がどれだけ大切か分かってないからそんなことを!」


 ひえーっ! 怖い!


 おばあちゃんが怒り、りんごおじさんは身を縮めた。一方、同じことを思っていたましろは、言わなくてよかったと、こっそりと胸をなで下ろしていた。それくらい、おばあちゃんは珍しく激しく怒っている。


「貧乏で、結婚式ができなかった私にとっては、結婚記念日ってのは、ものすごく重要なんだよ! 毎年、ささやかでもいいから祝って来たのに、それなのにあの人ときたら!」
「そうでした。母さんは、結婚記念日をとても大切にしてたんでした」


 多分、昔からそうだったのだろう。息子のりんごおじさんは、思い出したという顔をしてうなずいている。


「父さん、忘れていたんですね」
「そうなの! 私が今夜は久々の外食かしら? って思ってたら、『晩飯は簡単なものでいい。トンカツとか』って言うのよ! トンカツは、簡単かもしれないけど、楽じゃないのよ! そこも許せない」
「たしかに、衣を付けたり、油の処理をするのは手間ですよね。分かりますよ、母さん」


 おばあちゃんを必死になだめるりんごおじさんを見ていると、ましろはつい、笑ってしまいそうになった。


 けれど、それはさて置いてだ。


「それで、おじいちゃんとケンカして、おばあちゃんは家出したの?」
「そうなの。一度、私がいなくて困ればいいのよ。というわけで、凛悟、ましろ。しばらく厄介になるわね」


 当然のように世話になる気満々のおばあちゃんに、ましろのりんごおじさんは「えっ⁈」と戸惑った。


 おじいちゃんは、バーベキューやおもちつきなんかの特殊スキルはあるけれど、掃除や洗濯のような家事は苦手だった。長年、おばあちゃんに任せきりだったのだ。となれば、きっとおじいちゃんの負うダメージはとても大きい。


「おじいちゃん、大丈夫かな」
「知ったこっちゃないわよ。さぁ! 店は休みの時間でしょ? ましろ~、遊びに行きましょう! 何でも好きなもの買ってあげるから」


 おばあちゃんは、とても明るく笑いながら立ち上がった。


 わーい! と、手放しでは喜べない状況だけれど、ここは、おばあちゃんと出かけるのが良さそうだ。チラリとりんごおじさんを見ると、りんごおじさんもうなずいていた。


「せっかく来たんだもんね。遊びに行こ! おばあちゃん!」






 ***
 それから、世界遺産の神社に行ったり、ショッピングモールで服を買ったりと、ましろとおばあちゃんはいろんな場所に足を運んだ。ましろはもうくたくただけれど、おばあちゃんは「まだまだ行くよ!」と元気いっぱいだ。


「やっぱり、町にはハイカラな所がたくさんあって楽しいわね~!」
「ハイカラって、どういう意味?」
「目新しくって流行ってる、みたいな意味よ。とにかく、田んぼと畑ばっかりの田舎とは違うわ」


 おばあちゃんの右手には、買ったばかりの服や帽子の入った紙袋、左手にはカフェでテイクアウトしたコーヒー味のフラペチーノ。そして背中のリュックは、田舎のお友達へのお土産でぱんぱんだ。控えめに言っても、かなりはしゃいでいる。


「お土産買ったってことは、明日には帰るの?」
「何言ってるのよ! おじいちゃんが謝るまで帰らないわよ。お土産は日持ちをする物を選んだけど、いざとなれば宅急便で送るつもりよ」
「そ、そうなんだ」


 うわぁ! おばあちゃん本気だ。


 おばあちゃんが一度決めたことを曲げない性格であることは、お母さんから聞いたことがあった。どんな時でも朝の五時に起きて散歩に行くし、ダイエットのおやつ断ちも成功。ピクニックは雨天決行だったと。


 これは、本当におじいちゃんが謝らないと、帰らないぞ。


「おじいちゃんは、謝ってくれなかったの?」


 ましろがケンカになった時のことをたずねると、おばあちゃんはちょっと寂しそうな顔をした。


「謝るどころか、『いまさら結婚した日を祝って意味があるのか』って。本当に結婚した日は、お祝いすらできなかったのに」
「おじいちゃんめ! 記念日は大事なのにね」
「そう! そうなんだよ……」


 おばあちゃんの視線の先には、ウエディングドレスを着たマネキンが飾られているショーウィンドウがあった。多分、貸し衣装屋さんだろう。


「ウエディングドレス、きれいだね」


 ましろは、美しい純白のドレスにうっとりと見惚れた。
 もし自分が着るなら、どんなものがいいだろう。お姫様みたいにかわいくふくらんだドレスか、スラリと大人っぽいドレス? つるつるしたきれいな生地か、ふわふわのレース? リボンやお花が付いているのもステキだ。


「ましろは、大きくなったら着てみたいかい?」
「うん! 結婚式ではウエディングドレスを着て、前撮りでは白無垢を着るよ!」
「ずいぶんと具体的で驚きだよ。まさか、もう彼氏がいるのかい⁈ あのアルバイトの子かい⁈」


 おばあちゃんが慌ててしまったので、ましろは「違うよ!」と一生懸命に首を横に振った。


「学校のお友達と、そういう話をしただけだよ。それに、アリス君は彼氏じゃないよ」


 そんなことを言ったら、アリス君は大爆笑するだろう。


「学校では、どっちかっていうとウエディングドレスが人気だったよ。おばあちゃんは、どっちが着たい?」
「こんなおばあさんにドレスか着物だなんて、聞いても意味ないわよ」


 ましろの何の気なしの質問に、おばあちゃんは目を細めて答えた。


「若い時なら、こんなきれいなウエディングドレスを着てみたかったけどねぇ……」
「じゃあ、ドレス?」
「私は、ましろがウエディングドレスを着る日を楽しみに待っているわ。素敵な花嫁さんになるのよ」


 そして、おばあちゃんはましろの手を取って再び歩き始めた。


「さぁさぁ! 次は、スーパーに行きましょう! 晩ごはんは、おばあちゃんが作ってあげるわよ!」
「やったー! カラアゲが食べたい!」


 ましろはそう言ってから、少しだけウエディングドレスのショーウィンドウを振り返った。


 おばあちゃん、ほんとはウエディングドレスを着たかったんじゃないかなぁ。




 ***
 夕方、《りんごの木》のディナーは臨時でお休みにしたようで、りんごおじさんは早々とマンションに帰って来た。


「せっかく、母さんが田舎から出て来てくれましたから。三人でゆっくり食事をしましょう」
「なんだかすまないわねぇ、凛悟。じゃあ、私が腕によりをかけて作るから、待っといで」


 おばあちゃんは、やる気満々でキッチンに入って行った。けれど、りんごおじさんのめずらしい調理器具や調味料に興味津々で、なかなか料理がはかどらない。


「凛悟、これは何?」
「あっ。母さん、それは触らないでほしいです……!」


 そんなやり取りを何度も何度も繰り返しているうちに、いつの間にかおばあちゃんとりんごおじさんの二人で料理をしていた。なんだか楽しそうで、思わずましろもキッチンをのぞいてしまう。


「わたしも、何かお手伝いするよ!」
「おや、ましろ。気が利くわね。何をやってもらおうかしら」
「ましろさん、最近料理の練習を始めたんで、けっこう色々できますよね」


 りんごおじさんにそう言われて、ましろは「えへへ」と照れ笑いした。以前開かれた《かがみ屋》での料理教室をきっかけに、ちょこちょこ自宅料理教室が開催されているのだ。くるくるの卵焼きや、出汁から取るおみそ汁、きんぴらごぼうなんかは、もうマスターしている。


「料理、ちょっと楽しいなって。いつか、《りんごの木》のシェフの座を奪っちゃったりして」


 ましろがクスクスと笑うと、りんごおじさんは「困りましたね」と肩をすくめた。一方のおばあちゃんは、ましろをほめまくりだ。


「まぁ、えらい! がんばってるのねぇ! その粋よ!」
「まだまだこれからだけどね~」
「いいえ。きっと、ましろは料理上手になるわ。これは私の遺伝ね。だって、美姫も凛悟も……。あっ」


 言いかけて、おばあちゃんは口をつぐんだ。どうしよう、という顔をしている。理由は、ましろのお母さんの名前を出してしまったからだろう。


「大丈夫だよ、おばあちゃん」


 ましろはにっこりとほほ笑むと、作りかけのポテトサラダのボウルを持って、キッチンを出た。そして、カウンターの向こう側に立つ。


「お母さんに会えないのはさみしいけど、今はもう悲しくないよ。だって、わたしにはお母さんとのステキな思い出がいっぱいあるし、りんごおじさんとの生活だって、すっごく楽しいから」
「ましろ……」


 おばあちゃんは目をうるうるさせていた。おばあちゃんだって、ましろと同じくらい娘のお母さんのことが大好きだった。だから、つらい春を過ごしたと思う。


「おじいちゃんも似たようなことを言ってたわ。思い出があるから大丈夫だって。残された家族で、美姫の分まで幸せに生きようって」
「父さん、いい事を言うじゃないですか。後で、電話してみませんか?」
「それとこれとは別よ!」


 おばあちゃんは、りんごおじさんの提案をきっぱりと拒否した。さっきのうるんだ瞳がウソのように吊り上がっている。りんごおじさんのとっさの策は、見事に失敗だ。


「あの人から謝ってこない限り、許さないんだから!」
「さすが、母さん。なかなか手強いですね」


 りんごおじさんは、「はぁ」とため息をついた。









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