【コミカライズ】堕ちた聖騎士さまに贈るスペシャリテ〜恋した人はご先祖さまの婚約者でした〜

ゆちば

コミカライズ記念SS:誘惑のパン・オ・ショコラ

 ベーカリーカフェルブランの二階。
 ランスロットの居室のベッドの中で、ノエルは硬直状態で天井を見上げていた。
 真隣りにはベッドの主のランスロットが横になっている。気を緩めると、彼に後ろから抱き着きたくなる衝動に駆られてしまうため、ノエルは歯を食いしばって「ぐぬぬ」と耐えていた。


 だ、だめよ! せっかくランスロットさんが好意で寝かせてくれようとしてるのに!


 ランスロットの美しい金髪に触れたいだとか、逞しい背中に顔をうずめたいだとか、そんな邪心が眠気などすっかり消し飛ばしてしまっている。
 ノエルが何故このような拷問状態に陥っているかというと、今日一日、ロンダルク領は激しい雨に見舞われ、ノエルの部屋が雨漏りしてしまったからである。ベッド周りが狙ったかのように水浸しになり、とても寝床として使える状態ではなくなってしまったために、ランスロットが「俺の部屋で寝たらいい」と提案してくれたわけなのだが。


 まさか、一緒のベッドで寝ることになるなんて。正直、複雑な気持ちなんだけど……!


 過保護なランスロットは、ノエルが床で毛布にくるまって寝ることなど許さなかった。だが、ノエルとてランスロットが床で寝ることは良しとしない。
 しかし、ベッドは一つだけ。
 あわや、どうぞどうぞの言い争いにまで発展しかけたところで、ランスロットはこう言ったのだ。


「そういえば、この領地に来た初日は、宿屋の寝台で二人で寝たではないか」


 確かに、その通りだった。
 ロンダルク領に来たばかりで家なしのノエルとランスロットは、節約のために宿を一部屋しか借りず、一つのベッドで夜を明かしたのだ。
 思えば、よくもあんな状況で眠れたものだ。今はとてもではないが、緊張して何もかもがままならないだろう。


 そして、「でも、でも……」などというノエルの戸惑いの言葉は、ランスロットの「十分な広さはある。それに、ノエルは小さいからな!」という爽やかな笑顔にかき消されてしまい、二人で一つのベッドに横たわっている現在に至る。


 私、また子ども扱いされてる! そりゃあ、アンジュに比べたら子どもかもしれないけど。


 ランスロットはノエルを保護対象の子どもとして見ているに違いない。ドキドキさせられ、たびたびときめいているのはこちらだけで、当人はいつも無自覚なのだ。正直、ずるいくてひどい。
 ランスロットの背中をムッとした表情で睨みつけるが、もちろん彼にノエルのヤキモキした想いなど伝わらないだろう。新品の下着がひたすらにむなしい。


 ならば、せめて寝顔くらい拝ませてもらってもいいのではないだろうか。
 いつか彼を振り向かせ、「あの時ノエルを意識していなかった俺の阿呆……!」と言わしめることは必ずするとして、だ。
 せっかく隣で寝ているのだから、少しくらいいい思いをしたくなるのが16歳の女の子というものだ。


 ノエルは、ちょっとだけ……と、そぅっと身体を起こし、静かな寝息を立てているランスロットの顔を覗き込もうとした――が。


「くすぐったいぞ」


 ランスロットが蒼い瞳でノエルを見つめ、微笑んでいた。そして、ノエルのミルクティー色の髪をすいっと指で梳いていった。
 うっかり、ノエルの髪がランスロットの顔に触れてしまったのである。


「す、すみません! 起こしちゃって!」
「かまわん。俺もなかなか眠れなくてな」


 まさか、「あなたの寝顔を見ようとしていました」とは言えず、ノエルは「私も……」と取り繕った笑みを浮かべる。謝罪は、もちろん胸の内で済ませておいた。


「ランスロットさん、寝てるのかと思ってました」
「眠れると思ったのだがな。……勢いで提案したものの、以前と同じようにはいかんようだ」
「そ、それはどういう……」


 その問いかけにすぐには答えず、ランスロットは銀の鎖を軋ませながら身体を起こすと、再びノエルの髪に指を絡ませ、くるくると楽し気にもてあそぶ。


 期待に胸がドクンと跳ね上がる。
 髪に感度などないはずなのに、ノエルはランスロットに触れられたことで全身が熱くなってしまった。
 もしかして。
 もしかすると、何かが起こるのではないかという小さな期待がノエルの鼓動を速くさせた。
 いつかそんな日が訪れてほしいと願っていたのだ。
 自分からも彼に触れてもいいのだろうかと、ノエルの淡い恋心が衝動のままに暴れ出しそうになる。


「綺麗だな」


 ランスロットの穏やかな声に、ノエルは瞳を大きく見開く。


「お前の髪は、綺麗だ。見ていると、ついお茶がしたくなってしまう」
「え?」
「ミルクティーが飲みたくなる。菓子も食べたくなる」
「え……」


 やっぱり。
 そう来たかと、ノエルは思わず吹き出さずにはいられなかった。
 切実そうな表情で「小腹が空いてしまった」と訴えるランスロットを見て、都合よく色気のある展開になるわけがないことを実感したノエルである。
 まだまだ恋は前途多難。ご先祖様の婚約者であるこの聖騎士様を振り向かせることは、そう簡単ではないらしい。


 でも、いつか……。


「ランスロットさん。夜食、食べちゃいます? パン・オ・ショコラ」


 ノエルは悪戯っぽくランスロットに笑いかけると、彼の手を取って立ち上がった。
 今は、これだけしか触れることができない。けれど、だからこそ、そんな時間も大切にしたい。


「クロワッサン生地でチョコを包んだパンですよ。温めたら、チョコがとろけてもっと美味しいんです」
「む……。それは、けしからんな」
「けしからんでしょう? でも、ランスロットさん、甘いの大好きでしょう?」
「悪魔のような囁きだが、甘んじて受けよう」
「聖騎士なのに?」
「深夜の甘味の誘惑は、悪魔や魔王に勝りうるぞ」


 そんな軽いやり取りをした後。


「きゃっ!」


 ノエルは、突然身体が浮き上がったことに驚き、短い悲鳴をあげた。
 ランスロットが、ノエルをひょいとお姫様抱っこの姿勢で抱き上げたのだ。


「ら、ランスロットさん?」
「善は急げ。いや、悪も急げ、か。……さぁ、パン・オ・ショコラを食べに降りるぞ! ミルクティーも淹れてくれ!」


 嬉しそうにノエルを抱えて部屋を飛び出すランスロット。
 一方、ノエルは恥ずかしさで気絶しないようにするのに精いっぱいなのだった。





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