【コミカライズ】堕ちた聖騎士さまに贈るスペシャリテ〜恋した人はご先祖さまの婚約者でした〜

ゆちば

最終話 魔法料理人たちのスペシャリテ

 館の外が騒がしくなり、再び静かになった。
 
「ランスロットさんは、どうなったの……?」


 ランスロットが助けに来たのだろうか。戦いは終わったのだろうかと、ノエルは縄で縛られたまま、窓から外を見ようと必死に床を這おうとした。
 しかし、サーティスは愉快そうにノエルの行く先を足で阻んだ。


「おいおいおい。騎士千人だぞぅ? 死んだに決まってんだろうが!」
「ランスロットさんは、死んでない。卑怯者になんて、負けない!」
「あぁ? 誰が卑怯者だってぇ?」


 サーティスはノエルの前にしゃがみ込むと、髪を掴んで無理矢理顔を上げさせた。そしてもう一方の手で、ノエルのブラウスのボタンを乱暴に引きちぎる。
 ねっとりとした視線と舌なめずりの音にノエルは震えたが、グッと悲鳴を押し殺し、「あんたが卑怯者よ」と再び口にした。
 それが、いっそう気に食わなかったらしい。サーティスは目を剥いて怒りを顕わにし、ノエルを強引に床に押し倒した。


「口の減らねぇなぁっ、ノエルぅっ! 奴の死体を見る前に、自分の立場を理解させといてやるぜ!」
「い、いや……っ!」


 サーティスの手がノエルの胸元に伸びた時だった。
 突然、部屋のドアが真っ二つになったかと思うと、次の瞬間には粉々に吹き飛んだのである。


「な、なんだぁっ?」


 驚いて振り返ったサーティスは、ドアの所に立っている人物を見て、さらに唖然とした。
 千人もの騎士で迎え撃ったはずの男が、そこにいたのである。


「『ノエルを返してもらおう』」


 血のように紅い瞳で、ランスロットはサーティスを見ていた。その顔は、憎しみと怒りで満ちている。


「ランスロットさん!」


 ノエルはランスロットの名を呼んだ。しかし、来てくれたという安堵と、何か様子がおかしいという不安が入り混じっていた。
 そこにいるのはランスロットだが、何か別のものが取り憑いているかのような、おぞましい気配が感じられたのだ。そして、銀の鎖が土色に錆びているのが目に付いた。


 どうして、鎖の色が褪せているの?


「おい、てめぇ! 動くな! どうやってフォデスたちを巻いたか知らねぇが、動いたらノエルをぶっ殺すからな!」


 サーティスは、ランスロットの変化には気がつかない様子で、不敵な笑みを浮かべながら、暴れるノエルを組み敷いた。


「痛いっ」
「ハハハッ! 黙ってそこで見とけ!」


 そう言うなり、サーティスはノエルの顎を掴み、無理矢理その唇を唇で塞いだのである。


「んんっ! いやぁっ! 」


 見ないで、ランスロットさん……! と、心の中で悲鳴をあげる。
 ノエルは、初めての口付けに不快感と吐き気を感じ、思わず涙を零してしまった。


 子どもみたいだが、初めてのキスは、大切な人に取っておきたかった。素敵な人に、愛する人に、してほしかった。それが、こんな形で……。


「へへっ。生意気言うからだ。ざまぁねぇ」
「『貴様ぁぁぁッ! ノエルに触るな!』」


 満足そうに高笑いするサーティスに、ランスロットは激昂し、ドゥっと禍々しい闇色の気が彼から溢れ出た。空気がピリピリと張り詰め、息苦しさが増していく。


「『殺す……。惨殺してやる』」
「て、てめぇ! 近づくなって言ってんだろ! ノエルがどうなってもいいのかぁっ?」


 サーティスはランスロットのただならぬ殺気に怯えたようで、ノエルを立ち上がらせ、盾にした。
 しかし、ランスロットは一歩一歩と近づいて来て、彼が歩く度に、闇色の気が炎となって床や家具を燃やしていく。
 闇色の炎に部屋が包まれていく様は、ノエルも震え上がらせた。今のランスロットには、ノエルまでも見えなくなっているようだった。


「なんだぁっ! なんなんだよ! バケモノめ!」


 サーティスは恐れ慄き、ノエルを突き飛ばすように放り出して逃げ出そうとした。
 しかし、ランスロットは彼を逃さなかった。


「『死ね』」


 彼の手にある闇色の槍──、降魔の槍はサーティスを追い、その背を貫いた。
 サーティスの断末魔が耳に響き、ノエルは怖くてカタカタと震え、身を縮こませる。


 いつもの、優しいランスロットではない。眩い晴天の加護ではなく、禍々しく、恐ろしい力がランスロットを支配しようとしている。この炎からは、すべてを闇に引きずり込むような、冷たい憎しみや怒りが感じられる。このままでは、ノエルもランスロットも炎に飲み込まれてしまう。


「ランスロットさん! もういいです! もう、大丈夫ですから!」


 ノエルは大声で叫び、ランスロットの名を呼んだ。
 しかし、ランスロットには届かなかった。


「『ノエル! どこにいる! 闇しか見えん……。誰だ、ノエルを隠したのは! 許さん、殺してやる……』」


 ランスロットは、錆びた鎖を引きずりながら、炎を燃やしながら、ノエルを探している。彼の紅い瞳には、ノエルの姿も闇の炎も映っていないようだった。


「ランスロットさん、私はここにいます!」


 ノエルは何度も何度も叫んだが、ランスロットが気づく気配はなく、どんどん炎が広がっていく。
 そして次第に、ノエルのすぐ側にまで闇の炎が燃え迫ってきた。
 縄で縛られ動けないノエルは、必死にもがくが、ランスロットに近づくことも、炎から遠ざかることもできない。炎の熱さと闇の冷たさが迫り、ノエルは焦る。


 どうしたら……。どうしたら、ランスロットさんを止められるの? このままじゃ、二人とも焼け死んでしまう! 


 ノエルは泣きながら、またランスロットの名を叫ぼうとした。
 その時──。


 不思議なことが起こった。
 ひとりでに、ノエルの縄が解けた。否、槍の刃先で縄が斬られたのだ。
 ノエルは辺りを見回すも、サーティスが倒れた今、自分とランスロット以外、部屋には誰もいるはずがなかった。
 しかし、耳元から柔らかな声がしたのだ。


「ランスロットは、闇の力──、魔王の力を制御できずにいます。このままでは、炎が町中に……、いえ、国中に炎が広がっていくでしょう。止められるのは、あなただけよ。ノエル」


 聞き覚えのある女性の声だった。それはランスロットの記憶で聞いた、自分にそっくりな声。ランスロットの婚約者。


「アンジュ……?」


 振り返ると、ノエルのすぐ後ろに光を失った晴天の槍が横たわっていた。ランスロットと共にずっと歩んできた愛槍は、ノエルが触れるとポウッと明るい光が灯る。


「ランスロットには、もう私がいなくても大丈夫。あなたと彼の絆を信じて」


 ノエルは心の中で「ありがとう」と呟き、晴天の槍を抱えて立ち上がった。


 見守ってくれて、ありがとう。信じてくれて、ありがとう。


 ノエルは闇の炎を越えて、ランスロットに向けて駆けた。熱くはない。晴天の槍に護られているからだ。


「ランスロットさん! 私はここです!」


 聞こえていない。見えていない。だからノエルは、正面から、彼をぎゅっと抱き締めた。
 片手で重たい槍を抱えながら、もたれるようにして、ランスロットを強く、強く抱き締めた。
 温かく、懐かしいようなぬくもりがノエルからランスロットへと流れ、冷たい憎しみと闇を溶かしていく。


「『ノエル……。ノエルなのか?』」


 ランスロットの手が、手探りでノエルの頭をさわさわと撫でた。
 ノエルはくすぐったくなり、思わず笑ってしまう。


「そうです、ノエルです。ランスロットさんが来てくれたおかげで、助かりました」
「『ノエルの声がする……。本当にノエルなのだな。だが、見えんのだ。目の前が真っ暗で、お前の姿が見えん……』


 ランスロットの紅い瞳は、確かにノエルの方を向いている。しかし、そこにノエルの姿は映っておらず、まるで光のない闇の世界を見ているようだった。


「私、実は味覚を失くしてしまったんです。見えないランスロットさんと、味の分からない私で、これからどうしましょうか」


 ランスロットはノエルの言葉に息を飲み、涙を滲ませながらノエルの手をぎゅっと握った。


「『俺は、ノエルと共に在りたい。二人で帰ろう。ルブランに』」
「はい……。ランスロットさん」


 ノエルはランスロットの腕をグイっと引き、自分は目一杯の背伸びをして、彼の唇にキスをした。
 大好きな人とのキスは、柔らかく、甘くとろけるような味がした。
 そう、甘い味だ。
 そして、いつの間にか闇の炎は消え、晴天の槍の温かい光だけが、二人を照らしていた。


「ノエル」


 何度か優しいキスを交わした後、ランスロットの手が再びノエルの頭を撫でた。彼の蒼い瞳は、真っ直ぐにノエルを見つめている。


「お前の可愛い顔が見たくて、目を閉じる暇がなかった」
「めっ、目は閉じてくださいよっ!」


 ノエルは顔から火が出そうになり、思わずランスロットに背を向けた。すると、ランスロットはノエルの背中をそっと抱き締めた。


「己の気持ちに気がつくと、こうも歯止めが効かないものなのだな。……お前を守りたいのも、大切に思うのも、お前がアンジュの子孫だからではない。ひとりの人間として、愛しているからだ。分かってくれるか?」


 ランスロットの声を聞きながら、ノエルの鼓動はどんどん速くなり、身体は熱くなっていく。ノエルは、後ろから自分を抱き締めているランスロットにそれが伝わってしまっているかと思うと、いっそう胸は高鳴った。


 そしてランスロットは、懐からオレンジ色の石の付いたネックレスを取り出し、ノエルの目線に差し出してみせた。温かく輝く太陽石のネックレスだ。


「実は昨日、太陽石の加工職人の元へ赴いていた。何か、お前に形に残る物を贈りたくてな。指輪は料理の邪魔になるかと思い、ネックレスにしたのだが……」


 ランスロットは照れくさそうに笑うと、ノエルの耳元で囁いた。


「俺は、勇者を殺めた罪人だ。そして俺の中には、闇の世界で育てた魔王が巣食っているが……、それでも共に生きてくれるか? このネックレスを受け取ってくれるか?」
「もちろんです。私も、あなたのことを愛していますから」


 ノエルは頬を赤く染め、ランスロットを振り返り──、二人はもう一度唇を重ねた。










***


 カラッと爽やかな晴天の日に、ノエルとランスロットは、コックコート姿でキッチンに立っていた。


 今日は、いよいよツァイスとアイダの結婚式で、ベーカリーカフェルブラン及び、ルブラン前の通りの一部を解放しての会場が準備されていた。そのため店内外には、普段と異なるカラフルなクロスや、美しい花々、ウェルカムボードが飾られている。
 そして料理担当のノエルたちは、早朝からコース料理の準備をし、ゲストが訪れるのを待っているのである。


「傷の具合はどうですか?」


 ノエルは前菜を盛り付けながら、ランスロットに尋ねた。


「あぁ。マシにはなったが、ノエルこそ痣が残っているな」


 二人とも、こんな晴れの日に……と苦笑いを浮かべて、顔を見合わせた。


 ナイトランド領での事件から、ランスロットとノエルの傷は未だ癒え切らないのだが、サーティスの腐敗した政治や暴力の数々が一気に露呈し、世間は大きく動いた。
 これは、ロンダルク領主ホカイドと息子のハインツの功績が大きいのだが、二人がオーランド王に直訴してくれたおかげで、騎士千人斬りのランスロットは罪に問われずに済み、ナイトランド領には新しい領主が着任することになった。




 しかし、噂というものはあっという間に広がるもので、ランスロットはすっかり有名人になっていた。


「こんにちは! オーランド新聞の者ですが、取材させていただいてよろしいですか?」


 カランカランとドアベルが鳴り、若い男性記者が顔を出した。彼は、ドアの真ん前に陣取っていたセサミに驚いたようで、ギョッと身を引いている。


「今日は貸し切りの結婚式がある故、取材は困る」
「そうですよ、もうすぐ新郎新婦が来ちゃいますし。それに、うちのランスロットさんと話したいなら、アポを取ってください! アポを」


 ノエルは、さながらマネジャー気取りでうんうんと頷いた。
 しかし、記者は引き下がらない。


「実はですねぇ! 領主様と新郎新婦には、ロンダルク初の結婚式ということで、お声掛けをさせていただいてるんですよ! ロンダルクを盛り上げませんかと。後は、式場であるルブランさんさえ良ければ……」


 彼は、取材する気満々でペンを構えている。これには、すっかり堀を固められているではないかと、ノエルとランスロットは笑うしかなかった。


「ステキな記事にしてくださいね。うちの聖騎士様の料理は絶品ですから!」
「なるほど! 武術も料理も一級品のオーナーシェフ……と」


 記者が嬉しそうに手帳に記録するのを見て、ランスロットは慌てた。


「待て待て、メモするな! 店主は俺じゃない。ノエルも、冗談を言うな!」
「でもいつか、私に並ぶような料理を作ってくれますよね? パートナーですし」
「その理屈だと、ノエルは槍術を訓練せねばならんな」


 ノエルたちが悪戯っぽい会話をしていると、記者は頬を緩めてニヤついた。


「いやぁ、ここのランスロットさんは幸せですねぇ! 強くて、優しくて、男前で、可愛い店主さんとお店をやっていて。勇者を殺した、【堕ちた聖騎士】のランスロットとは大違いだ」
「それはどうでしょうね」


 ノエルは焼きあがったパンをオーブンから取り出し、バスケットに綺麗に積み上げながら呟いた。そして、素知らぬ顔で作業を続ける。


「うん! 丸パンは良い感じです。後は、プチシリーズですね。クロワッサンとオニオンチーズパンとオレンジデニッシュ!」
「え、ちょ! ノエル店長! さっきの、どういう意味ですか?」


 記者は、ノエルの意味深な発言が気になったようで、慌てて手帳のページをめくっている。
 しかしノエルは、わざとらしくキョトンとしてみせた。


「三百年前のランスロットも、どこまでも優しい人だったんじゃないかなって。思っただけです」


 ノエルはチラッとランスロットに目をやり、「スカーフ歪んでますよ」と、彼の青いスカーフと襟元を正してやった。「む、すまんな」と、ランスロットは淡く微笑む。
 そのスカーフの下にはスマートな黒のコックコートが続き、以前彼の身体に巻き付いていた銀色、もしくは錆びた土色の鎖は姿を消していた。










***


 それはナイトランド事件の数日後の出来事。
 ノエルとランスロットは、怪我が良くなるまで店を閉じていたのだが、そんなある朝のことだ。


「私、今ならランスロットさんの記憶を蘇らせる自信があります」


 ノエルの突然の宣言に、ランスロットは如何にも「急にどうした」と言いたげな表情だ。
 彼の膝に座っているセサミも、不思議そうに「きゅー?」と鳴いている。ここ数ヶ月で少しずつ成長したセサミは、もはや肩に乗るサイズではなくなっていた。


「だって、スッキリしないじゃないですか! あなたは私のために無茶をして、よく分からない魔王? に乗っ取られ気味でしたし、記憶の鎖は錆びて茶色くなってるし!」


 ノエルは強くテーブルを叩き、ムッとした顔で、下唇を突き出した。


「ノエル、あまり大きな声を出さないでくれ。傷に響く。その話は何度もしたが、今の魔王は力が弱く、抑え込めている。記憶は力の対価にしてしまったため、もう戻らん」


 ランスロットは、未だ癒えきらない腹の傷をさすりながら抗議したが、ノエルは納得がいかない。
 何故ながら、魔王バルハルトは、三百年前に勇者によって倒されたはずなのだ。生きていて、尚且つランスロットの身体の中に潜んでいるなどあり得ない。


「私は、【勇者殺し】の記憶に、その答えがあると思います。だから、あなたが全てを思い出せる料理を作ります。鎖が錆びたからもうダメだなんて、認めません」
「俺は諦めてしまっていたのに、お前は……」
「諦めるわけ、ないじゃないですか。記憶を取り戻すことは、ゴールではなくなりましたけど、あなたが罪人でないこと、世界のために戦ったことを、私は証明したいんです」


 ノエルはにこりと微笑むと、立ち上がってランスロットの頭をポンと撫でた。今の自分なら、ランスロットと一緒なら、どんなことだってできてしまうような気持ちだった。


「料理、手伝ってくれますか? ランスロットさん」


 ランスロットは頷くほかなく、しかし、不思議な自信に満ちているノエルのことが心強く思えた。


「なんと言えば良いのか。出会った時よりも、ノエルが大人に見えるな」
「少しは、大人の魅力が出てきましたかねっ?」
「そう言った意味合いとは、少々異なる気もするが」 


 ノエルの後を追ってキッチンに入ったランスロットは、おどけたパートナーの頬をちょんと突つく。彼女の笑顔は、ランスロットの胸の中に温かい色が広げていった。
 ノエルとの料理も、何回目になるだろうか。今では、その何気ない時間が愛おしかった。
 そして、窓から爽やかな風が吹き抜け、ふと初めて愛した人の声が聞こえた気がした。


 ランスロット、幸せに生きてね、と。


「あ! 蒼天花の花びらが舞い込んできましたよ! 綺麗ですね」  


 ノエルは、カウンターに乗っているセサミの上に青空のように澄んだ色の花びらを見つけ、無邪気に笑っていた。


「蒼天花の花言葉は、《共に生きる》らしいですよ。お花屋さんが、ツァイスさんのブートニアに使うんだーって言ってました」
「そうか。相応しい花だな」


 ランスロットは頷き、心の中でアンジュに語り掛ける。


 アンジュ。罪を犯し、多くの者を不幸にし、お前を置いて闇に堕ちた俺が、再び光ある【今】を生きることができているのは、お前のおかげだ。俺を待っていてくれて、ありがとう。俺を信じてくれて、ありがとう。


 ランスロットは、料理をしているノエルの横顔を黙って見つめた。
 もう、アンジュと重なって見えることはない。
 神の悪戯か、二人の容姿は瓜二つだ。
 しかし、ランスロットの想いは、ノエルとともに【未来】を歩もうとしていた。


 ノエルの胸元で、太陽石のネックレスがキラリと光る。
 愛しい人が自分を受け入れてくれた喜びが、ランスロットの心を満たしていく。
 
 お前に出会えて、本当に良かった――。
 












「ランスロットさん、ぼんやりしてましたね? そんな間に、完成しちゃいましたよ。私の……、私たちのスペシャリテ」


 気がつくと、上目遣いでノエルがこちらを見上げていた。ノエルは皿を片手に、ランスロットをテーブルへと引っ張っていく。


「自信作ですよ、ランスロットさん」


 ノエルは明るい声と共に、皿をテーブルに置いた。すると、食欲をそそる香りが店中に広がり、ランスロットはそれだけで幸福な気持ちにさせられた。


「美味しそうだな」
「幸せな気持ちをいっぱい詰め込みました。今まではアンジュのレシピをなぞって、【過去】を思い出すための料理を作っていたんですけど……」


 ノエルは、照れくさそうに料理を一口分、フォークに乗せて、ランスロットの口元に持ってきた。そしてランスロットは、黙ってそれを受け入れた。


「このスペシャリテは、【今】と【未来】のための新しいレシピ。前に進むための料理です。名前は──」














***


 ランスロットが目を開けると、そこは黄昏空の草原だった。穏やかで静かな風が吹き抜け、勇者ユリウスが悲しそうに笑っていた。


「ごめん、ランスロット。僕を殺してくれ」


 勇者の決意の籠った言葉に、ランスロットの視界が揺れた。


「本当に、他に方法はないのか? そうだ、システィのいた教会ならば、何かヒントになる情報が得られるかもしれん! 明日はそこを目指して……」
「ありがとう。でも、自分で分かるんだ。僕にはもう時間がない。だから、システィたちを不安にさせたくないから、言わないでほしい」
「だがユリウス! 何故お前が死なねばならん!」


 ランスロットの声が大きくなった。 そして、つらそうな声に変わった。


「何故、魔王バルハルトはお前を宿り木に……。何故、お前が魔王に魂を侵されねばならん……」
「僕が、魔王にトドメを刺せていなかった。奴は、身体が滅びる寸前に、僕の精神に入り込んでいた。……討ち倒したと思ったのになぁ」


 ユリウスは苦しそうな笑みを浮かべ、グローブを付けた手で神剣アルティブレードを抜いた。酷く眩しそうにして、顔を背けている。


「この神剣を抜く度に、焼けるような痛みが全身に走るんだ。輝く退魔の刃を直視することもできない。重くて振ることもできない。でも、壊したい、殺したいという衝動は絶えないんだ」


 それはもはや、神剣に主として認められていないということ。魔に侵されているということだ。


「今でも意識が闇に引き込まれそうになる。僕は、僕の愛した世界を壊したくない。魔王になんて、なりたくない……。だから頼むよ、ランスロット。自分勝手を言っていることは理解している。でも、こんなこと親友の君にしか頼めないんだ」


 ユリウスの悲痛な叫びが、ランスロットに涙を流させた。こんな形でしか友の力になれないことが、悔やしくてたまらなかった。


 友を、勇者として殺す。魔王にユリウスをくれてやるわけにはいかない!


「この神剣で、僕ごと魔王を葬ってくれ! 世界のために!」
「すまん、ユリウス。俺にもっと力があれば……!」


 ランスロットは重たい神剣を受け取ると、声にならない叫びと共に、それをユリウスの胸に突き立てた。肉を貫く生々しい感触が伝ってきて、ランスロットは震えながら神剣の柄から手を離す。
 すると、ユリウスの身体は支えを失くし、ドサリと草原に倒れて血溜まりを作っていく。


「ユリウス……。 お前こそ、魔王を倒した英雄だ。後は……、俺に任せろ……」
「ありがとう……。ランス……ロット……」
 
 ゆっくりと、ユリウスの瞳から光が失われていくのを見届けると、ランスロットは彼の瞼をそっと閉じさせた。
 そして、どうか安らかにと、祈りを捧げた。


 これで終わりだ。勇者が死に、魔王も朽ちた──はずだった。








 ドクンッと勇者の胸に闇色の禍々しい光が灯り、その身を動かそうとしているものがいた。
 魔王バルハルトだ。
 力は弱まっているものの、勇者の死体をゾンビのように使役し、執念深く生き永らえようとしているのだ。


「魔王ーーっ! おのれ、ユリウスの死を愚弄するか!」


 その時、ランスロットは決意した。
 世界の英雄としてのユリウスを守り続けることを。
 魔王の魂は自分が受け入れることを。
 そして、全てを抱えてこの世界を去ることを。


「来い、魔王! 俺が貴様の魂を囲ってやる!」


 ランスロットは、ユリウスの胸を貫く神剣アルティブレードを握ると、魔王の名を呼んだ。するとドクンッドクンッと神剣を介して、闇色の光がランスロットに流れ込んでくる。


『いい身体だ。僕が力を溜めるにはもってこいだね』


 魔王の声が直接頭に響き、全身が槍で貫かれるような痛みに襲われた。頭が割れそうで、視界はぐらぐらと揺れる。
 しかしランスロットは、呻き声をあげながら笑っていた。魔王への嘲笑だ。


「ぐ……。ハハハッ、馬鹿め。貴様は、俺が飼い殺してやる。この国の最高刑は、【常闇の刑】。俺が貴様を闇の世界に連れて行く!」
『自ら罪人になるなんて、愚かだわ。あなたひとり犠牲になって、残された人はどうなるのかしら? 大切な人はいないのかしら?』


 それは、アンジュの声だった。魔王との戦いが終われば、結婚式をしようと約束していた最愛の恋人。ランスロットが誰よりも大切にしていた女性だった。


「そうだな、最後に一目会いたかったが……。彼女が生きる世界を守れるならば、俺は喜んで命を差し出そう」


 彼女のためにも、勇者が守った平和な世界を壊すわけにはいかない。だからランスロットは、迷わず魔王の魂を受け入れた。


 すまない、アンジュ。許してくれ。


 黄昏の風が吹き抜け、ランスロットの金色の髪を撫でていく。血の溶けたような真っ赤な夕陽が、ランスロットの心に刻まれていく。
 この世界とも、大切な人達ともお別れだ。
 草原の向こうから、仲間たちが駆けてくるのが見え、ランスロットはゆらりと立ち上がった。












***
「お二人とも、ご結婚おめでとうございます!」


 ツァイスとアイダの結婚式が始まり、ノエルは調理の隙を見て、二人にお祝いを言いに行っていた。


「ありがとう、ノエルさん。料理、とても美味しいよ」
「ロッコウ領とロンダルク領の美味しい食材を、ふんだんに使っていますから」


 メニューは、《ロンダルク野菜とサーモンのカラフルサラダ》、《ロンダオニオングラタンスープ》、《鯛のグリルのエフェルソース》、《ロッコウビーフのフィレステーキ》、四種のパン、そして《二種のベリーのウエディングケーキ》だ。どれも、ノエルとランスロットで試行錯誤を繰り返して考えた料理である。


「ツァイスさん、アイダさん。お幸せに!」


 純白のドレス姿のアイダを見て、ノエルはうっとりしながら笑みを向けた。
 なんて美しいんだろう。なんて幸せそうなんだろう。そして、その手伝いができたことが、ノエルは嬉しかった。


 いつか私も花嫁さんに……。って、まだ早い! 早いってば!


 ノエルは新郎新婦の元を離れると、ドリンクを運んでいるランスロットをこっそりと見つめた。金色の髪、蒼い瞳、スラリとした身体、見ているだけで胸がキュンとしてしまう。いつになっても、耐性がつく気はしない。


「なーに、ニヤニヤしとんねん!」


 ノエルの背中をバシィッと叩いたのはニナだった。そして、ハインツも一緒で、二人とも結婚式のために正装をしていた。ニナはアイダの実家と親交があり、ハインツは領主の息子としての参加らしい。


「ランスロットにでれでれしてたんだろ? 分かりやすすぎるって」
「バカップルは忌み嫌われるんやで! きぃつけや!」
「や、やめてよ! でれでれしてないし、バカップルじゃないもの!」


 ノエルが真っ赤になって否定すると、二人は可笑しそうに笑った。


「ランスロット、なんか雰囲気変わったよな。柔らかくなったっていうか、肩の荷が下りたみたいな」
「ウチは分からへんわ。あ、あのダサい変な鎖がなくなってる! それで身体が軽くなったんちゃう?」
「物理的な荷かよ!」


 ニナとハインツによる漫才が繰り広げられているが、それは遠からずして正解かもしれなかった。




 あの日、ランスロットの錆びた鎖は、スペシャリテを食べた直後に輝きを取り戻し、光のカケラとなった。そして、ノエルとランスロットは【勇者殺し】の真実を知ったのである。


 その時のノエルは、涙を抑えることができなかった。
 自分が信じた人は、なんて苦しい選択をしたのだろう。一人で罪を背負い、魔王の魂までも受け入れた。そして孤独のあまり、全て忘れてしまいたいと願ったのだ。


「あなたは大馬鹿です、ランスロットさん」
「俺が、魔王を連れて、こちらの世界に戻って来てしまったことか?」


 ノエルは、同じく静かに涙を流すランスロットの頬を両手でムニッと挟むと、ランスロットは喋りづらそうに口を開く。けれど、ノエルは首を横に振った。


「それは、後々考えます。……私が言いたいのは、あなたが優しすぎるってことです。ずっと、ずっと、世界のために戦っていたのに、誰もあなたを理解せず、独りぼっちで……」


 想像するだけで、胸が張り裂けそうに苦しくなる。言葉にしようとすると、声が震えてしまう。


「独りにならないでください。つらい時も、悲しい時も、私がいます」
「ありがとう、ノエル。俺が独りでないことは、もう分かっている。出会った時から、お前は俺の傍に居てくれた」


 ランスロットは、頬を挟むノエルの手をはがすと、自分の両手でぎゅっと包み込んだ。 






 その時の彼の笑顔は、とても晴れ晴れとしていて、今でもノエルの目に焼き付いている。
 確かに肩の荷も下りたのかもしれないなと、ノエルもニナたちと共に笑っていると、そこに噂のランスロットと、ヴァレンがやって来た。


「ヴァレンさんも、来てたんですね!」
「やぁ、ノエルお嬢。俺はキャメル婆さんの代理だよ。実は、クローネ家の先代とうちの婆さんが仲良くてねぇ。俺が家を出てってからは、新郎さんを孫みたいに可愛がってたんだってよ。奇縁だねぇ」


 ヴァレンは喋りながら、さりげなくハインツの肩に手を回した。もちろんハインツは逃れようと必死である。


「照れんなよ、ハインツ。俺とお前の仲だろう?」
「兄さんマジでやめて! ここ、人いっぱいいるから!」
「ふーん、じゃあ人気のない所に行くかねぇ」
「アンタら、人様の結婚式でふざけすぎやで! ええ加減にしぃなっ!」


 ニナに叱咤され、ヴァレンはゆるゆるとハインツから手を引いた。一方、とばっちりを受けたハインツは、不服そうに乱れた髪やスーツを直している。


「相変わらず、仲が良いな」


 うんうんと頷きながら、友人たちを見守っていたランスロットの手には、ずっしりと重そうな本のようなものがあった。ノエルは不思議に思い、ランスロットに「それは?」と尋ねた。


「ノエルと俺への贈り物だ」


 ランスロットが本を開くと、中は真っ白のページばかりが続いている。どうやら、分厚いノートのようだった。


「俺の傭兵団と、ハインツとニナからのプレゼントだよ」


 ヴァレンは少し寂しそうな声を出し、その横でハインツとニナも頷いていた。


「これな、魔法の紙でできてんねん。書いたページに魔力込めたら消えへんし、破れたり劣化もしいひんねんて。つまりやで、ノエルのレシピを永久保存できるわけや」


 ニナの説明に、ノエルは目を輝かせた。自分だけのレシピ本を、未来に残すことができるのだ。料理人としては、夢のようなアイテムだ。


「まさか兄さん、さすがに、結婚式の最中に渡すとは思ってなかったんだけど」
「悪いねぇ。俺、この後からしばらく遠出でさ。お嬢と騎士様の見送りにも、来れそうにないんだわ」


 ヴァレンは残念そうにため息をつくと、ノエルとランスロットの肩をそれぞれポンっと叩いた。


「また帰って来るんだろ? 待ってるぜ」


 そう、ノエルとランスロットは数日後にロンダルク領を発つのである。
 目的は、世界を見て回り、各地の食材や文化を学び、新しいレシピを作ること。そして、魔王を倒せる奇跡の料理を作ることだ。


「ありがとう。私たち、必ずここに戻って来ます。その時は、このノートをレシピでいっぱいにしてますから!」


 ノエルが満面の笑みを浮かべた時、花嫁アイダがブーケを手に立ち上がったのが見えた。ブーケトスだ。
 爽やかな夏空に映える太陽のような色の花束が宙を舞い、ノエルの頭上に舞い落ちてくる。


「あっ……!」


 しかし、降ってきたのは、花束を食べようと飛び込んできた黒いもふもふ──セサミだった。


「せ、セサミ! きゃっ……!」


 ノエルはセサミを受け止めたものの、その予想外の重みに思わずよろけてしまった。


「ノエルっ!」


 支えてくれたのは、最愛の人──、ランスロットだった。


「まったく。お前は危なっかしくて目が離せんな」


 ランスロットを見ていると愛しさが込み上げきて、溢れそうになる。
 だが、彼がそれを受け止めてくれることをノエルは知っている。


 ノエルは、甘く微笑むランスロットの腕を引き、彼の耳元で、小声で囁いた。


「目、離さないでください。ずっと傍にいてください」
「『俺も、見ているぞ。可愛いノエル』」


 ふと、ランスロットの声が二重に聞こえ、ノエルとランスロット本人も、目を丸くした。














 ベーカリーカフェルブランの魔法料理人、ノエルは旅に出る。


 愛しい恋人、魔王を宿した【堕ちた聖騎士】と共に。


 そして二人は、後にこう呼ばれるようになる。【晴天の料理人】、【晴天の騎士】と。






                                    《FIN》

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