【コミカライズ】堕ちた聖騎士さまに贈るスペシャリテ〜恋した人はご先祖さまの婚約者でした〜
第15話 ダークチェリーのスイートロール
「ありがとう。また来てくれ」
モーニングの客を外まで見送ったランスロットは、その客の姿が見えなくなると、軽い足取りで店内に戻ってきた。そして、キッチンにいるノエルに向けて叫んだ。
「さぁ、ノエル! 支度をしろ! 念願のロッコウ領だ!」
食の町 ロッコウ領に行きがっていたのはノエルのはずだったが、ランスロットも楽しみにしていたらしい。彼は、ものすごいスピードで、テーブルを片し、皿洗いを始めている。
何、あの生き物。可愛すぎなんだけどっ!
ノエルは頬が緩むのを堪えながら、自分もせっせと後片付けを進めた。
今日は、ツァイス・クローネとアイダ・イズローの結婚式のメインディッシュに使うロッコウビーフと、ウエディングケーキの材料のいくつかをロッコウ領に見に行くのである。ロッコウ領の食材を使うことは、そこの生まれであるツァイスの希望であり、ノエルとしても大賛成だった。
食の町 ロッコウ領は、有力貴族たちお抱えの牧場エリアと、料理店や製菓店が立ち並ぶ飲食店街エリアが存在する。牧場では、ブランドの牛や豚、鶏が育てられており、貴族の食事や収入源となっていることは有名である。
「ロッコウビーフはもちろん美味しいですけど、牛乳や卵も上質なんですよね~! それを使ったお菓子も大人気で! ロッコウ領は、オーランド王国一の製菓技術があると言われているんですよ」
もちろん、パンを作るノエルにとっても見逃すことができない町である。気に入った品があれば、店用にもいくつか買って帰るつもりだ。
「そうなのか。三百年前には、牧場しかなかったのだがな」
ランスロットにとってのロッコウ領は、ひたすら続く牧場地帯であり、飲食店のイメージは皆無らしい。
「食品の加工技術が上がると、職人が集まってくるんでしょうね。地産地消が、一番効率がいいですから」
「ほう。では、職人の菓子も楽しみだな」
「はい! わくわくしちゃいます」
そして、ノエルはツァイスへのお土産が入ったバスケットをご機嫌に抱き、ランスロットはセサミを肩に乗せながら、ロンダルク領の入り口までやって来た。
「ロッコウ領行き~。出るよぉ~」
ノエルたちは、一日に一往復しか走らないロンダルク~ロッコウ領間を繋ぐ荷馬車便に飛び乗った。といっても、人間は大量に運ばれる荷物のオマケ状態で、荷馬車の隅っこに乗せてもらう形である。実際のところ、ノエルとランスロットは、たくさんの農作物に囲まれていて、ほとんど身動きが取れない状態だ。
「このまま二時間程度か。なかなかつらいな」
以前、ヴァレンとハインツは、ロンダルク領から馬を飛ばしてロッコウ領に行っていたが、その時は小一時間で到着したと言っていた。それだけ、この荷馬車はゆっくりとした速度でしか走らないのだが、ノエルにとっては嬉しくもあった。
ランスロットさんと、こんな近い距離で長く一緒にいられるんだもの!
ノエルは、ランスロットのすぐ隣に座っている。もちろん、荷馬車内は荷が多いため、元から窮屈な距離感なのだが、ノエルはバレない程度に周りの荷物を自分たちに寄せ、ワザとスペースを縮めていた。ランスロットの近くに居たかったのだ。
「ほんと、けっこう狭くて疲れそうですねぇ!」
ちょっぴりの罪悪感と、これくらいのご褒美を貰ってもバチは当たらないだろうという気持ちを胸に隠し、ノエルはランスロットの横顔を見つめた。
近くで見ると、やはりランスロットは美しい。肌はノエルに負けないくらい白くてきめ細かいし、まつ毛もふわっと長い。そして蒼い瞳は、湖のようにキラキラと輝いている。
ダメ! いつになっても、耐性がつかない!
その時、ガタンッと荷馬車が大きく揺れて、ノエルの身体はランスロットの方に大きく倒れ込んだ。
「きゃっ!」
ゴンッジャラッ
ランスロットに抱きとめられた──、わけではない。彼の白竜の鎧と、巻き付いている銀の鎖に、ノエルは顔面から激突してしまったのである。
硬い! 痛い!
「うぅっ……。すみません、ランスロットさん」
「大丈夫か? 今のは痛かっただろう。額に鎖の跡が付いているぞ」
「えっ。ほんとですか?」
ノエルが自分で額をぴたぴたと触ってみても、鎖の跡は分からなかった。しかし、お出掛けだからと、せっかく整えた前髪がくしゃくしゃになっていることは確実で、ノエルは早くもしょんぼりである。
そして、ランスロットの肩の上から、こちらを心配そうに見つめているセサミを羨んだ。
セサミはいいなぁ。ランスロットさんに引っ付けて。
「ランスロットさん、私、ちょっと離れますね。次に荷馬車が揺れたら、この木箱を支えにしますから」
ノエルは、わざとランスロットの近くにいたことを反省し、落ち込みながら身体二個分程の距離を空けた。
しかし、ノエルの身体は再び大きく揺れた。
「馬車旅は疲れる。寝ておけ」
ランスロットに腕をグイッと引かれ、ノエルの頭は、彼のあぐらをかいた太腿の上に収まった。
つまりは、膝枕である。
「えっ」
何この状況! 
恐らく、ランスロットはノエルを子ども扱いしているのだろうが、ノエルはそれどころではない。顔から火が出そうなくらい恥ずかしく、緊張で心臓が飛び出そうになっていた。
「ららら、ランスロットさん? あの、私……」
ノエルが視線をランスロットに向けるも、彼はこちらを見ずに、静かに目を閉じていた。
「俺も仮眠をとる」
ランスロットは一言だけ短く言うと、横たわるノエルの肩を支えるように、そっと手を添えてくれた。その手の温もりにノエルはいっそうドキドキしてしまう。正直、眠れる気はしない。
「きゅきゅうっ」
すると、セサミがランスロットの肩からそろそろと降りてきた。黒いもふもふがノエルの目の前を通過し、ランスロットの空いている方の膝へ移動していく。どうやら、セサミも膝枕をしてほしいらしい。
ノエルは、そんなセサミを面白く思いながら、ゆっくりと目を閉じた。
子ども扱いでも、今はランスロットさんに甘えちゃおう。
***
ガタッガタッと小さく揺れる荷馬車に乗って、じきに二時間程度になる。
ランスロットは、寝ると宣言していたものの、結局は一睡もしていなかった。
そもそも自分が現世に戻ってからは、闇の世界の悪夢を見ることが多く、寝ようと思っても安眠できているわけではなかった。
しかし、今日は理由が違っていた。
「寝れん……」
勢いと思いつきでノエルを自分の膝の上で寝かしたものの、彼女の寝顔を見ていると、とても眠れる心情ではないのだ。
何故なら、目の前の彼女の顔は亡き婚約者と瓜二つ。そして、思い出すのは、ノエルが熱で倒れた時に額にキスをしたこと──。
くっ……。何を思い出している、俺! 
この少女への不確かな感情の行き先が、ランスロットには分からなかった。
ノエルのことは、単純にアンジュの子孫と思っていたはずだが、それだけで胸が熱くなったり、苦しくなったりするものだろうか。
分からん。不可解だ。
ランスロットは気持ちの整理がつかず、ツァイスへのお土産が入ったバスケットに、そっと片手を伸ばした。
ツァイスには申し訳ないが、一つだけ分けてもらおう。きっと、糖分不足で、頭が回らないのだ。
ツァイスへのお土産は、《ダークチェリーのスイートロール》だ。午前中の客を対応しながら、ノエルが作っていたもので、旬であるダークチェリーをふんだんに使った菓子パンである。小さめのサイズが五つあるのだから、一つくらいいいだろう。
ランスロットは心の中で何度かツァイスに謝罪した後、スイートロールを口に運んだ。
途端に、甘酸っぱいダークチェリーとまろやかなカスタードクリームの甘さが、口いっぱいに広がっていった。まるで、疲れた脳を直接癒していくかのように、スゥッと身体が軽くなっていく。
「美味いな」
そう呟いたのは、自分であって、自分ではなかった。パキンっと砕けた銀の鎖のカケラが、ランスロットに吸い込まれ、過去の記憶が思い出されていたのである。
***
「うめぇっ! ハイダークチェリーうめぇっ!」
ランスロットの視界には、ボサボサの黒髪で金色の瞳、ほぼ半裸の少年が映っている。木陰でぱくぱくとカゴいっぱいのサクランボを食べているが、取り分け目を引くのは、少年に付いている獣耳と尻尾である。彼はジュテ国の獣人に間違いない。ランスロットの記憶は今のところ朧げだが、おそらく勇者の仲間の戦士イワンだろう。
「さすが、リスダール王国の果物はうめぇよなぁっ! オレの国には、こんな甘い果物ねぇよ。ランスロット、後でリナリーにお礼言わねぇとなっ!」
底抜けに明るそうな少年は、にこにこと人懐っこい笑みを浮かべながら、こちらを見ている。
「イワン。あのエルフ姫は、ユリウスとシスティに、ハイダークチェリーを食べさせたかっただけだ。俺たちに回ってきているのは、普通のダークチェリーだぞ」
「えっ? マジかよ、騙された! こんなにうめぇのに!」
イワンは驚いた顔で、ダークチェリーを眺め回している。
ハイダークチェリーを見たことがないのだから、手元のダークチェリーを見ても、違いは分からないだろうが、この少年は単純な性格らしい。
「なんで、ユリウスとシスティだけ、ハイダークチェリーなんだ?」
「ハイダークチェリーはな、男女が結ばれている実を分け合って食べると、愛が深まると言われているんだ。まぁ、迷信だ。あの果実に、魔力が備わっているわけでもないからな」
ランスロットが答えると、イワンは「へぇ~っ!」と面白そうに頷いた。
「ユリウスとシスティって、ラブラブだったのかぁ」
「知らなかったのか! いや、まだあの二人はそこまで深い仲でもないのだが……」  
ランスロットが口ごもると、イワンは納得いかないという表情を浮かべた。
「えーっ。でもさ、システィがユリウスに膝枕してるぜっ? ラブラブじゃなかったら、そんなことしないんじゃねっ?」  
「膝枕、だとっ?」
「ホラ、あっちの木の下にいるぜ! サクランボ食べてる」
ホラ、と言われたものの、獣人族の視力は人間の十倍以上だ。ランスロットの目では、ユリウスとシスティの姿を捉えることができなかった。
「俺には見えんが、膝枕、か。どうやら愛は深まったようだな」
ユリウスとシスティのことを思うと、胸が温かくなる。大切な友人たちが幸せになることは、ランスロットにとっても喜ばしいことだった。
「いーなー、ラブラブ膝枕! よく寝れそうだよなぁっ! な、ランスロット。試しに膝貸してくれよっ!」
「断る。なぜそうなる」
キラキラと目を輝かせたイワンの言葉を、ランスロットは一刀両断した。
「たとえ相手が女でも、俺には恥ずかし過ぎる」
「とか言って、逆に彼女にしてあげるとか?」
「しない」
そう言い、眉間にシワを寄せ始めたランスロットに対し、イワンは「ちぇーっ」と口を尖らせた。
「じゃあ、もし膝枕でラブラブしたら、嘘つきの刑で、オレのパンチ一発な!」
イワンは、シュッシュと拳を突き出しながら笑っている。
「お前の拳は、シャレにならん。命に関わるんだが」
***
記憶の回想は、そこで終わった。
しかしランスロットは、イワンの言葉を思い出しながら、一人で「うぅ……」と唸っていた。片手の平で熱くなった顔を押さえるも、火照りがいっこうに治まらない。
「過去にあれほどしないと断言していたにも関わらず、俺は……」
ラブラブ膝枕、という単語がぐるぐると頭の中を回っている。今ある記憶では、アンジュには膝枕をしてもらった覚えも、した覚えもない。
そう考えると、なんだか急に恥ずかしくなってきた。軽々しく、ノエルを自身の膝に置いてしまったのだ。もしや、ノエルは不快ではなかっただろうか。
ふと、ランスロットは心配になり、再びノエルの寝顔を覗き込む。ノエルは、スゥスゥと小さな寝息を立てて、気持ちよさそうに眠っている。ピンク色の頬が美しい。
可愛いな。
場違いな感想が浮かび、ランスロットは一人慌てた。
どうしてしまったんだ、俺は。これではまるで、俺がノエルに恋い焦がれているかのようではないか!
ランスロットは、いっそイワンに一発殴られたいと心の中で叫んだ。
***
ノエルも、実は起きていた。寝ているのはセサミだけだった。
ランスロットの膝枕で眠るなど、緊張し過ぎて不可能だったのだ。決して、鍛えられた筋肉が硬くて、寝心地が悪かったわけではない。
しかも、ドキドキしたまま寝たふりをしていると、ランスロットはツァイスへのお土産を食べ始めたではないか。ノエルはすぐさま注意したかったのだが、急に起きるのも不自然ではないかと迷っているうちに、すっかりタイミングを逃してしまったのだ。
そして仕方なく、ランスロットがスイートロールを食べる様子を薄眼を開けて見守っていたのだが、直後、ノエルの周囲の精霊たちが騒ぎ出したのだ。
本当に、いつ彼の記憶が戻るのかは分からないものである。
ランスロットの記憶を封じる鎖が砕け、ノエルのなかに溶け込んでいき、緑の広がる草原と木々、獣人族の少年の姿が視界に映った。
「いーなー、ラブラブ膝枕!」
非常にタイムリーなことに、膝枕の記憶である。
ラブラブ膝枕……。
安直なネーミングだが、脳内で繰り返し再生すると、ノエルはどんどん恥ずかしくなってきた。
今、自分たちはそんな風に見えるだろうか? やはりランスロットは、自分を子ども扱いしての膝枕だろうか? 少しでも、好意はないのだろうか? この記憶を思い出して、ランスロットはどう思うだろうか?
考えれば考えるほど、ノエルの身体は熱くなった。顔が赤くなっているのではないだろうか。
そんなことを悶々と思っていたとき、荷馬車の御者が、こちらをくるりと振り返った。
「ほ~い、ロッコウ領に着いたよ~う!」
「はいっ!」
「あ、あぁ!」
ノエルとランスロットは、弾かれたように返事をした。
「よく寝ていたな、ノエル」
「え、えぇ。ランスロットも眠れましたか?」
二人とも、疲れた表情で互いを見つめたのだった。
モーニングの客を外まで見送ったランスロットは、その客の姿が見えなくなると、軽い足取りで店内に戻ってきた。そして、キッチンにいるノエルに向けて叫んだ。
「さぁ、ノエル! 支度をしろ! 念願のロッコウ領だ!」
食の町 ロッコウ領に行きがっていたのはノエルのはずだったが、ランスロットも楽しみにしていたらしい。彼は、ものすごいスピードで、テーブルを片し、皿洗いを始めている。
何、あの生き物。可愛すぎなんだけどっ!
ノエルは頬が緩むのを堪えながら、自分もせっせと後片付けを進めた。
今日は、ツァイス・クローネとアイダ・イズローの結婚式のメインディッシュに使うロッコウビーフと、ウエディングケーキの材料のいくつかをロッコウ領に見に行くのである。ロッコウ領の食材を使うことは、そこの生まれであるツァイスの希望であり、ノエルとしても大賛成だった。
食の町 ロッコウ領は、有力貴族たちお抱えの牧場エリアと、料理店や製菓店が立ち並ぶ飲食店街エリアが存在する。牧場では、ブランドの牛や豚、鶏が育てられており、貴族の食事や収入源となっていることは有名である。
「ロッコウビーフはもちろん美味しいですけど、牛乳や卵も上質なんですよね~! それを使ったお菓子も大人気で! ロッコウ領は、オーランド王国一の製菓技術があると言われているんですよ」
もちろん、パンを作るノエルにとっても見逃すことができない町である。気に入った品があれば、店用にもいくつか買って帰るつもりだ。
「そうなのか。三百年前には、牧場しかなかったのだがな」
ランスロットにとってのロッコウ領は、ひたすら続く牧場地帯であり、飲食店のイメージは皆無らしい。
「食品の加工技術が上がると、職人が集まってくるんでしょうね。地産地消が、一番効率がいいですから」
「ほう。では、職人の菓子も楽しみだな」
「はい! わくわくしちゃいます」
そして、ノエルはツァイスへのお土産が入ったバスケットをご機嫌に抱き、ランスロットはセサミを肩に乗せながら、ロンダルク領の入り口までやって来た。
「ロッコウ領行き~。出るよぉ~」
ノエルたちは、一日に一往復しか走らないロンダルク~ロッコウ領間を繋ぐ荷馬車便に飛び乗った。といっても、人間は大量に運ばれる荷物のオマケ状態で、荷馬車の隅っこに乗せてもらう形である。実際のところ、ノエルとランスロットは、たくさんの農作物に囲まれていて、ほとんど身動きが取れない状態だ。
「このまま二時間程度か。なかなかつらいな」
以前、ヴァレンとハインツは、ロンダルク領から馬を飛ばしてロッコウ領に行っていたが、その時は小一時間で到着したと言っていた。それだけ、この荷馬車はゆっくりとした速度でしか走らないのだが、ノエルにとっては嬉しくもあった。
ランスロットさんと、こんな近い距離で長く一緒にいられるんだもの!
ノエルは、ランスロットのすぐ隣に座っている。もちろん、荷馬車内は荷が多いため、元から窮屈な距離感なのだが、ノエルはバレない程度に周りの荷物を自分たちに寄せ、ワザとスペースを縮めていた。ランスロットの近くに居たかったのだ。
「ほんと、けっこう狭くて疲れそうですねぇ!」
ちょっぴりの罪悪感と、これくらいのご褒美を貰ってもバチは当たらないだろうという気持ちを胸に隠し、ノエルはランスロットの横顔を見つめた。
近くで見ると、やはりランスロットは美しい。肌はノエルに負けないくらい白くてきめ細かいし、まつ毛もふわっと長い。そして蒼い瞳は、湖のようにキラキラと輝いている。
ダメ! いつになっても、耐性がつかない!
その時、ガタンッと荷馬車が大きく揺れて、ノエルの身体はランスロットの方に大きく倒れ込んだ。
「きゃっ!」
ゴンッジャラッ
ランスロットに抱きとめられた──、わけではない。彼の白竜の鎧と、巻き付いている銀の鎖に、ノエルは顔面から激突してしまったのである。
硬い! 痛い!
「うぅっ……。すみません、ランスロットさん」
「大丈夫か? 今のは痛かっただろう。額に鎖の跡が付いているぞ」
「えっ。ほんとですか?」
ノエルが自分で額をぴたぴたと触ってみても、鎖の跡は分からなかった。しかし、お出掛けだからと、せっかく整えた前髪がくしゃくしゃになっていることは確実で、ノエルは早くもしょんぼりである。
そして、ランスロットの肩の上から、こちらを心配そうに見つめているセサミを羨んだ。
セサミはいいなぁ。ランスロットさんに引っ付けて。
「ランスロットさん、私、ちょっと離れますね。次に荷馬車が揺れたら、この木箱を支えにしますから」
ノエルは、わざとランスロットの近くにいたことを反省し、落ち込みながら身体二個分程の距離を空けた。
しかし、ノエルの身体は再び大きく揺れた。
「馬車旅は疲れる。寝ておけ」
ランスロットに腕をグイッと引かれ、ノエルの頭は、彼のあぐらをかいた太腿の上に収まった。
つまりは、膝枕である。
「えっ」
何この状況! 
恐らく、ランスロットはノエルを子ども扱いしているのだろうが、ノエルはそれどころではない。顔から火が出そうなくらい恥ずかしく、緊張で心臓が飛び出そうになっていた。
「ららら、ランスロットさん? あの、私……」
ノエルが視線をランスロットに向けるも、彼はこちらを見ずに、静かに目を閉じていた。
「俺も仮眠をとる」
ランスロットは一言だけ短く言うと、横たわるノエルの肩を支えるように、そっと手を添えてくれた。その手の温もりにノエルはいっそうドキドキしてしまう。正直、眠れる気はしない。
「きゅきゅうっ」
すると、セサミがランスロットの肩からそろそろと降りてきた。黒いもふもふがノエルの目の前を通過し、ランスロットの空いている方の膝へ移動していく。どうやら、セサミも膝枕をしてほしいらしい。
ノエルは、そんなセサミを面白く思いながら、ゆっくりと目を閉じた。
子ども扱いでも、今はランスロットさんに甘えちゃおう。
***
ガタッガタッと小さく揺れる荷馬車に乗って、じきに二時間程度になる。
ランスロットは、寝ると宣言していたものの、結局は一睡もしていなかった。
そもそも自分が現世に戻ってからは、闇の世界の悪夢を見ることが多く、寝ようと思っても安眠できているわけではなかった。
しかし、今日は理由が違っていた。
「寝れん……」
勢いと思いつきでノエルを自分の膝の上で寝かしたものの、彼女の寝顔を見ていると、とても眠れる心情ではないのだ。
何故なら、目の前の彼女の顔は亡き婚約者と瓜二つ。そして、思い出すのは、ノエルが熱で倒れた時に額にキスをしたこと──。
くっ……。何を思い出している、俺! 
この少女への不確かな感情の行き先が、ランスロットには分からなかった。
ノエルのことは、単純にアンジュの子孫と思っていたはずだが、それだけで胸が熱くなったり、苦しくなったりするものだろうか。
分からん。不可解だ。
ランスロットは気持ちの整理がつかず、ツァイスへのお土産が入ったバスケットに、そっと片手を伸ばした。
ツァイスには申し訳ないが、一つだけ分けてもらおう。きっと、糖分不足で、頭が回らないのだ。
ツァイスへのお土産は、《ダークチェリーのスイートロール》だ。午前中の客を対応しながら、ノエルが作っていたもので、旬であるダークチェリーをふんだんに使った菓子パンである。小さめのサイズが五つあるのだから、一つくらいいいだろう。
ランスロットは心の中で何度かツァイスに謝罪した後、スイートロールを口に運んだ。
途端に、甘酸っぱいダークチェリーとまろやかなカスタードクリームの甘さが、口いっぱいに広がっていった。まるで、疲れた脳を直接癒していくかのように、スゥッと身体が軽くなっていく。
「美味いな」
そう呟いたのは、自分であって、自分ではなかった。パキンっと砕けた銀の鎖のカケラが、ランスロットに吸い込まれ、過去の記憶が思い出されていたのである。
***
「うめぇっ! ハイダークチェリーうめぇっ!」
ランスロットの視界には、ボサボサの黒髪で金色の瞳、ほぼ半裸の少年が映っている。木陰でぱくぱくとカゴいっぱいのサクランボを食べているが、取り分け目を引くのは、少年に付いている獣耳と尻尾である。彼はジュテ国の獣人に間違いない。ランスロットの記憶は今のところ朧げだが、おそらく勇者の仲間の戦士イワンだろう。
「さすが、リスダール王国の果物はうめぇよなぁっ! オレの国には、こんな甘い果物ねぇよ。ランスロット、後でリナリーにお礼言わねぇとなっ!」
底抜けに明るそうな少年は、にこにこと人懐っこい笑みを浮かべながら、こちらを見ている。
「イワン。あのエルフ姫は、ユリウスとシスティに、ハイダークチェリーを食べさせたかっただけだ。俺たちに回ってきているのは、普通のダークチェリーだぞ」
「えっ? マジかよ、騙された! こんなにうめぇのに!」
イワンは驚いた顔で、ダークチェリーを眺め回している。
ハイダークチェリーを見たことがないのだから、手元のダークチェリーを見ても、違いは分からないだろうが、この少年は単純な性格らしい。
「なんで、ユリウスとシスティだけ、ハイダークチェリーなんだ?」
「ハイダークチェリーはな、男女が結ばれている実を分け合って食べると、愛が深まると言われているんだ。まぁ、迷信だ。あの果実に、魔力が備わっているわけでもないからな」
ランスロットが答えると、イワンは「へぇ~っ!」と面白そうに頷いた。
「ユリウスとシスティって、ラブラブだったのかぁ」
「知らなかったのか! いや、まだあの二人はそこまで深い仲でもないのだが……」  
ランスロットが口ごもると、イワンは納得いかないという表情を浮かべた。
「えーっ。でもさ、システィがユリウスに膝枕してるぜっ? ラブラブじゃなかったら、そんなことしないんじゃねっ?」  
「膝枕、だとっ?」
「ホラ、あっちの木の下にいるぜ! サクランボ食べてる」
ホラ、と言われたものの、獣人族の視力は人間の十倍以上だ。ランスロットの目では、ユリウスとシスティの姿を捉えることができなかった。
「俺には見えんが、膝枕、か。どうやら愛は深まったようだな」
ユリウスとシスティのことを思うと、胸が温かくなる。大切な友人たちが幸せになることは、ランスロットにとっても喜ばしいことだった。
「いーなー、ラブラブ膝枕! よく寝れそうだよなぁっ! な、ランスロット。試しに膝貸してくれよっ!」
「断る。なぜそうなる」
キラキラと目を輝かせたイワンの言葉を、ランスロットは一刀両断した。
「たとえ相手が女でも、俺には恥ずかし過ぎる」
「とか言って、逆に彼女にしてあげるとか?」
「しない」
そう言い、眉間にシワを寄せ始めたランスロットに対し、イワンは「ちぇーっ」と口を尖らせた。
「じゃあ、もし膝枕でラブラブしたら、嘘つきの刑で、オレのパンチ一発な!」
イワンは、シュッシュと拳を突き出しながら笑っている。
「お前の拳は、シャレにならん。命に関わるんだが」
***
記憶の回想は、そこで終わった。
しかしランスロットは、イワンの言葉を思い出しながら、一人で「うぅ……」と唸っていた。片手の平で熱くなった顔を押さえるも、火照りがいっこうに治まらない。
「過去にあれほどしないと断言していたにも関わらず、俺は……」
ラブラブ膝枕、という単語がぐるぐると頭の中を回っている。今ある記憶では、アンジュには膝枕をしてもらった覚えも、した覚えもない。
そう考えると、なんだか急に恥ずかしくなってきた。軽々しく、ノエルを自身の膝に置いてしまったのだ。もしや、ノエルは不快ではなかっただろうか。
ふと、ランスロットは心配になり、再びノエルの寝顔を覗き込む。ノエルは、スゥスゥと小さな寝息を立てて、気持ちよさそうに眠っている。ピンク色の頬が美しい。
可愛いな。
場違いな感想が浮かび、ランスロットは一人慌てた。
どうしてしまったんだ、俺は。これではまるで、俺がノエルに恋い焦がれているかのようではないか!
ランスロットは、いっそイワンに一発殴られたいと心の中で叫んだ。
***
ノエルも、実は起きていた。寝ているのはセサミだけだった。
ランスロットの膝枕で眠るなど、緊張し過ぎて不可能だったのだ。決して、鍛えられた筋肉が硬くて、寝心地が悪かったわけではない。
しかも、ドキドキしたまま寝たふりをしていると、ランスロットはツァイスへのお土産を食べ始めたではないか。ノエルはすぐさま注意したかったのだが、急に起きるのも不自然ではないかと迷っているうちに、すっかりタイミングを逃してしまったのだ。
そして仕方なく、ランスロットがスイートロールを食べる様子を薄眼を開けて見守っていたのだが、直後、ノエルの周囲の精霊たちが騒ぎ出したのだ。
本当に、いつ彼の記憶が戻るのかは分からないものである。
ランスロットの記憶を封じる鎖が砕け、ノエルのなかに溶け込んでいき、緑の広がる草原と木々、獣人族の少年の姿が視界に映った。
「いーなー、ラブラブ膝枕!」
非常にタイムリーなことに、膝枕の記憶である。
ラブラブ膝枕……。
安直なネーミングだが、脳内で繰り返し再生すると、ノエルはどんどん恥ずかしくなってきた。
今、自分たちはそんな風に見えるだろうか? やはりランスロットは、自分を子ども扱いしての膝枕だろうか? 少しでも、好意はないのだろうか? この記憶を思い出して、ランスロットはどう思うだろうか?
考えれば考えるほど、ノエルの身体は熱くなった。顔が赤くなっているのではないだろうか。
そんなことを悶々と思っていたとき、荷馬車の御者が、こちらをくるりと振り返った。
「ほ~い、ロッコウ領に着いたよ~う!」
「はいっ!」
「あ、あぁ!」
ノエルとランスロットは、弾かれたように返事をした。
「よく寝ていたな、ノエル」
「え、えぇ。ランスロットも眠れましたか?」
二人とも、疲れた表情で互いを見つめたのだった。
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