【コミカライズ】堕ちた聖騎士さまに贈るスペシャリテ〜恋した人はご先祖さまの婚約者でした〜
第13話 蕪と卵の生姜スープ
ベーカリーカフェ ルブランの窓辺に、黒くてもふもふした塊が乗っていた。スイカくらい大きく、今にも床に落っこちてしまいそうなのだが、これまた不思議なバランスで窓辺に張り付いているのだ。
「きゅふぅ~」
「なっ! セサミ、湿気で膨らみすぎではないか? 目も口も、毛で見えないぞ」
ランスロットはセサミを抱き上げると、もふもふした毛を掻き分けて、目を探し出した。
「きゅっ!」
ぱちりとつぶらな瞳が現れ、窓の外をじっと見つめている。
外は、雨が降っていた。雷鳴も轟く激しい雨が、急に降り出したのである。
「ノエルは、ちゃんと雨宿りできているだろうか。お前も心配なのだな、セサミ」
「きゅう……」
ノエルは、朝から市場と農場に買い出しに出掛けていた。一方のランスロットは、掃除を任されたため店で留守番をしていたのだが、ノエルが雨に打たれていないか、心配で落ち着かない。
「迎えに行くか。セサミは、ここで待っていてくれるか? もしかしたら、先にノエルが帰ってくるやもしれん」
ランスロットは、ノエルを探しに行こうと支度を始めた。
雨といえば、昔も、傘を忘れたアンジュを迎えに行ったことがある。本当は二人でディナーに行くはずだったのだが、アンジュが急な雨のせいで、商店で立ち往生し、待ち合わせ場所に現れなかったのだ。その後、ランスロットが散々アンジュを探し回り、ようやく彼女と合流できた時の彼女の申し訳なさそうな顔はよく覚えている。
「ランスロット、ごめんなさい。私、傘を忘れてしまって……。せっかくお食事の予定をしていたのに」
泣きそうになっているアンジュを、その時のランスロットは優しく抱きしめた。アンジュに何かあったのではと気が気でなかったため、安堵の気持ちが大きかったのだ。
「お前が無事でよかった。俺を信じて、待っていてくれたのだろう? それで十分だ。食事は、また今度行けばいい」
ランスロットの言葉に、アンジュもホッとしたように微笑んでいた。
あの時の感じた、信頼や愛おしさを思い出すと、なんだか胸が熱くなる。
そんなことを考えながら、ランスロットはドアに手を伸ばしたのだが──。
「ランちゃん、入んでぇぇーっ!」
勢いよくドアが開かれ、びしょびしょの少女が二人、店に入って来た。それは、ニナとノエルだった。
「何事だっ?」
「ちょ、ランちゃん! ノエル、支えたって!」
ニナは、自分の肩にしがみつくようにして歩いていたノエルを、ランスロットに強引に預けた。そのノエルはというと、意識が朦朧としているようで、人形のようにランスロットに寄り掛かってくる。
「ランちゃんとちごて、酔っ払いちゃうからな?」
ニナは、ノエルの身体からショルダーバッグを外しながら言った。慌てているのか、動作が荒っぽい。
「いったい、ノエルはどうしたんだっ? 身体が酷く熱い」
ランスロットはノエルの顔に触れ、その熱さに驚いた。間違いなく高熱がある。
「この子、朝から調子悪かったんやて。で、診療所に行って風邪薬もろて、でも帰りしなに大雨に降られて、びっしょびしょ! そんで、ウチの畑の近くを、ふらっふらしながら歩いてんねんもん!」
ニナはノエルのバックから薬袋を取り出し、テーブルに置いた。口調がいつもより更にキツいだけでなく、ランスロットを吊り上がった目でランスロットを睨みつけている。
「これ、後で飲ましたげてや」
「ニナ、すまない。ノエルが世話になった」
「ウチに謝っていらんわ! ノエルに謝ったって!」
ニナは荒ぶった様子で言い放ち、その後、心配そうな視線をノエルに向けた。
「この子、ランちゃんに心配かけたくなかったんやって。やし、こっそり薬貰いに行って。……ランちゃん! ちゃんとノエルのこと見たってや! ちゃ、ん、と!」
最後にもう一度念を押すと、ニナは店を後にした。
一方、言われっぱなしのランスロットは、返す言葉もなかった。ノエルが体調を崩していたなど、朝からまったく気がついていなかったのだ。ノエルは、いつも通りに笑顔で買い出しに出掛けていたと思っていた。しかし、あれが無理をした笑顔だったとは──。
「ノエル、すまん……」
自分がもっとしっかりしていれば、ノエルは体調を悪くしなかったかもしれない。もっと信頼があれば、素直に頼ってくれたかもしれない。
ランスロットは後悔の念に苛まれながら、ノエルに謝罪の言葉を掛けた。しかし、ノエルは目を閉じたまま、苦しそうな息をしており、返事はなかった。
すぐに、ベッドで寝かしてやらねば! と、ランスロットはノエルをタオルで包むと、そっと抱き抱え、彼女の部屋へと運んだ。
***
これまで、ノエルがランスロットの部屋を覗くことはあったが、逆にランスロットが彼女の部屋に入るのは、今日が初めてだった。
子ども部屋みたいなものだろうか、とランスロットは思っていた。しかし、実際には女性らしい化粧台や、可愛いデザインのクローゼットが置かれており、その上、不思議と花のようないい香がしている。
「な、なんだか落ち着かんな」
ランスロットはノエルをベッドに横たえると、そわそわと部屋を見回した。
すると、セサミが後を追ってきたらしく、ドアの隙間から入り込んで来ていた。
「きゅきゅっ!」
セサミが、短い手でクローゼットを指している。その様子を見て、ランスロットはハッとした。
「濡れた服のままではいかん、と言いたいのだな! 分かった」
ランスロットは、セサミをノエルの枕元に移動させると、自分はクローゼットに近づいた。
開けて、いいのだろうか。いやしかし、このままではノエルの身体が冷えたままで、風邪がさらに悪化してしまう。あぁ、ニナにまだ残ってもらえばよかった。
ランスロットは躊躇ったものの、自分には、幼いノエルを看病する責任があると言い聞かせ、意を決してクローゼットを開く。
「寝巻きはどこだ、寝巻きは」
ごそごそとクローゼットを漁っていると、まるで泥棒の気分である。さっさと済ませなければと焦っていると、黒い皮袋が現れ、中身が飛び出してきた。
「こ、これは……!」
ランスロットがつまみ上げたそれは、非常に布面積の小さい、大人の女性の下着だった。否、下着というかほとんど紐である。
「ノエルが、このような趣味を……。いや、そんな馬鹿な」
ランスロットは、ひとり動揺しながら、眠っているノエルに視線を向けた。如何にも、純真無垢な少女だ。そんなはずはと、急に焦りが身体中を駆け巡る。
「何を考えているんだ、俺は! そんな場合ではないだろう!」
ランスロットは自らを叱咤し、急いで寝巻きを見つけ出すと、ノエルのそばに駆け戻った。そして、素早くノエルを寝巻きに着替えさせ、ベッドに寝かせた。
「ふぅ。手間取ってしまった」
ひと仕事終えたものの、何故だかランスロットは落ち着かなかった。バクバクという音がうるさいのだ。
「何だ? 煩わしい」
どこから音が出ているのか、部屋を見回してみるも、ノエルからは浅い寝息、セサミは「きゅう」と鳴いている。
残るは──。
「お、俺か?」
自分の心音の大きさに、ランスロットは驚いた。
子どもを看病するくらいで、何を緊張している!
ノエルの華奢な身体、柔らかな肌に触れた感覚が、自らの手に残って離れないのだ。そして同時に、先日ノエルに肩を抱かれた時の記憶が駆け巡っていた。
おかしい。どうしたんだ、俺は!
ランスロットは自らを落ち着かせるため、ベッドの縁に腰かけ、ノエルの寝顔を見つめた。人の寝顔を見ると安らかな気持ちになると、どこかで聞いたことがある気がしたからだ。
ノエルの白い肌、長いまつ毛、ピンク色の唇。いつもはポニーテールにしている髪が解かれ、枕に広がっている。
見れば見るほど、アンジュにそっくりで、ランスロットの胸は騒ついた。落ち着こうと思ったのだが、逆効果だった。
アンジュとの違いを探したかった。
いつまでも、ノエルとアンジュを重ねていてはいけないと思った。
「ノエル……」
ランスロットは、ノエルの頬に、唇に、ゆっくりと触れた。温かく、柔らかい。
もっと触れたいと、無意識に願った。
ランスロットは自らの身体を屈め、そっともう一度、ノエルの頬に触れ──、彼女の額に優しいキスを落とした。
そして、ハッと我に返った。
「お、俺は何をしているんだ! いや、な、何もしてない。してないぞ!」
ランスロットは、大慌てでベッドから離れ、遠巻きにノエルを見つめた。
大丈夫、ノエルは起きていないし、見た目も異常ない。
しかし。
「きゅぅぅぅぅ」
セサミが、ノエルの枕元からランスロットを凝視しているではないか。真っ直ぐに、つぶらな瞳が、「見てましたよ」と告げている。
「セサミ。 夕食の量を倍にしてやるから、今のことは忘れるんだ。分かったな?」
ランスロットは小声でまくし立てると、ノエルの部屋から逃げるように立ち去った。
一方、残されたセサミは、ランスロットの言葉を理解したかは謎だが、ノエルを温めるためにもそもそと布団の中に移動していった。
***
ノエルが目を覚ました時はすっかり日が暮れており、カーテンの隙間から月明かりが差し込んでいた。
「あれ……。私、いつの間に家に帰ってたんだっけ……」
ノエルが気だるさの残る身体を起こすと、掛け布団から眠っているセサミが転がり出てきた。
「セサミ、添い寝しててくれたのね。ありがとう」
そっとセサミを布団の中に戻していると、ガチャリとドアが開き、心配そうにしているランスロットが現れた。お盆の上に深皿が乗っており、どうやらスープを作ってきてくれたらしい。
「ノエル、目が覚めたか。体調はどうだ?」
「たくさん寝たら、だいぶ楽になりました。すみません、私、診療所に行ってからの記憶が曖昧で……」
「雨の中ふらふらしていたお前を、ニナがここまで連れて来てくれた。今度、礼をせねばならんな」
ランスロットの言葉に、ノエルは「ぜんぜん覚えてないです」と頭を抱えた。
「ニナに迷惑をかけてしまったんですね。あ~、私ってば!」
「そう思うならば、次からは俺を頼れ。もちろん、次は俺が気づいてやろうと思っているが」
ランスロットは、力強い口調で言い切ると、ノエルの頭をポンと撫でた。
「あ、ありがとうございます。私、ランスロットさんを心配させたくなくて……。でも、真逆の結果になってしまいました」
「気にするな。……ノエル、スープを作ったのだが、食べれそうか? 薬を飲むためにも、何か腹に入れた方がいいだろう」
ランスロットは、しゅんとするノエルの膝の上にそっとお盆を置いた。
「一応、《蕪と卵の生姜スープ》なのだが、どうだ? 」
ランスロットは自信なさげだったが、スープからは食欲を促す生姜のいい香りが漂っていた。
「わぁっ! 美味しそうですね! いただきます!」
スープは、優しい味だった。ぽかぽかと身体に染み渡り、元気を与えてくれるような味だ。
「ランスロットさん、美味しいです。ありがとうございます」
「そうか。よかった」
ランスロットが自分のために作ってくれたと思うと、ノエルは嬉しくてたまらなかった。頬が自然と緩んでしまい、スプーンを動かす手が止まらない。
「ニナへのお礼、どうしましょう」
ノエルは、ふと、スープを飲みながら言った。
「パンをいっぱいプレゼントするか、お食事に誘うか……。私を家まで連れて来て、着替えまで手伝ってくれたんですし、もっと豪華にしましょうか……」
「着替えは……」
急にランスロットが口ごもり、ノエルは「ん?」と、彼を見つめた。
「ランスロットさん?」
ランスロットは眉間にシワを寄せ、申し訳なさそうに黙って視線を逸らしている。明らかに、おかしな態度だ。
「ま、ま、まさか! ランスロットさんがっ?」
ノエルは慌ててパジャマの襟を小さく引っ張り、中の下着を確認した。
裸ではない。が、身に付けていたのは、いつぞやにヴァレンが寄越した、いやらしい下着だったのだ!
「いやぁぁぁっ! 恥ずかしい! 消えたいっ!」
「すまん! ノエル! 身体を冷やしてはいかんと思い、手早く済ませた! やましいことは、何も……!」
ランスロットは、ノエルの想像以上のリアクションに驚き、ドアの方へ後ずさっている。
「分かってます! ランスロットさんは善意の塊って、分かってますけど! …… ランスロットさんのバカっ!」
何もないのも、女として情けない話だ。
ノエルの理不尽な怒りが爆発し、その矛先がヴァレンに向けられたのは翌日の話である。
「きゅふぅ~」
「なっ! セサミ、湿気で膨らみすぎではないか? 目も口も、毛で見えないぞ」
ランスロットはセサミを抱き上げると、もふもふした毛を掻き分けて、目を探し出した。
「きゅっ!」
ぱちりとつぶらな瞳が現れ、窓の外をじっと見つめている。
外は、雨が降っていた。雷鳴も轟く激しい雨が、急に降り出したのである。
「ノエルは、ちゃんと雨宿りできているだろうか。お前も心配なのだな、セサミ」
「きゅう……」
ノエルは、朝から市場と農場に買い出しに出掛けていた。一方のランスロットは、掃除を任されたため店で留守番をしていたのだが、ノエルが雨に打たれていないか、心配で落ち着かない。
「迎えに行くか。セサミは、ここで待っていてくれるか? もしかしたら、先にノエルが帰ってくるやもしれん」
ランスロットは、ノエルを探しに行こうと支度を始めた。
雨といえば、昔も、傘を忘れたアンジュを迎えに行ったことがある。本当は二人でディナーに行くはずだったのだが、アンジュが急な雨のせいで、商店で立ち往生し、待ち合わせ場所に現れなかったのだ。その後、ランスロットが散々アンジュを探し回り、ようやく彼女と合流できた時の彼女の申し訳なさそうな顔はよく覚えている。
「ランスロット、ごめんなさい。私、傘を忘れてしまって……。せっかくお食事の予定をしていたのに」
泣きそうになっているアンジュを、その時のランスロットは優しく抱きしめた。アンジュに何かあったのではと気が気でなかったため、安堵の気持ちが大きかったのだ。
「お前が無事でよかった。俺を信じて、待っていてくれたのだろう? それで十分だ。食事は、また今度行けばいい」
ランスロットの言葉に、アンジュもホッとしたように微笑んでいた。
あの時の感じた、信頼や愛おしさを思い出すと、なんだか胸が熱くなる。
そんなことを考えながら、ランスロットはドアに手を伸ばしたのだが──。
「ランちゃん、入んでぇぇーっ!」
勢いよくドアが開かれ、びしょびしょの少女が二人、店に入って来た。それは、ニナとノエルだった。
「何事だっ?」
「ちょ、ランちゃん! ノエル、支えたって!」
ニナは、自分の肩にしがみつくようにして歩いていたノエルを、ランスロットに強引に預けた。そのノエルはというと、意識が朦朧としているようで、人形のようにランスロットに寄り掛かってくる。
「ランちゃんとちごて、酔っ払いちゃうからな?」
ニナは、ノエルの身体からショルダーバッグを外しながら言った。慌てているのか、動作が荒っぽい。
「いったい、ノエルはどうしたんだっ? 身体が酷く熱い」
ランスロットはノエルの顔に触れ、その熱さに驚いた。間違いなく高熱がある。
「この子、朝から調子悪かったんやて。で、診療所に行って風邪薬もろて、でも帰りしなに大雨に降られて、びっしょびしょ! そんで、ウチの畑の近くを、ふらっふらしながら歩いてんねんもん!」
ニナはノエルのバックから薬袋を取り出し、テーブルに置いた。口調がいつもより更にキツいだけでなく、ランスロットを吊り上がった目でランスロットを睨みつけている。
「これ、後で飲ましたげてや」
「ニナ、すまない。ノエルが世話になった」
「ウチに謝っていらんわ! ノエルに謝ったって!」
ニナは荒ぶった様子で言い放ち、その後、心配そうな視線をノエルに向けた。
「この子、ランちゃんに心配かけたくなかったんやって。やし、こっそり薬貰いに行って。……ランちゃん! ちゃんとノエルのこと見たってや! ちゃ、ん、と!」
最後にもう一度念を押すと、ニナは店を後にした。
一方、言われっぱなしのランスロットは、返す言葉もなかった。ノエルが体調を崩していたなど、朝からまったく気がついていなかったのだ。ノエルは、いつも通りに笑顔で買い出しに出掛けていたと思っていた。しかし、あれが無理をした笑顔だったとは──。
「ノエル、すまん……」
自分がもっとしっかりしていれば、ノエルは体調を悪くしなかったかもしれない。もっと信頼があれば、素直に頼ってくれたかもしれない。
ランスロットは後悔の念に苛まれながら、ノエルに謝罪の言葉を掛けた。しかし、ノエルは目を閉じたまま、苦しそうな息をしており、返事はなかった。
すぐに、ベッドで寝かしてやらねば! と、ランスロットはノエルをタオルで包むと、そっと抱き抱え、彼女の部屋へと運んだ。
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これまで、ノエルがランスロットの部屋を覗くことはあったが、逆にランスロットが彼女の部屋に入るのは、今日が初めてだった。
子ども部屋みたいなものだろうか、とランスロットは思っていた。しかし、実際には女性らしい化粧台や、可愛いデザインのクローゼットが置かれており、その上、不思議と花のようないい香がしている。
「な、なんだか落ち着かんな」
ランスロットはノエルをベッドに横たえると、そわそわと部屋を見回した。
すると、セサミが後を追ってきたらしく、ドアの隙間から入り込んで来ていた。
「きゅきゅっ!」
セサミが、短い手でクローゼットを指している。その様子を見て、ランスロットはハッとした。
「濡れた服のままではいかん、と言いたいのだな! 分かった」
ランスロットは、セサミをノエルの枕元に移動させると、自分はクローゼットに近づいた。
開けて、いいのだろうか。いやしかし、このままではノエルの身体が冷えたままで、風邪がさらに悪化してしまう。あぁ、ニナにまだ残ってもらえばよかった。
ランスロットは躊躇ったものの、自分には、幼いノエルを看病する責任があると言い聞かせ、意を決してクローゼットを開く。
「寝巻きはどこだ、寝巻きは」
ごそごそとクローゼットを漁っていると、まるで泥棒の気分である。さっさと済ませなければと焦っていると、黒い皮袋が現れ、中身が飛び出してきた。
「こ、これは……!」
ランスロットがつまみ上げたそれは、非常に布面積の小さい、大人の女性の下着だった。否、下着というかほとんど紐である。
「ノエルが、このような趣味を……。いや、そんな馬鹿な」
ランスロットは、ひとり動揺しながら、眠っているノエルに視線を向けた。如何にも、純真無垢な少女だ。そんなはずはと、急に焦りが身体中を駆け巡る。
「何を考えているんだ、俺は! そんな場合ではないだろう!」
ランスロットは自らを叱咤し、急いで寝巻きを見つけ出すと、ノエルのそばに駆け戻った。そして、素早くノエルを寝巻きに着替えさせ、ベッドに寝かせた。
「ふぅ。手間取ってしまった」
ひと仕事終えたものの、何故だかランスロットは落ち着かなかった。バクバクという音がうるさいのだ。
「何だ? 煩わしい」
どこから音が出ているのか、部屋を見回してみるも、ノエルからは浅い寝息、セサミは「きゅう」と鳴いている。
残るは──。
「お、俺か?」
自分の心音の大きさに、ランスロットは驚いた。
子どもを看病するくらいで、何を緊張している!
ノエルの華奢な身体、柔らかな肌に触れた感覚が、自らの手に残って離れないのだ。そして同時に、先日ノエルに肩を抱かれた時の記憶が駆け巡っていた。
おかしい。どうしたんだ、俺は!
ランスロットは自らを落ち着かせるため、ベッドの縁に腰かけ、ノエルの寝顔を見つめた。人の寝顔を見ると安らかな気持ちになると、どこかで聞いたことがある気がしたからだ。
ノエルの白い肌、長いまつ毛、ピンク色の唇。いつもはポニーテールにしている髪が解かれ、枕に広がっている。
見れば見るほど、アンジュにそっくりで、ランスロットの胸は騒ついた。落ち着こうと思ったのだが、逆効果だった。
アンジュとの違いを探したかった。
いつまでも、ノエルとアンジュを重ねていてはいけないと思った。
「ノエル……」
ランスロットは、ノエルの頬に、唇に、ゆっくりと触れた。温かく、柔らかい。
もっと触れたいと、無意識に願った。
ランスロットは自らの身体を屈め、そっともう一度、ノエルの頬に触れ──、彼女の額に優しいキスを落とした。
そして、ハッと我に返った。
「お、俺は何をしているんだ! いや、な、何もしてない。してないぞ!」
ランスロットは、大慌てでベッドから離れ、遠巻きにノエルを見つめた。
大丈夫、ノエルは起きていないし、見た目も異常ない。
しかし。
「きゅぅぅぅぅ」
セサミが、ノエルの枕元からランスロットを凝視しているではないか。真っ直ぐに、つぶらな瞳が、「見てましたよ」と告げている。
「セサミ。 夕食の量を倍にしてやるから、今のことは忘れるんだ。分かったな?」
ランスロットは小声でまくし立てると、ノエルの部屋から逃げるように立ち去った。
一方、残されたセサミは、ランスロットの言葉を理解したかは謎だが、ノエルを温めるためにもそもそと布団の中に移動していった。
***
ノエルが目を覚ました時はすっかり日が暮れており、カーテンの隙間から月明かりが差し込んでいた。
「あれ……。私、いつの間に家に帰ってたんだっけ……」
ノエルが気だるさの残る身体を起こすと、掛け布団から眠っているセサミが転がり出てきた。
「セサミ、添い寝しててくれたのね。ありがとう」
そっとセサミを布団の中に戻していると、ガチャリとドアが開き、心配そうにしているランスロットが現れた。お盆の上に深皿が乗っており、どうやらスープを作ってきてくれたらしい。
「ノエル、目が覚めたか。体調はどうだ?」
「たくさん寝たら、だいぶ楽になりました。すみません、私、診療所に行ってからの記憶が曖昧で……」
「雨の中ふらふらしていたお前を、ニナがここまで連れて来てくれた。今度、礼をせねばならんな」
ランスロットの言葉に、ノエルは「ぜんぜん覚えてないです」と頭を抱えた。
「ニナに迷惑をかけてしまったんですね。あ~、私ってば!」
「そう思うならば、次からは俺を頼れ。もちろん、次は俺が気づいてやろうと思っているが」
ランスロットは、力強い口調で言い切ると、ノエルの頭をポンと撫でた。
「あ、ありがとうございます。私、ランスロットさんを心配させたくなくて……。でも、真逆の結果になってしまいました」
「気にするな。……ノエル、スープを作ったのだが、食べれそうか? 薬を飲むためにも、何か腹に入れた方がいいだろう」
ランスロットは、しゅんとするノエルの膝の上にそっとお盆を置いた。
「一応、《蕪と卵の生姜スープ》なのだが、どうだ? 」
ランスロットは自信なさげだったが、スープからは食欲を促す生姜のいい香りが漂っていた。
「わぁっ! 美味しそうですね! いただきます!」
スープは、優しい味だった。ぽかぽかと身体に染み渡り、元気を与えてくれるような味だ。
「ランスロットさん、美味しいです。ありがとうございます」
「そうか。よかった」
ランスロットが自分のために作ってくれたと思うと、ノエルは嬉しくてたまらなかった。頬が自然と緩んでしまい、スプーンを動かす手が止まらない。
「ニナへのお礼、どうしましょう」
ノエルは、ふと、スープを飲みながら言った。
「パンをいっぱいプレゼントするか、お食事に誘うか……。私を家まで連れて来て、着替えまで手伝ってくれたんですし、もっと豪華にしましょうか……」
「着替えは……」
急にランスロットが口ごもり、ノエルは「ん?」と、彼を見つめた。
「ランスロットさん?」
ランスロットは眉間にシワを寄せ、申し訳なさそうに黙って視線を逸らしている。明らかに、おかしな態度だ。
「ま、ま、まさか! ランスロットさんがっ?」
ノエルは慌ててパジャマの襟を小さく引っ張り、中の下着を確認した。
裸ではない。が、身に付けていたのは、いつぞやにヴァレンが寄越した、いやらしい下着だったのだ!
「いやぁぁぁっ! 恥ずかしい! 消えたいっ!」
「すまん! ノエル! 身体を冷やしてはいかんと思い、手早く済ませた! やましいことは、何も……!」
ランスロットは、ノエルの想像以上のリアクションに驚き、ドアの方へ後ずさっている。
「分かってます! ランスロットさんは善意の塊って、分かってますけど! …… ランスロットさんのバカっ!」
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