【コミカライズ】堕ちた聖騎士さまに贈るスペシャリテ〜恋した人はご先祖さまの婚約者でした〜
第14話 ロンダオニオンのグラタンスープ
ロンダルク領で、初めて結婚式が行われることになった。これまで、ど田舎と定評のあるロンダルク領では、若者たちは式を挙げようなどとは考えず、他所の領地の教会で行うことが通例だったからである。
しかし今回、新婦アイダ・イズローの強い希望により、ロンダルク領でささやかな式が取り行われることとなったのである。
「私の家、野菜農家なんやけどね。この人──、ツァイスはロッコウ領の貴族なんよ。でも、貴族の身分を捨てて、私と畑やってくれる言うんよ。アホやんね」
アイダは笑いながらノエルに語ったが、心から嬉しそうにしていることは見ただけで分かった。式のために伸ばしているのか、長く綺麗なこげ茶の髪をスッと掻き上げる仕草が大人っぽく、ノエルは思わず羨ましくなってしまう。
「そんな人やから、好きになったんやけどね。ロンダルクに来てくれるツァイスを、素敵な挙式で歓迎してあげたいと思って」
「僕の目の前で言わないでくれよ。さすがに照れてしまう」
新郎のツァイスは、恥ずかしそうにコーヒーをすすっているが、アイダへの視線は温かい。
ノエルは二人の幸せそうな顔を見つめながら、改めて、二人結婚式に携われることを嬉しく思った。
今回、ノエルは結婚式の料理担当として声が掛かっているのだ。他には、ロンダルクの花屋と仕立て屋が集い、ベーカリーカフェ ルブランで打ち合わせ中である。ブーケやブートニア、卓上花、ドレスやアクセサリー、ウエディングケーキ、そして食事はどのようにするか。さらに細かい日程の調整や、料金の相談……。
楽しい! 考えるだけで、わくわくする!
ノエルは新婦ではないが、如何にも「幸せのお手伝い」という仕事に胸を膨らませていた。
そして、後方に控えるランスロットをチラリと振り返ると、彼はなんだか懐かしそうな顔をして、打ち合わせを見守っていた。
ノエルはその様子を見て、ランスロットが自分の結婚式の打ち合わせを思い出しているのでは、と思った。嫌でも、以前、ノエルが垣間見た彼のアプラス領の記憶の中で、「俺たちの結婚式を楽しみにしていてくれ」という言葉を思い出してしまう。
アンジュと二人で、準備してたんだろうな……。
ランスロットとアンジュが仲睦まじく式の準備をしているところを想像すると、ノエルの心は少し痛くなった。
やだやだ。嫉妬なんてしたくないのに。
ランスロットのことは、好きになってはいけないのだ。そもそも、ランスロットからは、子ども扱いされているし、故人のアンジュには永久に敵わない。
「張り切らねばならんな、ノエル」
ふいにランスロットに声を掛けられ、ノエルは我に返った。
「は、はい! みんなで成功させましょう!」
***
翌日、ノエルはイズロー家の野菜農場を訪れていた。アイダ本人のリクエストにより、料理にはロンダルク領の野菜をふんだんに使うことになっているからである。
「ノエルちゃん、ごめんなぁ。こんな泥臭い畑に来てもろて」
アイダは長い髪をお団子ヘアにし、作業用のツナギを着ている。如何にも、農家の娘である。
一方、ノエルもニナからの借り物であるが、ちゃんとツナギを着てきた。泥だらけになる覚悟はバッチリだ。
「私、畑が好きなんで大丈夫ですよ! 食材がどんな風に育てられて、収穫されるのか、知っておくのって大切ですし。毎日パンをこねてるんで、力もありますよ!」
ノエルがむんっと力こぶしを作るポーズをすると、アイダは愉快そうに笑った。
「それは心強いわぁ。でも、かなり腰にくるから注意してな。私んとこのタマネギな、ロンダオニオンってブランドなんやけど、なかなか土から抜けへん根強いタマネギなんよ」
アイダの言う通り、たしかにロンダオニオンは手強かった。普通のタマネギは、晴れた日ならば割とスッと土から抜くことが出来る。しかし、ロンダオニオンは、まるで土にしがみついているかのように、なかなか地面から出てこない。
「うーーーん! 抜けないっ!」
ノエルがぜいぜいと息を切らして引っこ抜こうとしても、ロンダオニオンは一向に顔を見せてはくれない。
「あはは。やっぱり初めてやと難しいかなぁ。後で、タマネギだけ持って帰る?」
アイダはさすがに自分で育てているだけあって、手際よく収穫を進めている。
「アイダさん、早いですね!」
ノエルは、このままでは畑に来させてもらった意味がない以上に、情けなくて帰るに帰れない。
そこで、決して禁じ手ではないのだが、ノエルは精霊の力を借りることにした。
「土の精霊よ! 我と心話せよ──」
美味しく料理するから、力を貸してね。
ノエルは、土の精霊を介してロンダオニオンに語りかけた。すると、ロンダオニオンは、ごく軽い力で土中からスッと土から顔を出した。
「なに、今の? ノエルちゃん、タマネギするする抜いとった?」
アイダは目を丸くして、ノエルを見つめている。
「魔法で、ロンダオニオンに話しかけたんです。食材も生きてますから、話せば分かるというか」
「へぇ~、魔法料理人てすごいなぁ。収穫のたんびに来てくれへん?」
「うーん、それは私の魔力がもたないです」
残念ながら、ノエルでは広大な畑のたった一部しか収穫できないだろう。そして、野菜一つ一つに語り掛けていては、要する時間も膨大だ。
「あら、残念やわぁ。私が頑張るしか……、あっ! 次はツァイスが手伝ってくれるわ」
アイダは嬉しそうに頷くと、今度は抜いたタマネギを大きな箱に入れ始めた。どうやら、この箱に入れてタマネギを運ぶらしい。
「アイダさんとツァイスさんって、どんな出会いをされたんですか?」
ノエルは、アイダの作業を真似ながら尋ねた。
農家のアイダと貴族のツァイスの組み合わせは、なかなか一般的ではない。平民が貴族と話す機会など、そうそうないのである。
「私、ロッコウ領のツァイスの実家に、野菜を届けに行ったんよ。うちの野菜、お取り寄せしてくれるところもちょこちょこあってな。でも、玄関でツァイスが待ち伏せしてて。僕、野菜苦手なんでお引き取りください、とかアホなこと言うんよ」
「えっ? ツァイスさん、野菜が嫌いだったんですか?」
「そうなんよ! 大人気ないやんか、恥ずかしい。私も呆れてしもて。なんよ、このボンボン!って」
アイダは思い出し笑いをこらえられず、手からころころとタマネギを落としてしまっている。
「私のとこの野菜は、野菜嫌いの人でも食べれますから! って、私、ツァイスの口にロンダオニオンを無理矢理突っ込んだんよ。まぁ、それ以来の付き合いやね」
「えぇっ? そこからどうやって恋愛に発展したのか謎なんですけど!」
いくら甘味があって美味しいロンダオニオンといえど、いきなりそれを食べさせられたら、怒り出しそうなものである。
「そこは、ロンダオニオンの美味しさで円満よ。まぁ、ツァイスは貴族で私は平民やし、その辺でつらいことは多かったんやけど」
「やっぱり、反対されたりしたんですか?」
ノエルが聞くと、アイダは首を振った。
「周りから、やいやい言われることは、ほとんどなかったんよ。ただ、私が、ツァイスのこと好きになったらアカン、って長いこと思ってて。好きになったら、貴族のツァイスに迷惑かけてまうかなって」
「じゃあ、どうして?」
かつてのアイダは、今のノエルに似ている気がした。
好きになってはいけないと、言い聞かせる苦しい恋をしていたのだ。
「だって、アホらしいやん。私は、ツァイスを幸せにできんのは、私だけって知ってるんよ? 好きいう気持ちも、誰にも負けへんよ!」
拳をグッと握りしめるアイダは、新婦であるが男らしい。ノエルは彼女の力強い言葉に、胸がドキンと跳ねた心地がした。
「ノエルちゃんは、好きな人おるん?」
アイダの優しい視線が、ノエルの瞳を捉えた。
「私は──」
***
「さぁ、ランスロットさん! ブライダルメニューの試作をしますよ!」
ベーカリーカフェルブランに戻ったノエルは、収穫したばかりのロンダオニオンを、箱ごとキッチンにドンッと置いた。
「これはまた、大量だな」
「私、頑張って収穫を手伝って来ましたから!」
木箱には、大量のロンダオニオンが詰まっている。大きさはみかんくらい小ぶりなのだが、それだけ甘みが凝縮されているのが特徴である。
「では、オニオングラタンスープを作ります」
「ほう。俺も好きだぞ」
ランスロットの低くてよく響く声に、思わずドキッとしてしまったが、もちろん料理の話だ。
オニオングラタンスープは、飴色に煮詰めたタマネギのスープにバケットとチーズを乗せ、オーブンで焼く料理だ。ノエルも、よく父親に作ってもらった覚えがあり、大好きな料理である。
「ランスロットさん、タマネギの微塵切りをお願いします」
「よし、任せろ」
ランスロットはタマネギを刻み始めたが、華麗な槍裁きと違い、包丁での微塵切りはぎこちない。ザクッザクッと、ゆっくりとテンポの悪い音が聞こえてくる。
「ふふ。まだまだ修行が必要ですね!」
「そのようだ。だが、タマネギは手強いな。目が痛くて、涙が止まらん。恐らく、魔王も涙するぞ」
天然発言ではなく、彼が冗談を言うのは珍しい。それだけ仲良くなれたということなのだろうかと、ノエルはランスロットの泣き顔を見ながら微笑んだ。
「じゃあ、魔王戦にタマネギは必須ですね!」
「もしくは、そのようなアイテムがあれば……」
ランスロットは、コックコートの袖で涙を拭いながら、なんとかタマネギの微塵切りを終えた。次は、飴色になるまで炒める作業だ。
一方ノエルは、ランスロットがタマネギを炒める様子を見守りながら、自分はフランスパンを成型し始めた。ソレイユ小麦を使った、外皮はパリパリ、内はもっちりとしたパンを焼く予定だ。
「ノエルは、誰かの結婚式に出席したことはあるか?」
ふと、ランスロットが口を開く。視線はタマネギに注がれているが、ちらっとだけこちらを見ていた気がした。
「実は参加したことなくて。親戚も近くにいなかったし、私の歳だと、友達が結婚することも、まだありませんから」
そのため、現在ノエルは、結婚式について本で猛勉強しているところである。
「楽しいものだぞ、結婚式は。とくに、披露宴の料理は、ゲストに感謝の気持ちを伝える最高の手段だ。気持ちの分だけ、料理が美味い……と、参加した時は感じたものだ」
ランスロットは、懐かしそうに語った。
貴族のランスロットが参加する結婚式ということは、さぞかし豪華な会に違いないが、感謝の気持ちを伝える料理という考え方は、ノエルも気に入った。
「じゃあ、新郎新婦の感謝の気持ちを、私たちが代弁してあげなきゃですね!」
「そういうことだ」
きっと、アンジュともそんな話をしたのだろうなと、ノエルは思った。
昨日までのノエルなら、そこで胸が痛くなっていただろう。しかし、今は違っていた。
アンジュとランスロットの過去を振り返ることには限りがある。しかし、今、ランスロットと時間を共有するノエルには、無限の可能性がある。
それは、ノエル次第であることは分かっている。ノエル次第で、その「気持ち」は誰にも負けない感情になる。
「見ててください、ランスロットさん」
つい、声が出てしまい、ノエルはハッとした。
「次はどうするんだ、ノエル?」
料理の手順のことと思ってくれたらしく、ランスロットは、素直にノエルの方を見ていた。思わぬタイミングで視線が重なり、ノエルはうろたえてしまう。
「あー、えっとですね! その飴色タマネギにお水を入れて煮ていくんですけど、せっかくのロンダオニオンなので、丸ごと煮も入れようかなと!」
ノエルは慌ててレシピを説明し、ランスロットの代わりに水を鍋に注いだ。そして、ランスロットに近付くと、よくあることだが、彼の手がポンと頭に乗ってくる。
「どうかしました? ランスロットさん」
「いや。今日のノエルは、なぜだか雰囲気が違って見えた」
大きな手の平をふわりと離しながら、ランスロットは微笑んだ。
「アイダ大先生のおかげで、私、吹っ切れましたので!」
ノエルの言葉に、ランスロットは「何を?」という表情を浮かべたが、ノエルは笑って誤魔化した。
ゆっくりじっつくりでいい。少しずつ想いが伝われば、それでいい。
そして二人が他愛無い会話を交わしている内に、スープはコトコトと煮込まれ、赤色の可愛らしい器に注がれた。
「その上にフランスパンのスライスを乗せて……。さらにチーズを乗せて……、オーブンへ!」
炎の精霊の力を借りたオーブンは、あっという間にスープを焼き上げた。そして、チーズの芳醇な香りが、キッチン全体に広がっていく。
ノエルはお気に入りのキッチンミトンを付けて、オーブンからスープを取り出すと、そっとテーブルへ運んだ。
「いただきましょう! 《ロンダオニオンのグラタンスープ》」
ノエルとランスロットが椅子に腰掛けると、セサミが何処からともなく現れ、そろりとスープに近づいてきた。
「こら。スープは熱くて危ないから、セサミはこっちよ」
「きゅう~」
ノエルが、セサミの口元にフランスパンの残りを丸ごと置いてやると、セサミは嬉しそうにかじりついた。なんとも愛らしい。
そして、「さて」とノエルはランスロットの方を見やった。
「ランスロットさん、どうぞ。あ~ん、しますよ」
ノエルは、スープの染み込んだパンをスプーンですくい取り、それをランスロットの口元に持っていった。それは軽い冗談のつもりで、彼の困惑した表情を見たら、すぐにスプーンを引っ込めるつもりだった。しかし──。
「ん……」
ノエルがハッとした時には、スプーンの上のパンは、ランスロットの口に収まっていた。
「えっ! えっ?」
混乱したのはノエルの方で、やたらセクシーに「あ~ん」を受け入れたランスロットの姿を脳内再生し、ボンッと頭が爆発してしまいそうになっていた。
「ふぅ……。なかなか熱いぞ。だが、美味だな」
ランスロットは、目を白黒させているノエルには気がつかずに、うんうんと一人で頷いていた。
だがもちろん、「タマネギの甘味がいい」だとか、「チーズのコクが効いている」だとか、彼の大事な感想はノエルの耳には入ってきていない。
「今ので、いい案を思いついたぞ。ノエル、ファーストバイトというものを知っているか? 新郎新婦が、ウエディングケーキを互いにスプーンで食べさせ合うという行為でな。どのような意味があるかというと……」
平然の語るランスロットの説明は、こちらもまったくノエルの頭には入ってこない。
ランスロットさんの天然たらし! いつか、絶対振り向かせてやるんだから!
そんな強い想いが、ノエルのなかに芽生えていた。
しかし今回、新婦アイダ・イズローの強い希望により、ロンダルク領でささやかな式が取り行われることとなったのである。
「私の家、野菜農家なんやけどね。この人──、ツァイスはロッコウ領の貴族なんよ。でも、貴族の身分を捨てて、私と畑やってくれる言うんよ。アホやんね」
アイダは笑いながらノエルに語ったが、心から嬉しそうにしていることは見ただけで分かった。式のために伸ばしているのか、長く綺麗なこげ茶の髪をスッと掻き上げる仕草が大人っぽく、ノエルは思わず羨ましくなってしまう。
「そんな人やから、好きになったんやけどね。ロンダルクに来てくれるツァイスを、素敵な挙式で歓迎してあげたいと思って」
「僕の目の前で言わないでくれよ。さすがに照れてしまう」
新郎のツァイスは、恥ずかしそうにコーヒーをすすっているが、アイダへの視線は温かい。
ノエルは二人の幸せそうな顔を見つめながら、改めて、二人結婚式に携われることを嬉しく思った。
今回、ノエルは結婚式の料理担当として声が掛かっているのだ。他には、ロンダルクの花屋と仕立て屋が集い、ベーカリーカフェ ルブランで打ち合わせ中である。ブーケやブートニア、卓上花、ドレスやアクセサリー、ウエディングケーキ、そして食事はどのようにするか。さらに細かい日程の調整や、料金の相談……。
楽しい! 考えるだけで、わくわくする!
ノエルは新婦ではないが、如何にも「幸せのお手伝い」という仕事に胸を膨らませていた。
そして、後方に控えるランスロットをチラリと振り返ると、彼はなんだか懐かしそうな顔をして、打ち合わせを見守っていた。
ノエルはその様子を見て、ランスロットが自分の結婚式の打ち合わせを思い出しているのでは、と思った。嫌でも、以前、ノエルが垣間見た彼のアプラス領の記憶の中で、「俺たちの結婚式を楽しみにしていてくれ」という言葉を思い出してしまう。
アンジュと二人で、準備してたんだろうな……。
ランスロットとアンジュが仲睦まじく式の準備をしているところを想像すると、ノエルの心は少し痛くなった。
やだやだ。嫉妬なんてしたくないのに。
ランスロットのことは、好きになってはいけないのだ。そもそも、ランスロットからは、子ども扱いされているし、故人のアンジュには永久に敵わない。
「張り切らねばならんな、ノエル」
ふいにランスロットに声を掛けられ、ノエルは我に返った。
「は、はい! みんなで成功させましょう!」
***
翌日、ノエルはイズロー家の野菜農場を訪れていた。アイダ本人のリクエストにより、料理にはロンダルク領の野菜をふんだんに使うことになっているからである。
「ノエルちゃん、ごめんなぁ。こんな泥臭い畑に来てもろて」
アイダは長い髪をお団子ヘアにし、作業用のツナギを着ている。如何にも、農家の娘である。
一方、ノエルもニナからの借り物であるが、ちゃんとツナギを着てきた。泥だらけになる覚悟はバッチリだ。
「私、畑が好きなんで大丈夫ですよ! 食材がどんな風に育てられて、収穫されるのか、知っておくのって大切ですし。毎日パンをこねてるんで、力もありますよ!」
ノエルがむんっと力こぶしを作るポーズをすると、アイダは愉快そうに笑った。
「それは心強いわぁ。でも、かなり腰にくるから注意してな。私んとこのタマネギな、ロンダオニオンってブランドなんやけど、なかなか土から抜けへん根強いタマネギなんよ」
アイダの言う通り、たしかにロンダオニオンは手強かった。普通のタマネギは、晴れた日ならば割とスッと土から抜くことが出来る。しかし、ロンダオニオンは、まるで土にしがみついているかのように、なかなか地面から出てこない。
「うーーーん! 抜けないっ!」
ノエルがぜいぜいと息を切らして引っこ抜こうとしても、ロンダオニオンは一向に顔を見せてはくれない。
「あはは。やっぱり初めてやと難しいかなぁ。後で、タマネギだけ持って帰る?」
アイダはさすがに自分で育てているだけあって、手際よく収穫を進めている。
「アイダさん、早いですね!」
ノエルは、このままでは畑に来させてもらった意味がない以上に、情けなくて帰るに帰れない。
そこで、決して禁じ手ではないのだが、ノエルは精霊の力を借りることにした。
「土の精霊よ! 我と心話せよ──」
美味しく料理するから、力を貸してね。
ノエルは、土の精霊を介してロンダオニオンに語りかけた。すると、ロンダオニオンは、ごく軽い力で土中からスッと土から顔を出した。
「なに、今の? ノエルちゃん、タマネギするする抜いとった?」
アイダは目を丸くして、ノエルを見つめている。
「魔法で、ロンダオニオンに話しかけたんです。食材も生きてますから、話せば分かるというか」
「へぇ~、魔法料理人てすごいなぁ。収穫のたんびに来てくれへん?」
「うーん、それは私の魔力がもたないです」
残念ながら、ノエルでは広大な畑のたった一部しか収穫できないだろう。そして、野菜一つ一つに語り掛けていては、要する時間も膨大だ。
「あら、残念やわぁ。私が頑張るしか……、あっ! 次はツァイスが手伝ってくれるわ」
アイダは嬉しそうに頷くと、今度は抜いたタマネギを大きな箱に入れ始めた。どうやら、この箱に入れてタマネギを運ぶらしい。
「アイダさんとツァイスさんって、どんな出会いをされたんですか?」
ノエルは、アイダの作業を真似ながら尋ねた。
農家のアイダと貴族のツァイスの組み合わせは、なかなか一般的ではない。平民が貴族と話す機会など、そうそうないのである。
「私、ロッコウ領のツァイスの実家に、野菜を届けに行ったんよ。うちの野菜、お取り寄せしてくれるところもちょこちょこあってな。でも、玄関でツァイスが待ち伏せしてて。僕、野菜苦手なんでお引き取りください、とかアホなこと言うんよ」
「えっ? ツァイスさん、野菜が嫌いだったんですか?」
「そうなんよ! 大人気ないやんか、恥ずかしい。私も呆れてしもて。なんよ、このボンボン!って」
アイダは思い出し笑いをこらえられず、手からころころとタマネギを落としてしまっている。
「私のとこの野菜は、野菜嫌いの人でも食べれますから! って、私、ツァイスの口にロンダオニオンを無理矢理突っ込んだんよ。まぁ、それ以来の付き合いやね」
「えぇっ? そこからどうやって恋愛に発展したのか謎なんですけど!」
いくら甘味があって美味しいロンダオニオンといえど、いきなりそれを食べさせられたら、怒り出しそうなものである。
「そこは、ロンダオニオンの美味しさで円満よ。まぁ、ツァイスは貴族で私は平民やし、その辺でつらいことは多かったんやけど」
「やっぱり、反対されたりしたんですか?」
ノエルが聞くと、アイダは首を振った。
「周りから、やいやい言われることは、ほとんどなかったんよ。ただ、私が、ツァイスのこと好きになったらアカン、って長いこと思ってて。好きになったら、貴族のツァイスに迷惑かけてまうかなって」
「じゃあ、どうして?」
かつてのアイダは、今のノエルに似ている気がした。
好きになってはいけないと、言い聞かせる苦しい恋をしていたのだ。
「だって、アホらしいやん。私は、ツァイスを幸せにできんのは、私だけって知ってるんよ? 好きいう気持ちも、誰にも負けへんよ!」
拳をグッと握りしめるアイダは、新婦であるが男らしい。ノエルは彼女の力強い言葉に、胸がドキンと跳ねた心地がした。
「ノエルちゃんは、好きな人おるん?」
アイダの優しい視線が、ノエルの瞳を捉えた。
「私は──」
***
「さぁ、ランスロットさん! ブライダルメニューの試作をしますよ!」
ベーカリーカフェルブランに戻ったノエルは、収穫したばかりのロンダオニオンを、箱ごとキッチンにドンッと置いた。
「これはまた、大量だな」
「私、頑張って収穫を手伝って来ましたから!」
木箱には、大量のロンダオニオンが詰まっている。大きさはみかんくらい小ぶりなのだが、それだけ甘みが凝縮されているのが特徴である。
「では、オニオングラタンスープを作ります」
「ほう。俺も好きだぞ」
ランスロットの低くてよく響く声に、思わずドキッとしてしまったが、もちろん料理の話だ。
オニオングラタンスープは、飴色に煮詰めたタマネギのスープにバケットとチーズを乗せ、オーブンで焼く料理だ。ノエルも、よく父親に作ってもらった覚えがあり、大好きな料理である。
「ランスロットさん、タマネギの微塵切りをお願いします」
「よし、任せろ」
ランスロットはタマネギを刻み始めたが、華麗な槍裁きと違い、包丁での微塵切りはぎこちない。ザクッザクッと、ゆっくりとテンポの悪い音が聞こえてくる。
「ふふ。まだまだ修行が必要ですね!」
「そのようだ。だが、タマネギは手強いな。目が痛くて、涙が止まらん。恐らく、魔王も涙するぞ」
天然発言ではなく、彼が冗談を言うのは珍しい。それだけ仲良くなれたということなのだろうかと、ノエルはランスロットの泣き顔を見ながら微笑んだ。
「じゃあ、魔王戦にタマネギは必須ですね!」
「もしくは、そのようなアイテムがあれば……」
ランスロットは、コックコートの袖で涙を拭いながら、なんとかタマネギの微塵切りを終えた。次は、飴色になるまで炒める作業だ。
一方ノエルは、ランスロットがタマネギを炒める様子を見守りながら、自分はフランスパンを成型し始めた。ソレイユ小麦を使った、外皮はパリパリ、内はもっちりとしたパンを焼く予定だ。
「ノエルは、誰かの結婚式に出席したことはあるか?」
ふと、ランスロットが口を開く。視線はタマネギに注がれているが、ちらっとだけこちらを見ていた気がした。
「実は参加したことなくて。親戚も近くにいなかったし、私の歳だと、友達が結婚することも、まだありませんから」
そのため、現在ノエルは、結婚式について本で猛勉強しているところである。
「楽しいものだぞ、結婚式は。とくに、披露宴の料理は、ゲストに感謝の気持ちを伝える最高の手段だ。気持ちの分だけ、料理が美味い……と、参加した時は感じたものだ」
ランスロットは、懐かしそうに語った。
貴族のランスロットが参加する結婚式ということは、さぞかし豪華な会に違いないが、感謝の気持ちを伝える料理という考え方は、ノエルも気に入った。
「じゃあ、新郎新婦の感謝の気持ちを、私たちが代弁してあげなきゃですね!」
「そういうことだ」
きっと、アンジュともそんな話をしたのだろうなと、ノエルは思った。
昨日までのノエルなら、そこで胸が痛くなっていただろう。しかし、今は違っていた。
アンジュとランスロットの過去を振り返ることには限りがある。しかし、今、ランスロットと時間を共有するノエルには、無限の可能性がある。
それは、ノエル次第であることは分かっている。ノエル次第で、その「気持ち」は誰にも負けない感情になる。
「見ててください、ランスロットさん」
つい、声が出てしまい、ノエルはハッとした。
「次はどうするんだ、ノエル?」
料理の手順のことと思ってくれたらしく、ランスロットは、素直にノエルの方を見ていた。思わぬタイミングで視線が重なり、ノエルはうろたえてしまう。
「あー、えっとですね! その飴色タマネギにお水を入れて煮ていくんですけど、せっかくのロンダオニオンなので、丸ごと煮も入れようかなと!」
ノエルは慌ててレシピを説明し、ランスロットの代わりに水を鍋に注いだ。そして、ランスロットに近付くと、よくあることだが、彼の手がポンと頭に乗ってくる。
「どうかしました? ランスロットさん」
「いや。今日のノエルは、なぜだか雰囲気が違って見えた」
大きな手の平をふわりと離しながら、ランスロットは微笑んだ。
「アイダ大先生のおかげで、私、吹っ切れましたので!」
ノエルの言葉に、ランスロットは「何を?」という表情を浮かべたが、ノエルは笑って誤魔化した。
ゆっくりじっつくりでいい。少しずつ想いが伝われば、それでいい。
そして二人が他愛無い会話を交わしている内に、スープはコトコトと煮込まれ、赤色の可愛らしい器に注がれた。
「その上にフランスパンのスライスを乗せて……。さらにチーズを乗せて……、オーブンへ!」
炎の精霊の力を借りたオーブンは、あっという間にスープを焼き上げた。そして、チーズの芳醇な香りが、キッチン全体に広がっていく。
ノエルはお気に入りのキッチンミトンを付けて、オーブンからスープを取り出すと、そっとテーブルへ運んだ。
「いただきましょう! 《ロンダオニオンのグラタンスープ》」
ノエルとランスロットが椅子に腰掛けると、セサミが何処からともなく現れ、そろりとスープに近づいてきた。
「こら。スープは熱くて危ないから、セサミはこっちよ」
「きゅう~」
ノエルが、セサミの口元にフランスパンの残りを丸ごと置いてやると、セサミは嬉しそうにかじりついた。なんとも愛らしい。
そして、「さて」とノエルはランスロットの方を見やった。
「ランスロットさん、どうぞ。あ~ん、しますよ」
ノエルは、スープの染み込んだパンをスプーンですくい取り、それをランスロットの口元に持っていった。それは軽い冗談のつもりで、彼の困惑した表情を見たら、すぐにスプーンを引っ込めるつもりだった。しかし──。
「ん……」
ノエルがハッとした時には、スプーンの上のパンは、ランスロットの口に収まっていた。
「えっ! えっ?」
混乱したのはノエルの方で、やたらセクシーに「あ~ん」を受け入れたランスロットの姿を脳内再生し、ボンッと頭が爆発してしまいそうになっていた。
「ふぅ……。なかなか熱いぞ。だが、美味だな」
ランスロットは、目を白黒させているノエルには気がつかずに、うんうんと一人で頷いていた。
だがもちろん、「タマネギの甘味がいい」だとか、「チーズのコクが効いている」だとか、彼の大事な感想はノエルの耳には入ってきていない。
「今ので、いい案を思いついたぞ。ノエル、ファーストバイトというものを知っているか? 新郎新婦が、ウエディングケーキを互いにスプーンで食べさせ合うという行為でな。どのような意味があるかというと……」
平然の語るランスロットの説明は、こちらもまったくノエルの頭には入ってこない。
ランスロットさんの天然たらし! いつか、絶対振り向かせてやるんだから!
そんな強い想いが、ノエルのなかに芽生えていた。
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