【コミカライズ】堕ちた聖騎士さまに贈るスペシャリテ〜恋した人はご先祖さまの婚約者でした〜

ゆちば

第9話 バルサミコソースのロッコウビーフサンド

 4月16日。いよいよ新生ベーカリーカフェルブランがオープンする日だ。
 ノエルたちはロンダルク領に来て数週間、【幽霊屋敷】の掃除や必要物品の調達、宣伝、農家との交渉など、着々と準備を進めてきた。
 なかでもノエルが気に入っているものは、ホカイドとフランの領主夫妻がプレゼントしてくれた木製の吊り下げ看板だ。アザラシの形をした木枠がとても可愛らしいだけでなく、木材そのものも、耐久性が王国一と言われるヤブキ神樹が使われているらしい。


「こんな素敵なものを戴いたんだから、セサミには看板アザラシとして頑張ってもらわないとね」


 ノエルはキッチンで作業をしながら、カウンターテーブルの上でアプラの実をかじっているセサミに語りかけた。


「きゅ?」


 セサミは、きょとんとした様子でノエルを見つめ返している。


「いいよ、続きをお食べ」
「きゅうっ」


 可愛いの一言に尽きる。


 ノエルの言葉を理解できたのかは不明だが、セサミは食事を再開させた。ノエルはその愛らしい姿に胸をキュンとさせつつ、焼きあがったパンを大皿に並べていく。
 ベーカリーカフェ ルブランは予約制のお店にする予定だが、今日だけは出入り自由のビュッフェ形式にすることにしていた。時間は12時から15時で、料金は格安の700Gと、赤字覚悟のオープンパーティである。


 最初が肝心だから! 少しでも多くの人たちに、受け入れてもらわなくちゃ!


 どれだけの集客が見込めるか分からないが、ビュッフェであるからには死ぬ気でキッチンを回さなければならないだろう。
 ノエルは自分をありったけ鼓舞し、初めてのビュッフェに燃えていた。
 今はセサミが食事中だが、店のカウンターテーブルに料理を並べ、ホール内と店の外にもテーブルを出す予定だ。今日はとても暖かく、天気もいいので、外での食事も気持ちが良さそうだ。


「ノエル、戻ったぞ!」


 カランカランとドアベルが鳴り、ランスロットが鎧を軋ませながら店に駆け込んで来る。その手には、大きな紙包みが二つ抱えられていた。


「おかえりなさい! ランスロットさん。で、例のものは……?」
「あぁ。仕立て屋も大満足の出来らしい」


 ランスロットに包みの一つを渡され、ノエルは目をキラキラと輝かせた。
 それは、ベーカリーカフェ ルブランを開店させるにあたり、新しく仕立ててもらったコックコートだった。
 ノエルは、今までは、ナイトランド領にいた時から使っていたエプロンをしていた。だが、やはり心機一転したいという想いがあり、自分とランスロットの分の制服を町の仕立て屋に依頼したのだ。まさか当日ギリギリまでかかるとは思っていなかったが、無事に手元に届いたので安心だ。


「料理の準備が一区切りついたら、着替えますね! ランスロットさんは、テーブルの配置や、お皿などの用意をお願いします!」
「了解だ、オーナー」


 ランスロットはいい返事をすると、セサミの汚れた口元を布巾でごしごしと拭き始めた。まるで父親と赤ん坊のようで、つい可笑しくなる。


 あぁ、またランスロットさんのこと、可愛いと思っちゃった……!


 ノエルはフルーツの飾り切りをしながら、あの夜のランスロットとのダンスを思い出していた。甘く、優雅な時間で、思い出すだけで胸がドキドキしてしまう。


 あの夜──、【エフェル祭り】の夜に、ノエルはランスロットへの恋心を自覚した。
 彼のことをつい、目で追ってしまう。近くにいたい。もっと知りたい。
 そう思う一方で、彼を知ることが怖くなっていた。
 ランスロットを知れば知るほど、アンジュへの愛の深さを実感してしまうだろう。そして、アンジュは亡くなっているとはいえ、二人の強い絆を裂きたくはなかったし、三百年という時間を失っているランスロットが、アンジュの死を受け止め切れているようにも思えなかったのだ。


 好きになったら、ダメだったのに。私のバカ!


「はぁぁ~。……あっ!」


 ひとりため息を吐いた時、ノエルはうっかり、果物ナイフで人差し指を切ってしまった。じんわりと血が滲み出し、ノエルは慌ててナイフを置いた。


「いたぁっ……!」
「どうした? 指を切ったのか?」


 ランスロットが心配そうな声をあげ、素早くキッチンにやって来た。


「あ、いえ! ちょっと考え事してたら……。大したことないので大丈夫ですよ!」


「平気平気」と笑ってみせるが、ランスロットは納得せずに、「指を見せろ」と強引にノエルの手を取った。
 するとノエルは身体ごと引っ張られ、彼の息がかかるほどの距離の近さに、思わず緊張してしまう。


 ちちちち、近い! 心臓に悪い!


「癒せ、【ライフィア】」


 真っ赤になって戸惑うノエルをよそに、ランスロットは治癒術の呪文を唱える。彼は治癒術にも秀でているようで、淡く白い光がノエルの傷をスゥッと癒していった。


「あ、ありがとうございます」
「料理中に考え事とは、珍しいな。それとも、何か悩み事でもあるのか?」


 ランスロットの真っ直ぐな瞳を見ていると、つい「あなたのことです」と正直に言ってしまいそうになる。
 しかし、ノエルは言葉と恋情をぐっと押し込み、首をぶんぶんと横に振った。


「オープンなので、緊張しちゃって。心配をおかけして、すみません」
「きっと大丈夫だ。お前の料理は、客の心を動かす。俺が証人だ」


 ランスロットは安心したようにノエルの頭を軽く撫で、キッチンを出て行った。






「もうっ!」


 ノエルは、ランスロットがテーブルクロスを持って外に出たのを確認すると、両手で顔を覆いながら叫んだ。


「ランスロットさんのバカ! ずるい!」


 あんな王子様アクションを無意識でやっているとしたら、ランスロットは相当な天然たらしだ。こんな状況を耐えられる者などいるのだろうか、と疑問が浮かぶ。
 そして、これ以上ドキドキさせないでくれという想いと、自分にだけの優しさであってほしいという独占欲が入り混じり、ノエルは自らを嫌悪した。


「私はランスロットさんの協力者。アンジュの子孫。それ以上はダメ!」


 ノエルが声に出すと、セサミが気になったようでこちらをじっと見つめていた。


「びっくりさせてごめんね、セサミ。さぁ! 今日は頑張ろうね!」










 ***


 お昼の12時ぴったりに、ベーカリーカフェルブランはオープンした。
 ホカイドとフランの領主夫妻、契約農家さん、近所に住む家族、女子学生のグループ、祭りの時に来てくれた客たちの姿もちらほらと見え、次々に店に人が訪れた。開店から並んでくれていたようで、ノエルは嬉しさが込み上げてくる。


「いらっしゃいませ! ベーカリーカフェルブランへ、ようこそ!」


 新品のコックコートに身を包み、ノエルは飛び切りの笑顔で客を迎えた。ランスロットも、それに倣って笑顔で客を案内している。肩にはセサミである。


 ノエルは白のコックコートに、赤のチェック柄のコックタイとショートエプロン。ポニーテールを結わえるリボンも赤チェック柄だ。
 そして、ランスロットは黒のコックコートに青のチェック柄のコックタイとロングエプロンだ。しかし、銀の鎖は相変わらず巻きついたままなので、どうしても客の視線はそこに集まっている。


「ノエルちゃん、オープンおめでとだ! ランスロット君も騎士様だのに、エプロンがよぅ似合うとる。だけんど、その鎖は……?」 


 ホカイドは開店祝いのワインとジュースを渡しながら、不思議そうにランスロットを見つめていた。


「自動洗浄スキルの付いた、マジックアイテムなので大丈夫です! お洒落でしょ! だから気にしないで、おじ様! ね! そうですよね、ランスロットさん」
「あ、あぁ。その通りだ」


 ノエルはみんなに聞こえるように言い切り、ランスロットの背中をパシパシと叩く。ランスロットも、話を合わせて頷いた。
 まさか、記憶を封じている闇の世界の鎖です、などとは口が裂けても言えない。もう、誰も鎖のことには触れないでほしい。


「せっかく、おじ様からいただいたワインとジュースですから、みんなで戴きましょう。用意するので、さぁさぁ奥へどうぞ!」


 ホカイドだけでなく、他の客たちも、カウンターの料理を見てうっとりとした歓声をあげた。
 そこには彩り豊かなロンダルク野菜をふんだんに使った、ノエル自慢の料理が並んでいた。


「はぁ~、どれも美味しそうやねぇ! どんな料理なんか教えてくれる?」


 フランの言葉にランスロットが素早く反応し、彼はスッとカウンターの横に移動した。


「右から、《ロンダかぼちゃとカッテージチーズのヨーグルトソース和え》。これは、本日お越しいただいている、ハーウィン殿の畑で獲れたロンダかぼちゃを使っている。深い甘味とヨーグルトのさっぱりとした味が、パンによく合う。その隣は、《ルビートマトとロンダボのオリーブオイルがけ》で……」


 ランスロットは一品一品丁寧に説明しており、客も真剣に耳を傾けている。昨晩、メニューの内容をみっちり覚えてもらった甲斐がある、とノエルは微笑んだ。
 今日のビュッフェのテーマは、《のせて食べる》だ。ルブラン自慢のパン──、バケットやライ麦パン、ロールパン、クロワッサン、食パンなどを食べやすいようにカットしたり、切れ目を入れたりして、セルフで料理と合わせて食べてもらうのだ。もちろん、そのまま食べてもらっても構わない。


 ノエルは料理の反応が気になり、キッチンからホールをこっそりと覗いたが、客はノエルの意図通りわいわいと楽しそうにパンに料理をのせていた。
 そして、ランスロットは飲み物を配ったり、皿を下げたりしながら、ホールを回っている。


「それは、ブラックオリーブとアンチョビ、オリーブ、チーズのペーストだ。ナッツの入ったライ麦パンとの相性がいい」


 ランスロットは料理を見て迷っている女性客に声を掛け、お勧めの組み合わせを教えていた。客の方、ランスロットにうっとりしながら、しきりに首を縦に振っている。


 ほんっとうに有り難い店員さんだわ。


 ノエルはキッチンに戻り、高速でスコーン作りに取り掛かった。しばらくしたら、デザートを食べようとする人が出て来るはずで、焼きたてのスコーンとフィナンシェを提供しようと考えていたのだ。
 しかし、ビュッフェの難しいところは、どんどんホールの料理が減っていき、追加しなければならないことである。
 ノエルがスコーンのタネ作りをしていたところに、ランスロットは駆け足でやって来た。


「ノエル、クロワッサンがとても人気だ。それと、ナイトバードのソテーもなくなりそうだぞ」
「クロワッサン人気は読んでましたよ! もうすぐ、追加分が焼き上がります! ナイトバードは今すぐ焼きます!」


 忙しいことは、嫌いではない。客がまったく来なくなってしまった当時のことを思えば、楽しいものである。
 ノエルはにこにこしながら、フライパンを三つコンロの上に並べ、一気に加熱した。炎の精霊が過労で怒り出さないうちは、全力で協力してもらおう。
 そしてチラリと隣を見ると、ホールが落ち着いた隙を見て、ランスロットが皿をテキパキと洗っている。


「お客が美味しいと言ってくれるのは、嬉しいものだな」


 ランスロットは、呟くように言った。


「アンジュの店も、少しは手伝ってやれば良かったかもしれん」


 ノエルは言葉を返そうと思ったが、声がぐっと喉の奥で詰まってしまった。彼の口から出た「アンジュ」の名前が、胸の痛い場所をえぐるのだ。だからノエルは、聞こえなかったフリをして、ランスロットににそっと背を向けた。


「ナイトバードのソテーが焼けたので、ホールに出してきます」


 ノエルは努めて明るい声を出し、ソテーを大皿に盛って運びに出た。


 いけないいけない! こんな時に、ヤキモチなんて!


 切り替えなければと自己嫌悪の情を振り払いながら、ノエルは料理を並べ、同時に減っていそうなものもチェックして回った。


「やっぱりお肉系がよく出るわね。生ハムとソーセージが順調にハケてる……」
「じゃ、この肉を使ってくれよ!」


 ノエルは独り言のつもりだったが、背後の客には聞こえていたらしい。くるりと振り返ると、ハインツと傭兵ヴァレンが立っていた。


「いよっ! ノエル! オープンおめでとさん」
「いやぁ、なかなか繁盛してそうだね」
「ありがとう、ハインツ! ヴァレンさん! 来てくれて嬉しい!」


 実のところ、ヴァレンはともかく、ハインツが開店時にいなかったことが気になっていたのだ。親しいハインツなら、一番乗りで来てくれると思っていたので、姿が見えず心配していたのだ。


「このお肉、Sランクのロッコウ牛の赤身じゃない!  いったいどうしたの?」


 ノエルは、ハインツに手渡された包みを開いて驚いた。ずっしりと重たいそれは、赤く美しい牛肉の塊だった。


「貰ったんだよ、たまたまな!」
「嘘言え。朝っぱらから、俺に馬出させて、隣町のロッコウまで買いに行っただろ。かっこつけんなって」


 ヴァレンは、ニヤニヤしながらハインツの肩を抱いて笑っている。そして当のハインツは、恥ずかしそうにしながら、慌ててその手を払おうとしていた。


「兄さん、なんでバラすんだよ! 言うなって言ったのに!」
「別にいいと思うけどねぇ、俺は。なぁ、ノエルお嬢。どっちでもいいよなぁ?」


 ヴァレンは楽しそうに肩をゆすりながら、酒を目指して店の奥に入って行く。
 そして残されたハインツは、照れくさそうにもう一度、「おめでとう」と口にした。


「オレ、ノエルがロンダルク領で店を開いてくれて嬉しいんだ。もちろん、ナイトランドの店も大好きだったけど……。とにかく、オレ、応援してるからな!」


 ハインツの心からの祝福に、ノエルは心が温かくなった。彼の言葉だけで、ロンダルク領に来て良かったと思えたのだ。


「ありがとう! 私、頑張るわ! このロッコウ牛は美味しく調理するから、待ってて」


 にっこり笑い、ノエルは急ぎキッチンに戻っていった。






 そして、数分後。ロッコウ牛の焼けるいい匂いが店に漂っていた。


「みなさん! 本日のスペシャルメニューができましたよ!《バルサミコソースのロッコウビーフサンド》です!」


 ノエルとランスロットは、二人掛かりで特大の大皿に乗せたサンドイッチを運んだ。肉汁がキラキラと光るビーフステーキに、客たちは「わぁっ」と、歓声をあげた。


「提供してくれたのは、ハインツとヴァレンさんです。拍手を!」


 ノエルの掛け声でお客から拍手が起こり、ハインツとヴァレンは照れくさそうに会釈している。


「やだ、あんた。いいもんプレゼントして。抜け目ないやない」  


 ハインツの母フランは、息子の背中をバッシバッシと力強く叩きながら、ビーフサンドを口に運んでいる。


「ほんに美味しいわぁ! タレがお肉にぴったりや~」
「タレ、じゃなくてソースな! お袋、ババ臭い言い方はやめてくれ」


 ハインツが言い方を訂正したソースは、赤ワインとバルサミコ酢をベースにしたもので、隠し味にエフェルハニーが入っている。赤身のステーキに非常によく合うソースだ。


「俺たちも食べたくなってしまうな」


 客たちが喜んで食べている様子を眺めながら、ランスロットは言葉を漏らす。


「とんでもない高級肉ですからね。とろけるような食感、ジューシーな肉汁……。私、いつかロッコウ領に行ってみたいんですよ。生産地だと、お得にロッコウ牛を手に入れられるらしくて。それに、美味しい料理屋さんもいっぱいなんです」


 ロッコウ牛のことを考えると、自然とため息が出てしまう。しかし、今は仕事中。切り替えなければならない。


「さ! ビュッフェも後半戦です! まだまだよろしくお願いしますよ、ランスロットさん!」
「あぁ!」


 気合いを入れ直し、ノエルはキッチンへ、ランスロットはホールへと戻っていった。






 ***
 15時を回り、ベーカリーカフェルブランのオープンパーティは幕を閉じた。
 ビュッフェの後半には、スイーツやフルーツをふんだんに提供し、帰りのお土産には焼き菓子をプレゼントした。


「美味しかったけ、また食べにくるけん」
「今度、子どもの誕生日なんじゃけど、予約して帰ってええかい?」
「アザラシちゃ、ばいばーい!」


 笑顔で退店していく客たちを、ノエルとランスロットは丁寧に見送った。みんな満足してくれたようで、こちらまで心が満ちてくる。そして、次の予約を入れてくれた客も何組かいて、今後の営業についてもホッとしたノエルである。


「おつかれさん。大盛況だったねぇ、ノエルお嬢」


 最後にハインツとヴァレンが店を出て来たのだが、何故かヴァレンがニヤニヤしながらノエルを見つめていた。


「美味しかったよ。次は、傭兵団の奴らも連れてくるから、酒をたっぷり用意してくれると有難いね」
「ありがとうございます。……あの、ヴァレンさん。どうしたんですか?」


 ヴァレンがあまりにもこちらをじぃっと見てくるため、ノエルは不思議に思って尋ねる。顔に小麦粉でも付いているのだろうかと眉根を寄せるが、どうやらそうではないらしい。彼は黒い革の袋包みを懐から取り出すと、「プレゼントだよ」とノエルに差し出した。


「うん、多分大きさも大丈夫だろ。お嬢にきっと似合う」
「えっ、ありがとうございます! 洋服ですか?」
「まぁ、そうだな。実用性抜群だから、使ってくれよ。後で部屋で試着してくれ」
「兄さん、開店祝いか? 何渡したんだ?」
「気になるか、ハインツ? なんなら、この後じっくり宿で教えてやってもいいけど?」
「お断りします」


 ハインツは逃げるように店を後にし、ヴァレンはノエルに意味深なウィンクをしながら去って行った。


「変わった男だな、ヴァレンという傭兵は」
「変態ぶってますけど、実は常識人なんじゃないかなって……。何をくれたんでしょう? 楽しみです」






 ノエルとランスロットは、客が去り、空っぽになった店内に戻った。そして、深い息を吐きながら、椅子に腰掛ける。


「はぁ~~~! 疲れましたねっ!」


 ノエルは大きな声で言いながら、テーブルに突っ伏した。客が来なかった時も同じようにテーブルに突っ伏していたが、今日は充実感のある突っ伏しだ。しかし、ミルクティー色のポニーテールが顔にかかってきても、それをかき上げる元気は残っていない。


「ビュッフェね、ギリギリでしたけど、楽しかったです。挑戦して良かったです……」


 ノエルはどっと疲れが押し寄せてくるのを感じながら、今日を振り返っていた。立ちっぱなしで、ひたすら料理をしていたわけで、体力も魔力も限界だった。
 その一方で、たくさんの人だちの笑顔や温かい言葉に包まれた一日に満足していた。


「そうか。俺も楽しかったぞ。何枚か皿を割ってしまったが……。モンスター退治よりも、やり甲斐があるな」


 すると、ランスロットの右手がノエルの垂れたポニーテールに伸び、髪をそっと掻き上げた。


「ひゃっ!」


 彼の思わぬ行動に、ノエルは驚いて顔を上げた。心臓は飛び出そうなほど高鳴り、 バクバクとうるさい音を立てている。


「す、すまん。驚かせてしまったか。顔が見えないので、もしや具合でも悪いのかと思ってな」
「だ、大丈夫です! ちょっと疲れただけです! ……すみません! 片付けの前に、仮眠を取らせてもらってもいいですかっ?」


 心配そうなランスロットを押し切り、ノエルは駆け足で階段へ向かった。こんな真っ赤な顔を、ランスロットには見せることができない。


「そうだ、ノエル。ロッコウ領に行きたいと言っていたな」


 階段の下から、ランスロットがノエルを呼び止めた。
 昼間の、ロッコウビーフサンドを作った時の会話の続きだろうかと、ノエルは振り返らずに耳を傾けた。


「今度、一緒に行こう。俺も、食材の目利きを教えてもらいたいしな。ロッコウ領だけじゃない。何処へでも、連れて行ってやる」


 ランスロットの甘い声が、ノエルの胸に溶け込む。嬉しさと愛おしさが突き抜け、痛みによく似た痕を付けていく。


 あぁ、まただ。またこの人は、私の心に入り込んでくる。


 ノエルは胸がきゅうっとなるのを抑えながら、悪戯っぽい笑みを浮かべて振り返った。


「ランスロットさん、三百年前と地形が違うから、迷子になっちゃうかもしれませんよ?」
「……たしかに。地図は必須だな」
「きゅ~!」


 ランスロットの肩の上のセサミも、自分も連れて行けと言わんばかりである。


「ふふ。セサミも行こうね」






 ***
 ノエルは自室に戻り、ベッドにごろりと横になった。


 ご先祖様、父さん、母さん。私、お店を続けていけそうよ。


 心の中で報告すると、視界の隅に黒い革の包みが転がった。


「そうだ! ヴァレンさんから、プレゼントをもらったんだった!」


 何かしら? と、ノエルはワクワクしながら包みを開けた。しかし、中から出て来たものは……。 


「な、な、何よこれ!」


 ノエルは赤面しながら、薄くて小さな布切れをつまみ上げた。
 それは、いわゆる、大人の下着というやつだった。布というか、もはや紐だ。しかも、メッセージカードが付いていて、「騎士様との夜にお役立てください」と書かれているではないか。


「あの変態傭兵っ! やっぱり非常識!」


 ノエルは一人で叫び、下着を元の袋包みにしまい込むと、クローゼットの奥に叩き込んだ。
 そして、ヴァレンには、今度出会ったら文句を言ってやると心に決めた。



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