【コミカライズ】堕ちた聖騎士さまに贈るスペシャリテ〜恋した人はご先祖さまの婚約者でした〜
第4話 パンケーキとスクランブルエッグ
目覚めると、見慣れない天井、真っ白なシーツ、そして、美しい金髪の男性の姿が目に飛び込んできた。
「ひゃぁぁぁぁーっ!」
ノエルは驚きのあまりに、掛け布団を巻き取るように、勢いよくベッドから転がり落ちてしまった。ドスンっと音が鳴り、痛みと恥ずかしさがこみ上げてくる。
びっくりした~!  そうだ、私、ランスロットさんと宿に泊まったんだった。
もちろん、やましいことは何もなく、二人そろって天井を見上げたまま眠った次第だ。
そしてその経緯はというと、ランスロットの過去の記憶を取り戻させたいノエルと、ベーカリーカフェルブランを手伝いたいランスロットの二人は、昨晩のうちに緑の里ロンダルク領にやって来た。
そこで馬車での車中泊も考えたのだが、ランスロットが、「若い女が馬車で寝るなど言語道断!」と猛反対したため、急遽宿を取ったのである。
しかし、ランスロットは1Gもお金を持ち合わせていなかったため、支払いはノエル。ノエルが今後の生活のために部屋代をケチったために、ダブルベットの部屋に泊まることとなったのだった。
「だめ! 朝からイケメンは刺激が強すぎる」
ノエルはよろよろと立ち上がり、眠っているランスロットにそっと掛布団を被せた。
彼は、随分と気持ち良さそうな顔で眠っていた。古臭い鎧を外した姿は、想像よりもスマートだったが、服の合間からは逞しい筋肉もチラリと見える。なんと魅惑的であることか。
私、何じろじろ見てるんだろう! はしたない! 邪念よ、去れ!
ノエルは恥ずかしくなって、一人でぶんぶんと首を横に振った。
しかし、見えたのは魅力的な筋肉だけではない。ランスロットには、相変わらず身体中に銀の鎖が巻き付いていた。
どうやら、あれは何処から生えているというわけではないが、衣服に関係なく常に身体に纏わり付いているらしい。闇の世界の後遺症か、それとも呪いか。
「ん……。アンジュ、朝か?」
ふとランスロットが眠たそうな声を出し、ノエルに向かって手を伸ばしてきた。
もし恋人ならば、素直に手指を絡める場面なのかもしれないが、残念ながらノエルはアンジュではない。ノエルは慌てて、「ランスロットさん! ノエルです! ノエル」と、身を一歩引いて、叫んだ。
「ノエル……?」
ランスロットはノエルの言葉にハッとしたようで、その拍子にベッドから転がり落ちた。
「くっ……! すまん、久々に深く眠っていたようだ」
三百年ぶりのベッドなのだから、それは仕方がないのかもしれない。
「聖騎士も、ベッドから落ちるんですね」
ノエルは自分のことは棚に上げて笑いながら言うと、ランスロットは気恥ずかしそうにシャツの襟を正した。
「今のは忘れてくれ。ノエル。さて、今日はこれからどうする予定だ?」
「そうですねぇ……」
****
まず、ノエルとランスロットはサーティスの馬車を売り払い、今後の生活費と出店資金に充てることにした。万が一、サーティスがノエルたちを追っていた場合、馬車のせいで足が付くのも困るため、早急に手離したかったことも理由である。
「アンタらいったい何者ね? こないなええ馬車を持っとるなんて、どっかの貴族様かい?」
ロンダルク領唯一の質屋は、ノエルとランスロットを不思議そうに眺め回していた。
さすがに領主の馬車だけあって、大満足の金額になったのだが、質屋は「こんな札束を出すことなんて、滅多にない」とボヤきながら、金の入った皮袋をノエルに握らせた。
「いえ~、まぁ、いただき物の馬車だったんですけど。趣味じゃなかったので。あはは」
ノエルは笑って誤魔化したが、自分たちが町で浮きまくっていることは理解していた。
特に、ランスロットである。
「あの……、ランスロットさん。せめて鎧だけでも外しません?」
中央市場を目指しながら、ノエルは遠慮がちに口を開いた。
「銀のぐるぐる鎖が取れないことは分かったので、せめて、その完全武装的な鎧を脱いだ方が……。ほら、この町って、とってものどかで平和ですし」
しかしランスロットは、何処吹く風である。
「俺はアンジュの子孫であるお前を守らねばならんからな。この白竜の鎧で、いつでもお前の盾になろう」
「そ、そうですか……!」
至って真面目に、そして真顔で恥ずかしいセリフを述べるランスロットに、ノエルは逆に圧倒されてしまった。
もう! 天然なの、この人? 私は悪目立ちしたくないだけなのに!
ノエルは仕方ないと諦め、軋む鎧の騎士を引き連れて歩く覚悟を決めた。領民たちの視線が痛くてたまらない。
緑の里ロンダルク領は、それはそれは穏やかな田舎町であり、剣や鎧とは無縁と言っても過言ではない。領民の大半が農業を営む、小麦や野菜の生産が盛んな町だ。領土の大半も畑であり、中央部の領主館と市場を除けば、あとは民家と野原があるだけだ。
「ここに来た記憶はあるぞ。当時は戦時中だったからか、もっと殺伐としていた気がするが。今のロンダルクは穏やかだな」
ランスロットは魔王大戦の際に、この町に来たことがあるらしい。知っている景色はないかと、きょろきょろと辺りを見回している。
「ロンダルク領だけじゃない。オーランド王国が平和なのは、きっと勇者や、ランスロットさんたちのおかげ、なんだと思います。ランスロットさん、魔王を倒したときのことは覚えてます?」
ノエルが言うと、ランスロットは考え込む表情を浮かべ、首を横に振った。
「魔王討伐の事実は覚えているが、どのような戦いだったかが朧げだ。それに、ユリウス以外の仲間の顔も思い出せん」
「それはなかなか思い出し甲斐がありますね」
ノエルは、もし記憶を取り戻すきっかけになればと、試しに勇者の仲間の名前をランスロットに聞かせてみることにした。
「ご存知、勇者ユリウス。あなた、聖騎士ランスロット。神官システィ。この三人が、オーランド人ですね。あとは、獣人戦士イワン。エルフ族の魔道姫リナリー ……。どうですか?  覚えはありますか?」
「さっぱりだ。会えば思い出すかもしれんが」
さすがに三百年も経ってるんで、それは……、とノエルはため息をつく。
「まぁ、焦らずいきましょう! 昨日みたいに、懐かしのメニューで何か思い出せるかもしれませんし!」
「あぁ。ありがとう、ノエル」
ランスロットは微笑みながら、ノエルの頭をぽんぽんと撫でた。アンジュの子孫だからか、すっかり子ども扱いである。
「は、 恥ずかしいので、人前ではやめてください!」
ノエルは頬を赤らめながら、慌ててランスロットの手をどけさせた。
大人顔負けの料理人ではあるが、これでもノエルは年頃の少女である。年上の、しかも美しい男性を前にしては、当然ドキドキしてしまう。
「すまん、不快だったか」
「いえ、不快ってわけではないんですよ! だからそんな、あからさまに落ち込まないでくださいってば!」
そんなやり取りをしているうちに、二人は中央市場にたどり着いた。規模は大きくないが、採れたての野菜や果物、穀物を売る店が連なる賑やかな場所だ。
「ノエル、買い物をするのか?」と、ランスロットは、賑やかな市場を見回しながら言った。
まるで、そわそわと落ち着かない少年のようで面白い。
「えぇ、朝ご飯まだ食べてないですし。ランスロットさんはお腹空いてませんか?」
「騎士たるもの、三日程度は食べずとも平気だが」
「不健康なこと言わないでください! 笑顔と健康は、美味しい食事から、です」
ノエルは、市場周辺に食事処があるのではないかと踏んでいた。
しかし、探せども探せども、市場には素材を売る店はあるが、料理の店は見当たらない。
い、田舎だわ! 家なしの私たちは、野菜をかじるしかないの?
ノエルが、また野外クッキングをするべきかと思い始めた時――。
「おーい! もしかしてノエルか? 来るなら言ってくれたらよかったのに!」
という、快活な青年の声が、ノエルの背中側から飛んできたのである。
「その声……。ハインツ?」
ノエルが振り返ると、燃えるように赤いツンツン髪の青年が、こちらに向かって軽快に駆けてくるところだった。
「よっ! 一年ぶりだっけか? 」
「ハインツ、武者修行に出たって聞いてたけど、ロンダルク領に戻ってたのね」
青年は、「まぁな!」 と、腰に差している二刀に手を添えて笑った。
彼はノエルの3歳年上の幼馴染で、剣の修行に出ていたはずだった。
「本当はもっと長旅のつもりしてたけどな。あ、それより、そちらさんは? 新しい従業員、ってナリでもなさそうだけど」
赤髪の青年ハインツは、不思議そうにランスロットを見つめていた。
鎖の付いた鎧騎士となれば、当然だろう。気持ちはノエルにもよく分かる。
「人に名を聞く前には、己から名乗るべきではないか?」
ランスロットの厳しい言葉に、ハインツは「たしかに」と明るく笑った。
「オレはハインツ・ベルフォード。ノエルとは、子どもの頃からちょくちょく会ってて……、まぁ、幼馴染ってやつだな。んで、ロンダルク領主ホカイドの息子だ。つっても、今は自由にさせてもらってるけど」
「ほぅ。領主殿の子息か。俺はランスロット・アル……」
「ランスロット・アルバートさん!  うちのお店の用心棒兼従業員よ!」
ノエルは、慌ててランスロットの自己紹介を遮った。
もし彼が、【堕ちた聖騎士】ランスロット・アルベイトとバレてしまって、犯罪者扱いされたら嫌だと思ったのだ。
「へぇ~。ランスロットって、時代の逆を行く名前でカッコいいな! なかなかその名前の人って、いないぜ。よろしくな、ランスロット!」
ハインツが単純でよかった、とノエルはホッと胸を撫で下ろした。当面は、ランスロット・アルバートで通そう。
「そうだ、ノエル、ランスロット! 俺の家に来いよ。朝飯がまだなら、一緒に食おうぜ!」
「お言葉に甘えます!」
空腹のせいもあり、ノエルはハインツの提案に即答した。ひとまず、屋根のある場所で食事ができそうだ。
***
ハインツに案内されたのは、領主館ではなく、木造の小さな一軒家だった。
彼によると、領民の暮らしを知るために、屋敷を出て一人暮らしをしているらしい。
ノエルにしてみれば、親に用意してもらった家で暮らしている時点で、一般民とは大きな差があるのだが。
「さ、座って座って! あ、ノエルは台所頼むぜ。オレ、料理まるでダメだからさ」
「えぇ! てっきりもてなしてくれるのかと思ったのに。相変わらずね、ハインツ」
「だって、ノエルの料理が食べたいし。久々にルブランの料理、食わせてくれよ」
調子の良いハインツに呆れつつも、ノエルは台所を借りることにした。すると、ランスロットも後についてきた。
「俺も手伝おう」
「えーっ! ランスロット、偉いな! ってか、オレだけ座ってるわけにはいかないよな。じゃあ、ホラ!  みんなでやろうぜ! 楽しく話しながら!」
ランスロットの行動を見るなり、ハインツは底抜けに明るい笑顔でキッチンに駆け込んでくる。
こういうところがハインツの魅力なんだろうな、とノエルは一人で頷いた。
彼のいる場所は、いつだって明るく、華やかな雰囲気になる。昔からそうだった。
ノエルとハインツの出会いは7年前、ノエルが9歳、ハインツが12歳の時に遡る。
ハインツは領主ホカイドの息子だが、同時に、母フランの大農園の跡継ぎでもあった。
そして、ベーカリーカフェルブランはフランの大農園から、ソレイユ小麦という上質な小麦粉を仕入れており、ノエルとハインツは親同士の商談の度に顔を合わせていたのだ。
ノエルとハインツが会う頻度は月に一度ほどであったが、ハインツは当時人見知りだったノエルを積極的に外へと誘ってくれた。ロンダルク領を案内してくれたり、一緒に野菜を育てたり、収穫作業に参加させてくれたりと、ノエルを自然に触れさせてくれたのだ。
兄弟も同世代の友達もいなかったノエルは、そのことを今でも感謝している。兄がいたらこんな感じなのだろうかと、ノエルはハインツを家族のように慕っているのである。
しかし、そんなハインツは、ある日突然「やっぱ、男は剣だよな」と言い出し、剣の修行の旅に出てしまった。それがちょうど一年前。ノエルが聞いても、ハインツは詳しくは語ってくれず、それ以来となっていた。
「一年前は、オレはロンダルクの田舎に留まる器じゃない! とか言ってたけど、どういう心境の変化?」
ノエルは、泡立て器をシャカシャカと回しながら尋ねる。
「んー。まぁ、あんまり遠くに行くと、ノエルに会えなくなるだろ?  なんて」
ハインツは、一度も使っていなさそうな皿を布で磨きながら、冗談めいた言葉を吐いた。結局、本心を語る気はなさそうだ。
「行く先々でモテモテのくせに、よく言うわ。剣に飽きちゃった?」
「剣は、もっと極めたいぜ。ホントは。才能があるって、傭兵団の団長も言ってくれたんだぜ?」
「え~、信じられない。そりゃあ、昔から運動神経は良かったけど……」
ノエルはそう言いながらも、ハインツが当時の記憶よりも、身体が一回り大きく逞しく、そして顔つきも凛々しくなったことは認めざるを得ないな、とは思っていた。先程口にも出したが、ハインツはモテる。きっと今なら、もっとモテるだろう。
「そうだ、ハインツ。後で、ホカイドおじ様とフランおば様にご挨拶させてね」
「もちろん! 親父とお袋も喜ぶぜ。ランスロットも紹介させてくれな。古の騎士ってカンジで、超かっこいいし」
「古の騎士? 俺がか?」
ランスロットは腑に落ちない表情を浮かべていたが、ノエルは納得である。
だって、三百年前の騎士スタイルだもの!
「てか、二人は何でロンダルクに来たんだ? 仕入れか?」
ハインツは皿を拭き終わり、暇そうにノエルとランスロットを見て言った。本当は早く聞きたくて仕方がなかったという様子だった。
「うーん、なんていうか……」
ノエルはどこから話そうかと迷ったが、細かいところは割愛ねつ造することにした。
「実は、半年前に父さんが亡くなって……。それは、おじ様たちから聞いてるかしら。その後ランスロットさんを雇って、二人で頑張ってたの」
「マルクさんのことは、親父から聞いてた……。ごめんな、オレ、何もしてやれなくて。大変だったんだな。頑張ったな、ノエル」
ハインツは、兄のように優しい眼差しをノエルに向けた。
父の死の悲しみは、すでに乗り越えたつもりだった。だが、こんな風に優しい言葉を掛けられると、つい泣きそうになってしまう。
「ハインツが謝るの、おかしいわよ……」
「ん。それでも、ごめんな。ランスロットも、ノエルを支えてくれてたんだよな。ありがとな」
「いや、俺は……」と、ランスロットは言葉を濁す。
実際にノエルとランスロットが出会ったのは昨日であるため、彼がノエルを支えていたという事実はない。しかも、父親が亡くなったという話もしていなかったため、ランスロットは戸惑った表情を浮かべている。
これはまずいわ。もう、ボロが出そう。
「えっと、それでね。店を売れって、サーティスが嫌がらせをしてきて。ランスロットさんが、サーティスを追い払ってくれたんだけど、もうナイトランドにはいられなくなっちゃって!」
焦ったノエルは、慌てて口を挟む。
すると予想通り、単純なハインツはサーティスの話題に乗ってくれた。
「サーティスのクズ野郎! 許さねえ! 前から領主会議でも問題視されてたんだよ。でも軍事力でいくと、ナイトランド領に敵うところがなくて。アイツ、王様から贔屓にされてんのをいいことに……!」
「サーティスのことは、もういいの。一泡吹かすことができたから。それにしても、ハインツから政治の話が出るなんて、驚きなんだけど」
「おいおい。一応、未来のロンダルク領主だぜ? 今の酷いよなぁ、ランスロット?」
素直に驚いていたノエルにため息をつきつつ、ハインツはランスロットに声を掛けた。
しかし、ランスロットはそれどころではないようだった。
「静かにしてくれ、ハインツ殿! 俺は、スクランブルエッグを作ることに集中している」
えらく真面目な従業員である。
そして数刻後、朝食は無事に完成し、小さなテーブルいっぱいに並べられた。
「《ソレイユ小麦のパンケーキとベーコンスクランブルエッグ》出来上がり!」
ふわっとした甘いパンケーキの香りと、朝食らしい卵とベーコンの香りが合わさり、三人のお腹はぐぅと鳴った。
「よっしゃー! いっただっきまーす!」
ハインツが勢いよく食べ始め、ランスロットは上品にパンケーキを口に運ぶ。
そしてノエルは、その様子をドキドキしながら見つめていた。
ランスロットが驚くほどたっぷりの蜂蜜をパンケーキにかけていることも気になったが、もしかしたら、昨日のスコーンとナイトバードのソテーのように、彼が記憶を取り戻すかもしれないと期待したのだ。
しかし、「うむ、美味いな。好みの味だ」と、ランスロットは至って普通に食事を楽しんでいる様子だった。
何かが起こる気配はなかった。やはり、美味しければいいというわけではないらしい。
鎖、パキーン、なかった……と、ノエルは少ししょんぼりしながら、自分も食べ始める。
パンケーキは小麦の甘みが引き立ってる。さすがはソレイユ小麦である。そして、ランスロットに任せたスクランブルエッグもふわふわとした口溶けで、いくらでも食べれてしまいそうだ。なんだか家庭料理を思わせる味であり、懐かしい気持ちになる。
「ランスロットさん、卵、美味しいですよ! 焼き加減も塩味もちょうどいいです」
「そうか。まぁ、店を手伝うからには足を引っ張るわけにはいかんからな」
ランスロットは少し照れた顔をしていたが、満更でもなさそうだった。彼は褒められて伸びるタイプに違いない。
「でも、店はナイトランド領だろ? そこに戻れないってなると、どうするつもりなんだ?」
ハインツの疑問はもっともである。ノエルもそこに困っていた。
「昨日は二人で宿を取ったんだけど、ずっと宿暮らしするのも経済的じゃないし、できれば貸家でいいから、お店兼住処がほしいわ」
「店兼住処なぁ……。って待て待て! 二人で宿ってどういうことだ! 部屋は別だよなっ? それかまさか、二人はそういう関係なのかっ?」
ハインツはたいそう焦った様子でパンケーキを飲み込み、大きく見開かれたグリーンの瞳でノエルとランスロットを交互に見比べていた。
「昨夜は同じベッドで寝たが、それは金がなかったためだ。如何わしいことなど何もない」
ランスロットは断言し、ノエルも合わせて何度も頷いた。事実、朝方にドキドキしただけで、何も起こってはいない。
「信じるぞ? 信じるからな?」
ハインツは眉間に皺を寄せ、念を押してきた。
「嘘じゃないわよ! ハインツってば、慌てすぎよ」
「ま、まぁ、オレはノエルの兄貴みたいなポジションだからな! えっと、貸家の話だけど」
ハインツは決まりが悪そうに咳ばらいをすると、話を元に戻した。
「良き物件があるのか? ハインツ殿」
「あるっちゃあるけど、問題物件なんだ。それでもいいなら、紹介するけど」
「その話、詳しく!」
ノエルとランスロットは、声を揃えて食い付いた。
その日の夜、ノエルたちはロンダルク領の問題物件に足を踏み込むことになる。
「ひゃぁぁぁぁーっ!」
ノエルは驚きのあまりに、掛け布団を巻き取るように、勢いよくベッドから転がり落ちてしまった。ドスンっと音が鳴り、痛みと恥ずかしさがこみ上げてくる。
びっくりした~!  そうだ、私、ランスロットさんと宿に泊まったんだった。
もちろん、やましいことは何もなく、二人そろって天井を見上げたまま眠った次第だ。
そしてその経緯はというと、ランスロットの過去の記憶を取り戻させたいノエルと、ベーカリーカフェルブランを手伝いたいランスロットの二人は、昨晩のうちに緑の里ロンダルク領にやって来た。
そこで馬車での車中泊も考えたのだが、ランスロットが、「若い女が馬車で寝るなど言語道断!」と猛反対したため、急遽宿を取ったのである。
しかし、ランスロットは1Gもお金を持ち合わせていなかったため、支払いはノエル。ノエルが今後の生活のために部屋代をケチったために、ダブルベットの部屋に泊まることとなったのだった。
「だめ! 朝からイケメンは刺激が強すぎる」
ノエルはよろよろと立ち上がり、眠っているランスロットにそっと掛布団を被せた。
彼は、随分と気持ち良さそうな顔で眠っていた。古臭い鎧を外した姿は、想像よりもスマートだったが、服の合間からは逞しい筋肉もチラリと見える。なんと魅惑的であることか。
私、何じろじろ見てるんだろう! はしたない! 邪念よ、去れ!
ノエルは恥ずかしくなって、一人でぶんぶんと首を横に振った。
しかし、見えたのは魅力的な筋肉だけではない。ランスロットには、相変わらず身体中に銀の鎖が巻き付いていた。
どうやら、あれは何処から生えているというわけではないが、衣服に関係なく常に身体に纏わり付いているらしい。闇の世界の後遺症か、それとも呪いか。
「ん……。アンジュ、朝か?」
ふとランスロットが眠たそうな声を出し、ノエルに向かって手を伸ばしてきた。
もし恋人ならば、素直に手指を絡める場面なのかもしれないが、残念ながらノエルはアンジュではない。ノエルは慌てて、「ランスロットさん! ノエルです! ノエル」と、身を一歩引いて、叫んだ。
「ノエル……?」
ランスロットはノエルの言葉にハッとしたようで、その拍子にベッドから転がり落ちた。
「くっ……! すまん、久々に深く眠っていたようだ」
三百年ぶりのベッドなのだから、それは仕方がないのかもしれない。
「聖騎士も、ベッドから落ちるんですね」
ノエルは自分のことは棚に上げて笑いながら言うと、ランスロットは気恥ずかしそうにシャツの襟を正した。
「今のは忘れてくれ。ノエル。さて、今日はこれからどうする予定だ?」
「そうですねぇ……」
****
まず、ノエルとランスロットはサーティスの馬車を売り払い、今後の生活費と出店資金に充てることにした。万が一、サーティスがノエルたちを追っていた場合、馬車のせいで足が付くのも困るため、早急に手離したかったことも理由である。
「アンタらいったい何者ね? こないなええ馬車を持っとるなんて、どっかの貴族様かい?」
ロンダルク領唯一の質屋は、ノエルとランスロットを不思議そうに眺め回していた。
さすがに領主の馬車だけあって、大満足の金額になったのだが、質屋は「こんな札束を出すことなんて、滅多にない」とボヤきながら、金の入った皮袋をノエルに握らせた。
「いえ~、まぁ、いただき物の馬車だったんですけど。趣味じゃなかったので。あはは」
ノエルは笑って誤魔化したが、自分たちが町で浮きまくっていることは理解していた。
特に、ランスロットである。
「あの……、ランスロットさん。せめて鎧だけでも外しません?」
中央市場を目指しながら、ノエルは遠慮がちに口を開いた。
「銀のぐるぐる鎖が取れないことは分かったので、せめて、その完全武装的な鎧を脱いだ方が……。ほら、この町って、とってものどかで平和ですし」
しかしランスロットは、何処吹く風である。
「俺はアンジュの子孫であるお前を守らねばならんからな。この白竜の鎧で、いつでもお前の盾になろう」
「そ、そうですか……!」
至って真面目に、そして真顔で恥ずかしいセリフを述べるランスロットに、ノエルは逆に圧倒されてしまった。
もう! 天然なの、この人? 私は悪目立ちしたくないだけなのに!
ノエルは仕方ないと諦め、軋む鎧の騎士を引き連れて歩く覚悟を決めた。領民たちの視線が痛くてたまらない。
緑の里ロンダルク領は、それはそれは穏やかな田舎町であり、剣や鎧とは無縁と言っても過言ではない。領民の大半が農業を営む、小麦や野菜の生産が盛んな町だ。領土の大半も畑であり、中央部の領主館と市場を除けば、あとは民家と野原があるだけだ。
「ここに来た記憶はあるぞ。当時は戦時中だったからか、もっと殺伐としていた気がするが。今のロンダルクは穏やかだな」
ランスロットは魔王大戦の際に、この町に来たことがあるらしい。知っている景色はないかと、きょろきょろと辺りを見回している。
「ロンダルク領だけじゃない。オーランド王国が平和なのは、きっと勇者や、ランスロットさんたちのおかげ、なんだと思います。ランスロットさん、魔王を倒したときのことは覚えてます?」
ノエルが言うと、ランスロットは考え込む表情を浮かべ、首を横に振った。
「魔王討伐の事実は覚えているが、どのような戦いだったかが朧げだ。それに、ユリウス以外の仲間の顔も思い出せん」
「それはなかなか思い出し甲斐がありますね」
ノエルは、もし記憶を取り戻すきっかけになればと、試しに勇者の仲間の名前をランスロットに聞かせてみることにした。
「ご存知、勇者ユリウス。あなた、聖騎士ランスロット。神官システィ。この三人が、オーランド人ですね。あとは、獣人戦士イワン。エルフ族の魔道姫リナリー ……。どうですか?  覚えはありますか?」
「さっぱりだ。会えば思い出すかもしれんが」
さすがに三百年も経ってるんで、それは……、とノエルはため息をつく。
「まぁ、焦らずいきましょう! 昨日みたいに、懐かしのメニューで何か思い出せるかもしれませんし!」
「あぁ。ありがとう、ノエル」
ランスロットは微笑みながら、ノエルの頭をぽんぽんと撫でた。アンジュの子孫だからか、すっかり子ども扱いである。
「は、 恥ずかしいので、人前ではやめてください!」
ノエルは頬を赤らめながら、慌ててランスロットの手をどけさせた。
大人顔負けの料理人ではあるが、これでもノエルは年頃の少女である。年上の、しかも美しい男性を前にしては、当然ドキドキしてしまう。
「すまん、不快だったか」
「いえ、不快ってわけではないんですよ! だからそんな、あからさまに落ち込まないでくださいってば!」
そんなやり取りをしているうちに、二人は中央市場にたどり着いた。規模は大きくないが、採れたての野菜や果物、穀物を売る店が連なる賑やかな場所だ。
「ノエル、買い物をするのか?」と、ランスロットは、賑やかな市場を見回しながら言った。
まるで、そわそわと落ち着かない少年のようで面白い。
「えぇ、朝ご飯まだ食べてないですし。ランスロットさんはお腹空いてませんか?」
「騎士たるもの、三日程度は食べずとも平気だが」
「不健康なこと言わないでください! 笑顔と健康は、美味しい食事から、です」
ノエルは、市場周辺に食事処があるのではないかと踏んでいた。
しかし、探せども探せども、市場には素材を売る店はあるが、料理の店は見当たらない。
い、田舎だわ! 家なしの私たちは、野菜をかじるしかないの?
ノエルが、また野外クッキングをするべきかと思い始めた時――。
「おーい! もしかしてノエルか? 来るなら言ってくれたらよかったのに!」
という、快活な青年の声が、ノエルの背中側から飛んできたのである。
「その声……。ハインツ?」
ノエルが振り返ると、燃えるように赤いツンツン髪の青年が、こちらに向かって軽快に駆けてくるところだった。
「よっ! 一年ぶりだっけか? 」
「ハインツ、武者修行に出たって聞いてたけど、ロンダルク領に戻ってたのね」
青年は、「まぁな!」 と、腰に差している二刀に手を添えて笑った。
彼はノエルの3歳年上の幼馴染で、剣の修行に出ていたはずだった。
「本当はもっと長旅のつもりしてたけどな。あ、それより、そちらさんは? 新しい従業員、ってナリでもなさそうだけど」
赤髪の青年ハインツは、不思議そうにランスロットを見つめていた。
鎖の付いた鎧騎士となれば、当然だろう。気持ちはノエルにもよく分かる。
「人に名を聞く前には、己から名乗るべきではないか?」
ランスロットの厳しい言葉に、ハインツは「たしかに」と明るく笑った。
「オレはハインツ・ベルフォード。ノエルとは、子どもの頃からちょくちょく会ってて……、まぁ、幼馴染ってやつだな。んで、ロンダルク領主ホカイドの息子だ。つっても、今は自由にさせてもらってるけど」
「ほぅ。領主殿の子息か。俺はランスロット・アル……」
「ランスロット・アルバートさん!  うちのお店の用心棒兼従業員よ!」
ノエルは、慌ててランスロットの自己紹介を遮った。
もし彼が、【堕ちた聖騎士】ランスロット・アルベイトとバレてしまって、犯罪者扱いされたら嫌だと思ったのだ。
「へぇ~。ランスロットって、時代の逆を行く名前でカッコいいな! なかなかその名前の人って、いないぜ。よろしくな、ランスロット!」
ハインツが単純でよかった、とノエルはホッと胸を撫で下ろした。当面は、ランスロット・アルバートで通そう。
「そうだ、ノエル、ランスロット! 俺の家に来いよ。朝飯がまだなら、一緒に食おうぜ!」
「お言葉に甘えます!」
空腹のせいもあり、ノエルはハインツの提案に即答した。ひとまず、屋根のある場所で食事ができそうだ。
***
ハインツに案内されたのは、領主館ではなく、木造の小さな一軒家だった。
彼によると、領民の暮らしを知るために、屋敷を出て一人暮らしをしているらしい。
ノエルにしてみれば、親に用意してもらった家で暮らしている時点で、一般民とは大きな差があるのだが。
「さ、座って座って! あ、ノエルは台所頼むぜ。オレ、料理まるでダメだからさ」
「えぇ! てっきりもてなしてくれるのかと思ったのに。相変わらずね、ハインツ」
「だって、ノエルの料理が食べたいし。久々にルブランの料理、食わせてくれよ」
調子の良いハインツに呆れつつも、ノエルは台所を借りることにした。すると、ランスロットも後についてきた。
「俺も手伝おう」
「えーっ! ランスロット、偉いな! ってか、オレだけ座ってるわけにはいかないよな。じゃあ、ホラ!  みんなでやろうぜ! 楽しく話しながら!」
ランスロットの行動を見るなり、ハインツは底抜けに明るい笑顔でキッチンに駆け込んでくる。
こういうところがハインツの魅力なんだろうな、とノエルは一人で頷いた。
彼のいる場所は、いつだって明るく、華やかな雰囲気になる。昔からそうだった。
ノエルとハインツの出会いは7年前、ノエルが9歳、ハインツが12歳の時に遡る。
ハインツは領主ホカイドの息子だが、同時に、母フランの大農園の跡継ぎでもあった。
そして、ベーカリーカフェルブランはフランの大農園から、ソレイユ小麦という上質な小麦粉を仕入れており、ノエルとハインツは親同士の商談の度に顔を合わせていたのだ。
ノエルとハインツが会う頻度は月に一度ほどであったが、ハインツは当時人見知りだったノエルを積極的に外へと誘ってくれた。ロンダルク領を案内してくれたり、一緒に野菜を育てたり、収穫作業に参加させてくれたりと、ノエルを自然に触れさせてくれたのだ。
兄弟も同世代の友達もいなかったノエルは、そのことを今でも感謝している。兄がいたらこんな感じなのだろうかと、ノエルはハインツを家族のように慕っているのである。
しかし、そんなハインツは、ある日突然「やっぱ、男は剣だよな」と言い出し、剣の修行の旅に出てしまった。それがちょうど一年前。ノエルが聞いても、ハインツは詳しくは語ってくれず、それ以来となっていた。
「一年前は、オレはロンダルクの田舎に留まる器じゃない! とか言ってたけど、どういう心境の変化?」
ノエルは、泡立て器をシャカシャカと回しながら尋ねる。
「んー。まぁ、あんまり遠くに行くと、ノエルに会えなくなるだろ?  なんて」
ハインツは、一度も使っていなさそうな皿を布で磨きながら、冗談めいた言葉を吐いた。結局、本心を語る気はなさそうだ。
「行く先々でモテモテのくせに、よく言うわ。剣に飽きちゃった?」
「剣は、もっと極めたいぜ。ホントは。才能があるって、傭兵団の団長も言ってくれたんだぜ?」
「え~、信じられない。そりゃあ、昔から運動神経は良かったけど……」
ノエルはそう言いながらも、ハインツが当時の記憶よりも、身体が一回り大きく逞しく、そして顔つきも凛々しくなったことは認めざるを得ないな、とは思っていた。先程口にも出したが、ハインツはモテる。きっと今なら、もっとモテるだろう。
「そうだ、ハインツ。後で、ホカイドおじ様とフランおば様にご挨拶させてね」
「もちろん! 親父とお袋も喜ぶぜ。ランスロットも紹介させてくれな。古の騎士ってカンジで、超かっこいいし」
「古の騎士? 俺がか?」
ランスロットは腑に落ちない表情を浮かべていたが、ノエルは納得である。
だって、三百年前の騎士スタイルだもの!
「てか、二人は何でロンダルクに来たんだ? 仕入れか?」
ハインツは皿を拭き終わり、暇そうにノエルとランスロットを見て言った。本当は早く聞きたくて仕方がなかったという様子だった。
「うーん、なんていうか……」
ノエルはどこから話そうかと迷ったが、細かいところは割愛ねつ造することにした。
「実は、半年前に父さんが亡くなって……。それは、おじ様たちから聞いてるかしら。その後ランスロットさんを雇って、二人で頑張ってたの」
「マルクさんのことは、親父から聞いてた……。ごめんな、オレ、何もしてやれなくて。大変だったんだな。頑張ったな、ノエル」
ハインツは、兄のように優しい眼差しをノエルに向けた。
父の死の悲しみは、すでに乗り越えたつもりだった。だが、こんな風に優しい言葉を掛けられると、つい泣きそうになってしまう。
「ハインツが謝るの、おかしいわよ……」
「ん。それでも、ごめんな。ランスロットも、ノエルを支えてくれてたんだよな。ありがとな」
「いや、俺は……」と、ランスロットは言葉を濁す。
実際にノエルとランスロットが出会ったのは昨日であるため、彼がノエルを支えていたという事実はない。しかも、父親が亡くなったという話もしていなかったため、ランスロットは戸惑った表情を浮かべている。
これはまずいわ。もう、ボロが出そう。
「えっと、それでね。店を売れって、サーティスが嫌がらせをしてきて。ランスロットさんが、サーティスを追い払ってくれたんだけど、もうナイトランドにはいられなくなっちゃって!」
焦ったノエルは、慌てて口を挟む。
すると予想通り、単純なハインツはサーティスの話題に乗ってくれた。
「サーティスのクズ野郎! 許さねえ! 前から領主会議でも問題視されてたんだよ。でも軍事力でいくと、ナイトランド領に敵うところがなくて。アイツ、王様から贔屓にされてんのをいいことに……!」
「サーティスのことは、もういいの。一泡吹かすことができたから。それにしても、ハインツから政治の話が出るなんて、驚きなんだけど」
「おいおい。一応、未来のロンダルク領主だぜ? 今の酷いよなぁ、ランスロット?」
素直に驚いていたノエルにため息をつきつつ、ハインツはランスロットに声を掛けた。
しかし、ランスロットはそれどころではないようだった。
「静かにしてくれ、ハインツ殿! 俺は、スクランブルエッグを作ることに集中している」
えらく真面目な従業員である。
そして数刻後、朝食は無事に完成し、小さなテーブルいっぱいに並べられた。
「《ソレイユ小麦のパンケーキとベーコンスクランブルエッグ》出来上がり!」
ふわっとした甘いパンケーキの香りと、朝食らしい卵とベーコンの香りが合わさり、三人のお腹はぐぅと鳴った。
「よっしゃー! いっただっきまーす!」
ハインツが勢いよく食べ始め、ランスロットは上品にパンケーキを口に運ぶ。
そしてノエルは、その様子をドキドキしながら見つめていた。
ランスロットが驚くほどたっぷりの蜂蜜をパンケーキにかけていることも気になったが、もしかしたら、昨日のスコーンとナイトバードのソテーのように、彼が記憶を取り戻すかもしれないと期待したのだ。
しかし、「うむ、美味いな。好みの味だ」と、ランスロットは至って普通に食事を楽しんでいる様子だった。
何かが起こる気配はなかった。やはり、美味しければいいというわけではないらしい。
鎖、パキーン、なかった……と、ノエルは少ししょんぼりしながら、自分も食べ始める。
パンケーキは小麦の甘みが引き立ってる。さすがはソレイユ小麦である。そして、ランスロットに任せたスクランブルエッグもふわふわとした口溶けで、いくらでも食べれてしまいそうだ。なんだか家庭料理を思わせる味であり、懐かしい気持ちになる。
「ランスロットさん、卵、美味しいですよ! 焼き加減も塩味もちょうどいいです」
「そうか。まぁ、店を手伝うからには足を引っ張るわけにはいかんからな」
ランスロットは少し照れた顔をしていたが、満更でもなさそうだった。彼は褒められて伸びるタイプに違いない。
「でも、店はナイトランド領だろ? そこに戻れないってなると、どうするつもりなんだ?」
ハインツの疑問はもっともである。ノエルもそこに困っていた。
「昨日は二人で宿を取ったんだけど、ずっと宿暮らしするのも経済的じゃないし、できれば貸家でいいから、お店兼住処がほしいわ」
「店兼住処なぁ……。って待て待て! 二人で宿ってどういうことだ! 部屋は別だよなっ? それかまさか、二人はそういう関係なのかっ?」
ハインツはたいそう焦った様子でパンケーキを飲み込み、大きく見開かれたグリーンの瞳でノエルとランスロットを交互に見比べていた。
「昨夜は同じベッドで寝たが、それは金がなかったためだ。如何わしいことなど何もない」
ランスロットは断言し、ノエルも合わせて何度も頷いた。事実、朝方にドキドキしただけで、何も起こってはいない。
「信じるぞ? 信じるからな?」
ハインツは眉間に皺を寄せ、念を押してきた。
「嘘じゃないわよ! ハインツってば、慌てすぎよ」
「ま、まぁ、オレはノエルの兄貴みたいなポジションだからな! えっと、貸家の話だけど」
ハインツは決まりが悪そうに咳ばらいをすると、話を元に戻した。
「良き物件があるのか? ハインツ殿」
「あるっちゃあるけど、問題物件なんだ。それでもいいなら、紹介するけど」
「その話、詳しく!」
ノエルとランスロットは、声を揃えて食い付いた。
その日の夜、ノエルたちはロンダルク領の問題物件に足を踏み込むことになる。
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