嘘つきは恋人のはじまり。
募る想い
梓は非常に荒れていた。腹立たしかった。
誰に対してではない。自分への怒りが収まらなかった。
里中の人脈を考えれば利根川製薬の人間があのパーティーに参加することは簡単に予想できた。
予想できたはずなのに恩人であり父親のような存在の里中に彼女を紹介することで浮かれていた。そしてみすみすと彼女を彼らに近づけてしまった。警戒していたものの、すべてに目を配らせることはできるわけなかった。
防犯カメラで縋るように非常階段の扉を開ける姿に胸がかきむしられる思いだった。
どんな思いであの場から逃げ出したのだろうか。どれほど彼女が自分を責めたのか、計り知れないほどの思いに胸が痛む。
真っ赤にして泣き腫らした目がどこか怯えたように自分を見つめる顔も可哀想で悲しくて、自分の不甲斐なさに打ちひしがれた。
ダン、と鈍い音が室内に響き渡る。
力なく笑い「ありがとう」と背中を向けた彼女を今すぐにでも追いかけて、抱きしめたくてたまらなかった。
****
「宮内さんはもう発ったの」
「そうですね、今朝」
「フーン。今空の上か」
未玖は世間が忘年会やらクリスマス会で盛り上がる最中、不思議なメンバーと食事をしていた。
香月、木下とは今年の夏、玲がストーカーに遭ったときに知り合いお互いの目的が合致したため連絡先を交換した。
彼らは密かに梓と玲のことを応援していた。
未玖も同じだった。強いて言えば九条である必要はないが、玲がいい感じにかつての明るさを取り戻し始めたのだ。応援しないはずがなかった。
「九条さんは?」
「相変わらず荒れてる」
「顔には出さないけどオーラがスゲーのよ」
香月が箸を持ったまま肩をすくめた。その箸の先が木下に向き、「箸を向けるな」と木下が叱る。
「不可抗力ダ。ちょっとぐらい許せ」
「俺が女ならナイわ」
二人とも見た目が麗しいのだが、話してみると結構普通の人だった。雲の上の存在だと思っていた未玖は、子どもみたいなやりとりに肩の力が抜ける。
「玲ちゃんは?」
「うーん。どうするか決めかねてるかんじですね。ただ、多分恋人とは別れるんじゃないかと」
未玖は梓と距離を置いた期間、なるべく玲と過ごした。ただ、心配だったこともある。また勝手にふらりと旅立ってしまわないか心配だった。
あとは香月たちに情報共有の意味もあった。ただ、彼らもいい大人で外野が口出すことではない。やることはただふたりのフォローをするだけだった。
「じゃなきゃ、わざわざ戻らないか」
「俺なら戻ることもしないけど」
「雅は白状だからナ」
ハハハと笑う香月に木下が白い目を向ける。
「どれだけ向こうに居るの?」
木下が香月を無視して切り返した。
未玖は口の中に含んだビールを飲み込み「さあ」と首を傾げた。
「え、戻ってこないの?」
「玲も分からないって。最後になるだろうから、色々巡ってくるって言ってました」
ふたりは『最後』というフレーズに目を丸めた。
「そっか。なら別れるつもりなんだね」
「恐らくは」
「梓やっとチャンスじゃん」
香月が嬉しそうにビールを一口飲む。
だけど、未玖が「甘いな」と言うようにその考えを否定した。
「玲は九条さんも選ばないと思います」
「「ええっ?!」」
未玖の予想に二人は声を上げた。
「ようやく邪魔者がいなくなったのに?何故」と香月が呟く。
「玲は九条さんの隣にいることでまた迷惑をかけてしまうと思っています。玲のせいで解雇された元同僚が何をしてくるかわかりませんし」
「だからこそ、傍にいた方がいいんじゃ」
「そもそも玲は誰かに頼るということを知りませんし、そういう時こそ離れた方がいいと思うタイプですよ」
それに、と未玖は付け加える。
「家、引き払う予定ですし」
「えっ?!どうして??」
「パースから戻ってきたら実家で休むと思います」
玲はきっともう東京に戻ってこないんじゃないだろうか、と未玖は思う。
個人的にとても寂しいが、玲が決めたことなら仕方ない。それに家族の元でのんびりする方がいいとも思う。ようやく少しずつ癒えてきたのだ。
わざわざ辛い思いをする必要はない。
幸運だったのは、玲の家族仲が良好なことだろう。両親は理解があり、双子たちは若干シスコン気味ではあるが皆良い人ばかりだ。
未玖も高校時代は玲の実家に入り浸り、進路や恋愛事など含めて相談した。父親のいない未玖は玲の父を自分の父親のように慕い、玲の母を姉のように慕った。実母は看護職で未玖の大学費用の為にと率先して夜勤をしている。母と過ごす時間よりも玲の家族と過ごす時間が長かった未玖は玲が一度ゆっくりと羽を休めることに賛成だった。
「そんなの梓が」
「報われねーよナ」
それで黙っているほど二人は大人しくなれなかった。ようやく見つけた恩人だった。そして、初めて梓が心から欲した女性だった。
「そんなこと言われても仕方ないじゃないですか」
「そうだけどさ」
「ヨシ、今夜はオレが慰めてやるか」
「やめとけよ。最近鬱陶しがられてるんだから」
木下が香月の頭をチョップする。香月は今盛大に荒れて拗ねている梓を揶揄うのが楽しくて仕方ないらしい。だが本人は大真面目に心配もしている。
「じゃあどうすればいいのさ」
木下が両腕を組んで不貞腐れた。王子様フェイスは剥れても恰好良いのだな、と未玖は変なところで感心する。
「実家に迎えにいけばいンじゃネ?」
「それはやめた方がいいと思います。それに多分ですけど、九条さんには会いにはくるんじゃないですか」
未玖はしゃくしゃくとサラダを食べながら玲の行動を予想する。
「少なくも玲は九条さんのこと好きですよ」
「好きじゃないと一緒には住まないでしょ」
「玲が怖いのはこの先何かあって、九条さんが玲から離れていくことでしょうね」
「そんなこと言っても恋愛なんてそんなもんじゃん」
木下が剥れる。
「でも、玲は一度メンタルズタボロにやられてるので、信じるのが怖いんです。信じた分だけ大きいじゃないですか」
「それを梓がヨシヨシってしてやればいンだろ?」
香月の能天気な回答に今度は未玖まで白い目を向ける。木下は「塚原さんも分かってきたじゃん」と吹き出して笑った。
***
梓はその話を聞いて愕然としていた。嫌われていないとは思っていた。どちらかと言えば好かれている自信もあった。
それなのに、玲は自分をも選ばないつもりだと言う。玲をよく知る未玖の予想に梓は頭を抱えた。
「捕まえるなら、帰ってきたところダナ」
「でも関空に帰られると困るじゃん」
「たしかに。戻りは向こうで取るつもりらしいしナ」
「もういっそ、パース行くか」
「誰が仕事するんだよ」
「ま、雅がんばれ」
「俺じゃないだろ。現実的に考えれば行くことが間違いだ」
今だって、梓が付き合いで顔を出した忘年会終わりに無理矢理呼びつけたのだ。
日付は既にてっぺんを超えている。明日も通常業務で終日予定がびっしりパツパツだ。
今梓に穴を開けられると泣くしかなかった。
その前に梓が泣きそうになっているがそこは二人とも素知らぬふりをする。厳しい言い方かもしれないが、社会人で社の代表だ。惚れた腫れたで病んでたら会社が傾きかねない。
「塚原さんが、宮内さんと連絡取っているようだから、何かわかれば伝えるし」
「うん」
「とは言っても選ばれるかどうかは怪しイ」
「凌」
「そこはホラ、梓の包容力次第ダ」
「包容力あるか?」
「サア。少なくとも宮内さんから見ればあるんじゃネ?」
励まされているのか貶されているのかよくわからない。だが、普段と何も変わらない彼らの態度に救われたのは確かだった。
「すまない。それとありがとう」
「ウワ。気持ち悪ィ」
「これは俺たちのためにやってんの」
「何のためになるんだよ」
梓は素直に頭を下げたのに否定されて苛立った。凌は両手で両腕を抱きしめているし、雅は頬杖をついて呆れている。
「いつか梓の結婚式ででも話してやろうかと」
「オ!それいい!!」
「やめろ!!」
「皆迷惑してたんだ。それぐらいされてもいいじゃん」
「良くないだろ」
木下がニヤニヤとしながら梓を眺める。梓は梓で不貞腐れた。
「それならちゃんと宮内サン丸め込まないと、ダナ」
「じゃなきゃカッコつかないだろ」
「別の女に失恋した話をするのもナ」
「ほんとそれ。そんなの即離婚だ」
勝手にぐいぐいと話を進めて脱線する彼らに梓は苦笑した。それでも今この話を聞けてよかった、と。彼らがいてくれてよかったと思わずにはいられなかった。
誰に対してではない。自分への怒りが収まらなかった。
里中の人脈を考えれば利根川製薬の人間があのパーティーに参加することは簡単に予想できた。
予想できたはずなのに恩人であり父親のような存在の里中に彼女を紹介することで浮かれていた。そしてみすみすと彼女を彼らに近づけてしまった。警戒していたものの、すべてに目を配らせることはできるわけなかった。
防犯カメラで縋るように非常階段の扉を開ける姿に胸がかきむしられる思いだった。
どんな思いであの場から逃げ出したのだろうか。どれほど彼女が自分を責めたのか、計り知れないほどの思いに胸が痛む。
真っ赤にして泣き腫らした目がどこか怯えたように自分を見つめる顔も可哀想で悲しくて、自分の不甲斐なさに打ちひしがれた。
ダン、と鈍い音が室内に響き渡る。
力なく笑い「ありがとう」と背中を向けた彼女を今すぐにでも追いかけて、抱きしめたくてたまらなかった。
****
「宮内さんはもう発ったの」
「そうですね、今朝」
「フーン。今空の上か」
未玖は世間が忘年会やらクリスマス会で盛り上がる最中、不思議なメンバーと食事をしていた。
香月、木下とは今年の夏、玲がストーカーに遭ったときに知り合いお互いの目的が合致したため連絡先を交換した。
彼らは密かに梓と玲のことを応援していた。
未玖も同じだった。強いて言えば九条である必要はないが、玲がいい感じにかつての明るさを取り戻し始めたのだ。応援しないはずがなかった。
「九条さんは?」
「相変わらず荒れてる」
「顔には出さないけどオーラがスゲーのよ」
香月が箸を持ったまま肩をすくめた。その箸の先が木下に向き、「箸を向けるな」と木下が叱る。
「不可抗力ダ。ちょっとぐらい許せ」
「俺が女ならナイわ」
二人とも見た目が麗しいのだが、話してみると結構普通の人だった。雲の上の存在だと思っていた未玖は、子どもみたいなやりとりに肩の力が抜ける。
「玲ちゃんは?」
「うーん。どうするか決めかねてるかんじですね。ただ、多分恋人とは別れるんじゃないかと」
未玖は梓と距離を置いた期間、なるべく玲と過ごした。ただ、心配だったこともある。また勝手にふらりと旅立ってしまわないか心配だった。
あとは香月たちに情報共有の意味もあった。ただ、彼らもいい大人で外野が口出すことではない。やることはただふたりのフォローをするだけだった。
「じゃなきゃ、わざわざ戻らないか」
「俺なら戻ることもしないけど」
「雅は白状だからナ」
ハハハと笑う香月に木下が白い目を向ける。
「どれだけ向こうに居るの?」
木下が香月を無視して切り返した。
未玖は口の中に含んだビールを飲み込み「さあ」と首を傾げた。
「え、戻ってこないの?」
「玲も分からないって。最後になるだろうから、色々巡ってくるって言ってました」
ふたりは『最後』というフレーズに目を丸めた。
「そっか。なら別れるつもりなんだね」
「恐らくは」
「梓やっとチャンスじゃん」
香月が嬉しそうにビールを一口飲む。
だけど、未玖が「甘いな」と言うようにその考えを否定した。
「玲は九条さんも選ばないと思います」
「「ええっ?!」」
未玖の予想に二人は声を上げた。
「ようやく邪魔者がいなくなったのに?何故」と香月が呟く。
「玲は九条さんの隣にいることでまた迷惑をかけてしまうと思っています。玲のせいで解雇された元同僚が何をしてくるかわかりませんし」
「だからこそ、傍にいた方がいいんじゃ」
「そもそも玲は誰かに頼るということを知りませんし、そういう時こそ離れた方がいいと思うタイプですよ」
それに、と未玖は付け加える。
「家、引き払う予定ですし」
「えっ?!どうして??」
「パースから戻ってきたら実家で休むと思います」
玲はきっともう東京に戻ってこないんじゃないだろうか、と未玖は思う。
個人的にとても寂しいが、玲が決めたことなら仕方ない。それに家族の元でのんびりする方がいいとも思う。ようやく少しずつ癒えてきたのだ。
わざわざ辛い思いをする必要はない。
幸運だったのは、玲の家族仲が良好なことだろう。両親は理解があり、双子たちは若干シスコン気味ではあるが皆良い人ばかりだ。
未玖も高校時代は玲の実家に入り浸り、進路や恋愛事など含めて相談した。父親のいない未玖は玲の父を自分の父親のように慕い、玲の母を姉のように慕った。実母は看護職で未玖の大学費用の為にと率先して夜勤をしている。母と過ごす時間よりも玲の家族と過ごす時間が長かった未玖は玲が一度ゆっくりと羽を休めることに賛成だった。
「そんなの梓が」
「報われねーよナ」
それで黙っているほど二人は大人しくなれなかった。ようやく見つけた恩人だった。そして、初めて梓が心から欲した女性だった。
「そんなこと言われても仕方ないじゃないですか」
「そうだけどさ」
「ヨシ、今夜はオレが慰めてやるか」
「やめとけよ。最近鬱陶しがられてるんだから」
木下が香月の頭をチョップする。香月は今盛大に荒れて拗ねている梓を揶揄うのが楽しくて仕方ないらしい。だが本人は大真面目に心配もしている。
「じゃあどうすればいいのさ」
木下が両腕を組んで不貞腐れた。王子様フェイスは剥れても恰好良いのだな、と未玖は変なところで感心する。
「実家に迎えにいけばいンじゃネ?」
「それはやめた方がいいと思います。それに多分ですけど、九条さんには会いにはくるんじゃないですか」
未玖はしゃくしゃくとサラダを食べながら玲の行動を予想する。
「少なくも玲は九条さんのこと好きですよ」
「好きじゃないと一緒には住まないでしょ」
「玲が怖いのはこの先何かあって、九条さんが玲から離れていくことでしょうね」
「そんなこと言っても恋愛なんてそんなもんじゃん」
木下が剥れる。
「でも、玲は一度メンタルズタボロにやられてるので、信じるのが怖いんです。信じた分だけ大きいじゃないですか」
「それを梓がヨシヨシってしてやればいンだろ?」
香月の能天気な回答に今度は未玖まで白い目を向ける。木下は「塚原さんも分かってきたじゃん」と吹き出して笑った。
***
梓はその話を聞いて愕然としていた。嫌われていないとは思っていた。どちらかと言えば好かれている自信もあった。
それなのに、玲は自分をも選ばないつもりだと言う。玲をよく知る未玖の予想に梓は頭を抱えた。
「捕まえるなら、帰ってきたところダナ」
「でも関空に帰られると困るじゃん」
「たしかに。戻りは向こうで取るつもりらしいしナ」
「もういっそ、パース行くか」
「誰が仕事するんだよ」
「ま、雅がんばれ」
「俺じゃないだろ。現実的に考えれば行くことが間違いだ」
今だって、梓が付き合いで顔を出した忘年会終わりに無理矢理呼びつけたのだ。
日付は既にてっぺんを超えている。明日も通常業務で終日予定がびっしりパツパツだ。
今梓に穴を開けられると泣くしかなかった。
その前に梓が泣きそうになっているがそこは二人とも素知らぬふりをする。厳しい言い方かもしれないが、社会人で社の代表だ。惚れた腫れたで病んでたら会社が傾きかねない。
「塚原さんが、宮内さんと連絡取っているようだから、何かわかれば伝えるし」
「うん」
「とは言っても選ばれるかどうかは怪しイ」
「凌」
「そこはホラ、梓の包容力次第ダ」
「包容力あるか?」
「サア。少なくとも宮内さんから見ればあるんじゃネ?」
励まされているのか貶されているのかよくわからない。だが、普段と何も変わらない彼らの態度に救われたのは確かだった。
「すまない。それとありがとう」
「ウワ。気持ち悪ィ」
「これは俺たちのためにやってんの」
「何のためになるんだよ」
梓は素直に頭を下げたのに否定されて苛立った。凌は両手で両腕を抱きしめているし、雅は頬杖をついて呆れている。
「いつか梓の結婚式ででも話してやろうかと」
「オ!それいい!!」
「やめろ!!」
「皆迷惑してたんだ。それぐらいされてもいいじゃん」
「良くないだろ」
木下がニヤニヤとしながら梓を眺める。梓は梓で不貞腐れた。
「それならちゃんと宮内サン丸め込まないと、ダナ」
「じゃなきゃカッコつかないだろ」
「別の女に失恋した話をするのもナ」
「ほんとそれ。そんなの即離婚だ」
勝手にぐいぐいと話を進めて脱線する彼らに梓は苦笑した。それでも今この話を聞けてよかった、と。彼らがいてくれてよかったと思わずにはいられなかった。
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