嘘つきは恋人のはじまり。

花澤凛咲

プロローグ

 玲は帰路へと続く道を足早に歩いていた。明日は大学の卒業式。一足早く、就職先で働いていた玲は、今夜およそ二か月ぶりに地元神戸に帰る。乗車予定の新幹線にはまだ時間的な余裕はあるが、一度仮住まいの社宅に戻り、荷物をピックアップしてお土産売り場でお土産を吟味する時間を考えるとそれほど余裕はなかった。

 東京バナナは確定。あとは売り場を見て考えよう。駅弁を買って。あぁ本当はビールも飲みたいけれど我慢かな。明日は朝が早いし顔むくむのやだし。

 卒業式は午前十時からだ。ただ、女性は準備に時間がかかる。明日は五時半起きが決まっている。七時にはヘアメイク八時には着付けとスケジュールがパンパン。迷いに迷って選んだ袴にようやく袖を通せるのは嬉しいが、明日のスケジュールは成人式並みに大変だった。
 
 ショートカットしよう。

 駅と社宅までの道のりに途中公園がある。公園と言っても間隔的にベンチがあり遊具等はない場所だ。朝は学生や会社員がよく歩いている。ランニングしている人やベンチでおしゃべりしているお年寄りもよく見かけた。
 ただ、その公園は夜になると少し薄暗い。外灯はついているものの、灯り自体それほど眩しいほどの明るさがなかった。本音を言えば夜にそこを通るのは少し怖い。玲は「大丈夫」と自分に言い聞かせてその公園に足を踏み入れた。

 …なんかおる

 ザクザクと砂利道が続く中、玲はこわごわと周囲を見渡しながら歩いていた。というのも時々うめき声のようなくぐもった声が聞こえるからだ。風の音かと一瞬思ったけれど、それほど風も吹いていない。少し歩みを止めてみたものの自分の足音しか聞こえず玲はさらに縮み上がった。

 通らんかったらよかった。怖いわ。早く帰ろ。

 玲は内心で泣きながらいそいそと足を進めた。だが声がだんだん近づいてくる。玲は思わず自分の反対側の道を見た。そして、怖いもの見たさと好奇心に負けて今歩いている道とは反対側へ移動する。

…ひと?

 外灯と外灯の間にベンチがあった。そこはさほど灯りが点っていないせいかひと際目立たないベンチだった。そのベンチに人が横たわっている。時折聞こえる声はその人のこえらしかった。

「あの、大丈夫ですか?」

 玲は勇気をだして声をかけた。横たわっていたのは男性。そして想像していたより若かった。お年寄りかそれとももう少しおじさんかと思っていたけれど、パッと見て、30代にいくかいかないかの男性だった。男性は顔を覆っていた腕の隙間から玲をチラリと見てシッシッと犬を追い払うような仕草を取った。その態度に玲はムカッとする。明らかに体調が悪そうなのに、なんなんだこの男は、と玲は気分が悪くなった。

 「救急車よびますか?そこにいたら風邪ひきますよ」

 それでも玲は男に話かけた。玲には五つ下に双子の弟と妹がいる。そのせいか昔から世話焼き質で大学でも「お前はおかんか」と笑われることもあった。そんな長女気質の玲は寒空の下で横たわっているひとを見つけた。軽くあしらわれてしまったもののだからと言ってそのまま放置することはできない。

 「…へいき、」

 だからどこか行け、と男は再びシッシッと玲を追いやろうとした。声は全然平気そうではないけれど、本人がそう言っている以上踏み込むわけにはいかない。玲は「そうですか」と言いながら踵を返した。無駄足だったな、と思いつつ寄り道した分巻き返さないと、と思い自宅へ向かう。公園を抜け五分ほど歩けば自宅だった。だが玲は回れ右をすると、公園の出入り口付近にあるコンビニに飛び込んで、飲み物やゼリーを籠に入れた。砂利道に足を囚われながらさっきとは違い走った。三月も後半で日中は少し暖かくなったとは言えど朝夕は酷く寒い。口から吐きだした息は白い気体となって夜の空気の中へ消えていく。それを追いかける余裕もなく、玲はあたりを見渡しながら先ほどの男性を探した。

いた!

公園のちょうど真ん中付近の外灯があまりあたらない目立たない場所だ。玲は手に持ったコンビニ袋の中から、ペットボトルのミネラルウォーターを取り出しながら再び男性に近づいた。

「飲んでください」

玲は今度は躊躇わずに男の目の前にペットボトルを差し出した。男は先ほどと同じく顔に置いた腕をずらす。その隙間から差し出されたペットボトルを見て、おもむろに手をのばした。

「…ありがとう」

嬉しかった。ただその一言だけで勇気を出してよかった、と思った。玲は一緒に買ったゼリーやあたたかいお茶もあることを告げる。だが、男は「水でいい」と言って、のろのろと起き上がるとペットボトルのキャップを開けた。

「本当に救急車呼ばなくていいんですか」
「あぁ」
「ここで寝てると凍え死にますよ」

まだまだ寒いんですから、と玲はおせっかいを発揮した。男はペットボトルからようやく目を離し玲を見る。玲は初めて男と目が合った。

顔色わっるぅ…!

 男は救急車は要らないと言うが、素人目で見てもわかるほど絶対呼んだ方がいいと思った。だけど玲は医療従事者でもなく医療的な知識もない。本人が「要らない」と言うものを無理矢理強要することはできない。

「家、どこですか?タクシー呼びますか?」

それならとっとと自宅に戻ればいい。だけど男はベンチにもたれかかりながら「いい」と首を横に振った。
玲はイラっとした。人が心配しているのにどうしてこんなにも頑ななのか理解できなかった。「こうしてほしい」「ああしてほしい」そう言ってもらえればもう少しなんとかできる。

…信用、かも。

 人は信用できないと心を見せない。もしかするとこの男性は自分のことが信じられなくて、こんな風に頑ななのかも。玲は思考を変換させて、まず男性と少しコミュニケーションを取ろうと思った。ためしに世間話をと、男性がスーツを着ていることから仕事の話を振ってみた。
 案の定男性は営業をしているという。玲も今朝先輩社員に同行して客先に赴いた。大学生なのに同行してもいいのかと不安になったが、早めに顔を合わせておいた方がいいと言われたからだ。
 だが、玲は男性の心を開かせて頼ってもらおうと思い世間話を振ったのだが、適度な男の相槌と所々に挟まれる質問にいつの間にか自分の話になり、なぜかつい最近失恋した話をしてしまった。

「見返してやるんです!絶対にっ」

 彼は大学の友人だった。同じ学部で同じ専攻、サークルもゼミも同じ。必然的に過ごす時間が長くなり、いつの間にか淡い恋心を抱いていた。だけど彼が選んだのは他学部の可愛らしい女性だった。小柄でいつもふわふわした服を着ている。ナチュラルメイクに見せかけて入念にメイクをしていると気づいたのは玲が同じ女性だからだろう。
玲の雑なメイクをナチュラルメイクとは言わないと以前友人に言われたけれど、あの時まともに話を聞き少しでも自分磨きに専念していれば彼は少しでも気にしてくれたのだろうか。
 玲は今更ながらに思い出して少しだけ落ち込んだ。明日の卒業式でその彼に会うのは最後になるだろう。彼は大阪で玲は東京で新生活が始まる。明日はいつも通り、友達のまま過ごそうと玲は改めて決意した。

「…そういう心意気、いいと思うよ、俺は」

 男の小さなつぶやきは静かな夜の公園によく響いた。玲はハッとしてベンチで背もたれに背中を預けている男を見る。男はペットボトルから水を一口飲むとふぅ、と息を吐きだした。

「世の中にいい男なんてたくさんいる。これから出逢える。見た目は悪くないんだから自分を磨けばいい」
じんわりと胸が熱くなった。『見た目は悪くない』なんて非常に失礼だけど、それでも「これから頑張ればいい」と言ってくれた。友人たちの「大丈夫」というお世辞のような言葉より、なぜかこの男からの言葉の方がストンと腹に落ちた。

「…名前は?」
「名前?」
「君の。水、もらったし」

男はまだ青白い顔でペットボトルを持ち上げて目の前で振った。その中身はもう殆ど残っていない。玲は少し迷って名前を告げた。しかし告げた名前は妹名前だ。

「…ミオ」
「みお?」
「サイオンジミオ」

苗字は?と目で催促された気がして玲は母の旧姓を告げた。男は一度「さいおんじみお」とつぶやく。玲はどこか居心地悪くてそれでも訂正して本名を告げる気はなかった。
…知らない人、だし。

「…俺がもらってやろうか?」

男はどこか揶揄うように玲に告げた。乱れた髪、青白い顔、それなのにとても男性的でとても艶っぽく見えた。玲はその男の雰囲気に飲まれてうっかり「うん」とうなづきそうになる。だけど慌ててその言葉を飲み込んだ。

「か、揶揄わないでください!」
「揶揄ってないって言ったら?」
「信じられません!」
「じゃあどうしたら信じてもらえる?」

玲は数瞬考えて「薔薇を」と続ける。

「薔薇?」
「薔薇の花束もってきてください」

 玲は自分でもどうかしていると思った。本来そんなロマンチックなことを口に出すタイプじゃない。だけどつい最近観た洋画のワンシーンでとても心に訴えるシーンがあった。失恋した玲に「こんな風に求められたい」と思わせた場面。傷心中の玲は恋愛映画なんてと思ったものの妹に無理矢理付き合わされて観た映画だったのに、いつの間にか玲の方がのめり込んでいた。

「わかった。約束は守れよ」 

 それでも玲は現実的だった。夢は見ない。いや、見ないようにしていた。自分で言って矛盾していると思う。
 だけど、こんな歯の浮くようなセリフを平気で言う男は正直信用できない。それに、しばらく恋愛はこりごりだ。だから本名も教えない。期待した後が怖い。裏切られた後が怖かった。信じないように予防線を張って「ほらね」というスタンスの方が楽だ。玲はそう決めて男に「はい」と返事をした。
 男は少し楽になったらしく「帰る」と立ち上がった。そういえばと玲は時計を見てそろそろ一度家に戻った方がいいと判断する。
 男はふらりと立ち上がるとおぼつかない足取りで歩きだした。玲は新幹線の時間を考えると早くこの場を去りたいが、この男をそのままにしていいのかと不安になる。
せ めてタクシーを捕まえれば、と考えていた時に男が急に体をくの字に曲げて呻いた。

「ぐっ、ぅぐぁあっ、」

 ゴホゴホ、とひどく荒い咳を繰り返し、べちゃっと地面になにか黒いものが飛び散ったと同時に男の体が崩れ落ちた。がくりと膝を付く。玲は慌てて男を抱きとめて、鞄から携帯を取り出した。

「きゅ、救急車をお願いします!場所は」

 玲は必死だった。受話器の向こうで「おちついてください」と言われたけれど、気が動転している玲はそんな余裕はない。地面に広がった血の匂いと、瀕死の男性。何を言ってどうやって理解してもらえたのか分からないほど必死だった。
 救急車は十分程度で到着した。だけど玲にはその十分がとてつもなく長く感じた。電話が通じていなかったのでは?とソワソワし、時折男に話しかけた。
 男からの反応に安堵して、またソワソワしてを繰り返す。男の口の中をゆすがなくていいのか気になったけど、全体重をかけてもたれかかっている成人男性を受け止めながらペットボトルを開けるのは至難の業だった。
 駆け付けた救急隊員と共に玲は迷わず救急車にとび乗った。状況説明をしながら男の手を握る。体温はまだ残っていた。そのことだけが玲を安心させた。サイレンを鳴り響かせた救急車はそれほど走らずに夜間救急病院に到着した。


 翌日の神戸は卒業式に相応しい晴天だった。
まだ風は冷たいけれど、学生たちの表情は晴れ晴れしている。式典が始まる前からすでに泣き始めた友人もいて、玲はそんな友人たちと笑いながら最後の舞台に上がった。
 式典は恙なく終わり友人たちと記念写真を撮る。一度自宅に戻ればどっと睡魔が押し寄せてきた。
 昨夜遅くに帰り、両親と話をして朝は早くに起きた。つまり寝不足だ。玲は楽な服装に着替えて次の予定まで昼寝をしようと決めた。
 だけどその前に一本だけ電話しておこう。
 玲はスマホから検索ツールを開き昨夜の病院名を入れて電話番号を調べる。ベッドに座りスマホをポケットから出した。耳元で呼び出し音が数コール聴こえた後繋がる。

 『はい、こちら、XX夜間救急センターです』

 玲は少し緊張しながら昨夜の男性のことを訊ねた。名前は知らないが、午後八時頃に救急車で運び込まれた男性だ。自分が救急車を呼んだので容態を知りたいことを伝えた。
 公園で男が吐血した後すぐに救急車を呼んだ。気が動転してうまく話せなかったけどそれほどかからずに病院に運ばれた。
 救急車の中では苦しそうに呻いていたが、握っていた男の手の温もりは僅かに感じられた。

「お亡くなりになりました」」

 だが返ってきた答えは無情にも残酷だった。玲は驚いて声が出ない。「嘘」とか「人違いでは?」と後から考えると色々突っ込みどころがあったのに、この時はもう聞き返すことすら思いつかないほどの衝撃で言葉が出なかった。
 電話口の声はとても冷たくて、遠ざけるように突き放した声だった。受話器の切られたスマホを持ったまま玲はよろよろとベッドに倒れ込んだ。


コメント

  • ノベルバユーザー601400

    先を読んでみようってなります

    0
  • ブックウーマン

    次から次へと展開が気になって読むのが止まらない笑

    0
  • ホワイトチョコレート

    ありそうで無かった話!

    0
  • よしみ

    どんな感じに展開していくのか楽しみ

    2
  • Fujiko

    梓、苦しんでるわね

    1
コメントを書く

「恋愛」の人気作品

書籍化作品