嘘つきは恋人のはじまり。

花澤凛咲

死んだ男と約束の薔薇1

苦いことを思い出した。
今朝見たニュースを思い出し玲はわずかに表情を曇らせた。某音楽学校の卒業式はそれはもう全国的に有名で、地元神戸では地元局特集を組まれるほど流れている。
それを東京で久しぶりに目の当たりにし、思いだしたくない記憶まで蘇ってしまった。

「あれから五年か」

 あの事件のことは誰にも言わずに心の中にしまい込んでいた。いや、言わなかったのではなく言えなかった。

 ___もっと早く救急車を呼んでいたら助かったかもしれないのに。

そう指摘されることが怖かった。

 一生に一度の大学の卒業式なのにその日の記憶はあまりない。病院へ電話した後、その後の集まりに行く気分にもなれなくて「体調が悪い」と部屋に引きこもった。社会人になった後もしばらくは罪悪感に押し潰されて夜は一人こっそりと泣いていた。いくら知らない人とはいえ、つい数時間前まで生きていた。自分の判断のせいで、男は命を落としたんだと玲はずっと自分を責め続けた。

 もっと早く救急車を呼んでいれば。
 コンビニへ行く以前に救急車を呼んでいれば。

タラレバばかり考えてその度に「ごめんなさい」と謝り続けた。もう届かない声をひたすら繰り返し、一生その罪を背負うつもりだった。
 名前も知らない、顔ももうあまり思い出せない。それでも、そんな人がいたことはずっと記憶に残る。

 自分が助けられなかった人。

 医療従事者でもない。驕りかも知れないけれどあの時自分ができたことはただ喋ることじゃなかったのは確かだ。本当ならあの男性の家族に責められてもおかしくないのにと玲は思っている。
 
 「お待たせしました」
 「いや、まだ緒方くんが来ていないんだ」

 都内某所、高層ビルにあるオフィスにて。
 今も鮮明に残るあの日の記憶を頭の片隅に追いやり玲は会議室の扉を開けた。本日の出席者の一人である山崎慎太郎が既に着席している。
 玲は現在、「シュクレ」という大手老舗菓子メーカーで外部相談役としてコンサルティング業務を請け負っていた。
 この年齢で「相談役」と言うととても大層な気がするが、かつての恩人である山崎に「助けてほしい」と頭を下げられ、一年だけという期限付きで受託した。
 山崎慎太郎はシュクレの取締役の一人であり、シュクレでは大きな決定権を持つ。元大手小売業企業で社員からCMO(チーフマーケティングオフィサー)まで上り詰めた手腕を買われてヘッドハントされた。常々アンテナを張り目を光らせ、時々周囲が凍るほど険しい表情を見せる。だが本来の山崎は、身長が小さいことを気にする可愛らしいおじさんで玲は厳しくもお茶目な山崎を慕っていた。

「お、私が最後でしたか。失礼しました」

そこへ最後の一人、緒方将司が会議室に入ってきた。
山崎も緒方も五十を過ぎたおじさんだ。玲はいつ見てもこの中に自分がいることをどこか申し訳なく思いながらも頼られている分はしっかり仕事をしようと取り組んでいた。

「結果が出た。まあなんとか落第点か」

 シュクレはかつて日本を代表する菓子メーカーとして君臨していた。元は明治時代に創業した小さな焼き菓子店から始まった。その後、洋菓子ブランドと和菓子ブランドを立ち上げ、個人店から法人へと成長。現在は全国各地に約三百もの店舗を持つ。

「やっとスタートラインですね」
「あぁ。各部門前年比を大幅に超えている」
「それで落第点って山崎さんキツいっすよ」

緒方が笑いながらそれでもどこか安堵したように表情を緩める。そんな緒方に釣られて玲は山崎と目を見合わせて苦笑した。
 
 菓子メーカーとして王者とも言われていたシュクレが転落を始めたのは十五年ほど前だった。大きな要員として、百貨店が縮小を始めたこと。また、インターネットが普及する世の中で情報社会に遅れを取ったことだろう。加えて、代々家族経営だったせいか職人気質の人間が多く「良いものを作り続ければ売れる」と信じて疑わなかった。だが、さすがにこれはまずいと慌てたのが五年ほど前。役員を総入れ替えし自社ビルを手放し、その時にアサインしたのが山崎だった。不運だったのは、その前年に一代前の代表の思いつきでカフェ業界にも手を広げてしまったことだ。振るわない業績に四苦八苦していた山崎はかつての会社で取引先の担当者だった玲に声をかけた。

「バレンタインデーとホワイトデーのセット商品が結構売れましたね」
「あとはイベント収入が大きいな」
「広告宣伝費はかかりましたけど、結果的に知名度は上がりましたしいいんじゃないっすか」

 山崎と玲はシュクレでは新参者の扱いだが、緒方は違う。彼はシュクレ勤続二十年のベテラン社員。肩書きは営業部長。元ラガーマンで五十を過ぎた今も良い体躯をしているが、超がつく甘党だ。ミスター無責任と言われるコメディアンに風貌も性質も似ており、そのキャラクターで社員達から慕われていた。山崎と玲が真面目な話をする中良い意味で力を抜いてくれる存在で、時々気が抜けすぎるところは痛いがシュクレの歴史を知り人脈の広い彼を二人はとても頼もしく思っていた。
 そんなでこぼこしたメンバーでの月一の報告会は恙なく終了した。次は各工場の責任者や店舗責任者とミーティンングがある。小売業や多店舗展開企業は雇用形態がバラバラでまた店によって色もある。売上だけでなく店舗体制等も整えるのがコンサルタントの仕事だ。玲は次のミーティングまでに飲み物を買いに行こうと席を立った。その時山崎から声がかかる。

「ゴールデンウィークのことなんだが」

ゴールデンウィークにカフェ事業で今までにない試みを行う予定だった。玲は初めの五日は休み、残りの四日ないし五日は仕事をする予定のつもりでいる。

「京都の方に行くんだったね」
「はい」
「知り合いで宿を経営してる人がいるんだ。キャンセルが出たらしい。よかったらどうだい?日本風だからきっと彼も喜ぶだろう」

 玲には付き合って一年半程の恋人がいる。彼、ロバートとは、オーストラリア西海岸のパースという街で出逢った。帰国しようとした玲に「一緒に住もう」とロバートは告白した。玲はその申し出を受けてそのままパースに住み着いた。
 だけどちょうど一年ほど前に山崎からシュクレの相談を受け始めたことから状況が変わった。はじめはメールやオンラインでのやりとりだったが、山崎から何度も短期間でもいいから帰国して手伝ってほしい、と誘い受けた。
 玲は一度、家族にも会っておきたい気持ちもあり、一年間という期間限定で今帰国している。
 ロバートとは特に結婚を約束しているわけではないけれど、一年後はまたパースに戻る予定だった。パースではロバートの営む地元のダイング・バーを手伝っている。
 
「ありがとうございます。是非利用させて頂きます」

 玲は小さく頭を下げて感謝し、飲み物を買いに会議室を出た。恋人が遊びに来ると言い出したのは突然だったこともあり、三月の今でも既にめぼしい旅館はどこも空いていなかった。

 ゴールデンウィークだし仕方ないよね、と肩を落としたものの思わぬ誘いに喜びを隠しきれない。
 彼にはなんて言おうかな、と思いながら自動販売機の前に立つと、迷うことなくミルクティーのボタンを押した。

 この自動販売機はシュクレが展開するカフェで実際に使われている茶葉を使用したオリジナルの自動販売機だった。カップも同じく店舗のものと同じで、今SNSでよく見られるロイヤルローズカラーのもの。ボルドーにローズピンクとバイオレットを合わせたような上品な深い赤に金で絵が入っているデザインだった。

 本当に素敵なデザイン…。
 
 ミルクティーが出来上がるのを待っていると一人の男性が飲み物を買いにやってきた。玲は携帯を触りながらチラッとその男性を見て顔を伏せる。
 その男性は玲とは違う自動販売機で、こちらはコーヒー缶を手にしていた。そのタイミングでちょうどミルクティーが出来上がる。カップの取り出し口の扉のロックが解除された音を確認して玲はカップを取り出した。きちんと蓋も閉められたそれは非常に優秀な自動販売機だとつくづく思う。

「…宮内玲さん、ですね?」

自動販売機の優秀さに感心していると声をかけられた。男性はシュクレの社員証をつけておらず、外部の入館証をつけている。

「突然失礼しました。九条と申します」

 男性は九条と名乗り、ポケットから名刺ケースを取り出すと一枚の名刺を目の前に差し出した。カップをスタンドテーブルの上に置くと玲は慌てて両手を差し出す。

…代表取締役?

名刺を受け取りながら目の前に立つ男を玲は見上げた。
緩やかな黒髪は整髪剤で整えられ、意志の強そうな眉と何かを見透かすような瞳がとても印象的だった。スッキリとした鼻筋とシャープな顎のラインが、男の凛々しさを一際引き立てている。
 海外モデルも顔負けなほどのスタイルは、総合的なバランスを見ても俗に言う「イケメン」。玲は、こんな人が一般人で日本にいるなんて、と色んな意味で驚愕した。

「そのカップのデザイン、うちのデザイナーなんです。宮内さんがとても推してくれたと聞きました。礼を言いたくてつい声をかけてしまいました。驚かせてすみません」

九条は玲が惚れ込んだデザイン会社の社長だった。このカップのデザインはコンペをした結果であり、映える色、上品だがシンプルなデザインは持っているだけでおしゃれですぐに流行るだろうと思えた。
 
「いえ、デザインは概ね満場一致でした。確かにわたしは一目惚れしましたが」
「メッセージツールからオンラインページへの導線や商品ページの見せ方、操作方法についても非常にわかりやすい見解でした。あなたがこちら側についてくれたので非常にやりやすかった」
「ではECサイトも?」
「ええ。うちで全て作らせていただきました。山崎さんの導線でもよかったのですが私個人として直感的なのは宮内さんの意見だと。複数購入を促す工夫もお見事でした」
「それはそちらの仕様書がとてもわかりやすかったので」

 いくら受託側が提案したところで決定権はシュクレ側にある。こちらがどう説明しどれだけ誘導点に工夫したところで我を通すクライアントは多いと九条は説明する。
 玲は誉められてなんだか照れ臭かった。まさか外部のそれも同じシュクレに携わる企業の代表から褒め称えられたのだ。気分は悪くなかった。

「今夏のデザインも考えているんです。よければ宮内さんの意見もお聞かせいただけませんか?」
「え、えぇ。それはいいですけど」

玲はいいのだろうか、と一瞬迷いつつもまあシュクレのためならいいかと気持ちを切り替えた。九条は「この後どうですか?」と玲に都合を訊ねる。

「すみません、この後は」

玲はこの後二時間ほど缶詰だ。約三十分刻みの会議が四つ、その後は資料を練ったりする予定でいる。タスクは山ほどあった。

「では別日でお誘いしても?」
「あ、はい。それはもちろん」
「連絡先聞いてもいいかな?」

九条が先にポケットから携帯を取り出し、玲は慌てて同じくポケットから携帯を取り出した。名刺を渡せればよかったが生憎所持していない。

「では連絡します」

九条はそれだけ言うと、玲に背中を向けて颯爽と去っていった。玲はその背中を見送りつつ「あ、会議」慌てて会議室に戻ったのだった。





 


コメント

  • Fujiko

    ロバート、早く来て

    0
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