【コミカライズ】私の身体を濡らせたら

深冬 芽以

8.彼女の嫉妬と元カレとの再会-8

 麻衣さんまで、店員のと思しき男の名前を口にした。こちらも、呼び捨てだ。

「久し振り」と、店員が麻衣さんに話しかける。

「うん。久し振り」と、麻衣さんも答える。

「元気そうだな」

「うん。この店にいたんだ」

「ああ。春に異動になって」

「店長代理……? すごいね」と、麻衣さんが彼が首からぶら下げている透明なケースの中の名刺の肩書に気づいて言った。

 俺も凝視する。

 店長代理 本庄ほんじょう基弘。

 年は三十歳前後に見える。

「家電バカだからな」と、本庄さんが笑う。

「覚えてたの?」と、麻衣さんも笑う。

 完全に二人の世界。

 俺と麻衣さんの間の数センチに、見えない壁があるようだ。というか、その壁のせいで二人には俺が見えていないのだろう。

 いや、問題はそこじゃない。



 この空気感、間違いなく元カレだ――。



 男の勘がそう確信し、俺は無意識に本庄さんへの視線に殺意を込めた。そして、それは彼に伝わった。

「彼氏?」と、本庄さんが俺に視線を移した。

「はい」と答えたのは、俺。

 彼は首からぶら下げているケースから名刺を一枚取り出し、俺に差し出した。

「店長代理をしています、本庄と申します。お探しのものがございましたら、ご案内させていただきます」

 その営業スマイルと、礼儀正しさに、麻衣さんとの関係も忘れて格好いいと思えた。

「炊飯器が壊れちゃって」と、麻衣さんが言った。

「こちらにございます」

 本庄さんはそう言うと、背筋を伸ばしてメインの通路を歩きだした。俺と麻衣さんも後に続く。

 チラッと麻衣さんを見ると、少し困った表情で本庄さんの背中を見ていた。

 で、気が付いた。



 麻衣さんの男だったってことは、変態か!?

 こいつが麻衣さんに鞭を持たせた男か!?


「こちらになります。ご希望のサイズやメーカーはございますか?」

 本庄さんが立ち止まった先には、様々な大きさや形の炊飯器が並んでいた。

「メーカー……。今のは何だっけ?」と、俺は麻衣さんに聞いた。

「メーカー?」

 麻衣さんもわからないようだ。

 本庄さんが首を傾げる俺たちを見て、ククッと笑った。

「俺が知ってる赤いの?」

「え? あ、うん」

「じゃ、ここのだな」と言って、本庄さんが一角を指さす。

 そして、展示してある数個を見て、別のメーカーのものに目を向けた。

「同じメーカーじゃ赤はないから……、これは? これなら赤がある」

 本庄さんがポンと蓋を開けたのは、真四角の炊飯器。光沢のある深い黒。

 炊飯器ぽくないな、と思った。

「これ、パンも焼けるぞ?」

「え? ホント?」と、麻衣さんが炊飯器に飛びついた。

「前のは焼けなかったもんな」

「これにする!」



 即決かよ!?



「相変わらず、ブレないな」

 本庄さんが腰のホルダーからスマホを取り出し、炊飯器の仕様が書かれたプレートに向ける。カシャッとシャッター音が聞こえ、それからディスプレイをタッチしたりスライドさせたりする。そして、フッと俺を見た。

「お持ち帰りになりますか?」

「はい」

「では、ご用意いたしますので、少々お待ちください」

 変態には見えない。

 麻衣さんの様子からしても、酷いことをされた相手ではないようだ。

 黒い炊飯器をまじまじと見ている麻衣さんの服の裾を引っ張った。

「元カレ?」

「え!?」

 振り向き、俺を見上げ、ぎこちなく笑う。

「うん……」

「……そっか」

「お待たせいたしました。お会計はこちらになります」

 炊飯器が入った段ボールを持って、本庄さんが戻って来た。

「あ! これ、いくら!?」

 数万円の電化製品を買おうというのに、値段も見ないで決めたのかと、驚いた。

「昔のよしみで、頑張らせていただきます」

 本庄さんは俺に言った。

 俺が買うのが当然、とでも言うように。



 もしかして、壊れた炊飯器は本庄さんこのひとが買ったものか!?



 俺は本庄さんが炊飯器をレジに置くなり、クレジットカードを差し出した。


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