【コミカライズ】私の身体を濡らせたら

深冬 芽以

6.面倒な女心、複雑な男心-8


 だから、入所して二年ほどは、仕事半分、勉強半分の生活だった。資格手当がつかないから、お給料も安かった。

「あるわけないじゃないですか。俺が受験した前の年の合格率は一桁だったんですよ?」

「そうなの?」

「そうですよ。けど、結果的には合格できたから、自信があったってことにしたんです」

 そういうもの? と思った。

 二十八センチのフライパンに、チーズ入りのハンバーグを三つ、並べた。火をつける。

「落ちてたらどうしてたの? 二月から就活なんて、まず無理じゃない」

「バイト先のカラオケボックスで、フルタイムで働くつもりでした」

「カラオケボックス!?」

「はい。働きながら、次の試験を目指すつもりでした」

「……ふっ――。ふふふっ――」

 実は、在学中に試験に合格して入所してきた鶴本くんに、嫉妬していた時期があった。

 そんなに優秀な子の教育係なんて、荷が重かったし。なのに、鶴本くんは軽いノリで私に構うし。

 けれど、こうして事の真相を聞いてしまうと、そんな過去の自分が馬鹿みたいだ。

「なんですか。そんなに変ですか?」

「条件なしで内定をくれる事務所を探そうとは思わなかったの?」

「あーーー……。思わなかった」

「どうして?」

 鶴本くんがぬいぐるみを置いて、立ち上がった。スタスタッとキッチンに入って来る。

「鶴本くん?」

 私はハンバーグをひっくり返して、蓋をした。弱火にする。

 鶴本くんは私の背後に立ち、両腕を私の前で交差し、ゆっくりと私を抱き締めた。それから、ギュッと腕に力を込めた。

「覚えてます? 所長と一対一の面接の時、麻衣さんがお茶を出してくれたこと」



 お茶――?



 確かに、お茶出しはした。

「俺、あの時、すげー嫌なことがあって、ハッキリ言って面接どころじゃなったんだよ。けど、所長が来る前に麻衣さんがお茶を持って来てくれて、気持ちを立て直せたんだ」

「お茶、飲みたかったの?」

「ぷ、はっ――! 違うよ」

 鶴本くんの息が、うなじにかかってくすぐったい。そう思っていたら、今度は息ではなく、彼の唇が押し当てられた。チュッと音を立てて。

「一目惚れなんて、初めてした」

「え――?」

「『所長は、元気で真面目な人が好きだから、お決まりの志望理由より、思ったままを話した方がいいよ?』って言ってくれたの、覚えてない?」

「……覚えてない」

「マジでぇ……? 麻衣さんの言った通り、正直に志望理由を話して、所長に大笑いされたんだけど」

 思い出した。

 所長室から豪快な笑い声が聞こえて、みんなでどんな面接をしてるのかと気になっていた。

「あの時の……」

「思い出した?」

 鶴本くんの掌が、私の肩から腕に下りてくる。それから、ゆっくりと横に移動した。

 胸を触れられる、とわかった。

 ほんの少し身構えて、その時をじっと待っている自分に驚いた。

 鶴本くんはきっと、私が彼の手から逃れる時間を与えてくれている。そう出来るように、わざとわかりやすく、ゆっくりと腕を解いていく。

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