愚昧の王子は初夜に土下座する
1
スタンピードは数百年おきに起こる厄災の最終形態だ。
魔の領域とこちらの世界との空間に穴が空き。そこから、瘴気が漏れ出て人や生き物たちに影響が及ぶ。
その厄災の最終形態は魔物のスタンピードによる殺戮。
テオドール王国は数百年おきにその脅威にさらされてきた。
魔の領域にできた穴を閉じることは容易ではなく、それができるのは聖女だけだった。
テオドール王国は、前回のスタンピードから数百年経過していた。
しかし、いつ起こるかわからないスタンピードは、一人の勇者の登場により未然に防ぐことができた。
勇者の名は「メル」。孤児の子供だった。
国王は少女の活躍を喜び褒賞として、北の地を彼女に渡した。
そして、国王は第三王子を皇太子の助言で彼女の夫として下賜する事になった。
麗しの第三王子は王室の宝とも言われ、今まで婚約者すらいなかった。
メルは王室の宝を受け取った。と、国民達はそう思っていた。
しかし、内情を良く知るは貴族達は、いけすかない勇者と名乗る女に厄介な土地と愚昧な第三王子を押し付けたのだ。と、内心では嘲笑っていた。
もちろん、貴族から大きな反対もなく、メルはそんな事など知りもしなかった。
そして、式を挙げることもなくメルは初夜を迎えていた。
「マーサってば、なんでこんなもん持ち出してきたんだ」
メルはナイトガウンに着替えて、居心地悪そうにベッドの上に座っていた。
ナイトガウンは押しかけ侍女のマーサが知らない間に用意していた。
メルはいらない。と断ったのだが、震え上がるほどの押しの強さに負けて結局着てしまったのだ。
「来るはずのない人を待っても……な」
メルは困ったように独り言つ。
王子だったアハトはほとぼりが冷めたら王都に戻るだろう。
国王と話した時の雰囲気からメルはそれを察していた。
そもそも、高貴な身分の彼が過酷な北の地で生活する事が想像できない。
表面上の感謝を見せるだけの婚姻なのだろう。と、彼女は思っていたのだ。
「早く寝よう。とにかく疲れた」
メルは着心地の悪いナイトガウンに顔を顰めて目を閉じた。
しかし、すぐに人の足音が聞こえて目を開いた。
その足音は部屋の前で止まり、カチャ。と、音と共にドアが開いた。
「あ……」
ドアの向こうにいたのは、形だけの夫のアハトだった。
夫のアハトは長い蜜色の髪の毛を無造作に一つにまとめている。
角度によっては青くも緑色にも見えるフローライトのような瞳は、今は緑色に輝いていた。
綺麗……。
初めて顔を合わせたのは、穴を塞ぐ旅を終え王と謁見をした時だった。
アハトは曖昧に微笑んでいて一度だけ目が合い。気恥ずかしくてメルは目を逸らした。
未だに彼が自分の夫になる事がメルは信じられずにいた。
「……あの、入っても?」
何も言わずに黙り込むメルに伺うような視線を向けて、アハトは声をかける。
メルは自分が何も言わずに黙り込んでいたことに気がついて、「どうぞ」と慌てて声をかけた。
アハトは拒絶されると思っていたのか、安堵した様子で部屋に入った。
「ありがとう」
アハトはお礼を言うと、さも当然のようにメルの隣に腰をかけた。
ぐらりと揺れるベッドにメルは身を固める。
彼は何のためにこんなところに夜中に来たのだろう。そして、ほかに座る場所があるのに当然のように自分の隣に座るのだろう。
「あの、何の用事で?」
アハトには、疲れているでしょうから客間でお過ごしくださいと声をかけていた。
わざわざ来たということは伝えたい事があるのだろう。
「今後のことの話がしたくてきました」
アハトはここでの生活が無理だから早く王都に帰りたい。と、言いたくて来たのだ。と、メルは思った。
王宮でのやり取りでは、近いうちに彼は王都に戻る様子だった。
もしかしたら、気を遣って許可をもらいに来たのかもしれない。
「支度金はそのまま殿下にお返しします。落ち着いたら王都にお戻りください。子供さえ作らなければ、お好きに過ごしてもらって構いませんので」
やんわりと帰ってこなくていい。と声をかけるとあからさまにアハトの顔がこわばった。
褒賞としてのアハトとの婚姻ではあるが、夫婦としての生活をしろと強制されたわけではない。
形式的に婚姻すれば後はアハトの好きにさせようとメルは考えていた。しかし、できないこともある。
「あ、あの」
「形式的な婚姻でしょう?申し訳ありませんが、私の領地は生活だけでやっとなのでお金を仕送りすることはできませんが、お好きに過ごしてください」
戸惑う様子のアハトにメルはさらに言葉を重ねる。
北の土地は作物が育たず、裕福ではない平民ばかりだ。
税を上げれば生活に困る人たちが出てくる。
形だけの婚姻だが、これだけはどうしても譲れなかった。
「……」
何も言わずに黙り込むアハト。
メルはそれを見て早く帰りたいのだろうと思った。
「馬車はすぐに準備します」
「ち、ちょっと待ってください!僕を追い出すつもりですか?」
アハトの「追い出す」という言葉にメルは目を見開く。
気を遣ったつもりだったが、彼はそう捉えたのかもしれない。
「そんなつもりはありません。こちらでの生活は不自由でしょうから、その」
「す、捨てないでください!」
メルの言い訳を遮るように、アハトは悲鳴のような声を上げる。
「お願いです!」
アハトはメルに跪いて頭を下げた。その姿は土下座そのものだった。
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