黒と白と階段
此処と其処と欺瞞 10
「アイツは、事を成したんだ」
「は? 何言って──」
安井がアツシの胸ぐらを掴んだ。
「アイツは、事を成した。それは高塚クミを護るという意思表明だ。俺にはそれが出来なかった!」
「だから、何を言ってるんだって聞いてるんだよ、さっきから!」
アツシは胸ぐらを掴む安井の腕を掴み返しほどこうとしたが、安井の腕は微動だにしなかった。
「高塚クミを! 大事な人を護ろうとするなら!! 一線を越えることを躊躇わないっ!!! アイツはそうやって行動に出て、俺はその一線を越えることが出来なかった。だからアイツは彼処《あそこ》にいて、俺は此処《ここ》にいるんだ。わかってる、わかってるんだ。俺はずっと見ているだけにするつもりだったから。高塚クミのことを、彼女から離れた場所で見ているだけ。映画を観てるような感覚だよ。彼女は女優で、俺は観客。あの日、あの夏の日。サイレンに導かれて辿り着いたあの場所で出逢ったあの夏の日。あの日からずっと俺は観客で、傍観者だった。大好きな救急車やパトカーを見ているような、俺には成れないものを見ている感覚だった。彼女はそういう存在だった。憧れだった。好きとかそういうんじゃないんだよ。きっとそういうものとは遠い感覚なんだ。見《《守る》》なんておこがましい。騎士《ナイト》になんてなれやしない。道化《ピエロ》になんてなれやしない。俺は彼女の前には立てない。彼女の横にも立てやしない。そういう器じゃないんだと、アイツは身をもって教えてくれた!!」
掴まれた胸ぐら、捻れた服の襟ぐりがアツシの首を絞めていく。
アツシは苦しさにもがき、安井の腕を引っ掻いた。
必死に食い込ませた爪が安井の腕の皮をえぐり血が流れたが、掴む手の力は弱まることはなかった。
「アイツは、事を成した。富田、俺は今お前の事を掴んでいるが、俺がアイツに手が届くと思うか? あの日、俺はアイツの背中を見たんだ。何処へ行くかも、何をするかもわからずに、アイツの背中を追いかけた。そして、俺は知ったんだ。アイツの背中は遠いところにあるんだと。此処《ここ》と其処《そこ》には埋まらない、埋められない距離があるんだと。俺は知ったんだ。それを、その事を、高塚クミが望もうと望まないと関係はないんだ。彼女のご機嫌取りがしたい訳じゃないんだ。アレは彼女への意思表示でもあるんだよ。だからこそ、俺は憧れたんだ。憧れてしまったんだよ、アイツに、俺は。もうアイツが先に行ってしまった以上、先に越えてしまった以上、俺はそれの模倣に過ぎない。二番煎じに過ぎない。わかるかよ、富田。俺はもう其処には辿り着かないんだよ。この憧れと、絶望を。わかるかよ、富田!!?」
「な、にを、いって、るのか、さっ、ぱり、わから、ねぇよ」
絞まっていく首、垂れていく血。
「だけど、だからこそ、俺は! アイツが辿り着かない場所へと行こうと思うんだ。高塚クミをこれからも見ていくために。観ていくために。アイツに出来ないことをやってのけて、アイツの雑な仕業の後始末をしてやる!!」
「いい、かげん、はなし、やがれっ!」
腕を引っ掻こうとも離れなかったのでアツシは安井の顔面へと手を伸ばした。
何を言いたいのかわからないが、とにかく一発殴ってやっても問題ないだろう。
呼吸が上手く出来ない苦しさからまともに振りかぶれはしないが、怯ませることぐらいは出来るだろう。
「離すさ、富田! それが、アイツには出来ないことだからな!!」
「へ?」
我ながら間抜けな声が出てしまった、そんな気の抜けた考えと共にアツシの身体は押し飛ばされた。
長く螺旋する踊り場のない階段を、上から強く押され飛ばされる。
落下する。
落下していく。
吐き気するような浮遊感に、自分が階段を落ちているんだとアツシは自覚する。
スローモーションのような感覚が訪れて、嫌な予感しかなかった。
高塚クミの父親の話。
吹田マコトというフリーライターの話。
階段からの転落事故で人が死ぬなんて、初めて聞いたときは恐くて手すりを持たずに階段を登り降り出来なくなったものだ。
手をばたつかせて手すりを探すものの、古い非常階段には手すりは無かった。
腰ほどの高さの外壁に手を伸ばしても、押し飛ばされた落下の速度に滑るだけだった。
見下ろすように、見下すように、安井がアツシを見ていた。
観客のつもりなのだろうか、影に隠れる表情はしっかりと読み取れなかったが笑っているようにも見えた。
落下する。
落下していく。
落下事故の死因は首の骨折だとかそういうのだったはずだ。
アツシは宙に浮く自身の体を出来るだけ丸めようと背中が起き上がるように腹筋に力を入れた。
体育の授業、柔道の時に学んだ受け身を取れればどうにかなるかもしれない。
苦手とか言わずに真面目にやっておけば良かったと後悔する。
落下した。
何段落ちたのかはわからないが、アツシは落下した。
背中を階段に打ちつけて、痛い。
落ちてから階段を滑っていって、服も擦れて少し破けたかもしれない。
でも、それだけだ。
まだ、生きてる。
「そう、まだ生きてる。富田、知ってるか? 人ってさ、階段から落ちたからってそう簡単には死なないらしいんだ。死ぬのなんて本当に不運な事故なんだってさ」
背中を打ちつけた痛みで身体が痺れている。
アツシは起き上がることが出来ないまま、階段を降りてくる安井の姿を見ていた。
ゆっくりと階段を降りてくる。
いつの間にか鈴虫の羽音は静まっていて、安井が階段を降りる足音だけが二人の間に響いた。
それは、安井が言葉にした一線を越えるための、歩み。
「だから、俺は、富田お前を確実に殺すって初めから決めてたんだ。階段で、落下したお前を、殺す。それはアイツには出来ないことで、アイツがしなきゃならなかったことだ。高塚クミに害を及ぼすヤツを、俺と、アイツは、殺すと決めたんだ」
安井は階段を降りていき、仰向けに倒れるアツシのそばで立ち止まった。
ゆっくりと右足を上げて、アツシの顔を踏みつけた。
足を上げもう一度、踏みつけた。
踏みつけた、踏みつけた、踏みつけた、踏みつけた──。
「悪いな、里丘。文化祭、もう開けそうにないや」
そして、アツシが何の反応も示さなくなるまで安井は踏みつけるのを止めなかった。
「は? 何言って──」
安井がアツシの胸ぐらを掴んだ。
「アイツは、事を成した。それは高塚クミを護るという意思表明だ。俺にはそれが出来なかった!」
「だから、何を言ってるんだって聞いてるんだよ、さっきから!」
アツシは胸ぐらを掴む安井の腕を掴み返しほどこうとしたが、安井の腕は微動だにしなかった。
「高塚クミを! 大事な人を護ろうとするなら!! 一線を越えることを躊躇わないっ!!! アイツはそうやって行動に出て、俺はその一線を越えることが出来なかった。だからアイツは彼処《あそこ》にいて、俺は此処《ここ》にいるんだ。わかってる、わかってるんだ。俺はずっと見ているだけにするつもりだったから。高塚クミのことを、彼女から離れた場所で見ているだけ。映画を観てるような感覚だよ。彼女は女優で、俺は観客。あの日、あの夏の日。サイレンに導かれて辿り着いたあの場所で出逢ったあの夏の日。あの日からずっと俺は観客で、傍観者だった。大好きな救急車やパトカーを見ているような、俺には成れないものを見ている感覚だった。彼女はそういう存在だった。憧れだった。好きとかそういうんじゃないんだよ。きっとそういうものとは遠い感覚なんだ。見《《守る》》なんておこがましい。騎士《ナイト》になんてなれやしない。道化《ピエロ》になんてなれやしない。俺は彼女の前には立てない。彼女の横にも立てやしない。そういう器じゃないんだと、アイツは身をもって教えてくれた!!」
掴まれた胸ぐら、捻れた服の襟ぐりがアツシの首を絞めていく。
アツシは苦しさにもがき、安井の腕を引っ掻いた。
必死に食い込ませた爪が安井の腕の皮をえぐり血が流れたが、掴む手の力は弱まることはなかった。
「アイツは、事を成した。富田、俺は今お前の事を掴んでいるが、俺がアイツに手が届くと思うか? あの日、俺はアイツの背中を見たんだ。何処へ行くかも、何をするかもわからずに、アイツの背中を追いかけた。そして、俺は知ったんだ。アイツの背中は遠いところにあるんだと。此処《ここ》と其処《そこ》には埋まらない、埋められない距離があるんだと。俺は知ったんだ。それを、その事を、高塚クミが望もうと望まないと関係はないんだ。彼女のご機嫌取りがしたい訳じゃないんだ。アレは彼女への意思表示でもあるんだよ。だからこそ、俺は憧れたんだ。憧れてしまったんだよ、アイツに、俺は。もうアイツが先に行ってしまった以上、先に越えてしまった以上、俺はそれの模倣に過ぎない。二番煎じに過ぎない。わかるかよ、富田。俺はもう其処には辿り着かないんだよ。この憧れと、絶望を。わかるかよ、富田!!?」
「な、にを、いって、るのか、さっ、ぱり、わから、ねぇよ」
絞まっていく首、垂れていく血。
「だけど、だからこそ、俺は! アイツが辿り着かない場所へと行こうと思うんだ。高塚クミをこれからも見ていくために。観ていくために。アイツに出来ないことをやってのけて、アイツの雑な仕業の後始末をしてやる!!」
「いい、かげん、はなし、やがれっ!」
腕を引っ掻こうとも離れなかったのでアツシは安井の顔面へと手を伸ばした。
何を言いたいのかわからないが、とにかく一発殴ってやっても問題ないだろう。
呼吸が上手く出来ない苦しさからまともに振りかぶれはしないが、怯ませることぐらいは出来るだろう。
「離すさ、富田! それが、アイツには出来ないことだからな!!」
「へ?」
我ながら間抜けな声が出てしまった、そんな気の抜けた考えと共にアツシの身体は押し飛ばされた。
長く螺旋する踊り場のない階段を、上から強く押され飛ばされる。
落下する。
落下していく。
吐き気するような浮遊感に、自分が階段を落ちているんだとアツシは自覚する。
スローモーションのような感覚が訪れて、嫌な予感しかなかった。
高塚クミの父親の話。
吹田マコトというフリーライターの話。
階段からの転落事故で人が死ぬなんて、初めて聞いたときは恐くて手すりを持たずに階段を登り降り出来なくなったものだ。
手をばたつかせて手すりを探すものの、古い非常階段には手すりは無かった。
腰ほどの高さの外壁に手を伸ばしても、押し飛ばされた落下の速度に滑るだけだった。
見下ろすように、見下すように、安井がアツシを見ていた。
観客のつもりなのだろうか、影に隠れる表情はしっかりと読み取れなかったが笑っているようにも見えた。
落下する。
落下していく。
落下事故の死因は首の骨折だとかそういうのだったはずだ。
アツシは宙に浮く自身の体を出来るだけ丸めようと背中が起き上がるように腹筋に力を入れた。
体育の授業、柔道の時に学んだ受け身を取れればどうにかなるかもしれない。
苦手とか言わずに真面目にやっておけば良かったと後悔する。
落下した。
何段落ちたのかはわからないが、アツシは落下した。
背中を階段に打ちつけて、痛い。
落ちてから階段を滑っていって、服も擦れて少し破けたかもしれない。
でも、それだけだ。
まだ、生きてる。
「そう、まだ生きてる。富田、知ってるか? 人ってさ、階段から落ちたからってそう簡単には死なないらしいんだ。死ぬのなんて本当に不運な事故なんだってさ」
背中を打ちつけた痛みで身体が痺れている。
アツシは起き上がることが出来ないまま、階段を降りてくる安井の姿を見ていた。
ゆっくりと階段を降りてくる。
いつの間にか鈴虫の羽音は静まっていて、安井が階段を降りる足音だけが二人の間に響いた。
それは、安井が言葉にした一線を越えるための、歩み。
「だから、俺は、富田お前を確実に殺すって初めから決めてたんだ。階段で、落下したお前を、殺す。それはアイツには出来ないことで、アイツがしなきゃならなかったことだ。高塚クミに害を及ぼすヤツを、俺と、アイツは、殺すと決めたんだ」
安井は階段を降りていき、仰向けに倒れるアツシのそばで立ち止まった。
ゆっくりと右足を上げて、アツシの顔を踏みつけた。
足を上げもう一度、踏みつけた。
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