黒と白と階段
此処と其処と欺瞞 9
鈴虫の羽音。
階段を登り少し乱れたアツシの呼吸音。
ゆっくりと息を吸う安井。
無言の睨み合いが続いてアツシは息が詰まりそうになった。
「こんな時間に呼び出して、何の用だよ、安井」
堪らず無言の膠着状態をアツシは解いた。
呼び出しておいて何の用件も告げずに睨まれ続けてることにだんだんと腹が立ってきた。
なぁ、と答えを急かすアツシに安井はゆっくりと鼻で息を吸う。
「用件は紙に書いただろ? それを見て、お前はここに来た、そうだろ?」
「そうだけどさ、何もこんな時間じゃなくたって良いだろ? 違うクラスだし、お前とは遊んだりとかそんな仲良くはないからさ、声かけにくいのはわかるけど、昼間学校で話してくれりゃいい話だってこと」
アツシと安井は同じ小学校の卒業生だが、小学校時代も大した交流を持ったことはない。
二学年ごとのクラス替えで二年間は同じクラスになったことがあったが、休憩時間にはアツシはグラウンドを駆け回り、安井は教室の隅で話しているようなグループ分けだった。
「昼間、学校で話されて困るのはお前の方なんだよ、富田」
「困るような話って何だよ?」
アツシの問いに安井の眼光が鋭くなる。
見下すような軽蔑と、暴力的な敵視が眼光に滲む。
「待てよ、なんでそんなに睨まれなきゃならないんだって」
「用件は紙に書いたと言っただろ?」
「高塚に対して俺が何かしたってこと? いや、多分お前勘違いしてるって」
「勘違い?」
「アレだろ、お前も高塚のこと狙ってるんだろ。何気に高塚って人気だもんな、隠れファンみたいなヤツが多い。俺の知り合いもそうだ」
アツシの頭に射場タイチの顔が浮かぶ。
文化祭準備での作業を経て、随分と高塚との距離を詰めれたようだ。
文化祭の日から、なんだか前とは違ったぎこちなさがあるようだけど、それでも前よりはだいぶマシになったと思う。
高塚の反応もまんざらでもなさそうなので、あと一押し二押しもあれば無事に付き合えるんじゃないかとアツシは予想していた。
とはいえ、親友の背中を押す役目は少しばかりお休みしている。
そのあと一押し二押しはタイチ本人が自分の手でやらなければ意味がないだろうとアツシは考えていた。
「俺自体は高塚のことを狙ってるわけじゃないんだよ。俺には彼女がいるしな」
「知ってるよ、林セツコのことだろ。修学旅行の後で付き合い出したカップルって有名だよな」
「え、有名なの? それはそれで恥ずかしいな」
「修学旅行で付き合いだしたカップルがいつ別れるかってトトカルチョってのをしてる奴らがいるんだよ。ちなみにお前たちは、三番人気だったよ」
三番人気と言われてその妙なリアル感にアツシは口を閉じた。
実際夏休み中に何度も別れてまた付き合ってを繰り返してるので、失礼だとも言えなかった。
むしろ、アツシたちに賭けた者の取り分がその繰り返しによってどうなっているのか気になるところだ。
「お前は、その林セツコの為に、高塚クミを売ったんだろ?」
鋭かった安井の眼光が、深く吸い込むような暗さに変化する。
刺されるような視線と引きずり込まれるような瞳にアツシは息を飲んだ。
十一月の寒さに手はかじかんで痛くなってきたぐらいなのに、額から汗が垂れていく。
「う、売ったって、お、大袈裟だぞ。俺はただ──」
「ただ、吹田ってフリーライターだとか名乗ってたヤツに卒業アルバムを売ったんだよな。金欲しさに!」
ホームルームで注意換気される前にタイチから聞いていた怪しい男の話。
細かなことは濁して話していたけど、その男が高塚にとって害悪であるのだとタイチの口調から滲み出ていた。
親友の怒りを聞いて、アツシはそんなヤツが目の前に現れたら無視するか追っ払ってやろうと思っていた。
一方で、文化祭の準備に没頭するあまりまたセツコとの関係に距離が開きはじめていて、それを解決する方法をタイチに愚痴を溢すがてら考えてもらおうとしてたのだが、親友はそんな場合ではないのだと、自分のことに構ってる場合ではないのだと寂しさを抱いてしまっていた。
文化祭の準備に遅くなった帰り道。
メールでセツコの機嫌を取りながら一人帰る道すがら、吹田マコトと名乗る男が現れた。
私たち、まだ付き合ってるって言うのならちゃんと会う時間作ってよ。
文化祭が終わったら何処かデートに連れてって。
何をキッカケに怒らしていたのか定かではない彼女の可愛らしい許しを得て、フリーライターを名乗る男の一つの提案を耳にした。
小学校の卒業アルバムを売ってくれないかな、もちろん高値で買うよ。
「知ってるよ、お前は高塚のことよりも──いや、射場のことよりも、彼女のことを選んだんだろ? そして、高塚を売ったんだ!」
安井の瞳がただの黒い球体になったようにアツシには見えた。
それはタイチが最近よく話に挙げて観ることになった、時と砂、という映画に出てくる長男と同じ瞳だった。
何かを護ろうとするが為に、感情を押し殺し父親を殺害しようとする瞳。
安井の瞳は確かにそれと同じだった。
階段を登り少し乱れたアツシの呼吸音。
ゆっくりと息を吸う安井。
無言の睨み合いが続いてアツシは息が詰まりそうになった。
「こんな時間に呼び出して、何の用だよ、安井」
堪らず無言の膠着状態をアツシは解いた。
呼び出しておいて何の用件も告げずに睨まれ続けてることにだんだんと腹が立ってきた。
なぁ、と答えを急かすアツシに安井はゆっくりと鼻で息を吸う。
「用件は紙に書いただろ? それを見て、お前はここに来た、そうだろ?」
「そうだけどさ、何もこんな時間じゃなくたって良いだろ? 違うクラスだし、お前とは遊んだりとかそんな仲良くはないからさ、声かけにくいのはわかるけど、昼間学校で話してくれりゃいい話だってこと」
アツシと安井は同じ小学校の卒業生だが、小学校時代も大した交流を持ったことはない。
二学年ごとのクラス替えで二年間は同じクラスになったことがあったが、休憩時間にはアツシはグラウンドを駆け回り、安井は教室の隅で話しているようなグループ分けだった。
「昼間、学校で話されて困るのはお前の方なんだよ、富田」
「困るような話って何だよ?」
アツシの問いに安井の眼光が鋭くなる。
見下すような軽蔑と、暴力的な敵視が眼光に滲む。
「待てよ、なんでそんなに睨まれなきゃならないんだって」
「用件は紙に書いたと言っただろ?」
「高塚に対して俺が何かしたってこと? いや、多分お前勘違いしてるって」
「勘違い?」
「アレだろ、お前も高塚のこと狙ってるんだろ。何気に高塚って人気だもんな、隠れファンみたいなヤツが多い。俺の知り合いもそうだ」
アツシの頭に射場タイチの顔が浮かぶ。
文化祭準備での作業を経て、随分と高塚との距離を詰めれたようだ。
文化祭の日から、なんだか前とは違ったぎこちなさがあるようだけど、それでも前よりはだいぶマシになったと思う。
高塚の反応もまんざらでもなさそうなので、あと一押し二押しもあれば無事に付き合えるんじゃないかとアツシは予想していた。
とはいえ、親友の背中を押す役目は少しばかりお休みしている。
そのあと一押し二押しはタイチ本人が自分の手でやらなければ意味がないだろうとアツシは考えていた。
「俺自体は高塚のことを狙ってるわけじゃないんだよ。俺には彼女がいるしな」
「知ってるよ、林セツコのことだろ。修学旅行の後で付き合い出したカップルって有名だよな」
「え、有名なの? それはそれで恥ずかしいな」
「修学旅行で付き合いだしたカップルがいつ別れるかってトトカルチョってのをしてる奴らがいるんだよ。ちなみにお前たちは、三番人気だったよ」
三番人気と言われてその妙なリアル感にアツシは口を閉じた。
実際夏休み中に何度も別れてまた付き合ってを繰り返してるので、失礼だとも言えなかった。
むしろ、アツシたちに賭けた者の取り分がその繰り返しによってどうなっているのか気になるところだ。
「お前は、その林セツコの為に、高塚クミを売ったんだろ?」
鋭かった安井の眼光が、深く吸い込むような暗さに変化する。
刺されるような視線と引きずり込まれるような瞳にアツシは息を飲んだ。
十一月の寒さに手はかじかんで痛くなってきたぐらいなのに、額から汗が垂れていく。
「う、売ったって、お、大袈裟だぞ。俺はただ──」
「ただ、吹田ってフリーライターだとか名乗ってたヤツに卒業アルバムを売ったんだよな。金欲しさに!」
ホームルームで注意換気される前にタイチから聞いていた怪しい男の話。
細かなことは濁して話していたけど、その男が高塚にとって害悪であるのだとタイチの口調から滲み出ていた。
親友の怒りを聞いて、アツシはそんなヤツが目の前に現れたら無視するか追っ払ってやろうと思っていた。
一方で、文化祭の準備に没頭するあまりまたセツコとの関係に距離が開きはじめていて、それを解決する方法をタイチに愚痴を溢すがてら考えてもらおうとしてたのだが、親友はそんな場合ではないのだと、自分のことに構ってる場合ではないのだと寂しさを抱いてしまっていた。
文化祭の準備に遅くなった帰り道。
メールでセツコの機嫌を取りながら一人帰る道すがら、吹田マコトと名乗る男が現れた。
私たち、まだ付き合ってるって言うのならちゃんと会う時間作ってよ。
文化祭が終わったら何処かデートに連れてって。
何をキッカケに怒らしていたのか定かではない彼女の可愛らしい許しを得て、フリーライターを名乗る男の一つの提案を耳にした。
小学校の卒業アルバムを売ってくれないかな、もちろん高値で買うよ。
「知ってるよ、お前は高塚のことよりも──いや、射場のことよりも、彼女のことを選んだんだろ? そして、高塚を売ったんだ!」
安井の瞳がただの黒い球体になったようにアツシには見えた。
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