時と砂と新聞　３

　
「俺は、この曲がいいな」

　タイチは映画のサウンドトラックを指差した。
　すると、クミが驚いたような顔をする。

「どうしたの？」

　何か変な事を言ったかと心配になって慌ててタイチはそう聞いた。

「射場君、この映画観たことあるの？」

　クミはすぐに嬉しそうに笑いサウンドトラックを手にとって問い返した。
　タイチはすぐに頷いた。
　映画好きの父親の影響で、きっと同い年の誰よりも映画を観てると自信がある。

「話が似てるからさ、曲も合うと思うんだ」
「そうだよね。良かった、持ってきて」

　ウンウンと頷いた後、クミはもう一度嬉しそうに微笑んだ。
　ああ、やっぱり高塚が持ってきたんだな。
　タイチは予想してたことが当たって嬉しかった。
　しかも彼女の笑顔が見れた。
　二度嬉しい。

　クミはよく笑う女の子だが、何度見てもその笑顔は最高に可愛かった。
　小学校の時に特徴的だった長い髪は、随分と短くなったが爽やかな感じが好印象なんだとタイチは思っている。
　映画のサウンドトラックを持つ指は細く、繋がる腕は華奢とも言えるぐらい細い。
　色白の肌が柔らかそうで何度か触りたくなったが、タイチは頑張って抑えていた。

　たった机を二つ挟んだだけの距離は、手を伸ばせば一瞬の距離で、今まででもっとも近い距離だ。
　クミの前だとひたすら心の中で唱え続けなければならない。

　落ち着け、落ち着けと。

　小学校の頃のクミはおとなしいを通り越して半透明な存在だった。

　いじめだとかにあってたわけじゃなく、口数は少なく比例して友達も少ない。
　むしろいないと言いきってもいい。

　小学校四年生の夏に起きた事件についてはタイチも知っている。
　同じ団地内で起きた事だし、学校でもすぐ話は広がった。
　その頃からクミは完全に半透明な存在になった。
　誰も口をきかなくなった。
　元から口数が少なかったクミは、教師ともロクに口をきかなくなった。
　誰しもが、いるのは知ってるのにいないように扱った。

　いじめなのかもしれないし、ただ皆がクミに気を使い、クミも皆に気を使った結果かもしれない。

　ただタイチだけは、そんなクミの半透明な感じに惹かれていたのだった。
　洒落た言い方をすれば、半透明が儚く見え美しいと思ったのかもしれない。
　タイチは、クミと接しようとはしなかったが遠くから大事に見守り続けていた。

　自分にできるのはそんなことだけだと、そう思った。

　クミが変わったのは中学生になってからだ。

　他の区域の小学校からも生徒は入ってくるが、同じ小学校の生徒はもちろん多く変わり映えなんてしなかった。
　高塚クミを知ってるほぼ全員がその変貌ぶりに驚き戸惑い、中学デビューだ、と笑ってみたが高塚クミはすぐに周りに溶け込み人気者になった。
　特に男子人気が隠れて多いのだが、女子にも嫌われることもなくむしろ友達は多い。

　ちょっとしたアイドルみたいだと、アツシは言っていた。
　頷いたタイチは皆にクミを取られるような不安を抱いたが、誰よりもはやく高塚クミの魅力に気づいたという妙な自信があった。

　そう言うと、気持ちの悪いアイドルオタクみたいだなと、アツシにからかわれた。

　そのアイドルが目の前に座っている。
　クミは映画のサウンドトラックについて何か語っていたが、タイチは上の空でよく動くクミの唇を見ていた。

　小ぶりで整った形をしている。
　淡いピンク色で、柔らかそうだ。
　きっと柔らかいだろう、いや絶対柔らかい。
　少しだけ触れてみようか。
　手を伸ばせばすぐそこだ。

　
「ちょっと、聞いてる射場君？」

　突然名前を呼ばれてタイチは裏返った声で、ハイ、と返事をした。
　自分でも可笑しくなりそうな裏返った声は教室内に響き渡り、他の生徒達がクスクスとこちらを向いて笑っている。

　うわ最悪だ、とクミの方を見るとクミもまた笑いを堪えるのに必死だった。
　タイチより少し小さな身体が小刻みに震えている。
　つぶらでつり上がったキリッとした瞳には微かに涙が滲んでいる。

「何よ、その声」
「いや、その、ごめん……」

　咄嗟に何も思い付かなくてタイチはとりあえず謝った。
　一通り笑うと、周りの生徒が笑うのを止めるのと同じようにクミも笑うのを我慢した。
　目の前で聞いたものだからいつまでもタイチの裏返った声は耳に残っていたがクミは必死に噛み殺した。

「何の話だったか忘れたじゃない」

　必死で平静を装うクミが何だかタイチには可笑しく見えたが、ここで笑ったら最悪なヤツ過ぎるのでタイチはそれを我慢した。

「劇のシーンと映画の話だよ」
「そう、それ。で、話聞いてた？」

　タイチは素直に首を横に振った。
　もう、とため息をつくようにクミは言いもう一度映画の話が始まった。
　今度は真面目に聞こうとタイチはクミの顔をじっと見る。

　また、唇の動きに目が行く。
　柔らかそうな唇にばかり集中してしまい話など頭に入ってこなかった。