出世街道か、失踪か

篠原皐月

(6)順応性と生き甲斐の有無

『全社員に通達。本館9階男性用トイレ、右端個室は終日使用不可とする。この警告を無視して立ち入った者がいかなる不測の事態に陥っても、我が社は一切関知しない』

 某総合商社でこの通達が出た日、社員は滅多に該当の場所には近づかない。しかし稀に、逆パターンも存在する。

「その顔……、まさか、立見か!?」
 廊下で不審者と出くわした柊は、持っていたファイルを取り落とした。対する相手は柊を凝視してから、破顔一笑する。

「随分老けた顔だが、柊? 久しぶりだな」
「阿呆! フラフラしてないで社長室に行くぞ!!」
「相変わらず、せっかちな奴だなぁ」
 朗らかに笑う不審者を柊が連行して行くのを至近距離のドアから見送った新人は、強張った顔で指導役の先輩に尋ねた。

「先輩? 今の、RPGの冒険者っぽい人は……」
「社の行方不明者名簿に、29年前に消息を絶った立見茂樹の名前がある。部長と同期入社だ」
「でも部長は実年齢に見えますが、あの人は三十そこそこにしか見えませんでしたよ?」
「トイレの向こうだからな」
「そんな一言で、不思議のハードルを下げないで欲しい」
 冷静に解説された新入社員は、がっくりと肩を落とした。

 夕刻になり、問題の場所が社長命令で封鎖される中、渦中の二人組がやってきた。

「柊。メシご馳走様。何でも配達するし検索すれば何でもすぐに分かるとは、便利な世の中になったな。だがあんまり楽過ぎて、つまらなくないか? 分からない事を知りたいってワクワク感がないと。俺、もうひ孫もいるのに少しは落ち着けと嫁が見張ってて向こうを出歩けなくて、今日は思い出してこっちに来てみたんだ」
「あまり嫁さんに心配かけるな」
「分かった。柊、達者でな!」
 元気よく別れの挨拶をしたかつての同僚がトイレに消えると、柊はその場を後にした。しかしその背中には、一日で十歳位老けた如き哀愁が漂っていた。

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