【完結】あなた色に染まり……ません!~呉服屋若旦那は年下彼女に独占宣言される~

霧内杳

第1章 私の妻におなりなさい3

「え、えーっと。
さすがに、会って数分の方といきなり結婚はないと思います……」

うんうん、私の知っている若旦那の情報はその見た目と、礼儀正しい、いい人そうだ、っていうのだけだ。
それだけで結婚なんて無理。

「そうですか?
昔は初めて会ったその日に祝言、なんて珍しくもなかったですが」

「あの。
でももう、令和ですし……」

「それがどうかしましたか。
私は貴方が気に入ったんです。
私の妻におなりなさい」

これで諦めてほしいと思ったのに、若旦那はなおも食い下がってくる。
父はいきなり出てきた私の結婚なんて話が受け入れられないのか、まだ呆けていて戦力になりそうにない。

「いや、なんで気に入ったのか訊いてもいいですか」

まあ、相手はあの三橋の若旦那、しかも見た目もよくて人としてまともそう、ならば悪条件じゃないかもしれない。
しかしながらこの何分かのこのやりとりのどこで、私を気に入ったのか全く理解ができない。

「なんでって貴方。
いきなりうちの宅間にお茶をかけたりするからですよ」

思いだしているのかまた、若旦那があははっ、なんて笑う。
それを見て宅間さんがぎょっとした顔をした。
さっきから彼は若旦那が声を出して笑うたびに驚いているが、そんなに珍しいんだろうか。

「宅間はこのように、自分より下だと思った相手にはかなり……少し、態度が大きいのです」

なんでもないように言い直してきたけれど、若旦那はかなり歯に衣着せぬ方らしい。

「痛い目を見ればいいのに、と思っていたら、貴方がやってくれました」

若旦那は綺麗ににっこりと口角を上げたが、もう心の声がダダ漏れになっている。

「こんなに痛快な思いをしたのははじめてです。
だからお嬢さん。
私の妻におなりなさい」

いくら妻になれと言われても、そんな理由ではい、そうですか、なんて言えるはずがない。
だいたい、あれはもうすでに、私にとって忘れ去りたい過去になっているのに。

「え、えーっと。
ちょっとそれは……」

相手は大店の若旦那。
お茶をかけたのだっていまとなれば冷や汗ものなのに、さらになにか気に障ることを言ったりしたくない。
まあ、この様子だと彼はそれを笑い飛ばしそうだけれど。

「お付き合いしていらっしゃる方がいるのですか」

「い、いないですね」

いたら諦めてくれたのかと三ヶ月前、シロネコ宅配便のお兄さんを振ったのを後悔した。

「それとも、心に決めた方がいる、とか」

「そ、それも、……いない、です」

幼きあの日、憧れだった近所のお兄さんは先月、結婚した。
とはいえ、ただの憧れだったんだけれど。

「じゃあ、なんの問題もないです」

若旦那が満足げに頷く。
ないどころか問題だらけじゃー!
なんて叫ばなかった私は偉い。
偉いからあとで、コンビニスイーツを買ってあげよう。

「あ、あの。
私、仕事があって」

これは正直な気持ちだ。
父の工房に間借りという形とはいえ、自分の工房を春に立ち上げた。
まだまだ手探り段階ではじまったばかりなのだ。
なのに辞めてこいとか言われたらお断りだ。
それに私の意思を尊重してくれるのならば、結婚は諦めてくれるはず。

「ああ。
続けてもらってけっこうですよ」

「なら、結婚は……」

……諦めてくれるんだ。

なんて、ほっとしたのは一瞬だった。
だって、若旦那の答えは私の予想の斜め上をいくものだったから。

「私が東京と金沢、二拠点生活をします。
店に立つ日は東京。
休みの日は金沢。
東京から金沢まで新幹線で一本、二時間半もあれば着きますからね、可能です。
それにリモートワークもできますから」

さらりと言ってのけ、茶碗に残っていた最後のひとくちを飲む。

……詰んだな。

若旦那の辞書には諦めるという字がないらしい。
かくなるうえははっきりと、結婚したくないと言うしかないのか。

「そんなに私と結婚するのは嫌ですか」

茶碗を座卓へ戻し、若旦那が姿勢を正す。
レンズの向こうからは真っ直ぐに澄んだ瞳が見ていて、私の背筋も伸びた。

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