狂愛的ロマンス〜孤高の若頭の狂気めいた執着愛〜

羽村美海

鳥籠のお嬢様⑥

 その声に振り返り、長年見慣れた仕事着である、濃い紫の着物に身を包んだ麻美の姿を視認した途端、ホッと胸を撫で下ろした。

「……う、うん。大丈夫。なんでもないから」

 対して愼は、邪魔が入ったとばかりに、美桜にだけ聞こえるほど小さなチッという舌打ちを繰り出してすぐ、美桜の背中越しにこちらへ駆け寄ってくる麻美に向き合い、いつもの飄然とした声音を披露している、という変わり身の早さだ。

「相変わらず心配性だなぁ、麻美さんは」

「あら、愼坊ちゃん。まだこんなところにいらしたんですか? 早く支度なさらないと収録に遅れてしまうんじゃありませんか?」

「あっ、やっべぇ。そうだった」

「まぁ、嫌だわ。忘れてらしたんですか? だったら早く支度なさってください。遅れたりしたら、先祖代々築き上げてきた清風の信用が台無しですよ」

「……はい。すぐに支度します」

 けれどこれもいつものこと。

 麻美はまたかというような顔を隠しもせず、毅然とした態度で、愼にピシャリと苦言を呈し、もちろんお小言も忘れない。

 その言葉でテレビ局での収録のことを思い出したらしい愼は、少しバツ悪そうにしながらも時間がないのか、慌てた様子でそそくさとニ階にある自室へと走り去っていく。

 今年六十歳を迎える麻美は、前家元で現在は妻の幸代幸代ゆきよとともに軽井沢の別荘に移り住んでいる、弦一郎の代からこの家の使用人として住み込みで働いてくれている。

 何でも天澤家の遠縁に当たるのだそうだ。

 若い頃に嫁ぎ先から訳あって出戻ったはいいが、兄嫁との折り合いが悪かったとかで、実家で肩身の狭い思いをしていたらしい。

 ちょうどその頃、弦一郎が法要で麻美の実家に出向いていたことで、見かねた弦一郎の勧めから、使用人としてこの家で働くようになったのだという。

『遠縁というのもあったし、親同士が仲がよかったんですよ。なので弦一郎さんとは幼い頃から年の離れた兄弟のように育ってきたこともあって、不憫で放っても置けなかったんでしょうねぇ』

 まだ十代だった自分にそういって麻美が話してくれたが。

 当時、住み込みの使用人を探していたらしい弦一郎も赤の他人を家に住ませるのには抵抗があっただろうから、どちらにとっても都合が良かったのだろうし。

 おそらく弦一郎は、しっかり者で働き者でもある麻美には、この仕事が向いていると思ったから勧めたのだろう。

 実際、他の通いの使用人とは違って、家の細部まで任せられているし、前家元の息のかかった麻美は、誰よりもこの家のことを知り尽くしているといっても過言ではない。

 行事事に関しても、麻美のサポートがなければ、成り立たないことは誰の目から見ても、明白だった。

 故に、薫も愼も麻美には強く出られない訳である。

 美桜にとって麻美は、この家で唯一の味方であり、心の拠り所でもあった。

 もちろんそうなるよう麻美に美桜のことを託したのは、弦一郎が自らの指示で引き取ることになった、孫である美桜のことを思ってのことだ。

 三年前、弦一郎は脳梗塞を患ったのを機に、隠居し転居する際、美桜も一緒に連れて行こうと考えていたのだが。薫と同じ妻という立場から、幸代にいい顔をされなかったために、それは叶わなかった。

 現役の頃は自分の思い通りに振る舞ってきた弦一郎も、隠居して幸代と四六時中一緒に過ごすことを思うと、強くも出られなかったのだろう。

 そういう意味では、弦一郎も弦も似た者親子なのかもしれない。

 何はともあれ、愼から解放され、唯一の味方である麻美と一緒に離れでの後片付けを終えることもできた。

 その時に、麻美に見合いのことは話したものの、余計な心配をかけないためにも、相手のことは濁し、普段通りを心掛けたが気が晴れることはなく。

 夜も更け、いつものように麻美とふたりきりの夕飯のあと、入浴を済ませて布団に入ってからも、見合いのことを思うと、なかなか寝付くことができず、気づけば翌朝を迎えていたのだった。


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