タナトスの福音

森田ヒカリ

終わりの始まり(1)

悪夢


 毎日のように見る悪夢。あの日の光景のフラッシュバック。母さんの叫び声、姉さんの身体中についた赤い傷跡と膣から溢れる誰のものともわからない精液、半壊し赤く腫れた母さんの顔、首がなく四肢をもがれた姉さんの裸体。


 そして父さんの絶望に満ちた表情と声。
 父さんの足音。
 逃げるなよ。父さん。
 母さんと姉さんを見捨てて逃げるなよ。
 どこに行くんだよ父さん。
 俺たちを見捨てるのか。
 父さんは俺を感情のない顔で、俺に微笑む。

 –ごめんな、慎–

 おい、どこ行くんだよ。
 

 逃げるなああああああああ!!!!

 
 最後に見たあいつの目は哀愁を漂わせる雰囲気とは異なり冷ややかに嗤っていた。

 
 俺は目が覚めた。寝ていた布団がぐしゃぐしゃになっている。喉が痛い。俺は呻いていたのか。何度見てもそのトラウマになれることができないあの悪夢を見て。
「お前、大丈夫か?また呻いてたぞ。これで陸戦闘訓練演習に入ってから連続記録更新だ。」
 同期の日本防衛軍陸軍士官訓練生である黒川勝《くろかわまさる》が俺に困った顔を向け一瞥した。
「すまない。いつもお前の睡眠を邪魔してしまって。」
 同室のルームメイトである彼には、陸戦闘訓練演習で同じ部屋になった時から、俺の悪夢によるうめきで迷惑をかけている。しかも毎日。最初はうるさいと苦言を呈してきたが、俺の家族の事情と俺の精神状態について認知してからは文句を言うことはあれど以前のように怒鳴ることは無くなった。
「気にするな。同じ部屋になってかれこれ2年も共に寝食を共にしている仲だし。ここまで一緒にいると慣れるもんさ。」
 ノイズキャンセリング機能のついたイヤホンもして寝ていることだしと勝はハハッと軽く笑いながら言う。

 勝には本当に世話になっている。俺の悪夢による呻き声の被害に耐えてくれているだけではなく、訓練演習の実技、科目においてトップの成績を得るために多大な協力をしてくれていることに。そして何よりもこの俺を友と呼んでくれることに。
 今となっては親友とも言える存在だ。

 それにと勝は言葉を続ける。
「お前の身の上とこの軍に入った目的を聞く限り、ほっとくことはできないからな。」

 この男に自身のトラウマについて俺の軍に入った目的について語った時、彼は真剣な眼差しで一切遮ることなく、時折頷きながら俺の話を聞いてくれた。彼は俺の壮絶な過去の話を聞いて苦悶の表情を浮かべると共に
「それは・・・・・・」
 喉の奥から無理やりにじり出した声を上げた。
「辛かったな・・・・・」
 彼の表情はただ同情するという表情を超えたもっと深い含みを持たせた表情だった。


「勝は相変わらず優しいな。」
「それはお前もだろ慎」
 勝はあの時と同じような悲しい顔で笑う。
「それよか早く行かないと教官がお怒りになるぜ。」
「そうだな、急いで準備をしよう。」
 そう言って俺は自分の軍服に袖を通した。


 食堂には士官候補生たちが既に集まっており朝食を食べ始めていた。各々、大量の食事を給餌係からもらい箸をすすめる。
 食堂に入ってきた俺たちは、誰にも声をかけられることなく、しかしそれとは反対にヒソヒソと声が上がる。
「あいつの姉貴、ルスラント軍の売女だったらしいぜ。」
「そりゃ気持ち悪いことで、敵国に身を売った売女の弟。」
「あいつもルスラント軍の手先なんじゃないか?」
 毎日のように耳にする俺に対する罵声と嘲笑と侮蔑を含んだ彼らの眼差し。
「あいつらまだそんなことを言っているのか、もう2年も候補生になってから経っているって言うのにな」
 勝は呆れながら俺に言う。


 自分の両親と兄弟についてのことは、軍の一部と勝にしか話していないことだが、どうやらどこからか漏れたらしい。俺の情報について漏れ始めたのは約1年前。それ以来親交を熱くしていた友人たちも俺から離れていき、今となっては俺と俺の家族を罵るようになった。しかし、せいぜい漏れているのは姉と母親のことだけで父親のことはまだ漏れていないらしい。それもそうだ。俺の父親の存在と所業が外部に漏れるということは防衛軍の首を締め上げることに繋がりかねない。


 悪魔と呼ばれる人間は数多くいる。
 戦場で鬼神の如く戦果を武勲を上げるもの。
 戦争の中で国民、兵士関係なく虐殺を行ったもの–現ルスラント軍総統がそうであるように–
 そして、人倫に反した人体実験を行った人間。


 だが、そう言った悪魔と呼ばれる人間たちにも多少の情はある。例えば家族に向ける情などが。友軍に向けられる情などが。その大概が家族や仲間、同国民を守るために自身の敵に対して冷酷になれる人間だ。
 

 しかしあの男は違った。
 俺が思うに世界中の中で真の悪魔と呼ぶことができるのはあの男だけだ。あの男しかいない。


 –俺の父親–


 –蓮美正《はすみ ただし》だけだ–

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