男だけど魔法少女になれちゃった話。
黒猫の魔法
眼前に広がるは焼け野原。
その真ん中に鎮座する猫。
そして足元には、
「─やっぱり君には、才能が─」
「─い?おーい、聞こえてますかー?」
「…ぅえ?」
我に返ると、僕の視界いっぱいに写り込む友人の手があった。
友人は、数回ひらひらさせてから手を引っ込める。
「ったく、大丈夫かよ霙。急に立ち止まったりして」
「…あ、あぁ、すまん」
「しっかりしてくれよー?俺はお前が居ないと色々と困る」
彼はそんなことを言いながらにやりと笑う。
いったい何が困るんだよ。
…そうだ、僕はこいつと高校から帰っている途中なのだった。
色々な意味で苦笑しつつ、歩くのを再開する。
気の良いこいつのことだから、恐らく僕を元気付けようとあえて茶化しているのだろう。
こいつは幼馴染みの四月朔日刕人である。言動からも判るように、彼は全く気の置けない友人だ。名前の字は少々物騒な感じがするが。
因みに"刕"という漢字は"州"の異字体であって、意味はあまり物騒ではない。
幼少の頃からこいつの傍に居たが、裏表などあるようには到底見えない。
しかも、誰にでも平等に接している。
だから、当然皆に人気がある。男女問わず…どころか老若男女問わず、だ。
勿論運動神経も良いし成績は上々。文武両道。
極めつけはそれを鼻に掛けることのない圧倒的な人の好さ。
お前、聖人なの?と訊いたら、「んなわけねぇだろ」と笑いとばされた。どうやら僕が何かの冗談を言った様に聞こえたらしい。
要するに何が言いたいか。
こいつは僕が居なくなったところで何一つ困ることなどありはしないということだ。
そう、何一つとして。
僕はこの高校では新たな友人なんて云うものは一人も出来なかったわけだから、どちらかと言えば困るのは僕だったりするのだけれど…。
僕らはいつもの様に帰宅する。
どうでも良いことを喋りながら。
特に寄り道をせず。
いつもの道を歩く。
否、歩いていた。
何故だろう、よく解らない。
さっきまでいつもの道を歩いていたのだが。
寄り道なんて、した覚えはないのだが。
気付けば僕は、知らない道に立っていた。
歩みさえ止めた覚えはないのだけれど。
脚は止まっていた。体は動かない。
自分の体なのに、ぴくりとも動かない─否、否。
動こうと思えない。
それはまるで、誰かに脳を支配されているかの様な感覚。
恐ろしいとも思えない。
すると突如、ねろり、と。
脳を舐められる様な感覚が─痛みも、恐怖さえ感じられずに。
痛みも恐怖も無いから、危険信号も警鐘も麻痺したように働かない。
指先も、眼球も動かせない。肺ですら動かせていない様な錯覚に囚われ、息苦しい。
只、気持ち悪いという感じだけが残っている。
気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い…
永遠にさえ思える時間が過ぎて─或いは数秒だったのかも知れないが、とにかく気が狂いそうな程気持ち悪くて…やはり突如、それは止んだ。
そして、止んだのと同時に体が自らの支配権を再び取り戻した。
今更に恐怖がどっと溢れだす。全身が粟立ち、警鐘を打ち鳴らす。
息が上がり、脚から力が抜けて地面にへたり込む。滝のように流れる汗で前が見えない。
激しい動悸が耳元で煩い程に鳴り響く。
さっきのは…あれはやばかった。
あれから恐らく数分は経ったというのに、未だ膝はがくがくと戦慄いている。
それ程に、命に危険を感じた…死が肉迫していた。
そのまま暫く震えを収めようと半ば無駄な努力に時間を投じている時、ふと更に恐ろしい事態に思い至った。
刕人は何処へ行ったのか?
隣で一緒に歩いていた筈だ。
きょろきょろと辺りを見渡してみるも、求めている姿は発見出来ない。
代わりに、丁度刕人が居た筈のその位置に、真っ黒な猫が座っていた。
じっと僕を見詰めている様にも見える。
その眼は真っ赤で─血を連想させる、鮮やか過ぎる赤い瞳で。
僕を、舐る様に見詰めていた。
そして、ゆっくりとその口を開く。
今にも何かを喋り出しそうな口の動き。
猫は喋らないと理解している筈なのだが、しかし僕はその猫の尖った歯の一本一本、口内で粘り気がありそうに糸を引く唾液の一糸一糸まで、僕にはどうしようもなく意識を集中させてしまっていた。
猫のこういう時の行動と言えば、その大半は威嚇するか後退りするか逃げるかの三択だと経験上理解しているのだが。
ほぼ極限の集中の中、その黒猫は右前足をこれまたゆっくりと、僕の反応を窺うかの様なのろさで持ち上げ─
毛繕いをした。
その猫は、毛繕いをした。
ああ、なんだ毛繕いか─威嚇するでも後退りするでも逃げるでもなく、毛繕い。
会ったことがない人間という、いつ自分を襲うかも知れない生物が近くに接近しているにも関わらず、毛繕い。
それは本来、敵襲が無いと確信した上での行為だと思うのだけれど─或いは、自分が相手に必ず勝てると確信した上での行為だと思うのだけれど。
その違和感に直ぐ気付けなかった僕は、まあ毛繕いされても仕方がない人間なのかもしれないが、それは人間だから解る話なのであって。
猫に理解できる事象ではないだろう。そこまでの知能があれば、猫は今頃人間に飼い慣らされていることはないと思う。
多分。
「君、魔法少女にならないかい?」
だから、そう問われた時は本当に吃驚した。
勿論その内容にも驚いたが、喋ったことに関しても驚いたが。
驚いたことの中でも一番はやはり…喋った時、口はぴくりとも動いていなかったことである。
その真ん中に鎮座する猫。
そして足元には、
「─やっぱり君には、才能が─」
「─い?おーい、聞こえてますかー?」
「…ぅえ?」
我に返ると、僕の視界いっぱいに写り込む友人の手があった。
友人は、数回ひらひらさせてから手を引っ込める。
「ったく、大丈夫かよ霙。急に立ち止まったりして」
「…あ、あぁ、すまん」
「しっかりしてくれよー?俺はお前が居ないと色々と困る」
彼はそんなことを言いながらにやりと笑う。
いったい何が困るんだよ。
…そうだ、僕はこいつと高校から帰っている途中なのだった。
色々な意味で苦笑しつつ、歩くのを再開する。
気の良いこいつのことだから、恐らく僕を元気付けようとあえて茶化しているのだろう。
こいつは幼馴染みの四月朔日刕人である。言動からも判るように、彼は全く気の置けない友人だ。名前の字は少々物騒な感じがするが。
因みに"刕"という漢字は"州"の異字体であって、意味はあまり物騒ではない。
幼少の頃からこいつの傍に居たが、裏表などあるようには到底見えない。
しかも、誰にでも平等に接している。
だから、当然皆に人気がある。男女問わず…どころか老若男女問わず、だ。
勿論運動神経も良いし成績は上々。文武両道。
極めつけはそれを鼻に掛けることのない圧倒的な人の好さ。
お前、聖人なの?と訊いたら、「んなわけねぇだろ」と笑いとばされた。どうやら僕が何かの冗談を言った様に聞こえたらしい。
要するに何が言いたいか。
こいつは僕が居なくなったところで何一つ困ることなどありはしないということだ。
そう、何一つとして。
僕はこの高校では新たな友人なんて云うものは一人も出来なかったわけだから、どちらかと言えば困るのは僕だったりするのだけれど…。
僕らはいつもの様に帰宅する。
どうでも良いことを喋りながら。
特に寄り道をせず。
いつもの道を歩く。
否、歩いていた。
何故だろう、よく解らない。
さっきまでいつもの道を歩いていたのだが。
寄り道なんて、した覚えはないのだが。
気付けば僕は、知らない道に立っていた。
歩みさえ止めた覚えはないのだけれど。
脚は止まっていた。体は動かない。
自分の体なのに、ぴくりとも動かない─否、否。
動こうと思えない。
それはまるで、誰かに脳を支配されているかの様な感覚。
恐ろしいとも思えない。
すると突如、ねろり、と。
脳を舐められる様な感覚が─痛みも、恐怖さえ感じられずに。
痛みも恐怖も無いから、危険信号も警鐘も麻痺したように働かない。
指先も、眼球も動かせない。肺ですら動かせていない様な錯覚に囚われ、息苦しい。
只、気持ち悪いという感じだけが残っている。
気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い…
永遠にさえ思える時間が過ぎて─或いは数秒だったのかも知れないが、とにかく気が狂いそうな程気持ち悪くて…やはり突如、それは止んだ。
そして、止んだのと同時に体が自らの支配権を再び取り戻した。
今更に恐怖がどっと溢れだす。全身が粟立ち、警鐘を打ち鳴らす。
息が上がり、脚から力が抜けて地面にへたり込む。滝のように流れる汗で前が見えない。
激しい動悸が耳元で煩い程に鳴り響く。
さっきのは…あれはやばかった。
あれから恐らく数分は経ったというのに、未だ膝はがくがくと戦慄いている。
それ程に、命に危険を感じた…死が肉迫していた。
そのまま暫く震えを収めようと半ば無駄な努力に時間を投じている時、ふと更に恐ろしい事態に思い至った。
刕人は何処へ行ったのか?
隣で一緒に歩いていた筈だ。
きょろきょろと辺りを見渡してみるも、求めている姿は発見出来ない。
代わりに、丁度刕人が居た筈のその位置に、真っ黒な猫が座っていた。
じっと僕を見詰めている様にも見える。
その眼は真っ赤で─血を連想させる、鮮やか過ぎる赤い瞳で。
僕を、舐る様に見詰めていた。
そして、ゆっくりとその口を開く。
今にも何かを喋り出しそうな口の動き。
猫は喋らないと理解している筈なのだが、しかし僕はその猫の尖った歯の一本一本、口内で粘り気がありそうに糸を引く唾液の一糸一糸まで、僕にはどうしようもなく意識を集中させてしまっていた。
猫のこういう時の行動と言えば、その大半は威嚇するか後退りするか逃げるかの三択だと経験上理解しているのだが。
ほぼ極限の集中の中、その黒猫は右前足をこれまたゆっくりと、僕の反応を窺うかの様なのろさで持ち上げ─
毛繕いをした。
その猫は、毛繕いをした。
ああ、なんだ毛繕いか─威嚇するでも後退りするでも逃げるでもなく、毛繕い。
会ったことがない人間という、いつ自分を襲うかも知れない生物が近くに接近しているにも関わらず、毛繕い。
それは本来、敵襲が無いと確信した上での行為だと思うのだけれど─或いは、自分が相手に必ず勝てると確信した上での行為だと思うのだけれど。
その違和感に直ぐ気付けなかった僕は、まあ毛繕いされても仕方がない人間なのかもしれないが、それは人間だから解る話なのであって。
猫に理解できる事象ではないだろう。そこまでの知能があれば、猫は今頃人間に飼い慣らされていることはないと思う。
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