ボクとネコのはなし

清泪(せいな)

第60話 真夏の吠える犬

 報告書の受け渡しが終了し、事務所を後にしてその足でボクは駅へと向かった。ガタンゴトンと数分揺られれば、樹下家がある街の駅だ。

 八月末ともなれば、夏休みにお出かけする客もすっかり居なくなり車内はがらんとしている。がらんとしている、と車内を見回してみてふと思ったが、よく考えたら見馴れた光景だった。この沿線、基本的に客が少ないのかもしれない。

 夏休みはもうじきに終わりだと言うのに、気温は一向に下がらず相変わらずの真夏日だ。こうも真夏日がずっと続くとなると、真の夏の日とは一体どの日の事を指しているのかと疑問が浮かんでくる。

 駅に着き電車を降りたボクに太陽は容赦なく照りつける。すっかり夏の装いとなったポロシャツの白さが太陽光を反射してくれる事を期待しつつ、鞄から麦茶入りのペットボトルを取り出し首に当てる。仄かに冷気を感じ気を取り戻したところで、ボクは樹下家へと向かう事にした。

 
 道中で浴びた太陽光と熱気を、マンションの入口やエレベーターの中で効きすぎなぐらい効いている冷房が冷やしてくれた。これは間違いなく風邪をひく要因なんじゃないだろうか。

 エレベーターが目的の階に着き降りたボクは、いつしか出会った天然パーマのオバサンが豪快にくしゃみをしているのを見てそう思った。

 五階の通路を樹下家へ向かい歩いていると、こちらに向かって歩いてくる日焼けた少年がいた。

 犬飼英雄、水泳少年だ。

 犬飼君は何やらぶつくさ呟きながら下を向いて歩いていてまだこちらに気づいていない様子だったので、わざとらしく足音をたててみた。タタンタンッタタン、と未来からボディービルダーみたいな人型ロボットが現れそうなリズムを刻んでみる。

 ボクのモールス信号風タップに気づいた犬飼君は顔を上げて、ボクに気づいたのか器用に色々な形に表情を変えていく。まさかボクのタップに反応して顔芸披露とは恐れ入る。

「ああああっっっっ!!」

 ボクの事を指差して犬飼君は大きな奇声を上げた。いやもとい、驚きの声を上げた。

 ボクはその声とリアクションに驚いてこの場合どうしたらいいのかわからなくなり、犬飼君に思いっきり脳天チョップをお見舞いした。

「な、何すんだよいきなり!?」

 脳天チョップがクリーンヒットした頭を押さえながら犬飼君は抗議している。余程痛かったのか少し涙目だ。それもそのはず、我ながら見事な踏み込みからの脳天チョップだった。

 それもこれも昨夜読みふけっていた中国拳法系格闘漫画のおかげだろう。

 ありがとう、大林寺。

「人にいきなりチョップをかましといて、何勝ち誇った顔してんだアンタ? ケンカ売ってんのか!?」

「カッとなってやった。今は反省している」

「よぉし、ケンカ売ってんだな」

 犬飼君は意外と洒落の通じないヤツの様だ。まぁ、誰でも怒るか。

「悪かった、謝るよ。いきなり大声を出されて驚いちゃったんだよ、すまない」

「驚いたからって人の頭をチョップしていい道理なんてあるか。馬場かよ、アンタ」

「いや、馬場じゃないよ、新木だよ」

「わかってんだよ、んなこたぁ!」

 洒落の通じないヤツではあるが、どうやら弄りがいは物凄くあるようだ。きっと普段は樹下に弄ばれてるんじゃないだろうか?

 目に浮かぶ光景に少しだけ同情してしまった。
 
「大体、君も君だよ。いきなり人を指差して大声をあげるなんて。ボクは化物でも最終兵器でもない」

「俺にとっちゃ、アンタは化物で最終兵器なんだよ!」

 ジゴロ扱いまでされた新人家庭教師がいつの間にやら化物化して最終兵器にまでなってしまった。

 ボクはこの夏でどれほどのジョブチェンジとレベルアップを繰り返したのだろうか?

 しかし、ちっとも世界を救えそうな気はしない。

 あ……むしろ、世界を敵に回す宣言をしたとこだった。

 なるほど、最終兵器扱いもあながち間違いではないかもしれない。

「ア、アンタがネコとミリを、け、けしかけたんだろっ!?」

 それはボクに対しての怒りというより何かしらの恥ずかしさからくるうわずりの様で、よく日焼けた犬飼君の頬がみるみる紅潮していくのがわかった。

 ア、アンタが、という始まりからすると一瞬ツンデレのツン部分なのではないかと思ったのだけど、この際デレに移られると気持ちが悪いのでボクはその考えを振り払った。

 ん、余計な発想まで出てきたな。

 犬飼君を相手にするのはどうも調子が狂うみたいだ。

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