ボクとネコのはなし
第43話 深見優人
待ち合わせの時間は、夕方六時。
一年ぶりに携帯電話の液晶に、深見優人の文字が表示された。
発信を押して、コールは三回。再戦の要求に優人は、おおわかった、と軽い返事だった。
待ち合わせの場所は、一週間前に優人と出会った本屋の前の人気の無い通りから少し離れた公園。
住宅街に義務的に置かれた小さな公園。ジャングルジムとブランコに鉄棒と一通りの遊具を設置してあり、真ん中はそこそこな広場だ。
樹下家から真っ直ぐ公園に向かい六時少し前に辿り着くと、静かな公園の真ん中でリフティングをしている優人の姿があった。
今日は赤のジャージの上下。優人の好きなサッカークラブのホームカラーだ。
「遅かったな。待ってたで、親友」
「遅くなった。待たせたな、親友」
リフティングを止めてボールを左手に持ち、拳を握り右手を突き出して構える優人。ボクも同じ様に右手を突き出して拳を当てた。
昔、TVでサッカー選手がゴールした選手にやっていた決めポーズ。小学生の時に憧れて、いつしかボクと優人との挨拶になった合図。いつの日も、あの日も、交わしてきた合図。
「ルールはこの前と同じでええな? オレからボールを取ったらお前の勝ち、取れへんかったらオレの勝ち……ああ、そやな、この前の電柱の代わりはあの鉄棒でええやろ?」
優人が指差す先に段違いで三つ並んだ鉄棒がある。逆上がりが上手くできなくて、練習したのを思い出す。手にできたまめを、何故だか自慢しあったっけ。
「オレからボールを取って、あの真ん中の鉄棒の間にゴールできればお前の勝ち。わかったか?」
「ああ、いいよそれで」
ボクの返事に、よっしゃ、と気合いを入れた優人は屈伸運動を始める。ボクも倣って屈伸運動を始めた。
軽い準備運動なのに、自身の身体が鈍っている事がよくわかった。時折、関節が鳴ってしまうのが何とも情けない。
「勝ち負けの後、どうしよか?」
勝ち負けの後、つまり勝った時のメリット、負けた時のデメリット。
「……そういうのいいよ。無しにしよう。ボクは、負けるつもりなんてないから」
「へぇ。そうかぁ、お前がそういうなら特に決めんでもええか。しかし、えらい強気やな。洸らしくなってきたわ」
そう言って優人は微笑んだ。昔と変わらない無邪気な笑顔。
例えば。
例えば、とつい先程樹下が続けた言葉を思い出した。
「例えば、シンちゃんって勝負のルールに制限時間を決めてないですよね。何時間以内とか。つまり、勝負の決着って先生次第なんですよね。先生が負けと認めて初めて負けになるんですよ」
そう言われてみれば優人は制限時間を決めていない。もちろん、今も。
それが言い忘れでは無い事は、考えなくてもわかった。
「さっちんへの電話を促したのも、先生に立ち上がって欲しかったからですよね。まだ負けてないって、まだ闘えるって。でも、先生は……」
身体も心も動かないと、呆気なく負けを認めたのはボクだ。優人は立ち上がらないボクに不服そうに携帯電話を渡した。
「流石、親の様に身になってくれる優しい人、ですね」
「違うよ。しんみは、深く見る、でしんみ」
「ああ、失敬。でも、あながち違わないですね。深く見てくれる優しい人。シンちゃんはいい奴ですね」
落語家の様に自身の頭を叩き、樹下はそう言った。まったく会った事も無い人間に対して、いい奴呼ばわりはいかがなものかと思ったが、ツッコミはさんざんやって疲れていたので気にしない事にした。
間違いではないし。
深見優人は間違いなくいい奴だ。
「……なぁ、優人」
「なんや?」
「お前ってさ、いい奴だよな」
「はっ、今さらなんやねん。深見優人って書いて、いい奴って読むの知らんかったか?」
「ああ、もちろん知ってる」
屈伸運動をしながら話し合うボクら。それは、小学生の頃からサッカーを始める前の恒例だ。
公園の端に立つ時計の時針が6を回る。夕陽がだんだんと落ちてきて、少しだけ辺りは暗くなった。
公園の周りの街灯が点き始め、公園の中だけは妙に明るかった。スポットライトみたいにボクらの勝負を演出する。
「ほな、始めよか?」
「あ、待った……」
ボールを蹴り出そうとする優人を、ボクは手の平を向けて止めた。一つ、言い忘れた事がある。
「なんや、やっぱ勝ち負けの後決めとくんか?」
「違う違う、それはいいんだって。そんな事より、優人、お前左足もちゃんと使えよ。手加減無しでやってくれ」
一週間前の勝負、優人は回復した右足だけでボールを扱っていた。もちろんボクはそのハンディキャップがあっても負けたのだけど。
「ホンマ、強気やな? なんや、一週間山で修行でもしてきたんか?」
「今どき山で修行する人なんて、長距離ランナーかただのパフォーマンス好きかじゃないか? 正直言えば、一週間ただ引きこもってただけだ。でも、真剣勝負だからな。手加減は無しでお願いしたい」
一年ぶりに携帯電話の液晶に、深見優人の文字が表示された。
発信を押して、コールは三回。再戦の要求に優人は、おおわかった、と軽い返事だった。
待ち合わせの場所は、一週間前に優人と出会った本屋の前の人気の無い通りから少し離れた公園。
住宅街に義務的に置かれた小さな公園。ジャングルジムとブランコに鉄棒と一通りの遊具を設置してあり、真ん中はそこそこな広場だ。
樹下家から真っ直ぐ公園に向かい六時少し前に辿り着くと、静かな公園の真ん中でリフティングをしている優人の姿があった。
今日は赤のジャージの上下。優人の好きなサッカークラブのホームカラーだ。
「遅かったな。待ってたで、親友」
「遅くなった。待たせたな、親友」
リフティングを止めてボールを左手に持ち、拳を握り右手を突き出して構える優人。ボクも同じ様に右手を突き出して拳を当てた。
昔、TVでサッカー選手がゴールした選手にやっていた決めポーズ。小学生の時に憧れて、いつしかボクと優人との挨拶になった合図。いつの日も、あの日も、交わしてきた合図。
「ルールはこの前と同じでええな? オレからボールを取ったらお前の勝ち、取れへんかったらオレの勝ち……ああ、そやな、この前の電柱の代わりはあの鉄棒でええやろ?」
優人が指差す先に段違いで三つ並んだ鉄棒がある。逆上がりが上手くできなくて、練習したのを思い出す。手にできたまめを、何故だか自慢しあったっけ。
「オレからボールを取って、あの真ん中の鉄棒の間にゴールできればお前の勝ち。わかったか?」
「ああ、いいよそれで」
ボクの返事に、よっしゃ、と気合いを入れた優人は屈伸運動を始める。ボクも倣って屈伸運動を始めた。
軽い準備運動なのに、自身の身体が鈍っている事がよくわかった。時折、関節が鳴ってしまうのが何とも情けない。
「勝ち負けの後、どうしよか?」
勝ち負けの後、つまり勝った時のメリット、負けた時のデメリット。
「……そういうのいいよ。無しにしよう。ボクは、負けるつもりなんてないから」
「へぇ。そうかぁ、お前がそういうなら特に決めんでもええか。しかし、えらい強気やな。洸らしくなってきたわ」
そう言って優人は微笑んだ。昔と変わらない無邪気な笑顔。
例えば。
例えば、とつい先程樹下が続けた言葉を思い出した。
「例えば、シンちゃんって勝負のルールに制限時間を決めてないですよね。何時間以内とか。つまり、勝負の決着って先生次第なんですよね。先生が負けと認めて初めて負けになるんですよ」
そう言われてみれば優人は制限時間を決めていない。もちろん、今も。
それが言い忘れでは無い事は、考えなくてもわかった。
「さっちんへの電話を促したのも、先生に立ち上がって欲しかったからですよね。まだ負けてないって、まだ闘えるって。でも、先生は……」
身体も心も動かないと、呆気なく負けを認めたのはボクだ。優人は立ち上がらないボクに不服そうに携帯電話を渡した。
「流石、親の様に身になってくれる優しい人、ですね」
「違うよ。しんみは、深く見る、でしんみ」
「ああ、失敬。でも、あながち違わないですね。深く見てくれる優しい人。シンちゃんはいい奴ですね」
落語家の様に自身の頭を叩き、樹下はそう言った。まったく会った事も無い人間に対して、いい奴呼ばわりはいかがなものかと思ったが、ツッコミはさんざんやって疲れていたので気にしない事にした。
間違いではないし。
深見優人は間違いなくいい奴だ。
「……なぁ、優人」
「なんや?」
「お前ってさ、いい奴だよな」
「はっ、今さらなんやねん。深見優人って書いて、いい奴って読むの知らんかったか?」
「ああ、もちろん知ってる」
屈伸運動をしながら話し合うボクら。それは、小学生の頃からサッカーを始める前の恒例だ。
公園の端に立つ時計の時針が6を回る。夕陽がだんだんと落ちてきて、少しだけ辺りは暗くなった。
公園の周りの街灯が点き始め、公園の中だけは妙に明るかった。スポットライトみたいにボクらの勝負を演出する。
「ほな、始めよか?」
「あ、待った……」
ボールを蹴り出そうとする優人を、ボクは手の平を向けて止めた。一つ、言い忘れた事がある。
「なんや、やっぱ勝ち負けの後決めとくんか?」
「違う違う、それはいいんだって。そんな事より、優人、お前左足もちゃんと使えよ。手加減無しでやってくれ」
一週間前の勝負、優人は回復した右足だけでボールを扱っていた。もちろんボクはそのハンディキャップがあっても負けたのだけど。
「ホンマ、強気やな? なんや、一週間山で修行でもしてきたんか?」
「今どき山で修行する人なんて、長距離ランナーかただのパフォーマンス好きかじゃないか? 正直言えば、一週間ただ引きこもってただけだ。でも、真剣勝負だからな。手加減は無しでお願いしたい」
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