ボクとネコのはなし
第35話 取り返しのつかないこと
「アレは事故やった。一年前、病室で確かにオレは言うたよな。お前が気に病む事はなんも無い。サッカーには付き物の事故や、しゃーない話やと。権利? 義務? なんやねんそれ、アホらしい」
あの日試合会場に近い病院に直ぐ様運ばれた優人は、ボクを罵る事もなく誰に文句も言うわけもなくただ、しゃーない話や、と言ってのけた。
残りの高校サッカー生活を奪い、これからのサッカー人生にも不安を残したボクに、しゃーない話や、と何度もそう言ってのけた。
「取り返しのつかんもんてなんやねん、それ。見ろや、よく見ろ。オレの足、ピンピンしとるわ」
そう言って優人はボクの胸ぐらを掴んだ手を離すと、自分の右足を叩いて見せた。その右足で何度かアスファルトを蹴って見せる。高くジャンプもした。
鈍く重い音を鳴らした右足を、軽やかに動かす。
「このオレをなめんなよ、一年も経たずに取り返したったわ!」
ずっと昔から見ていた笑顔。優人は昔と変わらない笑顔でボクを見ていた。
勝ち誇った様な生意気な笑顔。ボクはそんな笑顔を奪ってしまっていたのだと思っていた。
あの日、あの病室で、しゃーない話やと繰り返した優人は、作り笑いすら出来ずに泣くこともせずに無表情だったから。
優人はいつだって努力家で、誰よりも負けず嫌いだ。
それをボクは誰よりも知っていて、だから、ボクは誰よりも絶望したんだ。
「ボ、ボクは……」
言葉が見つからない。
親友の復活を喜ぶべきなのかどうかもわからない。優人の足が治ったからといって、あの日の事は無かった事にはならない。
優人が仕方無いと、事故だと言ってくれていても、あれからボクの中では何も決着できていなかった。
「殴られてもしゃーない事もなければ、取り返しのつかん事もない。……オレに関して言えばな。でも、お前や洸。お前は取り返しのつかん事をやろうとしとる。オレが怒っとるのもそこや」
優人がボクを指差す。取り返しのつかない事をした、のでなくてやろうとしているのだと優人は言う。
優人が怒る理由。あの事故以外に思い当たる事は確かにある。
だけど、それはもう遅い事だ。取り返しのつかない事だが、もう取り返す気もない。
優人の足の様には、ボクは動けないだろう。
「なんで、勝手にサッカー辞めたんや洸。オレとの約束、忘れたんか!?」
忘れるわけは無い。絶対に、忘れるわけは無い。
ただボクには続ける勇気が持てなかったんだ。親友の足を壊して怖くなって、ボクは逃げたんだ。
「もう無理だよ。ボクにサッカーはできない」
辞めてから一年、ボールに触らなくなってから一年。今でも、今までのサッカー人生を何度も思い出す。
優人と出逢った幼少の頃から、優人が大阪に行くことになった小学生、互いに連絡を取り合いながら切磋琢磨していた中学生、そして再び対決する事になった高校生。
ずっと、サッカーの事ばかり考えていた。
ずっと、ボールを追いかけて走っていた。
世界で活躍する選手のプレーを見て、自分もこうなりたいと興奮して家を飛び出してランニングした日もあった。
ワールドカップで日本代表が負けてしまった日。フィールドに座り込んで天を仰ぐ選手を見て悔しくて泣いた日もあった。
ずっと、サッカーだった。
ずっと、サッカーが好きだった。
だけど今は、サッカーが怖い。
「なんや、一発殴ったぐらいじゃ目が醒めへんか」
優人はそう言うともう一度ボクの胸ぐらを掴んだ。今度は引き寄せる様に掴み、空いた左手をボクを殴るために構える。
殴られる覚悟は最初に出来ていたけど、これは殴られても変わる意見じゃない。
「寝ぼけてるわけじゃない、真面目に言ってるんだ。ボクにはもう、サッカーはできない」
もう取り返しのつかない程、ボクはサッカーと遠ざかったんだ。
ふー、と溜め息をついて天を仰ぐ優人。フリーキックを蹴る際の癖だ。
体格が良くてボールコントロールも良い優人はDFながら、攻撃に参加する事も多い。フリーキックやコーナーキックを任される事もある。
その時に気持ちを落ち着かせる時に見せるのが今の癖だ。
雨は止むこともなく、強くなることもなくずっと降っている。昼間が暑かったから初めはちょうど良いシャワーに感じていたが、こうしてずっと雨に打たれていると寒くなってきた。
優人はずっと空に顔を向けて雨に打たれている。
「口で言おうと、殴ろうと、お前の意思は固いみたいやな。まぁ、お前は昔から妙なとこ意固地やからな」
雨に濡れた短い髪をかきあげて、優人は笑った。昔から変わらない、何かを企んでいる時の顔。
たすき掛けで背負っているスポーツバッグからサッカーボールを取り出した。
「……何のつもりだよ?」
「オレらの始まりはコイツやからな、決着もコイツやないとな」
そう言って優人はサッカーボールをクルクルと回転させて地面に落とし右足で踏みつけた。
あの日試合会場に近い病院に直ぐ様運ばれた優人は、ボクを罵る事もなく誰に文句も言うわけもなくただ、しゃーない話や、と言ってのけた。
残りの高校サッカー生活を奪い、これからのサッカー人生にも不安を残したボクに、しゃーない話や、と何度もそう言ってのけた。
「取り返しのつかんもんてなんやねん、それ。見ろや、よく見ろ。オレの足、ピンピンしとるわ」
そう言って優人はボクの胸ぐらを掴んだ手を離すと、自分の右足を叩いて見せた。その右足で何度かアスファルトを蹴って見せる。高くジャンプもした。
鈍く重い音を鳴らした右足を、軽やかに動かす。
「このオレをなめんなよ、一年も経たずに取り返したったわ!」
ずっと昔から見ていた笑顔。優人は昔と変わらない笑顔でボクを見ていた。
勝ち誇った様な生意気な笑顔。ボクはそんな笑顔を奪ってしまっていたのだと思っていた。
あの日、あの病室で、しゃーない話やと繰り返した優人は、作り笑いすら出来ずに泣くこともせずに無表情だったから。
優人はいつだって努力家で、誰よりも負けず嫌いだ。
それをボクは誰よりも知っていて、だから、ボクは誰よりも絶望したんだ。
「ボ、ボクは……」
言葉が見つからない。
親友の復活を喜ぶべきなのかどうかもわからない。優人の足が治ったからといって、あの日の事は無かった事にはならない。
優人が仕方無いと、事故だと言ってくれていても、あれからボクの中では何も決着できていなかった。
「殴られてもしゃーない事もなければ、取り返しのつかん事もない。……オレに関して言えばな。でも、お前や洸。お前は取り返しのつかん事をやろうとしとる。オレが怒っとるのもそこや」
優人がボクを指差す。取り返しのつかない事をした、のでなくてやろうとしているのだと優人は言う。
優人が怒る理由。あの事故以外に思い当たる事は確かにある。
だけど、それはもう遅い事だ。取り返しのつかない事だが、もう取り返す気もない。
優人の足の様には、ボクは動けないだろう。
「なんで、勝手にサッカー辞めたんや洸。オレとの約束、忘れたんか!?」
忘れるわけは無い。絶対に、忘れるわけは無い。
ただボクには続ける勇気が持てなかったんだ。親友の足を壊して怖くなって、ボクは逃げたんだ。
「もう無理だよ。ボクにサッカーはできない」
辞めてから一年、ボールに触らなくなってから一年。今でも、今までのサッカー人生を何度も思い出す。
優人と出逢った幼少の頃から、優人が大阪に行くことになった小学生、互いに連絡を取り合いながら切磋琢磨していた中学生、そして再び対決する事になった高校生。
ずっと、サッカーの事ばかり考えていた。
ずっと、ボールを追いかけて走っていた。
世界で活躍する選手のプレーを見て、自分もこうなりたいと興奮して家を飛び出してランニングした日もあった。
ワールドカップで日本代表が負けてしまった日。フィールドに座り込んで天を仰ぐ選手を見て悔しくて泣いた日もあった。
ずっと、サッカーだった。
ずっと、サッカーが好きだった。
だけど今は、サッカーが怖い。
「なんや、一発殴ったぐらいじゃ目が醒めへんか」
優人はそう言うともう一度ボクの胸ぐらを掴んだ。今度は引き寄せる様に掴み、空いた左手をボクを殴るために構える。
殴られる覚悟は最初に出来ていたけど、これは殴られても変わる意見じゃない。
「寝ぼけてるわけじゃない、真面目に言ってるんだ。ボクにはもう、サッカーはできない」
もう取り返しのつかない程、ボクはサッカーと遠ざかったんだ。
ふー、と溜め息をついて天を仰ぐ優人。フリーキックを蹴る際の癖だ。
体格が良くてボールコントロールも良い優人はDFながら、攻撃に参加する事も多い。フリーキックやコーナーキックを任される事もある。
その時に気持ちを落ち着かせる時に見せるのが今の癖だ。
雨は止むこともなく、強くなることもなくずっと降っている。昼間が暑かったから初めはちょうど良いシャワーに感じていたが、こうしてずっと雨に打たれていると寒くなってきた。
優人はずっと空に顔を向けて雨に打たれている。
「口で言おうと、殴ろうと、お前の意思は固いみたいやな。まぁ、お前は昔から妙なとこ意固地やからな」
雨に濡れた短い髪をかきあげて、優人は笑った。昔から変わらない、何かを企んでいる時の顔。
たすき掛けで背負っているスポーツバッグからサッカーボールを取り出した。
「……何のつもりだよ?」
「オレらの始まりはコイツやからな、決着もコイツやないとな」
そう言って優人はサッカーボールをクルクルと回転させて地面に落とし右足で踏みつけた。
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