世界最高の英雄王たちに愛された唯一無二の聖女~逆ハーレム? いえ、一途です!

第一章 リオンクール公爵領(2)

「ラス」

 呼び声に振り向けば、エルシード(公爵の跡継ぎ)が立っていた。

 柔らかな笑みを口許に浮かべて。

 寒いだろうに窓際に佇むラスをみて、彼はかすかな嘆息をもらす。

「すこし、いいかな?」

 ためらいがちな問いかけに、ラスは無言でうなずきかける。

 しかし、なにを思ったか、不意に顔をあげた。

「どうぞ」

 夏の涼風を思わせる涼やかな声に、エルシードは驚いた顔をする。

 嬉しそうにうなずいて、部屋に足を踏み入れた。

 ラスが話してくれることなんて、今までめったになかったのだ。

 向かい合わせで腰かけて、テーブル越しにラスが、戸惑ったような笑みをみせる。

 それもまた珍しく、エルシードはきょとんと眼を丸くした。

 なにが彼を驚かせているのかわからなくて、ラスがまた無表情に近い顔に戻る。

「ああ。気を使わせたなら悪かった。きみが打ち解けてくれたようで嬉しくてね」

「……このくらいは……礼儀だと思ったから」

 考え考え口に出しているような、ぎこちない話し方だった。

 自身のことなのだ。

 記憶を失って1番戸惑っているのは、ラスなのかもしれない。

 感情をみせない少年だから、今までだれも気づかなかったけれど。

「今しっかりきみの発音を聞いたけれど、ほとんど訛りがないね」

「訛り?」

「そう。その地方独特の発音のしかただよ。リオンクールにも方言はあるからね。だけど、きみにはそれが感じられない」

 そう言われても無意識に使っているので、よくわからない。

「とても流暢に話すね、きみは。それは王都で頻繁に耳にする発音だ」

「王都」

「神帝陛下が居を構える王宮のある都のことだよ」

 できるかぎり衝撃を与えないように、静かな口調でエルシードは説明を重ねる。

 彼の気づかいはわかったが、ラスは何故か頭に鋭い痛みを感じた。

 神帝という名を聞いたときに。

「王都での標準語をきみは使ってる。きみの発音はむしろ貴族に近いと思うよ。きみはとてもきれいに話すから、もしかして貴族じゃないのかい?」

 これが手がかりになればと、身を乗り出すエルシード。

 ラスは戸惑ったような顔をして、ゆっくりかぶりを振った。

「わからない」

 喉から絞り出すような答えに、エルシードも残念そうに肩から力を抜いた。

「もしきみさえよかったら、ぼくかラスティアが王宮にあがるときに同行しないかい?」 

 意外な誘いにラスが眼を丸くする。

「きみは地方を探すより、王都で身元を探した方が早いと思うよ。きみは間違いなく王都で育ってるから」

 迷いもなく断言されても、答えることはできなかった。

 北方領土の冬は長い。

 降り積もる雪が解ける春の訪れはまだ遠い。

 吹雪の音がやまない。

 耳鳴り。

 目眩。

 これからどこへ行くのだろう?

 なにひとつわからないままで。





 喉で張りついた呼吸を必死になって求め、使者は紙のように白くなった顔を玉座の神帝に向ける。

 視線を逸らしたくても、強張って動けないのだ。

 頬スレスレのところに長剣が深々と壁に突き刺さっていた。

 どこから飛んできたのか、謎の出現のしかただったが、犯人は神帝陛下だった。

 その証拠に玉座の神帝は、人の悪い笑みをみせている。

 悪びれないその態度で自白しているようなものだ。

「遠路遙々ご苦労だった。それが俺からの返答だと、ウィルフリート王に伝えてくれ。丁寧な挨拶いたみいると」

 傲岸不遜な発言に使者は顔を強張らせたまま答えられなかった。

 温厚で優しいという噂を覆すような、神帝リュシオンの思わぬ姿を目の当たりにして。

 穏やかな人柄だと評判の少年神帝が、これだけ過激で度胸のある人物だと、いったいだれが想像するだろう?

「残念ながらこちらの政策に不都合な点はない。リーン王国内における混乱は、むしろウィルフリート王の責任とお見受けする。そちらが起こした失態の責任を、こちらに押し付けられるのは迷惑だ」

 如何にも退屈そうにひじ掛けで頬杖などつき、神帝はのんびりそんなことを言った。

 挑戦的な眼の色は変えずに。

「王の狭量さを物語っているとは思わないか、使者殿?」

 面白がっているような悪びれない態度で、そう付け足した。

 背後に控えている秘書官が、呆れたように玉座の神帝を盗みみる。

 これでは戦争をふっかけているようなものである。

 それはたしかにリーン王国のウィルフリート王は、なにかとリュシオンに逆らうことで有名だ。

 それは事実だが、なにも「彼」がケンカを売ることもないだろうに。

 この申し出はたしかに王国側の身勝手な言い方ではあるが。

 そもそもリュシオンが執った政策と正反対の政策を、対抗心から起こしたのはウィルフリート王の方だ。

 それが失敗したからといって非難してくるのは筋が通らない。

 相変わらずウィルフリート王は、リュシオンに対する敵愾心が強い。

 神帝側の臣下は、この抗議に全員が呆れていた。

「責任転嫁のうまい国王では、国の先行きが不安だな」

 わざとらしくため息などついてみせる神帝に、あちこちで小さな笑い声が起きる。

 屈辱に震えるリーン王国からの使者に、追い討ちのように声がかかった。

「謁見はこれにて終了とする。本当に気の毒な役目をご苦労だった」

 それだけを言いおいて、神帝は即座に席を立った。

 隙のない優雅な足取りで、大扉の向こうへと消えていく。

 7代神帝リュシオンのその姿は、美の化身と言い伝えられ、不敗の英雄と呼ばれる祖王、初代神帝を想起させる。

 祖王の呼び名で知られる初代神帝は、リーン王国にとっては仇敵に近い人物である。

 英雄王によく似たその後ろ姿を、リーン王国からの使者は唇を噛んで見送った。





 長い廊下を歩きながら、神帝を追いかけていた秘書官の青年が声を投げた。

「すこしやりすぎたのではありませんか、神帝陛下?」

「そうか? あれでも抑えたんだけどなあ、俺は。やりすぎたかな?」

 自覚があるのかないのか、ふしぎそうに首など傾げられ、秘書官は思わず呆れた声をあげた。

「リュシオン陛下はあのようなことは、絶対に申されません」

 そう自他共に認められるほど、リュシオンは温厚な人柄で知られていた。

「内心でどう思われていようと、使者には責がないとおっしゃるでしょう。そうは思われませんか、ディアス陛下?」

「思うね。あいつはバカがつくほどのお人好しだからな」

 お人好しもあそこまでいくと、本人に負担になる。

 それは秘書官も認めている。

「使者はただの使いだからって、あの場は見逃したはずだ」

 こんな場面を体験する度に、苦い顔をしていた父親の顔が浮かぶ。

 リュシオンのお人好しぶりは、彼を愛する人々にとって頭痛の種だった。


「俺と同じくらい怒ってたとしてもね。バカなんだよ、リュシオンは」

 ずけずけと口に出す彼に、秘書官はため息をつき、肩を竦めてみせた。



 謁見の後で部屋に戻ったディアスは、椅子に腰かけて襟元をゆるめた。

 反射的に大きな息を吐く。

 寛いだ姿勢になってから、傍らに佇む秘書官を見上げた。

「ところでリュシオンは見つかったか、アリステア?」

「それがまだ……」

 苛立ちと不安を内心に封じた秘書官の返答に、ディアスは思わず途方に暮れた顔でため息をつく。

 秘書官の瞳も不安に揺れている。

「意識があったら連絡ぐらい入れろよ、リュシオンのバカっ!!」

 7代神帝リュシオンが消息を断ったのは、二月くらい前のことである。

 正確にはわからないが、そのくらいは人々の前から姿を消していた。

 ただどこまでが気まぐれなお忍びで、どこから消息不明なのかが、こちらには掴む手立てがないだけで。

 身代わりをやれる唯一の人材として、自分で動けない現状が、ディアスを不機嫌にしていた。

 本音を言えば今すぐにでも、リュシオンを捜しに行きたいのだ。

 捜し出して保護し、すぐにでも安心したいというのが、ディアスの偽らざる本音だった。

「アリステア。どうしても俺が動いたらダメか?」

 苛立ちを瞳に浮かべたままで、振り仰ぎ訊ねるディアスに、秘書官の瞳が苦しみに陰った。

「お気持ちはお察しいたします。いえ。我々もディアス陛下にお願いしたいのです」

 皇家の絶対的な始祖として、こういう事態のときに、ディアスが1番頼りになることは周知の事実である。

「ですがあなたまでが王宮をお空けになれば、今回のような事態のときに、陛下のご不在を隠しきれません」

 リュシオンはなくてはならない支柱である。

 不在を悟られるわけにはいかないのだ。

 特にリーン王国のような、他国からの来訪者には。

 いたずらに民や臣下を混乱させまいと、大半の臣下たちにも伏せている。

 すべて瓜二つの外見をもつ、ディアスがいたからできたことだ。

「陛下は……ご無事でしょうか」

 不安に語尾が掠れる。

 不在を知る臣下はみな同じ気持ちだろう。

 リュシオンは神帝としてではなく、生きてそこにいるひとりの少年として、みなの心の支えだった。

 苦々しいディアスの笑みが、ゆっくり優しい微笑みに変わる。

 ふしぎな威厳のある姿に秘書官は感嘆の念を抱いた。

「安心しろよ。あいつは色だけじゃなくて、姿だって俺から受け継いでる。大丈夫だよ。あいつは俺の寵児なんだから」

「そうですね」

 あきらかにホッとしたように、秘書官の容貌に安堵が広がる。

 ディアスの保証で肩の荷がおりた。

「不敗の英雄が保証するんだ。どんな保証の言葉より確かだよ。な?」

 おどけたようなディアスの態度に、秘書官は彼の気遣いに感謝した。



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