貧相なドラゴンだとバカにされたが、実は最速でした。いまさら雇いたいと言われても、もう遅い。

執筆用bot E-021番 

オレが失くした物

 32匹のドラゴンと32人の竜騎手はいっせいに空へ飛び立った。


 ドラゴンの翼によって生じる風圧を受けた。足元の緑草がいっせいになびく。砂粒かなにかが目に入って、オレは右手の甲で目をぬぐった。


 ドラゴンたちが並んでいたスタートラインに、あらためて目を向けた。ひとり。取り残されていた。マーゲライトだ。何かトラブルがあったのか――と心配になったけれど、マーゲライトもすぐに飛び立った。


「よし。飛んだな」
 と、オレは思わず右の手でコブシをつくっていた。


「だけど出遅れちゃったみたいね」


「ええ。そのせいで前をほかのドラゴンにふさがれてしまいましたね」


「あれじゃ、前に行けないわ」


「大きく迂回するか、高度を変える必要がありますね」


「高度を?」


「左右だけでなく、上下の問題もありますから、下から回り込むのもありです」


 ドラゴンたちは、もうずいぶんと先へ行ってしまった。目を凝らす。かろうじてマーゲライトの姿だけは判別できる。どんどん高度を下げている。下から抜かすことに決めたようだ。


 前を飛んでいるドラゴンも、そう簡単には行かせてはくれない。マーゲライトの進路を邪魔するため、マーゲライトと同じように高度を下げはじめたドラゴンが2匹いた。


 白と赤のドラゴンだった。チェインではない。チェインはどこだろうか――と探ってみたが、見つけ出すことは出来なかった。


 追い抜こうとするマーゲライト。追い抜かせまいとする2匹のドラゴン。まるでチキンレースのようにどんどん高度を下げている。


「あのままだと地面に墜落しちゃうわ」


「いや。大丈夫ですよ」


 マーゲライトの乗竜術は、おもに独学で成り立っている。当たり前のことを知らなかったりもするが、奇抜な動きこそマーゲライトの強みだ。ふつうの竜騎手なら、あんな低空飛行は危険だと思ってやめてしまう。


 ドラゴンの腹が地面にコスれるのではないか――と思うほどスレスレのところまで高度を落として、前をふさいでいた2匹のドラゴンを追い抜いた。
 マーゲライトはその後、いっきに高度を上げていた。


 オレたちに見えるのはそこまでだった。


「コースはどうなってるのかしら」


「向こうに見えるペペラッパ山を一周して、先に戻ってきた人の勝ちですね」


「誰が最初に戻ってくるのか気になるわ」


「そんなこと話しているあいだに、もう戻ってきましたね」


 最初に姿を見せたのは白銀色の鱗のドラゴンだった。観衆の応援がおおきくなった。さすが下馬評1位といったところか。チェインに賭けた客も多いのだろう。


「チェインだわ」


「白銀のドラゴンは強いんですよ。速く飛ぶために生みだされた血統ですから」


 良い種牡竜と良い肌竜のかけあわせによって生み出されたドラゴンの証だ。速く飛ぶためだけに生みだされて、主が死ねば殺される。生きる目的は、ただ速く飛ぶこと。


 人間の業の深さにゾッとした。どんな獰猛で強靭な生きものであろうと、人はそれを支配してしまう。


 熊や牛といった獣に、犬をけしかけて殺す見世物がある。貴族の狩猟は、食べることより殺すことを楽しむ。
 命を弄ぶ娯楽は、下品だと思っていた。


 ドラゴンレースも、そういった類の娯楽と大差ないように思えてきた。


 どうして母がさっさと表舞台から姿を消してしまったのか、その理由がわかった気がした。


 オレを腹に宿したから騎手として活躍できなかった――というのは真実だろう。
 オレを生んだ後でも活、躍することは出来たはずだ。レースに復帰することも出来たはずだ。強い種牡竜と掛け合わせて、強いドラゴンを作りだすことも出来たはずだ。


 しかし母は、そうしなかった。


 ドラゴンに子どもを生ませたのは、たったの1度きり。クロだけだ。それも別に父のドラゴンは速いわけでもなんでもない。


 母自身も今は田舎でノンビリしている。きっとドラゴンを利用することに嫌気がさしたのだろう。


 なんだかたまらなくクロに会いたくなってきた。


 おおっ、と観衆がドヨめいた。


「見て見て!」
 と、レッカさんが小さく跳びはねて、空を指差していた。チェインにすこし遅れて、山を周って来たドラゴンの姿があった。


 マーゲライトだ。
 ものすごい速度で追い上げている。


 もう残っている体力を使いきる勢いだった。それに気づいたチェインも速度をあげていた。後続を置き去りにして、その2匹のドラゴンは競い合っていた。


「抜かした!」
「いや。抜かし返されました」


 マーゲライトが一瞬だけ、チェインのことを抜かした。チェインも負けてはいなかった。マーゲライトを抜かし返した。


「大丈夫かな? あの人、変なことしないかしら?」


「変なこと?」


「あおり運転みたいなこと」


「レッカさんが心配になるのはわかりますけど、たぶん大丈夫ですよ」


 ロクサーナにクビにされて反省したのかもしれない。チェインの飛び方にはヤマシイところなど、ひとつも見当たらなかった。


 そもそもあの煽り運転はロクサーナの指示のもとで行われたのであって、チェイン自身から発生した悪意でもなかった。


「あぁ……。すこしチェインがリードしてるわ」


 チェインはオレやバサックさんと同じだ――。


 オレもバサックさんも一度は失意のドン底に落っこちた人間だ。チェインもまたそうに違いない。


 ロクサーナにクビにされて、だからと言って、ゴドルフィン組合を頼るわけにもいかず、途方に暮れたことだろう。そして今、チェインはそこから這い上がろうとしているのだ。


 もしかするとこの戦いはチェインが勝つかもしれないという予感が生まれた。


「いや。マーゲライトも負けちゃいません」
 オレは予感を打ち消すように言った。


 もともとゴドルフィン組合で働いていたが、組合の経営が傾いて、転職せざるをえなかった。しかも5回も竜騎手免許に落ちている。マーゲライトだって1歩も退けないものを持っているはずだ。


「またチェインが抜かしてきた。もうゴールが近いわ」


 ドラゴンの差が出たのかもしれない。やはり白銀は強い。速く飛ぶ。たったそれだけのために生みだされた存在なのだ。


 対するマーゲライトのドラゴンの出自は不明なのだ。捨てられた卵をひろって育てたとマーゲライトは言っていた。


 ドラゴンに関して言うならば、天才と凡才の戦いだった。マーゲライトのドラゴンは特別速いというわけでもない。


「ダメ。負けちゃう」
 と、レッカさんが強くオレの左腕にしがみついてきた。


 行け。差せっ。
 オレは強く願った。


 先頭を飛んでいるチェインのドラゴンが、ジオとオレのレースを思い出させた。まどろっこしい。オレとクロなら、もっと速く飛べるのに。オレも早く、あの場所に戻りたい。うずいて仕方がない。


 ほんのわずかだが、チェインの速度が落ちたように見えた。疲れたのだろう。その一瞬をマーゲライトは逃がさなかった。


 マーゲライトはチェインを差し切ってゴールした。


 2匹は減速するために、すこし離れたところまで飛んで行った。おちついた速度でスタート位置にまで戻ってきた。


 しばらくすると後続のドラゴンたちも戻ってきた着陸しはじめた。32人の竜騎手と32匹のドラゴンは拍手と声援に包まれることになった。


 この場が拍手で満ちることは、あまりふさわしくない気もした。


 マーゲライトは嬉しいだろうが、残りの31人は失意のなかにあるはずなのだ。
 たいはんの竜騎手は顔色をうしなっていたし、なかにはドラゴンに乗ってさっさと飛び去ってしまう竜騎手もいた。


「お師匠、お師匠。やったンよー。見てよこれーっ」
 マーゲライトはまっさきにオレのもとに駆けよってきた。


 優勝を果たしたマーゲライトには、竜騎手免許であるバッジが授与されることになった。金色に輝くドラゴンをかたどったバッジだ。
 眩いものを見る気持ちで、オレはそれを見つめた。
 かつてオレが取り上げられた物だった。


「やったな」


「お師匠のおかげなンよ。もうなんて言ったらいいのか……」


「オレのおかげじゃなんかじゃないさ。マーゲライトの頑張りだよ。模擬レースだって言うのに、良いレースだった」


 マーゲライトは大声で泣きじゃくりはじめた。オレはそんなマーゲライトの背中をさすってやった。マーゲライトの背中は汗でぐっしょりと濡れていた。


「お取込みちゅう申し訳ないですがね」
 と、声をかけてくる者がいた。


 ブックメーカーだった。その男を見て、はじめてオレはマーゲライトに10シルバー賭けていたことを思い出した。


「ほらよ。ダンナの勝ちだ。まったくしてやられましたよ」
 とブックメーカーはそう言うと、オレの手元に布袋を置いた。手のひらにおさまる小さな布袋だった。重量はまるで感じない。いったい何が入ってるんだろうか――と怪訝に思った。


「中を見ても?」


「ああ。確認してください」


 布袋の口をしばっていたヒモをゆるめた。中には大金貨が3枚も入っていた。


「ゲッ……。金貨……ッ」


 しーっ、とブックメーカーは鼻に人さし指を押し当てて続けた。


「わざわざ布袋で隠してるんだから、口に出して言いなさんな」


「こんなにもらっても良いのか?」


「倍率が凄まじいんですよ。ダンナは誰も賭けなかったハズレクジを買ったんだ」


 運の良い男ですよ――と言い残すとブックメーカーは群衆にまぎれて去って行った。


 運の良い男。
 その言葉がオレの耳に残った。


 運が良いのなら嵐になんて遭うはずがないのだ。オレの手にある3枚の金貨は、決して運なんてもので手に入ったんじゃない。マーゲライトを信用した結果だと思った。


 しかし、金貨か――。
 たった10枚の銀貨が、ものの数十分のあいだに金色に化けてしまった。なんという金の動きだろうか。賭けに勝ったという興奮はもちろんあった。それ以上にヤマシイことをして金を得たかのような、後味の悪さが強かった。


 布袋を持つ手が震えてきた。周りの人たちが、この金を狙っているような気がしてならなかった。


 これっきりにしよう――と決めた。
 金を賭けるのは、これっきりにしよう。これは怖ろしい娯楽だ。バサックさんが、どうしてたったの1度きりで博打をやめたのかわかる気がした。


「いつまでも布袋を持ってたら変に思われるわよ。ポケットにしまったら?」


「そうですね」


 レッカさんに言われて、あわてて布袋をしまいこんだ。


「お師匠。私に賭けてくれたン?」
 と、泣きやんだマーゲライトが尋ねてきた。なぜか後ろめたいものを覚えた。


「まあな」


「ってことは今日はお師匠のおごりってことでヨロシイ?」


 マブタを赤く腫らしながらも遠慮しがちに、マーゲライトはそう尋ねてきた。


「もちろんだ。こんな金、持ってるだけでもおそろしいよ。どこかでミノタウロスの肉を買おう。めでたい日はミノタウロスの肉って決まってるからな」


 私も御一緒しても良いかしら、とレッカさんが甘えるような上目使いを送ってきた。


 もちろんですよ、と応えておいた。


 いちおう知り合いなので、チェインにも何か声をかけるべきだろうか――と悩んだ。
 チェインはもう立ち去ったようで姿が見当たらなかった。


「お師匠、お師匠」


「ん?」


 マーゲライトは口もとに手をかざした。耳打ちさせろということだろう。オレは屈んで、耳をマーゲライトの口もとに持って行った。


「告白のほうは上手くいったン?」


「レース見てたんだから、それどころじゃなかったんだよ」


「こっちは上手くいったンよ。次はお師匠の番なんやからね」


「ませたこと言いやがって。言われなくてもわかってるさ」


 レッカさんは愛想の良い笑みを浮かべていた。今のナイショ話なんか、見通されている気がしてならなかった。

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