アンドロイドに恋をして

文戸玲

謎の男


 目を覚ましても,おれはそこが現実の世界とは思えなかった。映画の中でしか見たことのないような,圧迫感と冷たさを演出するような空間だったから。


「目を覚ましたか」


 事務机の向こう側で,山下が眉間にしわを寄せている。その他に二人。一人は,見たこともない顔だ。高そうなスーツを身にまとい,自分がこの世で一番偉いのだと思っているように,だるそうに座っている。換気の悪そうな打ちっぱなしのこの部屋で煙草を口にくわえているが,その動作すらもめんどくさそうだ。

 その隣で,革張りのソファに腰かけて背中を向けていた男が,椅子を回転させてこちらを向いた。その姿をみて,思わず息をのむ。
社長がどうしてここにいるんだ。数年前,入社式での挨拶で顔を見たのが最初だ。それ以来,直接顔を見たことはない。とはいえ,会社の入り口には社長の銅像が,立派に飾られてある。出勤したら,まずはその銅像に一礼することになっているので,目の前の男が誰かはすぐに認識できた。

いくら営業成績がいいとはいえ,とある部署があるその一部の地域で活躍する程度だ。社長と面と向かって顔を合わせ,経営について語り,会社のビジョンを共に創る日を夢見てはいたが,そんなことが実現可能なのは,遠い先のことであるのは承知だ。
それがどうだ。こんな訳の分からない状況で,おれは社長の前に座っている。こんなところで顔を合わせることになるとは思いもしなかった。


「萬田社長,初めまして。住田と申します」


 そう言って立ち上がろうとすると,首元がずきんと痛んだ。それだけではなく,手首が座っている椅子に固定されていて,まともに動くこともままならない。


「これはいったい・・・・・・」


 状況が呑み込めず,辺りを見渡す。
 コンクリートがむき出しの壁,取り調べに使うような事務机,縛り付けられた身体。とても,出世の話が聞けるような状況ではないことは容易にわかる。

 話始めようとする山下を制止して,萬田社長がゆっくりと立ち上がる。その仕草は,相手に威圧感を与えるような息苦しさは一切感じられなかった。それなのに,勝手に言葉を発することを相手に許さない威厳を持ち合わせていた。


「住田くん。君のことはよく聞いているよ。高い志と,顧客を包み込む安心感と提案力を持って,活躍している。それは,会社に貢献するだけではなくて,幸せを与えているんだ。君は多くの顧客を笑顔にした。良い営業マンだ。きっと,これからも成長して出世していくのだろう。そんな不具合な格好にさせて悪いね」


 萬田社長の口から出る労いの言葉には,不思議な力があった。乾いた大地に水がしみいるように,空っぽなグラスに液体が注がれるように,おれが求めていた何かを社長の言葉が満たしてくれた。
おれの今の状況を,不憫だと思っているのが何かを通して直接伝わってくる。
全く状況は変わっていないのに,おれは満足していた。
 こういう人なのだ。人の上に立つ人というのは。営業力を磨いたって,提案力を磨いたって足りない。おれはまだ理解していない,何かを身に付けなければならない,そう感じた。


「人を幸せにできる君だからこそ・・・・・・」


 萬田社長はたっぷりの間を取って,温和な表情を崩さずに続ける。


「われわれから笑顔を奪おうとするのは頂けない。それは,君の良さを自ら手放すようなことでもあり,首を絞めることでもある」


 表情を変えずに言い放った社長の言葉が,鋭利な刃物になって突き刺さる。おれは,なんだかとんでもなことを自分がしでかそうとしているように思えてきた。


萬田社長は,立ち上がった時と同じように落ち着いた動きで,再び腰かけた。


「住田くん,君には特別な椅子を用意してある。東京の本社で,今度は営業ではなく,人を育て,部署を回す立ち回りをしてほしい。営業のセンスも抜群だが,君にはもっと上で働いてほしい」
「社長,それはいくらなんでも・・・・・・」


 出世を匂わせた萬田社長の発言が気に入らなかったのだろう。それもそうだ。今の話ぶりだと,飛び級にもほどがある。山下と同じポジションに就くどころか,何段も飛ばしてしまうことになる。かつては,全く言うことを聞かずに手を焼かされた部下に,今度はへりくだらないといけないかもしれないのだ。

萬田社長が,何かを言おうとする山下の方に身体を向けかけた時,


「立場をわきまえろ。許可を求めて話せ」


 と威厳のある声で,煙草を吸っていた男が言い放つ。
 口元から煙草を外すと,わざとらしくあたりを見渡した。
 ほんの一瞬遅れて,山下があわただしく動く。テーブルを見渡したが,目当ての物がなかったのだろう。せわしない動作のまま,男の前でかがんで両手を使ってお椀の形を作る。


「うっ・・・・・・」


 山下の低いうめき声と同時に,男の手元から灰が落ちた。
 人に灰皿をやらせるなど,やくざが出てくる漫画でしか見たことがない。驚きというよりかは,本当にそんなことをする人がいるのかと興味をそそられる気持ちの方が大きかった。この偉そうな男は,何者なのだろう。立ち位置や振る舞いからして,社長と同等か,それ以上なのかもしれない。

 思ったよりも熱くなかったのだろう。反射的にくぐもるような声を出した山下も,ほっとした顔をしている。
 そんなものかと思った直後,目を覆いたくなるような光景と共に,山下の抑えきれない声が響いた。
 男が深く煙草を吸ったかと思うと,火種がついたままの煙草を,山下が作る灰皿に押し付けるようにして消したのだ。

 山下は痛みを懸命に堪えて姿勢を保っている。腹の立つ上司でも,いたたまれなかった。


「お手洗いに行ってもよろしいでしょうか」


 震える声を必死で抑え込みながら,山下は上目遣いで話す。


「誰が勝手にしゃべって良いと言った。邪魔だからさっさと行け」


 山下は立ち上がり,深くお辞儀をしてから後方の扉へと早歩きで向かった。


「それから,良いと言うまで部屋に入って来るな。仕事もできないし,邪魔なだけだから指示されたことだけやってろ」


 山下は半べそで返事をして,部屋を後にした。


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