気付いたら、豪傑系悪役令嬢になっていた SE

8D

閑話 虚構と現実

 僕には、憧れの人がいる。
 その人の名前は、クロエ・ビッテンフェルト。

 彼の有名な武門、ビッテンフェルト公爵家の長女であり、現在はビッテンフェルト家の入り婿であるアルディリア氏の妻である。

 とはいえ、僕はその人と実際に会った事も言葉を交わした事もなかった。
 抱く憧れも色恋の類ではなく、尊敬からくるものである。

 それでは何故、僕が彼女の事を知っていて、憧れまで懐いているのか。
 それは舞台で彼女の活躍を見たからだ。

『クロエ・ビッテンフェルト伝説』

 それが舞台のタイトルだ。
 この舞台はクロエ・ビッテンフェルトの半生を描いた話である。

 どんな困難な状況に陥っても挫けず、どんな相手を前にしても怯まない。
 あらゆる宿敵と戦って打ち勝ち、その誰とも絆を結び「友」と呼ぶ懐の広さを見せる。
 この国最強の存在と言われる実の父親にも挑む勇気があり、他国へ連れ去られても自力で脱出する強さがあった。

 僕は、彼女が他国から脱出する際に鉄格子を素手で折り曲げるシーンが特に好きだ。
 あれは彼女の肉体的な強さを表現する素晴しい演出である。

 彼女は僕にないものを全て持っていた。
 僕には、彼女のような懐の広さも、勇気もなく、そして強さもない。

 舞台の彼女は、そんな完全無欠の存在だった。
 豪傑や英傑と呼ばれる人間である。

 けれど……。
 それはあくまでも舞台での事だ。
 僕だってわかっているんだ。
 あれは所詮物語でしかないのだと。

 あの痛快な物語には、いくつかの嘘が紛れている。
 きっと実際の彼女は、あそこまでの大人物ではないだろう。
 物語の彼女は、過大に演出されたものに過ぎない。

 だから僕は、物語の中だけにいる架空の存在としての彼女を尊敬すれど、実際のクロエ・ビッテンフェルトという人物には一切の憧れを持っていないのだ。

 現に、学校で同じクラスに在籍する彼女の娘、ヤタ・ビッテンフェルトは闘技において類稀な才能を持ってこそいるが、中身は至って平凡な女子生徒だ。
 ただ、少し生真面目過ぎるくらいではあるけど。

 だから、たとえ十五年ぶりに実際のクロエ・ビッテンフェルトが王都へ帰って来ていたとしても、特に興味を持つ事はなかった。

 あの日、偶然町で彼女を見かけるその時までは……。



 あれは、僕が町へ出かけた時の事。
 特に目的があるわけでなく、暇つぶしに出かけたのだ。

 町の様子は至って平穏だ。
 所々、何者かの暴れた形跡こそあれ、僕が普段目にする光景とそれほど変わらない。

 そんな事を気にするのは、少し前に暴徒による暴動がこの王都で起こったからだ。
 収容施設から犯罪者達の集団脱走が起こり、無法者達が町へ溢れたらしい。

 らしいと、他人事のように僕が語るのは、その様を実際に見たわけではないからだ。
 何せ、その時の僕は勉強疲れで眠っており、起きた時には暴動が鎮圧されていた。

 登校したら休校になっており、その時になって暴動があった事を知ったくらいである。

 暴動は、国衛院と軍部の活躍によって一晩で収束したらしい。
 あと、謎の黒い怪人の暗躍があったという噂もあった。

 如何に暴動と言えど、一晩で出せる被害など多寡が知れていた。
 だから、あまり騒ぎになっておらず、復興もそれほど大変ではないようだった。

 そんな町を歩いていると、僕はたまたま恐喝の現場を目撃してしまった。

 大通りからそれた建物と建物の間にある暗い路地で、一人の老人が数人のゴロツキに囲まれていた。
 彼らはそれぞれ、ナイフや鉄の棒を武器としてその手に持っている。

「ほら、さっさと金を出しな。どうせ、棺桶に片足突っ込んでる身だ。溜め込んでても仕方ねぇだろ?」

 一人がナイフを手に持ち、老人を脅す。
 老人は恐怖から震え上がる。
 僕は老人が気になり、でも助けに入る勇気が持てず、もどかしさに焦れながらもその場で事の顛末を見守る事しかできなかった。

 その時である。

「あなた達、何しているのかな?」

 そう声をかけて、路地の奥から一人の女性が姿を現した。
 影から生み出されるように出てきた黒い女性。
 鼻に一本の傷が走った女性だ。

 僕にはすぐわかった。
 彼女が、クロエ・ビッテンフェルトだと。

「ちっ」

 ゴロツキは舌打ちすると、手に持ったナイフを無造作に彼女へ向けて振った。
 次の瞬間、そのゴロツキの突き出された腕が変な方向に曲がっていた。
 何があったのかはわからないが、どうやら肘が逆方向に折り曲げられたらしい。

「ぎゃあぁっ!」

 ゴロツキの一人が、悲鳴を上げて地面を転がった。

「まぁ、大体の事情はわかったよ。もう、言葉はいらないね」

 そう告げると、彼女は指の骨を鳴らした。

「何だテメェは!?」
「通りすがりの人妻だ」



 時間は、あまりにも短かった。
 何の時間かと言えば、彼女がゴロツキ達を倒すのに使った時間だ。

「このぉ!」

 最後の一人が自暴自棄な様子で、鉄棒を振るう。
 彼女の背後からの不意打ちだ。

 けれど、クロエ・ビッテンフェルトは難なくそれを掴んだ。
 後ろを見ないまま、頭部に当たる寸前のそれを。

 背を向けたまま、踵でゴロツキの腹を強く蹴り上げる。

「あうっ!」

 ゴロツキはその場で腹を押さえ、尻餅をついた。
 彼女が振り返ると、「ヒィッ」と悲鳴を上げて路地の壁際まで逃げる。

「君達、収容施設から逃げてきた人だよね?」

 そう言いながら、彼女は手に持った鉄棒に両手をかけた。
 そして、雑巾を絞るように鉄棒を捻《ねじ》った。
 ある程度捻った鉄棒を引っ張ると、キンッという音と共に鉄棒が二つに千切れた。

 鉄棒の切れて鋭利になった面をゴロツキの顔の両横へ突き立てる。
 鉄棒が石の壁に刺さった。

「ちょっと、国衛院まで一緒にいこうか」

 ゴロツキは声を失ったまま、何度も頷いていた。

 僕はその一連の光景を呆然と眺める事しかできなかった。

 鉄棒を曲げるというのはわかる。
 でも、捻じ切るって、何?

 彼女が老人を立たせ、ゴロツキをつれて路地から出て行く。
 そして僕だけが残り……。

 誰もいない路地。
 僕は壁に突き刺さった二本の鉄棒を手に取った。
 鉄棒は深く刺さっていて、全力で引っ張ってもなかなか抜けなかった。
 やっとの思いで、鉄棒を引き抜く。

 その捻じ切られて鋭利に尖った先端を見ていると、何か込み上げてくるものがあった。
 今見たものは虚構じゃない。
 現実だ。
 この鉄棒はその証明だ。

 僕は間違っていたのかもしれない。
 もしかしたら、舞台のクロエ・ビッテンフェルトは過大に描かれているのではなく、過少に描かれているのかもしれない。
 その時の僕はそう思った。

 そうだ。
 あの舞台は嘘じゃなかった。
 むしろ現実の彼女はきっと、舞台の彼女よりもさらに凄まじい存在なのではないだろうか。

 今までの僕は虚構のキャラクターへ好意を持っているに過ぎなかった。
 存在しないものに、憧れを持つなどありえない。

 しかし、それが虚構ではなく現実では無いと知った時、僕は彼女へ改めて強い憧れを抱いたのである。

 あの日持ち帰った鉄棒は今でも僕の宝物だ。
 机の引き出しに、大事に保管されている。

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