気付いたら、豪傑系悪役令嬢になっていた SE

8D

閑話 空白を埋める

 その日、私はヤタと組み手をしていた。

「くっ!」

 足払いを受けて体勢を崩すヤタ。
 その顔を目掛けて、私は殺気を込めた拳を放った。

 拳が迫っても目を閉じないヤタ。
 そんな彼女の鼻先で、私は拳を止めた。

 拳を引いて殺気を消す。
 そして笑いかけた。

「当てないのですか?」
「うん。もう必要ないからいいんだ」

 手を差し出し、その手を取ったヤタを立たせる。

「おめでとう。これで修了だよ。よく、頑張ったね」

 言うと、ヤタは嬉しそうに笑う。

「ありがとうございます」

 私達が何の話をしているかといえば……。



 あれは私が帰ってきて、それほど経っていない頃だ。

 私はヤタと組み手をした。
 その時に気付いたのである。

 ヤタは攻撃を受ける際に、若干怯みを覚えていた。

 それはそんなに大げさなものでなくほんの一瞬程度のものであるが、私はそれが気になった。

「あれ? ヤタ、拳が怖いの?」
「え? いえ、そんな事はありませんけれど」

 実際、それは普通の反応かもしれない。
 殴られるとなれば、痛みを覚悟して体を強張らせるものだ。

 でも……。

「……ヤタ。お爺ちゃんから、恐怖を消す手解きって受けた?」
「何ですか? それ」
「殺気を込めてメタメタに殴られまくる鍛錬だよ」

 死への恐怖を消すための鍛錬だ。
 私はそれで死に対する恐怖が消えた。

「そんな事はされませんでしたけれど……。それ、本当に鍛錬ですか?」

 されていないのか。

 父上。
 何か孫に甘くない?

 その後日、父上に会った時その話をしたのだが。

「誰が好きで愛しい孫の顔を殺気込めて殴らねばならぬというのだ?」

 やっぱり孫に甘くない?

「私がお前にあの処置を施したのは、武に身を置く者として必要な技術だからだ。怯えがあるかないかで、生死を分かつ事すらあるのだからな。私はお前にそれで命を落として欲しくないから、心を殺して処置を施したのだ」

 そうだったのか……。

「怖いもの知らずになって突貫する方が危ないって事はないんですか?」
「戦場では踏み込みを躊躇っていれば死んでいた、という事が多かった。だから、進むと決めたならば突き抜けた方が良い」

 父上の経験則からの判断だったか。

「正直に言えば、もう二度としたくない。だから、ヤタに処置を施すならばお前がしてやるのだ」

 うーん、そういう事か……。
 確かに好きでしたい事ではないが、必要な事かもしれない。

 その話を聞いて悩んだ結果、私はヤタに死の恐怖を消す方法を伝授する事にした。

 そして、それ以降の鍛錬を常に殺気を纏いながら行なう事にした。

 長い旅で経験を積んだ私は、父上と同じく殺気を自在に放てるようになっていた。
 父上が戦いで応用していた、謎の波《は》を放つ事もできる。

 鍛錬中は容赦なくヤタの意識を奪うように攻撃を仕掛けた。
 無論、その全ての攻撃に殺気を込めて。

 その鍛錬によって、一時は拳を過剰に恐れるようになったヤタだったが、次第に恐れが薄れていった。
 恐れの代わりに、どう動いて攻撃の威力を緩和しよう、という意識を持つようになっていった。

 そして徐々に死への恐怖を懐かなくなり……。

 今日、ヤタは完全に恐怖を克服したのである。



「さぁ、今日の鍛錬はおしまいにしようか……。そうだ、久し振りにプリン作ってあげるよ」

 この子はプリンが好きだった。
 よく、私に作ってほしいとねだっていたのだ。

 十年以上作っていないけれど、上手く作れるかなー?

「プリン、ですか……」

 ヤタの表情が強張った。

「どうしたの?」
「いえ、別に……。母上のプリンなら……食べたいです」

 それから屋敷に戻り、私はプリンを作った。
 蒸したばかりのプリンを魔法で冷やしてから、食卓へ持っていく。
 テーブルに着いたヤタの前へプリンとスプーンを置く。

「召し上がれ」

 私もヤタの隣の席へ座り、自分のプリンへスプーンを入れた。
 一口食べて、ヤタを見る。

 ヤタは、スプーンを持っていたがプリンを食べようとしなかった。

「……もしかして、甘いものが苦手になったとか?」

 訊ねると、ヤタは私に向く。

「いえ、そんな事は……。ただ……」

 言いよどみ、重大な事を打ち明けるかのように口を開く。

「プリンが苦手なのです」
「あれ? そうなの? 言ってくれればよかったのに」
「はい。でも、母上が作ってくれるものですから……」

 嬉しい事を言ってくれるね。

「子供の頃はあんなに好きだったのにね」

 私の言葉にヤタは驚く。

「そうなのですか?」
「憶えてない? ヤタはよく、私におねだりしていたんだよ」

 言うと、ヤタはテーブル上のプリンを見下ろした。
 スプーンで掬い、一口食べた。

 頑なな口元が、緩む。

「おいしいです。母上のプリンは、おいしいですね」

 そして、嬉しそうに笑った。

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