気付いたら、豪傑系悪役令嬢になっていた SE
閑話 クロエの宝物
ヤタが二歳の頃。
私は母上から受けた貴族夫人としての教育を修了し、自宅で過ごしていた。
母上のように事業などを起こす事もできたが、それをしなかったのは陛下から子供の護衛兼教育係を頼まれていたからだ。
陛下の第二子は無事に生まれ、ヤタと同じく今は二歳である。
今現在は闘技の指導等はまだ早いのではないか、という事と私が育児を行なっているという事もあって、アードラーが教育を行なっている。
そのため、私はヤタと二人でいる時間が多かった。
春の頃。
私はヤタと一緒に屋敷の庭で遊んでいた。
いや、遊んでいたというよりも、庭で勝手に遊んでいたヤタを見守っていたという方が正しいだろう。
二歳になったヤタは、一歳の時よりもよく動き回った。
体が前よりも達者に動くようになって、広がった世界の珍しい物に心をときめかせているようだ。
「おおー」
ヤタは庭に生える雑草を掴み、地面から引き抜いた。
現れた根っこを見て、感嘆とも歓声ともつかぬ声を出す。
ヤタは根っこのついた雑草を持ち、こちらへ走り寄って来た。
満面の笑みで雑草をこちらに掲《かか》げる。
「あげる!」
いらねぇ……。
でも、貰っておくね!
「ありがとう」
私は雑草を受け取った。
ヤタは嬉しそうに笑うと、また一人で遊び始めた。
最近のヤタは、誰かに贈り物をするのが楽しいようだ。
しかし手あたり次第にそこらの物を贈っているのではない。
それは彼女の行動を観察して、最近わかってきた。
くれるものは、どうやら自分が見て感動を受けたものらしい。
この雑草だって、引っこ抜くとこんな根っこが続いているなんて思わなかったのだろう。
初めて見る物だったので「これ、こんなのついてるの!?」と驚いたのだ。
彼女にとって、この世界は何もかもが新鮮だ。
そして、その驚きを相手に贈りたいと思っているのだろう。
つまり、ヤタとしては自分の感動をプレゼントしているつもりなのだ、と私は推測していた。
とりあえず、自分がスゲーと思った物を相手にあげているという事だ。
それは私に対してだけでなく。
アルディリアはありんこ貰っていたし、アードラーは平べったい綺麗な石を贈られていた。
夏の頃、私はヤタを連れて川へ遊びにいった。
マリノーとアルエットちゃん、それからマリノーの子供も一緒である。
ついでに、五歳になったレオも一緒に連れてきた。
この川は昔、ティグリス先生とマリノーがデートした場所である。
懐かしい。
あの時は、先生とマリノーが二人きりでいる間、アルエットちゃんと遊んでいたんだったか。
それが今は自分の娘を連れてなんて、あの時は思いもしなかったな。
あの時小さかったアルエットちゃんも今は十四歳。
再来年には学園へ入学である。
レオの面倒も見ていたし、弟もできてベテランお姉ちゃんの貫禄がある。
彼女は今も、レオの面倒を積極的に見てくれている。
なので、私はヤタと遊んでいた。
マンツーマンで小さい子供の面倒を見る事ができて安心である。
ヤタはどうやら川遊びを気に入ってくれたらしい。
ご満悦である。
今にも転びそうなくらいにはしゃいで走り回っている。
ちなみにアルエットちゃんの弟にしてマリノーの子供であるゲパルドくんは、母親にべったりだ。
今はマリノーの膝に座って絵本を読んでいる。
あんまり動き回るのが好きではないらしい。
色素の薄い金髪と深い色の碧眼が特徴的な男の子だ。
とても大人しい。
ゲパルドという名前を聞いた時「戦車かな?」と思ったが恐らく哺乳類の名前ではないかと思われる。
多分彼も、プレイアブルキャラクターだろうから。
それからしばらく遊んで、マリノーが用意してくれたお弁当をみんなで食べた。
「また腕を上げたみたいだね。すごく美味しいよ」
「ありがとうございます」
料理を褒めるとマリノーが笑顔で言葉を返す。
マリノーも日々精進しているのだろう。
私も負けていられない。
何せ今の私は、アルディリアに料理の腕で負けているのだ。
妻として、これ以上夫に女子力で差をつけられてはならない。
「お姉ちゃん、あーん」
レオがそう言って、フォークに刺さったミートボールをアルエットちゃんの口へ持っていく。
アルエットちゃんはそのミートボールを食べた。
「はい。ありがとう。美味しいねー」
アルエットちゃんはレオの頭を撫でた。
レオが嬉しそうに笑う。
しかしレオ。
君のお姉ちゃんはこっちだよ?
「レオはアルエットちゃんが好きだね」
言うと、レオは頷く。
「うん。僕、大きくなったらお姉ちゃんと結婚するから!」
そして屈託無く言い放った。
元気一杯の断言である。
弟よ。
この頃からすでにプロポーズしていたのか……。
早熟だね。
しかし、君のお姉ちゃんはこのクロエだッ!
依然変わり無くッ!
「ふふふ、大きくなったらね」
アルエットちゃんはそれを受け流すように答える。
でも私は知っている。
それが冗談では無いと。
残念ながらアルエットちゃん。
もう君は逃げられないぞ。
「じゃあ、ヤタはママとけっこんする」
何が「じゃあ」なのかわからないが、ヤタが対抗するようにそんな事を言った。
いろんな意味で壁が多すぎるので不可能だが、言われた事自体はちょっと嬉しかった。
それだけ好きだ、という事だろうから。
その後、私達は花畑で遊んだ。
ヤタから小さなブーケを貰った。
彼女が一生懸命に摘んで集めた色とりどりの花々だった。
秋の頃。
その日は、実家に孫の顔を見せに行った。
ヤタがレオと一緒に母上から絵本を読んでもらっている間、私は父上と話をした。
少し聞いておきたい事があったのだ。
「父上は、私が何歳ぐらいの時に闘技を教え始めたのですか?」
「そうさなぁ。あれは確か……」
父上が眉根を寄せながら言う。
思い出そうとしているのだろう。
「南部との戦争が終わった時期だ。家に帰ってからすぐに教えだしたはずだから、三歳ぐらいだったな」
「そうですか」
私は、ヤタにいつ頃から闘技を教えてあげようか悩んでいた。
三歳になると、恐らく私はヤタのそばから離れる事になる。
それまでに、少しでも何か伝えてあげたいと思っていた。
けれど、逆に教えたくないとも思っていた。
闘技の鍛錬というのは厳しいものだ。
辛い思いをさせる事になるだろう。
それを思うと、このまま闘技も教えずに可愛がって育ててあげたい気もした。
歴史の強制力で、そうならない事はわかっている。
あの強いヤタを愛しく思う気持ちもある。
だが、それでも考えずにはいられない。
いろいろと複雑な心境が私の胸に渦巻いていた。
だからだろう。
今になって、私はさらに父上を尊敬する思いを強くしていた。
我が子に辛い思いをさせる事の難しさ。
そんな気持ちを殺して、私に闘技を教え込んでくれたのだから。
それが私のためになると思っての事だ。
「父上はすごいですね。私は少し、あの子に闘技を教えるのが怖いです。嫌われてしまうんじゃないか、って」
父上は眦《まなじり》を下げた。
「私もだ。同じ事を悩んださ。だから、結局はお前自身に決めさせた」
「私自身に?」
父上は頷く。
「幼いお前の前に、剣と花を置いてな。どちらがいいかと聞いた。そしてお前は、花ではなく剣を選んだのだよ」
全然憶えてないけれど、どこぞの狼みたいな事をされていたのか、私は。
きっと私の乳母車にはマシンガンが仕込まれていたに違いない。
「そうですか」
でも、ヤタにそれを試しても剣を選ぶのだろうな。
なら、今の内に教えてあげるのがいいのかもしれない。
それも彼女との想い出になるだろう。
「ありがとうございます。父上。参考になりました」
私はソファから立ち上がる。
「もう帰るのか?」
「はい。そろそろ二人が帰ってきますから。料理の支度をしないと」
最近の私はちゃんと主婦しているのだ。
料理も作るし、お裁縫だってする。
この前だって、ヤタにカラスのぬいぐるみを作ってあげたのだ。
鴉《クロウ》だから、クロちゃんにしようかな、と思ったが私のあだ名とかぶるのでクゥタンと名付けた。
ヤタは大喜びしてくれた。
「残念だな」
「また近い内に来ます。ヤタ、帰るよ」
ヤタに声をかける。
「え、え?」
泣きそうな顔をされた。
何でや?
「話がいい所なのですよ。読み終わるまで少し待ってあげてくれませんか?」
母上が言う。
絵本のクライマックスだったらしい。
私は座りなおした。
「もう少しいます」
「そうしろ」
苦笑して言うと、父上は嬉しそうに笑った。
帰り道。
日はもう傾き始めていた。
赤い光の照らす街路を二人で歩く。
陽光の中、二人の影が長く伸びている。
その途中で一陣の風が吹き、街路樹を揺らした。
葉が吹き散って、色の褪せた葉っぱがつむじ風に乗って踊る。
その光景が新鮮だったのだろう。
ヤタは楽しげにその様子を見ると、舞い上がり、ひらひらと落ちてくる葉っぱを掴んだ。
それを私にくれた。
その翌日から、私はヤタと一緒に朝のランニングをするようになった。
最初の鍛錬なんて、そんなものでいいだろう。
冬の頃。
雪の積もる庭で、私はヤタと雪だるまを作った。
今日はアルディリアが休みだったので、三人だ。
二人で協力して、大きい雪だるまを作った。
「うん。できた」
「お疲れ様」
最後の仕上げに、雪玉を重ねてくれたアルディリアを労う。
「ちょっとまってて」
すると、何を思ったのかヤタはそう言い残して屋敷へ駆けていった。
防寒具で着ぶくれしたヤタが走っていく姿が可愛らしい。
ちなみにヤタがつけている手袋は私が編んだものである。
しばらくして戻って来ると、その手には調理用のボウルが二つあった。
何をするのだろうと見守っていると、ヤタはボウルに雪を詰め始める。
そして、そのボウル二つを雪だるまの胸の部分へくっつけた。
ボウルを外すと、雪だるまにおっぱいができていた。
なかなかに立派である。
その雪だるまのバストは豊満であった。
形も良い。
ヤタはそんな雪だるまを指差す。
そして。
「ママ!」
と言った。
どうやらこの雪だるまのモデルは私らしい。
「ぶふっ!」
アルディリアが噴き出す。
何よ。
あなたも好きでしょ?
そんな態度だと、しばらくアードラーとヤタの独占契約にしちゃうぞ。
しかし……。
うん。
似てるよ。
特徴を良く捉えている。
うちの子は天才だ。
ヤタはしばらく、雪だるまを眺めていた。
次いで私を見る。
「お腹空いた……」
ちなみに、ヤタはまだ乳離れしていない。
欲しい欲しいと求めてくるので、私も求められるままにあげている。
長い間母乳をあげ続けていると垂れるという話も聞くが……。
私は満遍なく体を魔力で補強している。
どこがクーパー靭帯か知らないが、それが伸び切って垂れるという事はないはずだ。
……多分。
「じゃあ、おうちでおっぱい飲もうか」
「うん」
手を繋いで屋敷へ戻ろうとする。
「パパも」
「いいよ」
三人で手を繋いで屋敷へ戻った。
その翌日はアードラーが休みだったので、三人で一緒に雪だるまを作った。
私は母親として娘に負けていられないと思い、出来上がった雪だるまにヤタが昨日持ってきたのよりも大きなボウルでおっぱいを作った。
「ゲパルドくんのお母さん(マリノー)」
という一発ネタを披露すると、ヤタだけでなくアードラーにも大層ウケた。
それに味をしめた私は、もう一体雪だるまを作って屋敷から大根を持ってきた。
その大根を雪だるまの下腹部に刺して「パパ」というネタを披露しようと思ったのだが……。
「それはいけない!」
私の思惑を察知したアードラーに阻止され、なおかつ叱られた。
最近のアードラーは子供への教育に厳しい。
その後、ヤタが雪の中に埋まっていたどんぐりを見つけて、私にくれた。
アードラーには松ぼっくりをあげていた。
現在。
ヤタ、十八歳。
私の部屋に来たヤタは、壁に掛けられた私手作りの棚を見ていた。
そこには、いくつもの瓶が並べられていた。
「母上」
「何?」
「部屋に入るたび、いつも気になっていたのですが……」
小瓶を指差す。
「これは何なのですか?」
無数の瓶の中。
入っている物の例を挙げるならば。
根っこつきの雑草、小さなブーケの押し花、色褪せた落ち葉、どんぐり、というようなものがそれぞれ入っている。
「私の宝物」
「そうなんですか……」
答えると、ヤタは釈然としない様子で首を傾げた。
「うふふ」
そんな様子を見て私は知らず、笑みを零していた。
私は母上から受けた貴族夫人としての教育を修了し、自宅で過ごしていた。
母上のように事業などを起こす事もできたが、それをしなかったのは陛下から子供の護衛兼教育係を頼まれていたからだ。
陛下の第二子は無事に生まれ、ヤタと同じく今は二歳である。
今現在は闘技の指導等はまだ早いのではないか、という事と私が育児を行なっているという事もあって、アードラーが教育を行なっている。
そのため、私はヤタと二人でいる時間が多かった。
春の頃。
私はヤタと一緒に屋敷の庭で遊んでいた。
いや、遊んでいたというよりも、庭で勝手に遊んでいたヤタを見守っていたという方が正しいだろう。
二歳になったヤタは、一歳の時よりもよく動き回った。
体が前よりも達者に動くようになって、広がった世界の珍しい物に心をときめかせているようだ。
「おおー」
ヤタは庭に生える雑草を掴み、地面から引き抜いた。
現れた根っこを見て、感嘆とも歓声ともつかぬ声を出す。
ヤタは根っこのついた雑草を持ち、こちらへ走り寄って来た。
満面の笑みで雑草をこちらに掲《かか》げる。
「あげる!」
いらねぇ……。
でも、貰っておくね!
「ありがとう」
私は雑草を受け取った。
ヤタは嬉しそうに笑うと、また一人で遊び始めた。
最近のヤタは、誰かに贈り物をするのが楽しいようだ。
しかし手あたり次第にそこらの物を贈っているのではない。
それは彼女の行動を観察して、最近わかってきた。
くれるものは、どうやら自分が見て感動を受けたものらしい。
この雑草だって、引っこ抜くとこんな根っこが続いているなんて思わなかったのだろう。
初めて見る物だったので「これ、こんなのついてるの!?」と驚いたのだ。
彼女にとって、この世界は何もかもが新鮮だ。
そして、その驚きを相手に贈りたいと思っているのだろう。
つまり、ヤタとしては自分の感動をプレゼントしているつもりなのだ、と私は推測していた。
とりあえず、自分がスゲーと思った物を相手にあげているという事だ。
それは私に対してだけでなく。
アルディリアはありんこ貰っていたし、アードラーは平べったい綺麗な石を贈られていた。
夏の頃、私はヤタを連れて川へ遊びにいった。
マリノーとアルエットちゃん、それからマリノーの子供も一緒である。
ついでに、五歳になったレオも一緒に連れてきた。
この川は昔、ティグリス先生とマリノーがデートした場所である。
懐かしい。
あの時は、先生とマリノーが二人きりでいる間、アルエットちゃんと遊んでいたんだったか。
それが今は自分の娘を連れてなんて、あの時は思いもしなかったな。
あの時小さかったアルエットちゃんも今は十四歳。
再来年には学園へ入学である。
レオの面倒も見ていたし、弟もできてベテランお姉ちゃんの貫禄がある。
彼女は今も、レオの面倒を積極的に見てくれている。
なので、私はヤタと遊んでいた。
マンツーマンで小さい子供の面倒を見る事ができて安心である。
ヤタはどうやら川遊びを気に入ってくれたらしい。
ご満悦である。
今にも転びそうなくらいにはしゃいで走り回っている。
ちなみにアルエットちゃんの弟にしてマリノーの子供であるゲパルドくんは、母親にべったりだ。
今はマリノーの膝に座って絵本を読んでいる。
あんまり動き回るのが好きではないらしい。
色素の薄い金髪と深い色の碧眼が特徴的な男の子だ。
とても大人しい。
ゲパルドという名前を聞いた時「戦車かな?」と思ったが恐らく哺乳類の名前ではないかと思われる。
多分彼も、プレイアブルキャラクターだろうから。
それからしばらく遊んで、マリノーが用意してくれたお弁当をみんなで食べた。
「また腕を上げたみたいだね。すごく美味しいよ」
「ありがとうございます」
料理を褒めるとマリノーが笑顔で言葉を返す。
マリノーも日々精進しているのだろう。
私も負けていられない。
何せ今の私は、アルディリアに料理の腕で負けているのだ。
妻として、これ以上夫に女子力で差をつけられてはならない。
「お姉ちゃん、あーん」
レオがそう言って、フォークに刺さったミートボールをアルエットちゃんの口へ持っていく。
アルエットちゃんはそのミートボールを食べた。
「はい。ありがとう。美味しいねー」
アルエットちゃんはレオの頭を撫でた。
レオが嬉しそうに笑う。
しかしレオ。
君のお姉ちゃんはこっちだよ?
「レオはアルエットちゃんが好きだね」
言うと、レオは頷く。
「うん。僕、大きくなったらお姉ちゃんと結婚するから!」
そして屈託無く言い放った。
元気一杯の断言である。
弟よ。
この頃からすでにプロポーズしていたのか……。
早熟だね。
しかし、君のお姉ちゃんはこのクロエだッ!
依然変わり無くッ!
「ふふふ、大きくなったらね」
アルエットちゃんはそれを受け流すように答える。
でも私は知っている。
それが冗談では無いと。
残念ながらアルエットちゃん。
もう君は逃げられないぞ。
「じゃあ、ヤタはママとけっこんする」
何が「じゃあ」なのかわからないが、ヤタが対抗するようにそんな事を言った。
いろんな意味で壁が多すぎるので不可能だが、言われた事自体はちょっと嬉しかった。
それだけ好きだ、という事だろうから。
その後、私達は花畑で遊んだ。
ヤタから小さなブーケを貰った。
彼女が一生懸命に摘んで集めた色とりどりの花々だった。
秋の頃。
その日は、実家に孫の顔を見せに行った。
ヤタがレオと一緒に母上から絵本を読んでもらっている間、私は父上と話をした。
少し聞いておきたい事があったのだ。
「父上は、私が何歳ぐらいの時に闘技を教え始めたのですか?」
「そうさなぁ。あれは確か……」
父上が眉根を寄せながら言う。
思い出そうとしているのだろう。
「南部との戦争が終わった時期だ。家に帰ってからすぐに教えだしたはずだから、三歳ぐらいだったな」
「そうですか」
私は、ヤタにいつ頃から闘技を教えてあげようか悩んでいた。
三歳になると、恐らく私はヤタのそばから離れる事になる。
それまでに、少しでも何か伝えてあげたいと思っていた。
けれど、逆に教えたくないとも思っていた。
闘技の鍛錬というのは厳しいものだ。
辛い思いをさせる事になるだろう。
それを思うと、このまま闘技も教えずに可愛がって育ててあげたい気もした。
歴史の強制力で、そうならない事はわかっている。
あの強いヤタを愛しく思う気持ちもある。
だが、それでも考えずにはいられない。
いろいろと複雑な心境が私の胸に渦巻いていた。
だからだろう。
今になって、私はさらに父上を尊敬する思いを強くしていた。
我が子に辛い思いをさせる事の難しさ。
そんな気持ちを殺して、私に闘技を教え込んでくれたのだから。
それが私のためになると思っての事だ。
「父上はすごいですね。私は少し、あの子に闘技を教えるのが怖いです。嫌われてしまうんじゃないか、って」
父上は眦《まなじり》を下げた。
「私もだ。同じ事を悩んださ。だから、結局はお前自身に決めさせた」
「私自身に?」
父上は頷く。
「幼いお前の前に、剣と花を置いてな。どちらがいいかと聞いた。そしてお前は、花ではなく剣を選んだのだよ」
全然憶えてないけれど、どこぞの狼みたいな事をされていたのか、私は。
きっと私の乳母車にはマシンガンが仕込まれていたに違いない。
「そうですか」
でも、ヤタにそれを試しても剣を選ぶのだろうな。
なら、今の内に教えてあげるのがいいのかもしれない。
それも彼女との想い出になるだろう。
「ありがとうございます。父上。参考になりました」
私はソファから立ち上がる。
「もう帰るのか?」
「はい。そろそろ二人が帰ってきますから。料理の支度をしないと」
最近の私はちゃんと主婦しているのだ。
料理も作るし、お裁縫だってする。
この前だって、ヤタにカラスのぬいぐるみを作ってあげたのだ。
鴉《クロウ》だから、クロちゃんにしようかな、と思ったが私のあだ名とかぶるのでクゥタンと名付けた。
ヤタは大喜びしてくれた。
「残念だな」
「また近い内に来ます。ヤタ、帰るよ」
ヤタに声をかける。
「え、え?」
泣きそうな顔をされた。
何でや?
「話がいい所なのですよ。読み終わるまで少し待ってあげてくれませんか?」
母上が言う。
絵本のクライマックスだったらしい。
私は座りなおした。
「もう少しいます」
「そうしろ」
苦笑して言うと、父上は嬉しそうに笑った。
帰り道。
日はもう傾き始めていた。
赤い光の照らす街路を二人で歩く。
陽光の中、二人の影が長く伸びている。
その途中で一陣の風が吹き、街路樹を揺らした。
葉が吹き散って、色の褪せた葉っぱがつむじ風に乗って踊る。
その光景が新鮮だったのだろう。
ヤタは楽しげにその様子を見ると、舞い上がり、ひらひらと落ちてくる葉っぱを掴んだ。
それを私にくれた。
その翌日から、私はヤタと一緒に朝のランニングをするようになった。
最初の鍛錬なんて、そんなものでいいだろう。
冬の頃。
雪の積もる庭で、私はヤタと雪だるまを作った。
今日はアルディリアが休みだったので、三人だ。
二人で協力して、大きい雪だるまを作った。
「うん。できた」
「お疲れ様」
最後の仕上げに、雪玉を重ねてくれたアルディリアを労う。
「ちょっとまってて」
すると、何を思ったのかヤタはそう言い残して屋敷へ駆けていった。
防寒具で着ぶくれしたヤタが走っていく姿が可愛らしい。
ちなみにヤタがつけている手袋は私が編んだものである。
しばらくして戻って来ると、その手には調理用のボウルが二つあった。
何をするのだろうと見守っていると、ヤタはボウルに雪を詰め始める。
そして、そのボウル二つを雪だるまの胸の部分へくっつけた。
ボウルを外すと、雪だるまにおっぱいができていた。
なかなかに立派である。
その雪だるまのバストは豊満であった。
形も良い。
ヤタはそんな雪だるまを指差す。
そして。
「ママ!」
と言った。
どうやらこの雪だるまのモデルは私らしい。
「ぶふっ!」
アルディリアが噴き出す。
何よ。
あなたも好きでしょ?
そんな態度だと、しばらくアードラーとヤタの独占契約にしちゃうぞ。
しかし……。
うん。
似てるよ。
特徴を良く捉えている。
うちの子は天才だ。
ヤタはしばらく、雪だるまを眺めていた。
次いで私を見る。
「お腹空いた……」
ちなみに、ヤタはまだ乳離れしていない。
欲しい欲しいと求めてくるので、私も求められるままにあげている。
長い間母乳をあげ続けていると垂れるという話も聞くが……。
私は満遍なく体を魔力で補強している。
どこがクーパー靭帯か知らないが、それが伸び切って垂れるという事はないはずだ。
……多分。
「じゃあ、おうちでおっぱい飲もうか」
「うん」
手を繋いで屋敷へ戻ろうとする。
「パパも」
「いいよ」
三人で手を繋いで屋敷へ戻った。
その翌日はアードラーが休みだったので、三人で一緒に雪だるまを作った。
私は母親として娘に負けていられないと思い、出来上がった雪だるまにヤタが昨日持ってきたのよりも大きなボウルでおっぱいを作った。
「ゲパルドくんのお母さん(マリノー)」
という一発ネタを披露すると、ヤタだけでなくアードラーにも大層ウケた。
それに味をしめた私は、もう一体雪だるまを作って屋敷から大根を持ってきた。
その大根を雪だるまの下腹部に刺して「パパ」というネタを披露しようと思ったのだが……。
「それはいけない!」
私の思惑を察知したアードラーに阻止され、なおかつ叱られた。
最近のアードラーは子供への教育に厳しい。
その後、ヤタが雪の中に埋まっていたどんぐりを見つけて、私にくれた。
アードラーには松ぼっくりをあげていた。
現在。
ヤタ、十八歳。
私の部屋に来たヤタは、壁に掛けられた私手作りの棚を見ていた。
そこには、いくつもの瓶が並べられていた。
「母上」
「何?」
「部屋に入るたび、いつも気になっていたのですが……」
小瓶を指差す。
「これは何なのですか?」
無数の瓶の中。
入っている物の例を挙げるならば。
根っこつきの雑草、小さなブーケの押し花、色褪せた落ち葉、どんぐり、というようなものがそれぞれ入っている。
「私の宝物」
「そうなんですか……」
答えると、ヤタは釈然としない様子で首を傾げた。
「うふふ」
そんな様子を見て私は知らず、笑みを零していた。
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