気付いたら、豪傑系悪役令嬢になっていた SE
時の女神編 十二話 想いを伝える拳
廃墟じみた家屋。
その一室は月明かりを遮られ、夜の闇の中でもより一層に暗かった。
チヅルちゃんから聞いた、ヤタ達が潜伏する隠れ家。
私は先ほど、その一室へ踏み込んだ。
他の子達も揃っているかも、と思ったが踏み込んでみると居たのはヤタ一人だけだった。
そして私は、ヤタと二人きり。
部屋の中で向かい合った。
「コーホー。アイム・ユア・マザー!」
「……無論、存じている」
まぁそうだね。
「ノーッ!」とは言わないよね。
「アルエット先生か……それともチヅルか……。どちらでも良いか。そちらから出向いてきたのなら、私は自らの心に従おう」
ヤタが言いながら、構えを取った。
ビッテンフェルト流闘技の構え。
多分、父上から教わったのだろう。
私の物よりも、アルディリアの物よりも、限りなく源流に近い構えだ。
「どういう事を思っているのか、私にはわからない。でも先に言っておくよ。たとえここで私を倒せたとしても、きっと未来は変わらない」
チヅルちゃんの理論ではそうなる。
私が負けて、本当に戦えない体にされても私は未来で行方不明になるだろう。
「ならばここでぶつけるのは、恨みだけだ!」
叫び、ヤタが殴りかかってくる。
拳が私の顔に迫ってくる。
私はその拳をあえて受けた。
仮面が外れ、部屋の隅へ飛ぶ。
「なっ……?」
私がわざと攻撃を受けた事に、ヤタは驚いた。
頬にめり込んだヤタの拳を掴む。
「そんなものなの? あなたの恨みっていうのはさ?」
「くっ」
私の手を払って、ヤタは拳を引く。
「というより、手加減したでしょう?」
ヤタの拳は、昨夜戦った時と比べて明らかに軽かった。
手を抜いていた事は明白だ。
これは私が悪いかもしれない。
昨夜、弱い所を見せてしまったからだ。
それで失望されちゃったみたいだな。
でも、ちゃんと威厳は取り戻させてもらうつもりだから。
許してね。
「私はあなたの母親……。あんな程度なわけがない。見せてあげるよ。あなたの母親がどれだけ強いのか」
私は言って、大振りの一撃をヤタへ振り抜いた。
ヤタが私の背中へ回り込むようにして、避ける。
ブーストでそんなヤタの方へ迫る。
「!?」
そして、そのまま背中と肩で体当たりした。
ブーストの挙動で意表を衝かれた事もあり、ヤタは体当たりをモロに受けて吹き飛ばされた。
壁に背中を打ちつけられ、膝をついた。
十年早いんだよっ!
膝をついたヤタが、無言で立ち上がる。
構えを取った。
私もまた、そこで初めて構えを取る。
じりっ、と間合いを詰めるヤタ。
そして、拳を振るってくる。
右腕で受ける。
次いでのフックを屈んでかわし、こちらもボディを狙ってのフック。
身を退いてかわされる。
手を出し合い、しかしそれが致命打にならない。
避けあい、当たる事も稀である。
当たったとしても、確実に防ぐ。
互いに隙のない攻撃で戦法を組み立てているからこそだ。
カナリオとブッパ無しでやり合う時と似ている。
拳や蹴りが空を切る音と時折の肉を打つ音。
それだけが室内に木霊する。
膠着する戦況は永遠の事かに思えてくる。
しかし、少しずつ経験の差が出てきた。
顔を狙ってくる拳に私は頭突きを合わせた。
ガントレットに固められたヤタの拳はとてつもなく痛かったが、それでも威力はこちらの方が勝ったようだ。
ヤタの拳が砕ける感触が伝わってきた。
「くっ」
呻くヤタ。
そして、続く私の蹴りを後ろへ退いて避ける。
その先は窓の外。
窓から飛び出したヤタは、マントを広げて背中を向けた状態で滑空する。
私もそれを追った。
マントを広げ、風の魔法を操って飛ぶ。
ヤタが着地したのは他の家屋の屋根だ。
私も着地し、互いにまた構えを取る。
再び攻防が始まる。
白色で治したのだろう。
ヤタの拳が治っていた。
そんな中、ヤタはショベルフックを放つ。
アルディリアの得意とする、内蔵を破壊する拳だ。
私の脇腹に抉り込まれる。
衝撃が、私の内臓を抜けた。
「……優しい子だね」
私は呟く。
ヤタは戸惑いの表情を見せる。
ヤタのショベルフックは、前と逆の方向を狙って放たれていた。
闘技者として、ここは前に砕いた場所を狙うべきだ。
けれど、この子はそれをしなかった。
でも、どちらであってもまだ甘い。
前の油断していた時ならいざ知らず、威力が足りない。
私が本気で固めた腹筋を穿つ程の力はない。
私はフックの腕を掴んだ状態で、もう一方の手を振りかぶった。
ヤタの顔面に思い切り張り手をぶつける。
ヤタは顔を張られ、その威力で後方の屋根へ仰向けに倒れた。
ヤタはすぐに跳ね起き、また挑んでくる。
その顔は涙と鼻血まみれだ。
ははは、ぶっさいくな顔だ。
それが妙に愛おしく感じる。
必死になって挑んでくる娘。
私はその攻撃を受ける。
全部受ける。
受けながら、きっちりと反撃を返す。
先ほどのような避け合い防ぎ合いの闘いではなく、殴り殴られ合う形の闘いになった。
そんなやり取りを交わし続け、気付けばヤタは屋根の淵まで追い詰められていた。
私の裏拳を避けて、一歩後退する。
その先にもう屋根はない。
彼女は屋根の下へ落ちた。
追いかけて下を覗き込む。
蹴りが私の顎を捕らえた。
見ると、サッカーボールキックの体勢のヤタ。
どうやらヤタは、壁に張り付き立っていたようだ。
壁歩きだ。
私がアルディリアに教えた技術を教わったのだろう。
妙に嬉しくなった。
自然と笑みに顔が綻ぶ。
蹴られた威力を消すように、バック宙返りする私。
そのまま壁に立つヤタ目掛けて、下方向への蹴りを放つ。
ガードするヤタ。
それと同時に、私も壁へ手をついて張り付いた。
壁を地面としての闘いが始まる。
私の血だろうか?
ヤタの壁歩きは、アルディリアよりも巧みだ。
安定していて、壁に張り付きながらもちゃんと闘えている。
闘いながら、そんな事を考える。
さっきと同じように、私の顎が蹴り上げられた。
そしてまたさっきと同じように私はバック宙返りしてから、壁に着地せず真下へ向けてフライングクロスチョップを見舞った。
避けられた。
私はそのまま地面へ落ち、その直前で体勢を立て直して着地する。
見上げると、ヤタが蹴りを放ちながら追ってきた。
そんな彼女の蹴り足を掴み、ぐるりと一回転。
そして、隣の家屋の壁へ叩きつけた。
家屋の石壁が崩れ、その中へヤタを放った。
崩れた石壁の穴から、私は家屋の中へ入る。
どうやらそこは酒場だったらしい。
酒や料理を口へ運ぶ体勢のまま、客達が呆然と私を見ていた。
「お騒がせしてすみません」
一言謝って、私はヤタを探す。
ヤタは一人の客とテーブルを下敷きにして倒れていた。
流石にダメージが大きかったか。
私の子はきっと頑丈だから大丈夫だろう思ったんだけど、やりすぎたかもしれない。
そんなヤタに近寄る。
目が開き、私を見る。
「それで終わり? 私に伝えたい気持ちは、それだけなの?」
言うと、ヤタの眼に闘志が宿った。
倒れた体勢から腕の力で体を跳ね上げ、蹴りを放ってくる。
手の平で受けて防ぐ。
ヤタは蹴りの勢いを利用して、そのまま立ち上がった。
「まだまだ、足りない! 足りるものか!」
ヤタが叫ぶ。
「いいよ。ならもっとぶつけて来い! 全部だ! あなたの全部、余す所無く! 私にぶつけて来い!」
私も叫び返し、ヤタは跳ぶ。
空中から高速で私へと迫った。
何をするのか受けようと見ていると、ヤタは私の首へ組み付いた。
それを基点にして、腕の関節を狙ってくる。
だが、かかりが甘い。
腕を捻って掴みを解き、逆に腕の関節を極める。
ヤタの腕から抵抗が消える。
関節をわざと外したようだ。
そのまま関節技から逃げられる。
しかし今の空中からの関節技……。
空中からの投げ?
チヅルちゃんが言っていた、エミユ・アルマールの技か。
ヤタは関節を嵌め直し、すかさずその場でサマーソルトキックを放つ。
一歩退き、仰け反って避ける。
その勢いで背後へ距離を取りつつ、空中にいる最中、水で出来た刃を飛ばしてくる。
私は魔力を込めた手刀でそれを打ち破る。
距離を取って飛び道具で戦うつもりか、と思って近付く。
すると、逆にヤタもこちらに迫り、手を伸ばした。
私の強化服の襟付近の布を掴み、そして……。
ヤタに掴まれた襟を強引に外させた。
それと同時に、ヤタの手から爆炎が上がった。
酒場の客達から悲鳴が上がった。
飛び道具と投げ技。
距離を選ばない闘法。
チヅルちゃんが言っていた、オルカ・ヴェルデイドの戦い方だ。
ヤタから距離を離そうと手を出す。
が、その手を逆に取られ、不思議な投げで転がされた。
気付いた時には、天井が見えていた。
これは何だ?
アールネスにはない技術だ。
まるで、前世で見た合気道のような投げだ。
日本の……倭の国か。
これは多分、チヅルちゃんの技なのだろう。
面白い。
「はははっ」
仰向けに倒れながら笑う。
「何がおかしい!」
ヤタが怒鳴りながら、顔目掛けて踏みつけてくる。
私は倒れた体勢から前蹴りを放ち、ヤタの顔を逆に蹴りつけた。
怯んで後退するヤタ。
その間に起き上がる。
「はははははっ!」
ヤタの右腕と後頭部を掴み、店の壁目掛けて走る。
思い切り壁へ顔を叩きつけた。
この子が可愛く思えてならない。
もっともっと構ってやりたくなる。
私の掴みを払い、離れようとするヤタ。
飛び上がって逃げようとする彼女の足を掴み、引き下ろす。
逃げないでよ。
そんな事されたら、お母さん寂しい。
私の目の前、壁を背にする形で尻餅をついたヤタの顔を目掛けて拳を振るう。
ヤタはさらに体勢を低くする事で拳を避けた。
私の拳は壁を貫通する。
再び離れようとするヤタを蹴りつける。
防御するヤタごと、壁を蹴り抜いた。
ヤタが店の外へ転がり出る。
「お騒がせしました」
私は店の方に声をかけてから外へ出た。
あとでお詫びに来よう。
ヤタが転がった場所を見る。
けれど、そこにヤタはいなかった。
首を傾げ……。
振り向き様の上段後ろ回し蹴り。
背後の壁に張り付き、私の背後から跳びかかろうとしていたヤタを蹴り落とす。
石畳に倒れこむ。
「ヤタ」
名を呼ぶ。
ヤタは顔をあげた。
「強い子だね。流石は、お母さんの子供だよ」
それは私にとって、最大級の褒め言葉のつもりだ。
私が父上に言われて、嬉しかった言葉でもある。
ヤタの顔がくしゃりと歪んだ。
けれど、すぐにその表情が険しくなる。
「なら、どうして……」
ヤタは言いかけ、言葉を飲み込んだ。
私を睨みつける。
「まだ夜は始まったばかり……。時間はたっぷりあるよ。十年以上溜め込んだ気持ち、この夜で全部吐き出しちゃいなよ。この夜の私は、ずっとあなたのそばにいるから……」
ヤタは答えない。
黙りこみ。
そして、立ち上がった。
構えを取る。
私は彼女を受け入れるように、両手を広げた。
さぁ、おいで。
私達はそれから、どれぐらい戦ったんだろうか?
長かった気もするし、とても短かった気もする。
ヤタはいろいろな技を見せてくれた。
私の知っている技もあったけれど、まったく知らない技も見せてくれた。
本当に全部、持ち合わせている技を見せてくれたんじゃないだろうか?
それは私のためだ。
私に気持ちを伝えるためだ。
彼女が習得した技は自分の気持ちを表現するための手段だった。
この日、私にぶつけるためにだけ磨いてきた技のように思えた。
そして私は、そんな彼女が愛おしかった。
彼女が技を披露するたび……。
振るった拳がぶつけられるたび……。
私の中の彼女への愛しさが溢れていくようだった。
今はもう、彼女の事が愛おしくて堪らない。
狂おしいほどだ。
ずっとこのまま、時間が止まってしまえばいい。
そう思える程に、私はこの時間が愛おしくてならなかった。
でも、楽しい時間は必ず終わる。
時は流れ続けるものだ。
人は時間の流れの中で、必ず終わりへ導かれている生き物だから。
気付けば、夜が明けようとしていた。
中央広場。
その真ん中で、私達は対峙していた。
がむしゃらに闘っているうちに、ここまで来てしまっていた。
きっと彼女は全て自分の中にある物を出し切ったのだろう。
彼女が私に向ける構えは、源流に近いビッテンフェルト流闘技の物ではない。
少し形の違うもの。
自分にある物を全て出し切り、その上で私へ気持ちを伝える手段として生み出したものだろう。
ヤタ自身の、ヤタだけの構え。
ヤタだけの戦い方だ。
左手を開き前へ出し、右手は顔の側面に位置して拳を作っている。
まるで、仁王像のようだ。
「多分、これで最後だね」
「……ああ」
答える声は、くたびれているようにも寂しんでいるようでもあった。
「おいで」
言うと、ヤタは迫ってきた。
新しいヤタの技を受ける。
彼女にとって一番馴染む技なんだろう。
へとへとに疲れているはずなのに、その技のどれもが今までのどの技よりも重い。
私はその技を全て受けた。
出し切らせた。
ヤタの攻撃はどれも強烈で、受けるたびに私の体が悲鳴をあげている。
とても痛い。
母親としては娘の気持ちを全て、受け入れるべきだ。
受け入れて、反撃する。
拳が胸を打つ。
胸甲に凹みができた。
ヤタの強化服についているものと同じ場所、同じ形の凹みだ。
なるほど。
これは、確定された歴史なのか。
そして拳の一撃が私の頬を殴りつけた時、彼女の体が弛緩する。
それが最後の力を振り絞ったものだったのだろう。
これで、最後なんだね……。
そう思い、私はヤタを両手で抱き締めた。
私の左腕は背中の後ろでヤタの左腕を掴み、同時に右腕を拘束する。
そして彼女の首を私の右腕と肩で絞める。
足を蹴り、膝を落とさせた。
頚動脈が腕と肩で締められる。
「このまま眠ればいいよ」
ヤタの体から、ゆっくりと力が抜けていく。
「……母上。何故、私を捨てたのですか?」
耳元で囁かれる。
私に向けてきた言葉の中で、どれよりも悲痛な声だった。
胸がキュッと締め付けられる思いだった。
「わからない。わからないよ、今の私には……」
私にはそう答える事しかできなかった。
ヤタが気を失う。
そんなヤタの体から技を外し、今度はちゃんとした形でしっかり抱き締めた。
その一室は月明かりを遮られ、夜の闇の中でもより一層に暗かった。
チヅルちゃんから聞いた、ヤタ達が潜伏する隠れ家。
私は先ほど、その一室へ踏み込んだ。
他の子達も揃っているかも、と思ったが踏み込んでみると居たのはヤタ一人だけだった。
そして私は、ヤタと二人きり。
部屋の中で向かい合った。
「コーホー。アイム・ユア・マザー!」
「……無論、存じている」
まぁそうだね。
「ノーッ!」とは言わないよね。
「アルエット先生か……それともチヅルか……。どちらでも良いか。そちらから出向いてきたのなら、私は自らの心に従おう」
ヤタが言いながら、構えを取った。
ビッテンフェルト流闘技の構え。
多分、父上から教わったのだろう。
私の物よりも、アルディリアの物よりも、限りなく源流に近い構えだ。
「どういう事を思っているのか、私にはわからない。でも先に言っておくよ。たとえここで私を倒せたとしても、きっと未来は変わらない」
チヅルちゃんの理論ではそうなる。
私が負けて、本当に戦えない体にされても私は未来で行方不明になるだろう。
「ならばここでぶつけるのは、恨みだけだ!」
叫び、ヤタが殴りかかってくる。
拳が私の顔に迫ってくる。
私はその拳をあえて受けた。
仮面が外れ、部屋の隅へ飛ぶ。
「なっ……?」
私がわざと攻撃を受けた事に、ヤタは驚いた。
頬にめり込んだヤタの拳を掴む。
「そんなものなの? あなたの恨みっていうのはさ?」
「くっ」
私の手を払って、ヤタは拳を引く。
「というより、手加減したでしょう?」
ヤタの拳は、昨夜戦った時と比べて明らかに軽かった。
手を抜いていた事は明白だ。
これは私が悪いかもしれない。
昨夜、弱い所を見せてしまったからだ。
それで失望されちゃったみたいだな。
でも、ちゃんと威厳は取り戻させてもらうつもりだから。
許してね。
「私はあなたの母親……。あんな程度なわけがない。見せてあげるよ。あなたの母親がどれだけ強いのか」
私は言って、大振りの一撃をヤタへ振り抜いた。
ヤタが私の背中へ回り込むようにして、避ける。
ブーストでそんなヤタの方へ迫る。
「!?」
そして、そのまま背中と肩で体当たりした。
ブーストの挙動で意表を衝かれた事もあり、ヤタは体当たりをモロに受けて吹き飛ばされた。
壁に背中を打ちつけられ、膝をついた。
十年早いんだよっ!
膝をついたヤタが、無言で立ち上がる。
構えを取った。
私もまた、そこで初めて構えを取る。
じりっ、と間合いを詰めるヤタ。
そして、拳を振るってくる。
右腕で受ける。
次いでのフックを屈んでかわし、こちらもボディを狙ってのフック。
身を退いてかわされる。
手を出し合い、しかしそれが致命打にならない。
避けあい、当たる事も稀である。
当たったとしても、確実に防ぐ。
互いに隙のない攻撃で戦法を組み立てているからこそだ。
カナリオとブッパ無しでやり合う時と似ている。
拳や蹴りが空を切る音と時折の肉を打つ音。
それだけが室内に木霊する。
膠着する戦況は永遠の事かに思えてくる。
しかし、少しずつ経験の差が出てきた。
顔を狙ってくる拳に私は頭突きを合わせた。
ガントレットに固められたヤタの拳はとてつもなく痛かったが、それでも威力はこちらの方が勝ったようだ。
ヤタの拳が砕ける感触が伝わってきた。
「くっ」
呻くヤタ。
そして、続く私の蹴りを後ろへ退いて避ける。
その先は窓の外。
窓から飛び出したヤタは、マントを広げて背中を向けた状態で滑空する。
私もそれを追った。
マントを広げ、風の魔法を操って飛ぶ。
ヤタが着地したのは他の家屋の屋根だ。
私も着地し、互いにまた構えを取る。
再び攻防が始まる。
白色で治したのだろう。
ヤタの拳が治っていた。
そんな中、ヤタはショベルフックを放つ。
アルディリアの得意とする、内蔵を破壊する拳だ。
私の脇腹に抉り込まれる。
衝撃が、私の内臓を抜けた。
「……優しい子だね」
私は呟く。
ヤタは戸惑いの表情を見せる。
ヤタのショベルフックは、前と逆の方向を狙って放たれていた。
闘技者として、ここは前に砕いた場所を狙うべきだ。
けれど、この子はそれをしなかった。
でも、どちらであってもまだ甘い。
前の油断していた時ならいざ知らず、威力が足りない。
私が本気で固めた腹筋を穿つ程の力はない。
私はフックの腕を掴んだ状態で、もう一方の手を振りかぶった。
ヤタの顔面に思い切り張り手をぶつける。
ヤタは顔を張られ、その威力で後方の屋根へ仰向けに倒れた。
ヤタはすぐに跳ね起き、また挑んでくる。
その顔は涙と鼻血まみれだ。
ははは、ぶっさいくな顔だ。
それが妙に愛おしく感じる。
必死になって挑んでくる娘。
私はその攻撃を受ける。
全部受ける。
受けながら、きっちりと反撃を返す。
先ほどのような避け合い防ぎ合いの闘いではなく、殴り殴られ合う形の闘いになった。
そんなやり取りを交わし続け、気付けばヤタは屋根の淵まで追い詰められていた。
私の裏拳を避けて、一歩後退する。
その先にもう屋根はない。
彼女は屋根の下へ落ちた。
追いかけて下を覗き込む。
蹴りが私の顎を捕らえた。
見ると、サッカーボールキックの体勢のヤタ。
どうやらヤタは、壁に張り付き立っていたようだ。
壁歩きだ。
私がアルディリアに教えた技術を教わったのだろう。
妙に嬉しくなった。
自然と笑みに顔が綻ぶ。
蹴られた威力を消すように、バック宙返りする私。
そのまま壁に立つヤタ目掛けて、下方向への蹴りを放つ。
ガードするヤタ。
それと同時に、私も壁へ手をついて張り付いた。
壁を地面としての闘いが始まる。
私の血だろうか?
ヤタの壁歩きは、アルディリアよりも巧みだ。
安定していて、壁に張り付きながらもちゃんと闘えている。
闘いながら、そんな事を考える。
さっきと同じように、私の顎が蹴り上げられた。
そしてまたさっきと同じように私はバック宙返りしてから、壁に着地せず真下へ向けてフライングクロスチョップを見舞った。
避けられた。
私はそのまま地面へ落ち、その直前で体勢を立て直して着地する。
見上げると、ヤタが蹴りを放ちながら追ってきた。
そんな彼女の蹴り足を掴み、ぐるりと一回転。
そして、隣の家屋の壁へ叩きつけた。
家屋の石壁が崩れ、その中へヤタを放った。
崩れた石壁の穴から、私は家屋の中へ入る。
どうやらそこは酒場だったらしい。
酒や料理を口へ運ぶ体勢のまま、客達が呆然と私を見ていた。
「お騒がせしてすみません」
一言謝って、私はヤタを探す。
ヤタは一人の客とテーブルを下敷きにして倒れていた。
流石にダメージが大きかったか。
私の子はきっと頑丈だから大丈夫だろう思ったんだけど、やりすぎたかもしれない。
そんなヤタに近寄る。
目が開き、私を見る。
「それで終わり? 私に伝えたい気持ちは、それだけなの?」
言うと、ヤタの眼に闘志が宿った。
倒れた体勢から腕の力で体を跳ね上げ、蹴りを放ってくる。
手の平で受けて防ぐ。
ヤタは蹴りの勢いを利用して、そのまま立ち上がった。
「まだまだ、足りない! 足りるものか!」
ヤタが叫ぶ。
「いいよ。ならもっとぶつけて来い! 全部だ! あなたの全部、余す所無く! 私にぶつけて来い!」
私も叫び返し、ヤタは跳ぶ。
空中から高速で私へと迫った。
何をするのか受けようと見ていると、ヤタは私の首へ組み付いた。
それを基点にして、腕の関節を狙ってくる。
だが、かかりが甘い。
腕を捻って掴みを解き、逆に腕の関節を極める。
ヤタの腕から抵抗が消える。
関節をわざと外したようだ。
そのまま関節技から逃げられる。
しかし今の空中からの関節技……。
空中からの投げ?
チヅルちゃんが言っていた、エミユ・アルマールの技か。
ヤタは関節を嵌め直し、すかさずその場でサマーソルトキックを放つ。
一歩退き、仰け反って避ける。
その勢いで背後へ距離を取りつつ、空中にいる最中、水で出来た刃を飛ばしてくる。
私は魔力を込めた手刀でそれを打ち破る。
距離を取って飛び道具で戦うつもりか、と思って近付く。
すると、逆にヤタもこちらに迫り、手を伸ばした。
私の強化服の襟付近の布を掴み、そして……。
ヤタに掴まれた襟を強引に外させた。
それと同時に、ヤタの手から爆炎が上がった。
酒場の客達から悲鳴が上がった。
飛び道具と投げ技。
距離を選ばない闘法。
チヅルちゃんが言っていた、オルカ・ヴェルデイドの戦い方だ。
ヤタから距離を離そうと手を出す。
が、その手を逆に取られ、不思議な投げで転がされた。
気付いた時には、天井が見えていた。
これは何だ?
アールネスにはない技術だ。
まるで、前世で見た合気道のような投げだ。
日本の……倭の国か。
これは多分、チヅルちゃんの技なのだろう。
面白い。
「はははっ」
仰向けに倒れながら笑う。
「何がおかしい!」
ヤタが怒鳴りながら、顔目掛けて踏みつけてくる。
私は倒れた体勢から前蹴りを放ち、ヤタの顔を逆に蹴りつけた。
怯んで後退するヤタ。
その間に起き上がる。
「はははははっ!」
ヤタの右腕と後頭部を掴み、店の壁目掛けて走る。
思い切り壁へ顔を叩きつけた。
この子が可愛く思えてならない。
もっともっと構ってやりたくなる。
私の掴みを払い、離れようとするヤタ。
飛び上がって逃げようとする彼女の足を掴み、引き下ろす。
逃げないでよ。
そんな事されたら、お母さん寂しい。
私の目の前、壁を背にする形で尻餅をついたヤタの顔を目掛けて拳を振るう。
ヤタはさらに体勢を低くする事で拳を避けた。
私の拳は壁を貫通する。
再び離れようとするヤタを蹴りつける。
防御するヤタごと、壁を蹴り抜いた。
ヤタが店の外へ転がり出る。
「お騒がせしました」
私は店の方に声をかけてから外へ出た。
あとでお詫びに来よう。
ヤタが転がった場所を見る。
けれど、そこにヤタはいなかった。
首を傾げ……。
振り向き様の上段後ろ回し蹴り。
背後の壁に張り付き、私の背後から跳びかかろうとしていたヤタを蹴り落とす。
石畳に倒れこむ。
「ヤタ」
名を呼ぶ。
ヤタは顔をあげた。
「強い子だね。流石は、お母さんの子供だよ」
それは私にとって、最大級の褒め言葉のつもりだ。
私が父上に言われて、嬉しかった言葉でもある。
ヤタの顔がくしゃりと歪んだ。
けれど、すぐにその表情が険しくなる。
「なら、どうして……」
ヤタは言いかけ、言葉を飲み込んだ。
私を睨みつける。
「まだ夜は始まったばかり……。時間はたっぷりあるよ。十年以上溜め込んだ気持ち、この夜で全部吐き出しちゃいなよ。この夜の私は、ずっとあなたのそばにいるから……」
ヤタは答えない。
黙りこみ。
そして、立ち上がった。
構えを取る。
私は彼女を受け入れるように、両手を広げた。
さぁ、おいで。
私達はそれから、どれぐらい戦ったんだろうか?
長かった気もするし、とても短かった気もする。
ヤタはいろいろな技を見せてくれた。
私の知っている技もあったけれど、まったく知らない技も見せてくれた。
本当に全部、持ち合わせている技を見せてくれたんじゃないだろうか?
それは私のためだ。
私に気持ちを伝えるためだ。
彼女が習得した技は自分の気持ちを表現するための手段だった。
この日、私にぶつけるためにだけ磨いてきた技のように思えた。
そして私は、そんな彼女が愛おしかった。
彼女が技を披露するたび……。
振るった拳がぶつけられるたび……。
私の中の彼女への愛しさが溢れていくようだった。
今はもう、彼女の事が愛おしくて堪らない。
狂おしいほどだ。
ずっとこのまま、時間が止まってしまえばいい。
そう思える程に、私はこの時間が愛おしくてならなかった。
でも、楽しい時間は必ず終わる。
時は流れ続けるものだ。
人は時間の流れの中で、必ず終わりへ導かれている生き物だから。
気付けば、夜が明けようとしていた。
中央広場。
その真ん中で、私達は対峙していた。
がむしゃらに闘っているうちに、ここまで来てしまっていた。
きっと彼女は全て自分の中にある物を出し切ったのだろう。
彼女が私に向ける構えは、源流に近いビッテンフェルト流闘技の物ではない。
少し形の違うもの。
自分にある物を全て出し切り、その上で私へ気持ちを伝える手段として生み出したものだろう。
ヤタ自身の、ヤタだけの構え。
ヤタだけの戦い方だ。
左手を開き前へ出し、右手は顔の側面に位置して拳を作っている。
まるで、仁王像のようだ。
「多分、これで最後だね」
「……ああ」
答える声は、くたびれているようにも寂しんでいるようでもあった。
「おいで」
言うと、ヤタは迫ってきた。
新しいヤタの技を受ける。
彼女にとって一番馴染む技なんだろう。
へとへとに疲れているはずなのに、その技のどれもが今までのどの技よりも重い。
私はその技を全て受けた。
出し切らせた。
ヤタの攻撃はどれも強烈で、受けるたびに私の体が悲鳴をあげている。
とても痛い。
母親としては娘の気持ちを全て、受け入れるべきだ。
受け入れて、反撃する。
拳が胸を打つ。
胸甲に凹みができた。
ヤタの強化服についているものと同じ場所、同じ形の凹みだ。
なるほど。
これは、確定された歴史なのか。
そして拳の一撃が私の頬を殴りつけた時、彼女の体が弛緩する。
それが最後の力を振り絞ったものだったのだろう。
これで、最後なんだね……。
そう思い、私はヤタを両手で抱き締めた。
私の左腕は背中の後ろでヤタの左腕を掴み、同時に右腕を拘束する。
そして彼女の首を私の右腕と肩で絞める。
足を蹴り、膝を落とさせた。
頚動脈が腕と肩で締められる。
「このまま眠ればいいよ」
ヤタの体から、ゆっくりと力が抜けていく。
「……母上。何故、私を捨てたのですか?」
耳元で囁かれる。
私に向けてきた言葉の中で、どれよりも悲痛な声だった。
胸がキュッと締め付けられる思いだった。
「わからない。わからないよ、今の私には……」
私にはそう答える事しかできなかった。
ヤタが気を失う。
そんなヤタの体から技を外し、今度はちゃんとした形でしっかり抱き締めた。
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