気付いたら、豪傑系悪役令嬢になっていた SE

8D

時の女神編 十一話 夜空の覇者

 あたしの名前は、エミユ・アルマール。

 ルクス・アルマールの娘だ。

 母親はイノス・アルマール。

 そしてあたしは、母ちゃんが嫌いだった。



 母ちゃんはとても口うるさい。
 事あるごとにあたしを叱る。

 あなたはアルマール家の娘なのですよ。
 アルマール家の人間として、恥ずかしくない振舞いをしなさい。

 と二言目には、そう叱るのだ。

 何が気に入らないのか、あたしのやる事成す事に一々文句をつける。
 正直、息が詰まるぜ。

 それに比べて父ちゃんは何も言わない。
 母ちゃんと違ってあたしを可愛がってくれる。
 だからあたしは、父ちゃんが好きだ。

 きっと母ちゃんは、あたしを思い通りに動かしたいだけなんだ。
 だから、思い通りに行かなくて母ちゃんは怒るんだ。

 そんな母ちゃんに対する鬱憤をヤタ先輩に話した事がある。
 ヤタ先輩はあたしの話にいまいち共感を覚えなかったようだ。

「母がそばにいてくれるだけでいいではないか」

 しまいには、そんな事を言う。
 でもそれはヤタ先輩に母親がいないからだ。

 ヤタ先輩の母親は、先輩が幼い頃に行方を眩ませたらしい。

 きっと、先輩の母親が今でもいたなら、先輩だって今のあたしと同じ事を思ったはずだ。

 オルカも母親が好きみたいだが、あれは男だからちょっと感覚が違うんだろう。

 母親なんて、娘にとっては面倒くさい存在でしかない。
 言ってしまえば、一番身近な敵のようなものだ。

 でもだからこそ、あたしは悔しかった。
 闘技で、母ちゃんにまったく歯が立たない事が。

 あたしは、学園で四天王と呼ばれる闘技優秀者の内の一人だ。
 それなのにあたしは、一度も母ちゃんから一本取れた事がない。

 そしてある日の事だ。
 その日もあたしは、母ちゃんにコテンパンにされた。


「くそぉ、何で勝てないんだよ!」
「言葉遣いを改めなさい。あなたはアルマール家の娘なのですよ。それに相応しい言葉遣いをなさい」
「別にいいだろ!」

 母ちゃんは溜息を吐く。

「本当に何で勝てねぇんだよ」
「まだまだ未熟だからです。自己鍛錬を怠っているのではないですか? 私があなたぐらいの時はもう少し強かったですよ」

 本当にそうか?

 母ちゃんは右足が悪いくせに、べらぼうに強い。
 上手く技が完璧に極まったと思っても、気付けば技を返されていたりする。
 空中からの関節技だって、簡単に返される。
 今のあたしではまったく歯が立たない。

 でも、今の話は流石に嘘だ。
 どうせ見得を張ってるんだ。

「はん。嘘だね。絶対に嘘だ」
「嘘じゃありません」


 そんなやりとりがあって以降、母ちゃんはその事をよく引き合いに出すようになった。

 鬱陶しさ倍増だ。

 何度かその事で言い争った事もあるが、結局それを証明する手立てはなかった。
 きっと、永遠にそれを証明する機会はないだろう。
 そう思っていた。

 けれど、意外な形でそれは現実になった。

 時の女神の復活。
 その危機を切り抜けるため、あたし達は過去へ渡る事になった。

 いい機会だと思った。
 そしてあたしは過去に渡り、過去の母ちゃんと戦い勝利した。
 母ちゃんの嘘を証明したわけだ。

 私の方が、若い頃の母ちゃんより強かったのだ。



 私は、オルカを追っていた。

 オルカは、ずっと悩んでいた。
 母親が不幸になったのは自分を産んだせいだ、といつも言っていた。
 そしてあいつは、過去に来て父親を殺そうとした。

 恐らく、過去で父親を消せば自分が産まれる事もなく、母親は不幸にならないと思ったからだろう。

 あいつは、手の込んだ自殺を考えているんだ。

 あたしはオルカがそんな馬鹿な事をしないように、見張ろうと思った。
 他の仲間には言っていない。
 心配はかけたくなかったし、オルカだってあまり言い触らされたくはないだろう。

 だから、あたしは一人であいつを見張る事にしたのだ。

 隠れ家から出て行くオルカを追って、あたしも隠れ家から出た。
 あいつを追い、後姿を見つける。

 まだ、あいつが本当にまた父親を襲うとは限らないから、声をかけずに尾行する。
 背の高い建物が建ち並ぶ住宅街。
 路地に身を潜めつつ、オルカを見張る。

 そんな時だった。

「見つけましたよ」

 あたしは後ろから声をかけられた。
 杖が石畳を突く音が、近付いてくる。

 振り返る。
 そこには、母ちゃん。
 イノス・アルマールがいた。

「んだよ、忙しい時に……」
「雪辱を晴らしに来ました」
「こっちはあんたに用なんかないぜ。それにあんたとの力関係は、すでにきっちりと証明されたはずだぜ?」
「次はそう、なりません。逃しませんよ」

 逃げる、か……。

 それも嫌だな。
 なら、さっさと片付けて後を追わせてもらうか。
 どうせ、あいつが父親を襲うつもりなら行く所は決まっている。

「急いでいるんだけどなぁ。まぁいい。すぐに沈めてやる。ついでにあんたの嘘の証明を、強固な物に塗り替えてやろうか!」
「お時間は取らせませんよ」

 前みたいに、わざわざ相手の土俵で戦ってやるつもりはない。
 だから今回は、初っ端からあたしの領域《せかい》で戦ってやるぜ!

 相手に向けて高く跳ぶ、風の魔法で体を押して相手へ高速で近付く。
 案の定、母ちゃんは馬鹿の一つ覚えみたいに両手の力で飛び上がってこちらを迎撃しようとする。

 あたしの方、斜め上を目掛けての挙動で跳んでくる。

 ひらりとかわす……。
 すぐに掴んでやろうと思ったが、前よりも勢いがあって掴めなかった。

 全力でくれば、避けられないとでも思ったか?
 そんなに甘くないんだよ。

 掴めはしなかったが、あたしは空を自在に動ける。
 空中戦の技術ならば、私は誰にも負けた事がない。
 ヤタ先輩にだって、遅れをとった事が無い。

 だから、あたしの空《せかい》にいる限り、母ちゃんに勝ち目は無いんだ。

 かわし、あたしの背後へ飛んでいく母ちゃん。
 空中で振り返り、その姿を追う。

 そして、そこにあった光景に驚いた。

 母ちゃんは建物の壁に両手をついていた。
 先ほど、地面から飛び立ち、あたしを狙ってきた時と同じように。

 そして、母ちゃんはあたしに向けて飛来してきた。
 今度は、下から上へではなく、水平に一直線に。

 思って見なかった切り替えしに、あたしはすぐにどうしていいのかわからなかった。

 一瞬の逡巡。
 その間に、母ちゃんの両足が獣の顎《あぎと》の如く、あたしの喉を狙って迫る。

 風で体を押し上げて、無理やりに体を浮かせる。
 母ちゃんがその下をすごい勢いで通り過ぎていった。

 危なかった。
 冷や汗が流れる。

 あれは母ちゃんにとって最高の技だ。
 稽古の時だって何度も受けた事がある。

 あの足に首を絡めとられたが最後、首締めと落下の衝撃によって全身が悲鳴を上げる事になるのだ。

 だが、やっぱり若い母ちゃんでは精度が低い。
 避ける事は難しくなかった。

 あたしはもう一度振り返り、母ちゃんがいるであろう場所を見る。
 もう一度同じ事をしても、次は驚かない。
 次は逆に関節を決めてやる。

 だが、あたしはまた驚く事になる。

 振り返った先、建物の壁。
 母ちゃんがいると思っていたその場所には、誰の姿もなかった。

 いない?
 どこへ行った?

 あたしは辺りを探し、そして頭上を見た。
 そこに母ちゃんはいた。

 母ちゃんは、空中の何も無い空間に両手をついていた。

 いや、違う。
 たぶん母ちゃんの手には、しっかりとした足場があるんだろう。

 一度、話を聞いた事がある。
 ヤタ先輩の母親は、空中に足場を作って空中から跳躍する事ができた、と。

 それと同じものだ。
 ただ違うのは、母ちゃんがその上に乗っているのではなく、下から両手をついているという所だ。

 母ちゃんの両手にはすでに力が込められている。
 あとは発射されるだけだ。

 今までと同じ速度で母ちゃんが落下してくるというのならば、もうかわす余裕がない。

 そして、母ちゃんが真下へ急降下する。
 狙いはあたしの首だ。

 避けられない。
 でも、あたしは知っているんだ。
 あの技には弱点があると。

 母ちゃんの右足は力が弱いから、首の前に腕を挟むとがっちりホールドする事ができない。
 だから、首に腕を差し込めばうまく絞められなくなるのだ。

 あたしは両手で首をガードする。

 母ちゃんがあたしの首に迫る。

 が、そこから繰り出される技は、あたしの予想しないものだった。

 母ちゃんの足が、首に絡められる事はなかった。
 代わりに、右足を腕で固められ、ガードした首へ強引に左足の膝を割り込まれた。

 喉に膝が刺さる。
 そしてそのまま落下していく。

 脱出を試みる。
 けれど、落下によって生じる圧力が体の自由を奪い、脱出できない。

 ……待って。

 膝で顎を上げさせられ、そのまま落ちていくという事は……。
 着地する体の部位はあたしの頭という事になる。
 その上、同じく全体重をかけた膝があたしの頭を叩きつける事になる。

 ……あたしの頭、割れちゃうじゃん……。

 今まであたしが見た事も受けた事もない、それは殺し技だった。

「待っ……」

 言いかけて、言葉に詰まる。

 母ちゃんと眼が合ったからだ。

 あたしを見る母ちゃんの眼は、いつものあたしを見る眼じゃなかった。
 黒曜石のような黒い瞳。
 向けられるそれはあまりにも冷たかった。
 何の熱も感じられない。

 今ならわかる。
 母ちゃんが、普段からどれだけ自分へ感情を向けてくれていたか。
 口うるさい母親だけれど、ちゃんとあたしを見る眼には慈しみがあったんだ。

 今の眼は、完全に敵を見る眼だ。

 あたしが子供だと知らない母ちゃんにとって、今のあたしはただの憎い敵でしかない。
 だから、容赦が無いんだ。

 そう思うと、涙が滲んできた。

「ご、ごめんな、さ……」

 震える声が、あたしの口から漏れる。
 相手に聞こえるかどうかわからない、小さな声だ。

 そんな時だった。

 母ちゃんの左手があたしの髪の毛を掴んだ。
 強引に俯く形に引かれる。
 同時に、首にめり込んでいた膝から力が消え、逆に右足があたしの鳩尾辺りを圧迫した。

 数瞬後……。

 あたしの体は石畳に激突した。
 体を叩きつける地面の衝撃。
 そして、鳩尾に食い込む母ちゃんの右膝の痛み。

 一瞬、体がバラバラになったかと思った。

「ぐはぁっ!」

 吐き出す息に血が混じっている。

「ううっ……!」

 母ちゃんが呻き、地面に転がるのが見えた。

 母ちゃんは右足が悪い。
 だから、落下の衝撃を右足で受けて痛みを覚えたのだろう。

 なのに、何でわざわざ体勢を変えてくれたんだろう?

 手加減、してくれたのかな……?

 そんな事を考えながら、あたしは意識を失った。 

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