気付いたら、豪傑系悪役令嬢になっていた SE

8D

百十二話 カレーには勝てなかったよ…

 謎のおじさんがある程度の落ち着きを取り戻した頃。
 ヴァール王子が牢屋に姿を現した。

「何の用ですかね?」

 私はベッドに座ったまま、ちらりと視線だけ向けて訊ねる。
 格子越しに見る王子は、実に楽しそうな表情をしていた。

 童顔なのでイタズラを思いついた無垢な少年にも見える。
 でも、アルディリアと違ってちゃんと男の子だとわかるのが不思議だ。

「餌が必要だと思ってな」

 そう言って彼が示した先には、金属の蓋が二つ載ったカーゴだった。
 多分、金属の蓋の下には料理が乗っているのだろう。

 一瞥し、視線をそらす。

「いらない」

 お腹がぐぅ、と鳴った。

 私のお腹、素直過ぎぃっ!

「ふふ、体は正直だな」

 いやらしい台詞禁止!

 王子が、格子の中へ入ってくる。

「言っておくが、今のお前では俺に勝てんぞ?」
「だろうね」

 彼とは一度手合わせした事がある。
 リオン王子と同じぐらいの強さだったはず。
 今は修行を積んだ分、リオン王子の方が一段強いぐらいだろう。
 どちらにしても、今の私ではまず勝てないが。

 万に一つもない賭けをするより、今はおとなしくしておくべきだろう。
 待っていれば、また逃げ出すチャンスがあるかもしれない。

「しかし、俺の贈った服は気に入らなかったか?」

 私の服装を見て王子は首を傾げる。

 やっぱりお前が着せたのか?
 あのハレンチドレス。
 脱がされたのか? 私。

 グルグルパンチ不可避か?

「安心しろ。それは確かに抗いがたい誘惑であったが、ちゃんと退けた。服を着せたのはメイドだ」

 何も言っていないのに王子は答える。
 顔に出てたのかな?

 でも、それはよかった。

「さて、食事にしようか」

 金属製の蓋をメイドが開けると、中には料理の乗った皿が現れる。
 同時に、ふわっとエスニックな香りがする。
 香辛料の良い匂いだ。

 あ、これカレーだ。

 野菜と肉を香辛料で炒めた料理だった。
 カレーライスではなく、インドやタイなどで食べられる本場のカレーという感じの料理だ。

 もう一方の蓋の下には、ナンのような料理があった。

 くっ、すでにカレーはこの世界に存在したのか……。
 カレーで一大ムーブメントを築き上げる計画は潰えてしまったか。

 しかし、カレーとカレーライスは違う。
 カレーライスはイギリスから日本に伝来し、独自の進化を遂げた日本料理と言ってもいい代物だ。
 インドカレーとはそもそも種類が違うのだ。

 まだカレーライスにはチャンスがある。

 でも今はとにかくカレーだ。

 今現在の状況を把握し、何とかこの危地を脱するためにも栄養の摂取は急務だ。

「さて」

 王子はカレーの入った皿を持ち、スプーンで掬う。
 そのスプーンをおもむろに私の口元へ近づけてきた。

 あれ?

「自分で食べられるけど?」
「おお、そうだった。ここへ連れてくるまでは、俺が餌をやっていたからつい癖でな」

 連行されている間、私は王子に食事を与えられていたのか。

「お前は、眠っているのに口元に食べ物をやると簡単にパクパク食べるのだ。赤子でもこうはいかん。まるで雛鳥にでも餌をやっているような気分だったぞ」
「そうだったんだ……」
「だからさっさと口を開けるがいい」

 どういう理屈であろうか?

「でも……」
「ほら、口を開けぬなら料理を下げさせるぞ」
「ど、どうぞ。ご勝手に」
「いいのかぁ〜?」

 カレーの乗ったスプーンを口元で揺らされる。
 鼻腔をスパイシーな匂いがくすぐる。

 私は、絶対カレーなんかに屈したりしない!

 カレーには勝てなかったよ……。

 私は王子に屈した。
 自ら口を開き、屈辱と共にカレーの芳醇な香りを口内に満たす事しかできなかった。

 くっ……悔しい。
 でもカレーは美味しい。



 何だかんだで、全ての料理を食べさせられた。

「美味かったであろう?」
「量が足りない……」

 ちょっとした反発。
 ……事実でもあるが。

「ほう、もっと食べさせてもらいたかったか? 次は口移しでもしてやろうか?」
「いえ、やっぱり適量です」

 物足りないが、カレーはカロリーが高いのだ。
 エネルギーの確保は十分なはずである。

 今更だが、そろそろ現状の詳しい説明をお願いしよう。

「これはどういう事なの? 王子」
「何の話だ?」
「何故、私をさらったのかって事だよ?」
「ふむ、その問いが今更に思えるのは何故だろうな?」

 私も今更だと思っていました。

「数日前にも言ったと思うが、俺はお前を妻にしたい」

 そういえばそんな事言ってたな。
 だからって拉致はいかんだろう。
 どうにかして、話し合いで解決できないだろうか?

「その事についてちゃんと話をしよう」
「式の日取りについてか?」
「どうすればおうちに帰してくれますか?」
「ここがおうちだ」
「冗談はやめてよ。こんな事が許されると思っているの? 他国の人間を拉致するなんて、国際問題だよ?」

 ヴァール王子は楽しげな笑みを浮かべる。
 そんな彼に私は言葉を続ける。

「アールネスは黙っていないし、何よりこの国の王様だって許すとは思えない」

 この国の王様はアールネスを恐れているのだ。
 私を連れ帰ってきたとわかれば、それだけで怒るんじゃないだろうか?
 いや、怯えるのか?

「ふむ、なら聞いてみようか。なぁ、親父殿」

 そう言ってヴァール王子が向いたのは、私の向かいにある牢屋だった。

 牢屋の中では、チョイワルの印象が見事に消え失せてしまった哀れなおじさんが一人。
 ベッドの上で膝を抱え、体に毛布を被せた状態でじっとこっちを見ている。

「どう思う、親父? ほら、ビッテンフェルトだぞ?」
「ヒ、ヒィィィーーッ!」

 王子が私を示すと、向かい側のおじさんが悲鳴を上げた。
 その様子を見たヴァール王子が笑う。

「話を振るだけでも面白かったが、実物を前にするとここまで面白い反応をするとは思わなかった」

 ヴァール王子が本当に楽しそうである。

「まさか、あれが?」
「ああ。そうだ。俺の親父。前、サハスラータ王だ」

 そうか……。
 ……まぁ、本当は薄々そんな気がしてたんだけどね。
 でも、それ以上に聞き捨てならない事がある。

「前?」
「ああ。今は、俺が王だからな」

 彼が、王?

「どういう事?」
「文化祭の前にささやかな反乱を起こしてな。王と他の王子を捕らえ、俺が王になったんだ。今やここは、俺の国だ」

 両手を広げ、王子は告げた。

 そういう事か……。
 だから、王様がここに幽閉されているわけか。

「何故、そんな大それた事を?」
「お前がどうしても欲しかったんだ。連れてくると言っても、絶対に賛同はしなかっただろうからな。特にこの男は」

 言いながら、王様を見るヴァール王子。

「そのために国に反乱した? そんな馬鹿な……。そうまでする魅力が私にあるなんて、思えない」
「価値など人それぞれだ。少なくとも俺は、お前のためならば国を取る労力は惜しくないと思ったよ」

 だからなんでやねん。

「お前にはそれだけの価値がある。
 何より、今の状況は楽しい。
 人心の掌握を怠り、こうして強引に反乱を起こしたために、反発が大きい。
 軍部の人間は半数が未だに親父への忠誠心を持つ人間の方が多く、親父を人質に取らなければ逆に反乱し返されそうな勢いだ。
 内政官達も似たような状況だな。
 正直、どこで毒を盛られるか、ナイフやら矢やらが飛んでくるか、わからないような状況だ。
 そしてそんな状況が、今の俺には堪らなく楽しくてならない」

 屈託なく笑う王子。
 語る内容、子供っぽい表情、それらが相まってとても歪な物に思えた。

 へ、変態だーーっ!

 イジメっ子なのかドMなのかどっちかはっきりしろっ!

 そんなの絶対おかしいよ。
 頭のいい人間は、本当に何考えてるのかよくわからないなぁ!

「理解できないか? だがな、脅威や恐れが退屈を凌駕すると、それを教えたのは他でもないお前だ」
「私が?」
「ああ。その事に気付いたのは、お前からボロボロに殴られた時だからな」

 あの時か。
 彼は、ヴァールのようなものになってしまったあの時、そんな事を考えていたか。

 私のせい?
 違うと思いたい。

「だから価値がある。お前には。わかるだろう?」

 わからないってばよ。

「恐らく、アールネスも何も言っては来ないだろう」
「何故?」
「お前の身柄を預かる事が許されないなら、和平条約の破棄と同時に宣戦布告すると言ってやった。飲まざるを得んよ」
「……何で、それで条件を飲むと思うの?」

 戦争になれば被害は出るだろうが……。
 ゲームのアールネスは、アルディリアルートでサハスラータに勝っている。
 戦えるだけの力はあるのだから、アールネスがそこまで弱腰になる理由にならないはずだ。

 王子が溜息を吐く。
 私は何かおかしな事を言ったか?

「南部の隣国があるだろう。今サハスラータと事を構えれば、南部の侵攻を抑える力がなくなるだろう」

 あ、あー、南部、南部ね、はいはい。

 そういえば南にも国があるんだっけ。

 授業で習ったけれど、ゲームに登場しないからあんまり印象が強くないんだよね。

「サハスラータとの和平条約がなくなれば、アールネスには滅びしかない。だから、従う他ないのだ」
「……でも、サハスラータだって危なくなるんじゃないの? 消耗してる時に攻め立てられるかもよ」
「かもしれんな。なら、その時は国を捨てるさ。お前を連れてな」
「えー?」
「俺には、自分がどこであろうと生きていけるという自負がある。そして自分にその力がある事を知っている。王という立場にも、今はそれほど興味が無い。容易く捨てられる程度には興味が薄い」

 王子は私に近づき、私の顎を掴んだ。

「それに面白いと思わないか? お前を巡って二つの国が大きく動いている。愉快じゃないか」
「巡らせているのは王子でしょうよ」
「ふふふ。そうだ。そうでもしなければ、人生が退屈でたまらないのだ」

 なんて人だ……。

 はた迷惑な!

 私は王子の手を払おうとした。
 が、逆に掴み返される。
 そのまま、ベッドに組み敷かれた。

「ほう、思った以上に力があるな。だが、それでも今のお前は容易いな」

 抗いきれない自分の体と王子の言葉が、実感を心へ染み渡らせる。
 今の私は、本当に容易い。

 それに、三日かけて戻ったはずの魔力がいつの間にか失せている。
 私の口の中には、苦味が残っている。
 初日に味わった、薬のような苦味だ。

 あのカレー……。
 何か入っていたのか。
 私の魔力を消す、何かが。

「気付いたか。魔力を扱えない状態を維持するために、ある薬草を入れておいたのだ。それがまた高価でな。その一食で、金貨三枚程度かかっている」

 金貨三枚。
 現代(前世)の価値にして三十万円である。

 ちょっと!
 やだ、そんなこっちが申し訳なく思えるような高級食を、私は眠っていた数日間食べさせられていたの!?

「今の立場を捨ててしまえば、今のお前を維持する薬草も用意できなくなる。けれど、問題は無い。お前の心を蹂躙し、開かせるだけの時間は十分にあるだろう」

 そう言って笑うと、王子は私を解放した。

「いろいろとやる事があるから次に来るのは明日の夜になるだろうが、大人しく待っているのだな。その時には、じっくりと体に教え込んでやるとしよう」

 私は黙って王子を睨む。
 王子は余裕の笑みで返した。

「そうそう。逃げようと思うな? もしお前が逃げ出すような事になれば、その時も条約を破棄するつもりだからな」

 王子は言い残すと、そのまま部屋から出て行った。

 そんな王子の背中を私は悔し気に眺める事しかできなかった。



 一人きりの牢屋で、私は思案する。

 サハスラータと戦争になると、その結果がどうあっても南部が付け入ってくる。
 そんな話は今まで聞いた事がなく、考えた事もない話だった。

 ゲームのアルディリアルート。

 あのエンディングは、終業式で終わる。
 他のエンディングでは卒業式で終わる事が多いのに、彼は終業式までだ。

 もしかしたらあの後、南部との戦争が勃発したから……。
 そうして滅びてしまうからあそこで話が終わったんじゃないだろうか?

 他のルートも例外じゃない。
 王子の話ではクロエが強さも弱さも示さなかった場合でも、何十年後かには戦争へ発展したのではないか、という話だ。

 もしかたらアールネスは、どうあっても滅ぶ運命の中にいるのだろうか?

 運命、か……。

 でも、今回に関してはどうだろう?

 このまま私がここで大人しくしていれば、条約は守られたままになる。
 アールネスは滅びなくて済むんじゃないだろうか……。

 その代わり私は、サハスラータ王のお妃様だ。

 凄まじい玉の輿ではないか?
 普通に悪くないんじゃないか?

 でも……。

 アルディリアの顔が浮かぶ。

 嫌だな……。

 でも、そんな自分の感情だけで動いてしまっていいんだろうか?

 私の選択で、いろんな人間の運命が変わってしまう……。
 カナリオも、王子と先輩から迫られていた時はこんな気持ちだったんだろうか?

 私はあの時、カナリオになんて言ったかな?

 人との関わり方に正解も不正解も無い。
 そんな事を言ったと思う。

 結局人との関係は、好き嫌いしかないから。
 正解、不正解で割り切れない。

 でもさ、好きな人間のためを思うなら、私はじっとしている事しか選べないよ……。

 だって、アールネスには好きな人間が多すぎるんだもの……。

 その好きな人達に会えなくても、その人達が苦しまずに済むなら私はそっちを選んでしまうよ。
 たとえそれが、正解、不正解の話だったとしても……。

 そのまま私は考え疲れ、気付けば眠ってしまっていた。

コメント

コメントを書く

「恋愛」の人気作品

書籍化作品