気付いたら、豪傑系悪役令嬢になっていた SE

8D

九十七話 弱肉強食

 私の目の前には、翼の生えた虎。
 天虎《てんこ》という名の獣が、私達の肉を目当てに今にも襲い掛かろうと身を低くしていた。

 私が背中に庇うカナリオの息を呑む音が聞こえる。

 それが聞こえるほどに、私の感覚は研ぎ澄まされていた。

 私の命を本気で奪おうとする相手。
 実力は未知数。

 そんな相手を前にして、私は緊張を覚えている。
 それと同時に存在するのは、一抹の楽しさ。

 どうしようもなく、ろくでもない血筋だな。
 と、私は自分の体に流れる血に苦笑する。

 天虎がその巨体を宙に舞わせ、私へ飛び掛ってくる。

 ハイキックで側面から首を狙う。

 直撃。

 が、驚くほどに手ごたえはなかった。
 天虎は容易く蹴り飛ばされ、簡単に着地する。
 どうやら、翼は飾りじゃないらしい。
 空中で飛びかかった勢いの方向を変えて、私の蹴りの威力を逃がしたようだ。

 すかさず、飛び掛ってくる天虎。
 私はそこで奥の手を使う事にした。

 拳で顔面を殴りつけ、迎撃する。
 そして、奥の手を発動した。

 アンチパンチ。
 魔力のない物質に並々ならぬ威力を発揮するこの技。
 だが、その物質という枠には魔力を持たない生物も含まれる。
 魔力を持たない生物もまた、効果の範囲内。

 つまり魔力を持たないものにとって、紛う事なき殺し技である。 

 天虎へ魔力を流す。

 しかし、うまく魔力は流れなかった。
 魔力を流す事に集中し、威力の乗らない拳では天虎の勢いを止める事はできない。
 天虎の爪が私に迫る。

 スウェー回避する。
 避けきれず、胸元に裂傷が走る。

 ああ!
 私の服に、よく女性バトル物で見られる読者サービス感あふれる不自然に胸がはだけるタイプのダメージが!

 スケベッッッ!

 私は天虎の顔を蹴り飛ばした。

 蹴り飛ばされた天虎は、空中でひらりと体勢を整えて着地する。
 蹴られた瞬間にわざと飛んで威力を逃しているな。

 その間に傷を白色で癒し、上着の胸元を直す。
 無糸服なので、上着は直せるのだ。

 実の所、不自然に破れたのは無糸服の布地が破れずに引き剥れたからである。

 ただ、シャツは違うので直せなかった。

 それにしても、どうやら天虎には魔力があるらしい。
 よく考えれば、あんな翼だけで自在に飛びまわれるわけがない。
 魔力を使っているという事なんだろう。

 すぐにも飛び掛ってくるかと身構えたのだが、天虎は襲い掛かってこなかった。
 私の方睨みながら、ゆるりと輪を描くように歩む。

 わかっちゃった?
 私はそれなりに強いんだよ。
 ただの獲物じゃない。
 狩られる事も覚悟してもらわなくちゃね。

 でも、それに気づいて様子を見るなんて……。
 頭がいいんだね。

 不意に、天虎が後ろへ跳んだ。
 背後の木を蹴り、さらに高く跳躍。
 そして、頭上から襲い掛かる。
 私はカナリオを抱いて背後へ跳ぶ。

「きゃっ!」

 悲鳴を上げるカナリオ。
 抱えた腕にからは、彼女の体の震えが伝わった。
 死の恐怖が、彼女の体を支配しているようだ。

 着地した天虎は、すかさずこちらへ飛びかかる。
 と見せかけて軌道を変え、別の木へ向かう。
 また木を蹴り、こちらへ飛びかかってくる。

「伏せていろ」

 カナリオに告げ、天虎を迎撃する。

 天虎は木々を利用した立体的な戦法で、私へ襲い掛かるようになった。
 その動きは速く、変幻自在で読みにくい。

 凌ぐだけでいっぱいいっぱいになった。

 強い相手だ。
 でも、残念ながらもっと強い虎を私は知っている。

 強いけれど、所詮は獣だ。
 変幻自在で巧みな戦法だが、バリエーションに欠ける。
 パターンが人のものより少ない。

 強いけれど、同じ虎ならばティグリス先生の方が断然に強い。

 私は飛びかかってくる天虎の動きを見切り、その体に取り付いた。
 首に腕を回し、胴を足で締める。

 打撃の威力が逃されるなら、威力を逃せない攻撃をすればいい。

 私の腕とおまえの首、どっちの方が強いかな?

 そのまま木に天虎ごと激突する。
 だが、構うものか。
 腕は強く天虎に巻きつき、離れない。
 首を絞められ、暴れまわる天虎。

 そして……。



 私は天虎の肉を木の串に刺し、焚き火で炙った。
 火が十分に通ったのを確認して、一齧りする。

 ……こんな感じか。
 食べた事のない味だ。
 筋肉が多いのか、筋張っていて固い。
 脂身も少なくてぱさぱさしてる。

 一言で表せば、不味《まず》い。

 猫もこんな味なのかな?

 いや、そんな考えはやめておこう。
 いくら食べちゃいたいくらい可愛くても本気で食べたいとは思わない。

「これは、なんていうのか……」

 天虎の肉を一緒に食べるカナリオも、微妙な顔をしている。

「不味いな」
「ええ、本当に」

 私とカナリオは揃って苦笑した。

 しかし、今まではこんな生き物を見た事がなかったから、この世界にも前世と同じような生き物ばかりがいるのだと思っていたが……。

 この天虎のような、ファンタジック生命体が他にもいたりするんだろうか?
 たとえば……ゴブリンとか……オークとか……。

 あれは腕自慢の女性にとっては天敵みたいなモンスターだ。
 たとえ力量で勝っていても、因果律の歪みによって女性は「くっ……殺せ!」状態に追い込まれてしまうのだ。

 もしも私が、「姫」だったり、「騎士」だったり、「エルフ」だったりすればもう間違いなく勝てない。
 勝率0パーセントだ。

 私はクッコロさんにはなりたくない。
 できれば出会いたくない。
 出会っても逃げよう。

「一つ聞きたいのだが、いいか?」
「何でしょう?」
「こういう生き物を聞いた事はないか?」

 私はゴブリンとオークの知り得る知識をカナリオへ説明した。

 それを聞いたカナリオの顔が青ざめる。

「そ、そんな恐ろしい生き物がいるのですか?」
「いや、知らぬのならおらんだろう。ただ、そんなのがいたら出会いたくないと思ってな」
「え、作り話だったんですか!? 脅かさないでくださいよ。本気で恐かったじゃないですか」

 安心と怒りがない交ぜになった表情で彼女は抗議した。

 私もいるかどうか不安だったから聞いたんだけどね。
 カナリオが知らないなら、アールネス近辺にはいないって事だろう。

 そんな彼女の様子は、元気を取り戻したように見える。
 いつもの表情豊かなカナリオだ。

「少しは元気になったか?」
「あ、そうですね。そうかもしれません」

 小さく笑ってカナリオは答える。
 不意に、真顔になって語り始めた。

「天虎に襲われた時、私は自分の死を覚悟しました。その時の私は、死にたくないという気持ちでいっぱいで……。最近の悩みなんて、全然気にならなくて……。で、改めて考えると、私の悩みなんてその程度のものなんだなって思えたんです」
「そうか……」
「忘れてしまえ……。なんとなく、クロエ様の言っていた事がわかった気がします。私は最近余計な事を考えすぎて、どうしていいのかわからなくなっていました。そういう時こそ頭を空っぽにして、すっきりした頭で考えろ。そういう事だったのですね?」

 そんな、常識に囚われてはいけないのですね! みたいなノリで言われてもなぁ……。

 普通に、遭難してる時に気落ちしたまま歩いていると危ないって話だったんだけど。

 でも、心機一転して考えられるようになったなら良い事かもしれないか。



 その後、天虎の翼をむしって焼いてみた。
 手羽先みたいで、こっちは美味しかった。

 でも、お塩があればもっと美味しかっただろうな……。

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