気付いたら、豪傑系悪役令嬢になっていた SE
三十七話 やっと踊れる舞踏会
その人物は唐突にホールへ姿を現した。
初めから向かう場所を決めていたかのように、まっすぐ進むその人物。
その姿を見た者達は小さくざわめいた。
ざわめきが、尾を引くようにその人物が通った後を追っていく。
黒い生地になお黒い糸で刺繍が施された軍服に身を包み、黒髪を後ろで束ねたその人物は煌びやかなホールの中で、一点の黒い闇のようだった。
その存在感は人々の視線を吸い込み、放さなかった。
それは黒尽くめのいでたちのせいでもあり、長身のためでもあったが、何より人の目を引いたのはその顔だ。
人物の顔には、目元を覆う黒塗りの仮面があった。
その異様さが、人の目を引き付ける。
その人物はホールを進み、そして一人の少女の前で立ち止まった。
ホール内へ油断なく視線を送っていた彼女が、眼前に立たれて初めてその人物に気付く。
少女は人物の顔を見上げ、驚いた。
その人物は、すかさず少女の手を掴む。
「あなたは……」
少女は呟くように言葉を漏らす。
「踊っていただけますか?」
一言、中性的な声が訊ねる。
「……わかったわ」
少女は少しの逡巡を見せ、その誘いを受けた。
果たして、その人物は何者なのだろうか……。
まぁ、私なんだけどね。
遡る事、数十分前。
私はビッテンフェルト家の馬車へ、父上から持たされた軍服を取りに行った。
それから城の一室を借りて、その軍服に着替えた。
誰でも利用できる、着替えや化粧などをするための部屋だ。
これはアードラーに逃げられないようにする作戦のためである。
作戦は簡単。
私が男装して、アードラーに近付くという物だ。
アードラーは私の姿を見て逃げ出してしまう。
だから、私が私だとわからないようにすれば逃げられないと思ったわけだ。
で、胸にさらしを巻いて軍服を着てみたわけだけど。
「髪どうしようかな?」
実の所、今の私はゲームのクロエと違って髪の毛が少し長い。
ゲームの方が首辺りまでの長さに対し、私の髪は肩辺りまである。
相手に掴まれやすくなるので、武芸者として長い髪は良くないのだが、私は面倒臭がりなので髪は長くなってから短めに切るようにしていた。
いつも同じ長さに髪を整えていたゲームのクロエは意外と真面目で几帳面だったのだろう。
もしくは、髪型にこだわりのあるお洒落さんだったのかな?
へそと腹筋が丸見えの衣装をいつも着ていた露出狂だったけどね。
男装しても、髪型が一緒だとすぐにばれてしまうかもしれない。
髪型というものは、意外と人の印象として残ってしまう物だ。
アルディリアが髪型をドリルにすると、私は多分一瞬だけとはいえアードラーと間違う。
二人して髪型を入れ替えられたら、しばらく気づかないんじゃないだろうか。
思い切って、ゲームクロエと同じぐらいの長さに切ってしまおうか。
とその時、圧倒的閃き。
結んでしまおう。
自分で切ってもおかしくなるかもしれないし、そっちの方が断然いい!
そう思い立って紐を探すと、部屋を利用した誰かが忘れていったであろう結い紐を見つけた。
後で返す事にして、今は借りておこう。
で、髪を後ろで束ねて見たのだが。
やだ、私カッコイイ!
姿見で確認して、私は思わずそう思ってしまった。
決して、私はナルシストじゃないよ?
ただちょっと、クロエのイケメンぶりが際立って、思っていた以上に格好良くなってしまっただけだ。
どうしよう。
眼帯とか着けようかな……。
黒い軍服って、ちょっとタキシードみたいなんだよね。
でも、本当に眼帯とかつけた方がいいかもしれない。
髪型を変えたからパッと見では私だとわからないだろうが、よく見れば私がクロエだと顔でわかってしまう。
何かで隠した方がいいかもしれない。
と思ってまた部屋を見回すと、誰かの忘れ物らしき黒い仮面を見つけた。
この城には怪盗でも出入りしているんだろうか?
私はそれも借りる事にした。
顔につけて、姿見を確認する。
「……これでは道化だよ」
部屋がノックされる。
「もう、入ってもいい?」
アルディリアの声が聞こえた。
「いいよ」
声をかけると、アルディリアが部屋へ入ってくる。
「勝利の栄光を君に」
「急にどうしたのさ? それより……」
アルディリアはじっと私を眺めた。
爪先から頭の先まで、じっくりと見ていく。
ちょっと恥ずかしい。
無言なのでさらに恥ずかしい。
「凄いね、クロエ。クロエだって知らなくちゃ誰だかわからないし、とってもカッコイイ」
アルディリアが頬を染めた。
今の私に頬を染めるな。
そっちの気《け》があると思われるぞ。
薄い本にされてもいいのか!
「これならイケるよ」
さっきの懐疑的な感想から一転して、絶賛された。
萎えていた自信がまた膨らんできたよ。
「なら、行こうか。近付いて、まじんのごとくきりつけてやる」
「斬っちゃダメだよ!」
大量の経験値は私の物だ。
そして私は、アードラーへの接近を試みた。
歩く際には、骨格に気をつける。
男性の体型に近付くように、骨格を筋力で無理やり変えて歩いた。
いかり肩にするような感じだ。
彼女へ近付く時、一瞬視線がこちらを撫でる。
バレないかと少し緊張したが、彼女は私に気付かなかった。
肩を撫で下ろし、彼女の前まで歩いていく。
前で立ち止まられた事で、アードラーは顔を上げた。
小さな驚きがあった。
多分、近くで見て気付いたんだろう。
逃げられないように、私はすかさず彼女の手を握った。
「あなたは……」
「踊っていただけますか?」
「……わかったわ」
了承を得て、私はアードラーと共にダンスホールへ出た。
舞踏を始める。
ダンスホールの中。
身を寄せ合ったこの場所でなら、二人きりで話ができる。
だから私は、踊りに誘ったのだ。
私は男性パートで、アードラーは女性パートで踊った。
私達はしばらく、無言で踊り続けた。
こうして話せる距離には来られたけれど、いざこうなると何から話していいのかわからない。
「上手になったわね。踊り」
私が言葉を探していると、先に口を開いたのはアードラーだった。
「アードラーに教えてもらったからね。私は、アードラー以上に踊りの上手い人は知らないよ」
「ありがとう」
また、会話が途切れる。
「ねぇ」
今度は私から切り出した。
「どうして私達から逃げるの?」
「…………」
「私達の事が信じられなくなった? 嫌いになってしまった?」
「……そんな事、ありえない」
その一言で、私は安堵した。
いろいろと言わなければいけない気がしていた。
言葉を尽くさないといけない気がした。
でも、もうこれだけでいいや、と今は思えた。
「そうなんだ。だったら、よかった」
「むしろ、あなたはどうなの?」
「何が?」
「私の事……嫌いになったんじゃない?」
「何で私がアードラーを嫌うと思うのさ?」
「……そう。……わからないのなら、いいわ」
「ふふ」
「何がおかしいの?」
「お互い様だったんだね。私もアードラーも、お互いに嫌われてないか心配だったんだ」
「……そうね」
「対等だね。対等の友達だね」
「そうね、対等ね」
そう言うと、アードラーは笑った。
正直、それが何かはわからない。
けれど、アードラーの中で凝り固まっていた何かがその時に解れたように思えた。
さっきまでの軽い緊張を孕んだ表情が、今はとても柔らかくなっていた。
「クロエ。あなた、カッコイイわね」
「でしょー。たまに男装するのもいいかもしれないね」
今度は黒いマントも羽織ろうかな。
踊りが終わって、私はそそくさとその場を立ち去った。
何故か?
妙に注目されていたからだ。
第一王子の婚約者にダンスを申し込んだ仮面の奇人。
目立たないはずもなく……。
アードラーにもわからなかったのだから、多分他にわかる人間はいないと思うのだが……。
バレバレだったらどうしよう……と今更になって恥ずかしくなった。
好奇の視線にさらされ続けるのも嫌だったので、私は早足で着替えを置いている部屋へ戻った。
着替えて戻ると、アードラーはアルディリアと一緒だった。
「仲直り、できたんだね」
「うん」
アルディリアに言われ、私は答える。
「始めから、仲違《なかたが》いしていたわけじゃないでしょうに」
アードラーはツンとした口調で言う。
アルディリアは苦笑する。
それから私へ向き直った。
「では、クロエ様」
妙に改まって、私の名を呼ぶ。
「次は、僕と踊っていただけませんか」
アルディリアは左手を胸に当て、右手を差し出してきた。
男性が女性を踊りへ誘う作法だ。
「あ、……まあいいわ。ふぅ」
何故かアードラーがそんな事を呟き、諦めたように溜息を吐いた。
「踊っていただけますか?」
再度、アルディリアに問われる。
私は差し出された右手を見た。
もう、男性のパートは踊ったしね。
今度は女性のパートを踊るのもいいか。
「喜んで」
私は答え、アルディリアの手に自分の手を置いた。
こうして、私はアードラーと復縁でき、舞踏会も無事に終わった。
後に母から聞いた話だが。
その後、社交界は舞踏会に現れた謎の軍人の話題で持ちきりになったという。
漆黒の闇に囚われし黒の貴公子なるあだ名がつけられており、若年のお嬢様から貴族の奥様方にまで慕われているという。
はたしてあれは誰だったのだろう?
一体、何ビッテンフェルトなんだ……。
初めから向かう場所を決めていたかのように、まっすぐ進むその人物。
その姿を見た者達は小さくざわめいた。
ざわめきが、尾を引くようにその人物が通った後を追っていく。
黒い生地になお黒い糸で刺繍が施された軍服に身を包み、黒髪を後ろで束ねたその人物は煌びやかなホールの中で、一点の黒い闇のようだった。
その存在感は人々の視線を吸い込み、放さなかった。
それは黒尽くめのいでたちのせいでもあり、長身のためでもあったが、何より人の目を引いたのはその顔だ。
人物の顔には、目元を覆う黒塗りの仮面があった。
その異様さが、人の目を引き付ける。
その人物はホールを進み、そして一人の少女の前で立ち止まった。
ホール内へ油断なく視線を送っていた彼女が、眼前に立たれて初めてその人物に気付く。
少女は人物の顔を見上げ、驚いた。
その人物は、すかさず少女の手を掴む。
「あなたは……」
少女は呟くように言葉を漏らす。
「踊っていただけますか?」
一言、中性的な声が訊ねる。
「……わかったわ」
少女は少しの逡巡を見せ、その誘いを受けた。
果たして、その人物は何者なのだろうか……。
まぁ、私なんだけどね。
遡る事、数十分前。
私はビッテンフェルト家の馬車へ、父上から持たされた軍服を取りに行った。
それから城の一室を借りて、その軍服に着替えた。
誰でも利用できる、着替えや化粧などをするための部屋だ。
これはアードラーに逃げられないようにする作戦のためである。
作戦は簡単。
私が男装して、アードラーに近付くという物だ。
アードラーは私の姿を見て逃げ出してしまう。
だから、私が私だとわからないようにすれば逃げられないと思ったわけだ。
で、胸にさらしを巻いて軍服を着てみたわけだけど。
「髪どうしようかな?」
実の所、今の私はゲームのクロエと違って髪の毛が少し長い。
ゲームの方が首辺りまでの長さに対し、私の髪は肩辺りまである。
相手に掴まれやすくなるので、武芸者として長い髪は良くないのだが、私は面倒臭がりなので髪は長くなってから短めに切るようにしていた。
いつも同じ長さに髪を整えていたゲームのクロエは意外と真面目で几帳面だったのだろう。
もしくは、髪型にこだわりのあるお洒落さんだったのかな?
へそと腹筋が丸見えの衣装をいつも着ていた露出狂だったけどね。
男装しても、髪型が一緒だとすぐにばれてしまうかもしれない。
髪型というものは、意外と人の印象として残ってしまう物だ。
アルディリアが髪型をドリルにすると、私は多分一瞬だけとはいえアードラーと間違う。
二人して髪型を入れ替えられたら、しばらく気づかないんじゃないだろうか。
思い切って、ゲームクロエと同じぐらいの長さに切ってしまおうか。
とその時、圧倒的閃き。
結んでしまおう。
自分で切ってもおかしくなるかもしれないし、そっちの方が断然いい!
そう思い立って紐を探すと、部屋を利用した誰かが忘れていったであろう結い紐を見つけた。
後で返す事にして、今は借りておこう。
で、髪を後ろで束ねて見たのだが。
やだ、私カッコイイ!
姿見で確認して、私は思わずそう思ってしまった。
決して、私はナルシストじゃないよ?
ただちょっと、クロエのイケメンぶりが際立って、思っていた以上に格好良くなってしまっただけだ。
どうしよう。
眼帯とか着けようかな……。
黒い軍服って、ちょっとタキシードみたいなんだよね。
でも、本当に眼帯とかつけた方がいいかもしれない。
髪型を変えたからパッと見では私だとわからないだろうが、よく見れば私がクロエだと顔でわかってしまう。
何かで隠した方がいいかもしれない。
と思ってまた部屋を見回すと、誰かの忘れ物らしき黒い仮面を見つけた。
この城には怪盗でも出入りしているんだろうか?
私はそれも借りる事にした。
顔につけて、姿見を確認する。
「……これでは道化だよ」
部屋がノックされる。
「もう、入ってもいい?」
アルディリアの声が聞こえた。
「いいよ」
声をかけると、アルディリアが部屋へ入ってくる。
「勝利の栄光を君に」
「急にどうしたのさ? それより……」
アルディリアはじっと私を眺めた。
爪先から頭の先まで、じっくりと見ていく。
ちょっと恥ずかしい。
無言なのでさらに恥ずかしい。
「凄いね、クロエ。クロエだって知らなくちゃ誰だかわからないし、とってもカッコイイ」
アルディリアが頬を染めた。
今の私に頬を染めるな。
そっちの気《け》があると思われるぞ。
薄い本にされてもいいのか!
「これならイケるよ」
さっきの懐疑的な感想から一転して、絶賛された。
萎えていた自信がまた膨らんできたよ。
「なら、行こうか。近付いて、まじんのごとくきりつけてやる」
「斬っちゃダメだよ!」
大量の経験値は私の物だ。
そして私は、アードラーへの接近を試みた。
歩く際には、骨格に気をつける。
男性の体型に近付くように、骨格を筋力で無理やり変えて歩いた。
いかり肩にするような感じだ。
彼女へ近付く時、一瞬視線がこちらを撫でる。
バレないかと少し緊張したが、彼女は私に気付かなかった。
肩を撫で下ろし、彼女の前まで歩いていく。
前で立ち止まられた事で、アードラーは顔を上げた。
小さな驚きがあった。
多分、近くで見て気付いたんだろう。
逃げられないように、私はすかさず彼女の手を握った。
「あなたは……」
「踊っていただけますか?」
「……わかったわ」
了承を得て、私はアードラーと共にダンスホールへ出た。
舞踏を始める。
ダンスホールの中。
身を寄せ合ったこの場所でなら、二人きりで話ができる。
だから私は、踊りに誘ったのだ。
私は男性パートで、アードラーは女性パートで踊った。
私達はしばらく、無言で踊り続けた。
こうして話せる距離には来られたけれど、いざこうなると何から話していいのかわからない。
「上手になったわね。踊り」
私が言葉を探していると、先に口を開いたのはアードラーだった。
「アードラーに教えてもらったからね。私は、アードラー以上に踊りの上手い人は知らないよ」
「ありがとう」
また、会話が途切れる。
「ねぇ」
今度は私から切り出した。
「どうして私達から逃げるの?」
「…………」
「私達の事が信じられなくなった? 嫌いになってしまった?」
「……そんな事、ありえない」
その一言で、私は安堵した。
いろいろと言わなければいけない気がしていた。
言葉を尽くさないといけない気がした。
でも、もうこれだけでいいや、と今は思えた。
「そうなんだ。だったら、よかった」
「むしろ、あなたはどうなの?」
「何が?」
「私の事……嫌いになったんじゃない?」
「何で私がアードラーを嫌うと思うのさ?」
「……そう。……わからないのなら、いいわ」
「ふふ」
「何がおかしいの?」
「お互い様だったんだね。私もアードラーも、お互いに嫌われてないか心配だったんだ」
「……そうね」
「対等だね。対等の友達だね」
「そうね、対等ね」
そう言うと、アードラーは笑った。
正直、それが何かはわからない。
けれど、アードラーの中で凝り固まっていた何かがその時に解れたように思えた。
さっきまでの軽い緊張を孕んだ表情が、今はとても柔らかくなっていた。
「クロエ。あなた、カッコイイわね」
「でしょー。たまに男装するのもいいかもしれないね」
今度は黒いマントも羽織ろうかな。
踊りが終わって、私はそそくさとその場を立ち去った。
何故か?
妙に注目されていたからだ。
第一王子の婚約者にダンスを申し込んだ仮面の奇人。
目立たないはずもなく……。
アードラーにもわからなかったのだから、多分他にわかる人間はいないと思うのだが……。
バレバレだったらどうしよう……と今更になって恥ずかしくなった。
好奇の視線にさらされ続けるのも嫌だったので、私は早足で着替えを置いている部屋へ戻った。
着替えて戻ると、アードラーはアルディリアと一緒だった。
「仲直り、できたんだね」
「うん」
アルディリアに言われ、私は答える。
「始めから、仲違《なかたが》いしていたわけじゃないでしょうに」
アードラーはツンとした口調で言う。
アルディリアは苦笑する。
それから私へ向き直った。
「では、クロエ様」
妙に改まって、私の名を呼ぶ。
「次は、僕と踊っていただけませんか」
アルディリアは左手を胸に当て、右手を差し出してきた。
男性が女性を踊りへ誘う作法だ。
「あ、……まあいいわ。ふぅ」
何故かアードラーがそんな事を呟き、諦めたように溜息を吐いた。
「踊っていただけますか?」
再度、アルディリアに問われる。
私は差し出された右手を見た。
もう、男性のパートは踊ったしね。
今度は女性のパートを踊るのもいいか。
「喜んで」
私は答え、アルディリアの手に自分の手を置いた。
こうして、私はアードラーと復縁でき、舞踏会も無事に終わった。
後に母から聞いた話だが。
その後、社交界は舞踏会に現れた謎の軍人の話題で持ちきりになったという。
漆黒の闇に囚われし黒の貴公子なるあだ名がつけられており、若年のお嬢様から貴族の奥様方にまで慕われているという。
はたしてあれは誰だったのだろう?
一体、何ビッテンフェルトなんだ……。
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