気付いたら、豪傑系悪役令嬢になっていた SE

8D

三十一話 私は今日、大変な一日でなぁ……

 マリノーとティグリス先生の仲を取り持つ計画は、まだ第一段階だけとはいえ一応うまくいったようだ。
 これからまだまだ大変だろうけれど、何よりもマリノーのやる気が高いのでなんとかやっていけそうだった。
 幸先が良い。

「何か良い事でもあったの?」

 学園の廊下。隣を歩くアードラーに訊ねられた。

「なんで?」
「機嫌が良さそうに見えるから」

 当然か。

「いろいろと抱えていた問題が、いい方向に転がりだしたからね。だから今は、とっても機嫌がいいんだよ」
「ふーん。もしかして、フカールエルの子の事かしら?」
「よくわかったね」
「最近ずっと、あの子に構いっぱなしだったじゃない」

 アードラーは視線をそらす。

 あら、ヤキモチ?
 モテる女は辛いなぁ。

「でも、だったらもう少し一緒に過ごす時間が増えるかしら?」
「マリノーがいる時でも、一緒にいてくれてよかったんだけどね」
「……考えておくわ」

 話をしながら、中庭の渡り廊下に差し掛かる。
 そんな時だった。

 ちらりと見た先で、ティグリス先生が中庭の方へ歩いていくのが見えた。
 先生が中庭へ行く事はそんなにおかしくないのだが、どういうわけかその表情は険しかった。

「どうしたの?」
「気になる事があって……。ちょっと見てくる。先に行っていていいよ」
「私も行くわよ。当然でしょ」

 当然なのか。

 私はアードラーを伴って、先生の向かった方へ進んだ。



「これで揃ったようですね」

 私が先生を追って中庭の奥へ進むと、六人の人物がそこにいた。
 私とアードラーは植木の影に隠れて、その様子をうかがう。
 マリノーとアルエットちゃんとティグリス先生。
 それから、前にマリノーへ言い寄っていた鼻持ちならない男子生徒とその取り巻き二人だ。

 マリノーとティグリス先生が鼻持ちならない男子生徒達と対峙していた。
 そしてアルエットちゃんは、鼻持ちならない男子生徒に腕を掴まれていた。
 詳しい事情はわからないが、アルエットちゃんが人質に取られている。
 そのように見えた。

「何故、このような事をするんですか!?」

 マリノーが怒鳴る。

「珍しいものですね。あなたがそんなに声を荒らげるなんて。たおやかなあなたに、そんな下品な声は似合いませんよ」

 鼻持ちならない男子生徒は、怒るマリノーの心を逆撫でするような声で返す。

「ふざけないでください。早く、アルエットちゃんを解放しなさい!」

 鼻持ちならない男子生徒は肩を竦めると、あっさりアルエットちゃんから手を放した。
 アルエットちゃんは解放されて、すぐに父親の所へ走っていく。

「お父さん!」
「アルエット!」

 ティグリス先生はアルエットちゃんを抱き上げ、鼻持ちならない男子生徒の視線から隠すように身を捩った。

「どういうつもりなんです?」
「あなたの願いを叶えただけの事ですよ。お二方に来ていただくため、今回はご招待しただけに過ぎませんから。でも、本来はこんな事をする必要は無い。そうでしょう、マリノー嬢」

 何だこれ?
 私は、今自分の目の前で行われるやり取りに少し混乱していた。
 イベントだろうか、と最初思った。
 でも、こんなイベントはゲームにない。
 こんな展開は、見た事がない。
 なら、これは何だ?

「侯爵家である私には騎士公の家を潰す事など容易くできるのですから」

 マリノーは表情を一層険しくした。

「そんな事をして何の意味が……」
「マリノー嬢。
 あなたは、ずいぶんとその成り上がりの男がお気に入りのようだ。
 気の迷いとはいえ、伯爵家の娘がずいぶんと短慮な真似をするではないですか。愚かしい事です。
 ですがそんな今のあなたならば、私の言う事を聞いてくれるのではないか、と思ったのですよ」

 あの野郎……。
 要は、ティグリス先生を人質に取ったって事か。
 マリノーが言う事を聞かなければ、先生を潰すと暗に仄めかしているんだ。

「私にどうしろというのです?」
「簡単な話です。私は前にも、あなたへ気持ちを伝えたはずだ。その美しい御手を取り、愛の言葉を囁きあう関係になりたい。侯爵家との婚姻ならば、あなたの家のためにもなりましょう。付き合った所で何の利点もない騎士公などを選ぶよりも、余程良い話ではないですか」
「くっ……。私があなたの下へ行けば、先生には手を出さないでいてくれるのですね?」
「ふふふ、誓って」

 マリノーは苦悩の表情を作る。
 少しの逡巡を経て、深く溜息を吐いた。

「フカールエル?」

 その様子に、ティグリス先生が名を呼ぶ。

「わかりました。あなたの言う通りにします」

 マリノーは搾り出すような声で答えた。

「良い決断をしましたね、マリノー嬢」

 鼻持ちならない男子生徒が笑う。
 そのやり取りに、先生は苦々しい表情を作っていた。

「お父さん。私のために我慢しなくてもいいんだよ。お父さんがいれば、私はどこにいても怖くないから」

 アルエットちゃんが、そんな先生に確かな口調で告げた。

「アルエット……だが……」
「私、カッコイイお父さんが好きだから……」
「……わかった。どんな事があっても、俺はお前を守る。辛い思いはさせない。だから、俺の我儘を許してくれ」

 先生はアルエットちゃんを下ろして、視線をマリノーの背へむける。
 マリノーは鼻持ちならない男子生徒の方へ、一歩踏み出そうとしていた。

「待て」

 そして声をかけていた。
 マリノーの手を掴み、自分へ引き寄せる。
 急に引かれたマリノーは、体勢を崩してそのまま先生の胸の中へ収まった。
 先生も優しくマリノーを抱き止める。

「先生?」

 マリノーは急な事に顔を赤くして口にした。

 不愉快そうに、鼻持ちならない男子生徒は顔を顰める。

「これは貴族同士の話。貴族とは名ばかりの下賎者が口を挟むな! 貴様の爵位など、私の手にかかれば容易く剥奪する事もできるのだぞ」
「貴族か……。そんな事はどうでもいい。俺は教師だからな。教え子の身を守る義務がある。それに……」

 先生は一度マリノーを見て、鼻持ちならない男子生徒へ改めて向き直った。

「自分に惚れてる女を守れないようじゃ、胸を張って男と名乗れねぇからな」
「あくまでも手向かうと言うのですか? そんな事をすれば、あなたの誇る教師という仕事も失う事になりますよ」

 先生はマリノーを背中へ庇い、鼻持ちならない男子生徒を睨み付けた。

「ああ。爵位がなくなろうが、教職を失おうが、俺はもう退かないぜ」

 そう告げる先生には、今にも戦いに望むような雰囲気があった。

「いやいや、それはいかんでしょう」

 先生の事だから、うかつに手を出す事はないだろうけど。
 今の先生は少し怒っている。
 どんなはずみで何をするかわからない。
 そう思って私は植木の影から姿を現した。
 アードラーも私に続いて姿を現す。

「ビッテンフェルトと、フェルディウスか?」

 私は軽く手を振る。

「ただでさえ爵位の違いでまずいのに、教師が生徒と揉め事を起こすのもダメでしょう。だから、ここは私に治めさせてくださいよ。爵位も立場も、同じですからね。それなら、問題も小さくて済むでしょう?」

 先生に笑いかけてから、私は鼻持ちならない男子生徒へ顔を向けた。

「またあなたですか、クロエ嬢。今回も、暴力ですか?」
「まぁ、そうだね。今回は逃すつもりもないよ。今日の私はすこぶる機嫌が悪くてね。運が悪かったんだよ、お前らは」

 やった。
 前々から使ってみたかった台詞を実際に使えたぞ!

「さっき、とっても機嫌がいいって言っていたじゃない」

 アードラーが私の後ろでボソリと呟く。
 もうちょっと浸らせて欲しかった……。

「逃げるですって? 前にも申しましたが、あれはあなたの名誉とささやかな幻想を守って差しあげたにすぎません」
「なら証明してもらおうか。その言葉が妄言ではないという所をさ。人の弱みに付け込んだ挙句、蔑んでいた身分の人間にすら勝てないような男が如何ほどの物か確かめてあげるよ」
「侮辱のつもりですか? いいでしょう。そのつもりなら、その自信と幻想を砕いてみせましょう」

 鼻持ちならない男は構えを取る。
 私も前と同じ構えを取った。

「あなたは幼少の頃より闘技の鍛錬を積んできたそうですが、それはあなただけではありません。私だって同じだ。闘技のみならず、勉学も芸術すらも易々とこなす私は、幼少より神童と呼ばれてきました。その名が飾りだけで無い事をお見せしましょう」
「へぇ」

 確かに、鼻持ちならない男子生徒の構えは堂に入っている。
 一朝一夕で身につくようなものではない。
 こいつの言っている事は、きっと確かなんだろう。
 少しは楽しませてもらえるかもしれないね。



 そう思っていた時期が私にもありました。

 残念ながら鼻持ちならない男子生徒は、確かに普通よりも強かったのだろうが、強敵と呼べるものではなかった。
 奴の頭を殴り、踏みつけ、地面で摩り下ろしてやると奴はあっさりと降参した。
 本当にあっという間の出来事だった。
 その後、恥も外聞も捨てて平謝りしてきた。
 そしてそのまま、取り巻き達に連れられてその場から去って行った。

 がっかりだよ!

「ビッテンフェルト」

 戦いが終わると、ティグリス先生に声をかけられた。
 振り返る。

 怒られるかな?
 安易に拳で解決しちゃった事。
 でも、私としてはここが使いどころだと思ったんだよ。
 最近、実戦の機会がなくて欲求不満だった、なんて事はこれっぽっちもないよ。
 本当だよ?

「悪いな。正直、助かった」

 けれど、先生はただ一言そう言った。

「私がそうしたいと思ったからそうした。それだけですよ」
「そうか……」
「これが私の拳の使いどころです。どうですか?」
「まだまだ荒いな。でも、若い頃なんてそんなもんだな」

 先生は小さく笑った。

「クロエさん。ありがとうございます」

 マリノーがお礼の言葉をくれる。

「別にいいよ。友達でしょ」

 答えると、マリノーはにっこり笑った。

「行きましょう」

 どういうわけか、アードラーが私の手を引いてその場を去ろうとする。
 すぐにでもここから離れたいみたいだ。

「お姉ちゃん! ありがとう!」

 アルエットちゃんのお礼の言葉に手を振り替えしながら、アードラーに引かれてその場を離れた。



「もしかして、これから揉めたりするかな?」

 あの鼻持ちならない男子生徒の事だ。
 何かあとで抗議でしてくるんじゃないか、と思ったのだ。
 あいつ何となく、親にチクリそうなんだよね。

 正式な決闘とかなら大丈夫だったかもしれないけれど、非公式だったからなぁ……。
 それに、あれはもうすでに戦いじゃなくて弱い者いじめだったし……。
 何か文句を言われるかもしれない。

「私がクロエに味方すれば、何も言えないでしょうよ」

 アードラーは公爵家。私やあの男より爵位は上だ。
 後ろ盾になってくれるのなら、確かに文句は言われないかもしれない。

「いいの」
「当然でしょ。と、友達なんだもの」
「じゃあ、何かお返ししなくちゃね」
「いいわよ。私だって、そうしてあげたいからそうしただけよ」
「でも、友達は対等な関係なんでしょ? 貸し借り作らないものなんでしょ?」
「う、そうだったわね。じゃあ、また今度困った時に返してちょうだい」
「わかった」


 しかし、ゲームの台詞を実際に言うのはたのしかったなぁ。
 折角だから、「捻くれたカーブ」とか「死にたい奴からかかってこい」とかも言える機会が来るといいのに。
 いや、待て。
「死にたい奴から〜」を言う機会って、大勢の敵に囲まれた時なんだよね。
 そして、私にはその機会が未来に待っている可能性があるのだ。
 私が死ぬイベントの時とシチュエーションが同じだ。

 うわ、やっぱりいい。
 一生言えなくていいや。

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